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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

♭06

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いちじょう の しゅうえん

 





♭06 白い夢降る、現時へ続いた散り際の紡ぎ歌。



   【 いちじょう の しゅうえん 】






 語り終えて、圭がほっと一息付く。侑生はぎりっと拳を握り締めた。『ドール』の精巧な皮膚は人間に近い。摩擦音さえ精密機械を使ってようやっと僅少な差異を数値でわかる程度だろう。
「後半のことは、あなたも知っての通りよ」
「圭は『マインドプログラマー』の資格を取って『MISA(ミサ)』の第六研究所『神羔頌(アニュス・デイ)』に転属されたんだよね」
“『ドール』研究所 Mechanical Innovation Society 『Advance』”────通称“MISA”。“Advance”が『ドール』開発を先陣切って仕切っている場所の団体名だが、登録正式名称は英文すべてだ。こうして長いのと“Advance”だけでは『ドール』研究所の『Advance』かわかりにくいため、頭文字を捩って『MISA』と略称で呼ばれることが通常だった。
 奇しくも、圭が最後に贈られた曲と同名の第六研究所は、圭の最終就職先となった。
「ええ。復帰した正乃も含めて何人か面倒見て、並行して勉強したの。……久々に支倉さんと連絡を取ったわ」
 笑みを零す圭の隣で侑生は不貞腐れている。『ドール』の侑生と支倉は面識が在った。と言うより普段から「お前は圭ちゃんと共同開発だから圭ちゃんが母親なら俺は父親だな」と宣ってやめなかった。このことが侑生の神経を逆撫でしているのだけれど……支倉はわかっていてやっているので始末に悪い。
 何より、侑生にとっては支倉は“不甲斐無い男その一”なのだ。コイツがしっかりしてくれれば圭だって、と思っているので。
 支倉は圭が己と同じ研究所に勤めるまで圭の勉強を見ていた。支倉自身が働いている施設だと言うのも在るが、それ以上に支倉の能力の高さゆえだ。もともと支倉は高性能義肢の研究員をしていた。技能と生化学や最先端医療に特化した『生体医科学』と言う分野の、造詣の深さを買われて支倉は『ドール』製作に抜擢され研究所に招かれたのだから。『マインドプログラマー』も元は義肢を扱うことがメインの職業で、医学的な要素も『プログラムコンディショナー』より強く医師や理学療法士との連携も密な職業だった。易々と取れるものでも無く『MISA』で働くために必至ではないが、有利になる『マインドプログラマー』の資格が欲しかった圭は支倉に指南役を頼んだのだ。
「支倉さんはほら、医師免許も持ってるからね。ええと、神経外科と、脳外科と、」
「内科、精神科、心療内科だね」
 圭が列挙しているところへ侑生も無表情に付けて挙げて行く。圭は笑って「よく知っているじゃない」と言うが侑生は眉間に皺を増やしただけだった。
「そんなに嫌わなくても良いでしょうに」
「嫌だよ。圭を支えも守れもしないくせに主張だけする男は嫌いだ」
「侑ー生ー?」
 圭が窘めるように呼べばぷいっと顔ごと目を逸らした。仕方ない子ね、と圭は丸い腹を撫でた。
 侑生は聞いてしまったのだ。たまたまだった。

「俺は、圭ちゃんのこと、今だってたいせつだよ」
『プログラムコンディショナー』としての実績を認められた圭は、執務室として一人部屋を小さくだけども与えられていた。侑生は調整を終えて圭の元へ戻って来たところだった。
「あのときはさ、言えなかった。言ったら駄目だと思ったんだ」
 起動したての『ドール』は意識がはっきりせずぼんやりしている個体が多い。侑生も例に洩れずでこのとき思考回路がきちんと働いていなかった。ノックをし忘れ、静かに扉を数センチ開けた辺りで支倉の声がした。つい、手を止めて固まってしまった。盗み聞きなんかするつもりも無かったのにその状況へ陥ってしまった。すぐにでも出て行けば良かったのだが、ここはヒトで言う寝呆けて追い詰められた侑生だ。頭がそこに至らなかった。
 結果、じっと中の様子を窺うしかなくなった。
「俺はね、圭ちゃんの無理に従ったんじゃないよ。俺自体がさ、圭ちゃんを欲しくなっちゃったんだ。どうしても。だから、誘いに乗ったんだよ」
 気障たらしい長髪男だけ在って、言うことも歯が浮きそうだ、と侑生は思った。侑生からすれば、“母親乃至姉もしくは妹などの女家族が口説かれている”のと似た感覚になるので、苛っとする訳だ。侑生は室内を覗き込んだ。立ち聞きは勿論覗きもする気は無かったと言うに。
 中では憎き気障な長髪男支倉が、圭のデスクに前屈みに寄り掛かっている背が見える。圭は支倉とデスクを挟んで向こう側、デスクの備え付けの椅子に座っているようで支倉に隠れて見えない。はっ、と侑生は気付いた。あの体勢だと顔が近過ぎやしないかと。ちっ、と舌打ちしたくなったけれど堪える。音がしてバレるのだけは避けたかった。疚しいことなど無くましてや自分は『ドール』。けどもこの状態を発見されるのはバツが悪い。なので息を殺して耐えることにした。
「圭ちゃんて、光輪と奏己(そうこ)ちゃんのハイブリッドじゃん。俺からしたら最高の組み合わせなのよ。俺はね。親友と初恋の君である二人がしあわせでいてくれたら良かったんだ。それを間近で見ていられれば。だのに欲掻いちゃった。圭ちゃんが、俺と付き合いたいなんて言うから」
 二人の間で生まれた子供が俺と付き合いたいって、言うんだもの、あわよくば手に入れて閉じ込めたくなるでしょう? 支倉の甘い科白に侑生は早々に後悔をし始めた。ここでこう言うことになっていなければ即蹴散らしに行くのに。奥歯が鳴る。合金で出来ている歯はヒトの歯の如くぎしりと軋んだ。ああ、邪魔したい。だがしかし扉の前で動けない。いや、何食わぬ顔で突入しようか、そうしよう。侑生が決意した頃合いで。
「……。その割に、閉じ込めてはくれなかったわね?」
 圭だ。揶揄する声音で支倉を詰っている。またもタイミングを逸してしまった。対する支倉は「だって、」堪えてはいないようだ。楽しそうな声調で返している。
「怖かったんだ。俺が不幸にしてしまうようで。俺の子供が、俺みたいにならないとは限らないもの。ああなるまで、失念していたんだよ。長く大人やってるくせにね」
 支倉は生まれ付き四肢欠損症の捨て子だった。役所の人間が保護した時点で両の手足は無かったとの話だ。表面から怪我などの類いで失ったのでは無さそうだと結論付けられていた。今は本物と遜色無い義肢を付けている。現在の義肢は自作だけど施設に来た時分から義肢は装着していた。とある腕の良い義肢装具士から厚意を受けていたのだ。後に養父となったこの人は圭の遠戚に当たり祖母の別れた夫の兄、要は義理の兄だった。彼の世話になり彼に育てられたことが支倉の進路を決めた。
「父さんの義肢は細緻で神経一本一本行き渡っていて不自由は無かったけど、やっぱり苦労したし、ね」
 科学の発達した現代でも差別は根強く残っている。いや、このご時世だからこそ、差別が色濃く現れているとも言えるのだ。
「私は、あなたのそう言う葛藤すら察してあげられないくらい、子供だったわね」
 圭の声に自嘲が混じる。侑生は眉根を寄せたが動かない。静止している。
「汚いことを知ってほしくなかったんだもの、俺が。圭ちゃんといるころは、圭ちゃんに触れている間は俺は紛うこと無くしあわせだったからね」
 隙間から見える範囲は大きくない。支倉の腕が動いているように見えるのだけれど何をしているのかわからない。大方圭の髪やら頬やら触っているのだろう、とは思うのだが……。奥歯を噛む力が強まる。磨り減る前に出るほうが無難かもしれない。ようやく冴えた頭で素知らぬ顔で今し方来た風を装い入ろうとした────が。
「圭ちゃん、約束憶えている?」
 約束? 侑生が思うと同時に「約束?」圭も訊き返していた。約束とは何だ、と侑生はまたも足止めされる羽目になった。侑生が記憶を探る間に支倉の楽しそうな声が答えた。
「別れたときの、約束」
「ああ……。また古いものを出すのね」
「古いなんて酷いなぁ。俺のほうでは今でも目下有効期限中だよ」
 支倉に隠れて圭の表情は見えないけれど侑生には手に取るようにわかった。虚を衝かれたみたいに、ぽかんとしているに違いない。支倉も背を向けているので侑生から顔は見えないけど声の調子で笑っているのが気取れた。侑生は扉の取っ手を持ったまま苛々を募らせる。
「冗談じゃないよ? 圭ちゃんと離れてしばらくは喪失感に目が眩んだんだ」
「……」
「圭ちゃんがゆるしてくれるなら、俺は、」
「失礼します」
 堪忍袋が切れる音を立てたので侑生は乱入することにした。限界だった。人間とは異なる人工皮膚が鳥肌を立てている信号を脳に伝えていた。以前に無理。圭がいけ好かない男にアプローチを受けているなんて忍耐力の限界だった。

 邪魔立てしたあとの二人はとぼけて「どうかしたんですか?」尋ねる侑生に常と変わらない対応をしていた。それからも支倉は度々圭にちょっかいを掛けるのだけど結局圭を止めることは出来なかった。
「だいたい、みんな勝手だよ。圭を好きだと口で言いながら誰一人圭のそばに最後までいなかったじゃないか」
 支倉は圭が定年退職する直前に辞めてしまった。近代では『不老延命措置』の導入で『定年退職』は在るものの昔とは違う制度となった。定められた年齢に達すると退職するところはいっしょだが、選択性になり絶対にその年で辞めることは無くなった。定年になると、この年から五年または十年毎に再入職するか退職するか転職するか決められるようになったのだ。圭は定年から五年後退職したのだけども、支倉はその半年前に辞めて行った。
「やりたいことが在るんだから仕様が無いでしょう?」
「支倉さんだけじゃない」
「他にいるの? 誰」
「雅彦さんとか」
「仕方ないでしょう。一応アレ妻帯者だからね?」
「だったら、何で圭の子を認知なんてするのさ」
 侑生は聞いた話でしかないのだが。クローン培養管理施設、通称『C4 facilities』を辞めて十余年、圭は疎遠だった雅彦と連絡を取ったらしい。精子の使用申請書を受け取るためだとかで。侑生はこのころはまだ初期起動時期で外出は禁じられていた。
 一昔だか二昔だか前にこの国で起きた事故は世界の『ドール』への扱いをいっそう慎重にさせた。各国は法改正され所有者にも一定の規制が設けるに至った。とは言っても、違法『ドール』が数多存在することを鑑みれば法の威力も無いに等しいのかもしれない。
 だので、初動時侑生はまともに研究所の外に出たことは無かった。いたらいたで、殴ってやったのに、と侑生は憤りを隠せない。
「……まぁ、言い包められたのよね、はっきり言えば」
 申請書を受け取るとき雅彦が持ち掛けたのだ。現代では水面下での差別が酷い。表層では名誉毀損で厳しく罰せられるのだけど陰口、下卑た噂と言うものは軽々しく飛び交って拡散されていた。この一つに“片親で父親が判然としない場合は言えないような事情で出来た子ではないのか”と言うものが在る。既婚暦が無い親もいるが既婚暦が無くても普通は父親がわかっているものだ。わからないならどうしようも無くだらしないか、環境の悪い風俗で働いていたかあるいは性犯罪被害者か、と言うように。
 公式書類は口外されないと言え、人の口に戸は立てられない。そして圭は、詮索されるのが死ぬ程嫌いだった。
「妻帯者のくせにおかしいよ。圭の子は雅彦さんの子じゃないんだよ?」
「そうなんだけど。アイツ曰く、精子使用を認可するところと戸籍を管理する部署が繋がってないから、私が言わない限り大丈夫なんですって」
 精子バンクや卵子バンクを利用した本人が負う連絡義務が役所内には無く、圭が雅彦でない精子を使い受胎しても、雅彦が認知したら子供の父親は雅彦になるのだ。
「無茶苦茶だよ。第一、父親はわかっているじゃないか」
「そうね。私は提供者指名で体外受精しているから。だけど公にするのもマズいのよねぇ」
 相手が、相手だけに。肩を竦める圭へ侑生は胡乱な視線を注いだ。
「……何のために許可貰ったのさ」
「いや、サイン無いと困るから。提供してもらえなくなるから。腐ってもあの人、あの子の『父親』だからさー」
 権利持ってるのよね。けらけら笑う圭に侑生はいわゆる疲れた人の表情になった。

 研究所を慰問した客が圭と話したいらしいから隣の部屋か支倉さんのところへ行くように、と命じられた侑生は、一秒のタイムラグも無く圭の執務室の隣に在る仮眠室を選んだ。引き籠もってじっとしていた。眠っても良いけど、そうするといざと言うとき動けないかもしれないと思い、本でも読むことにした。『ドール』の電脳は基本一般的なネットワークに繋がっていない。ハッキングを防ぐためだ。生活を司るマザーと同様の生体信号を用いた電脳で在るが、電気信号で有る限り機械さえ揃えばクラッキングは可能である。ネットのものと質は違えど、セキュリティは万全を期しても何が作用して暴走に繋がるかわからない。念には念を入れているのだ。マザーの如く他の機械と繋げる必要は無いのだから。ゆえに『ドール』の初期設定以降の学習は人間と同じ方法となる。侑生が本を読むのもこの一環だった。
「どうぞ」
「初めまして。お噂は兼ね兼ね。優秀な職員だそうだね」
 読み始めて十分経つか経たないか。件の人物が来たらしい。執務室と仮眠室の間には防音機能が無い。万が一の対応が遅れないためにだ。だから侑生の耳に二人の会話は筒抜けだった。しかし気にせず侑生は読書に専念しようとした。会話が重なるに連れてうっかり聞き耳を立ててしまうのだけど。
「初めまして。────息子さんはお元気ですか?」
 侑生は顔を上げた。『息子』? 慰問者は“初めまして”と言った。圭も“初めまして”と。なのに、続けて“息子さんはお元気ですか”と圭は問うた。慰問者とは初対面ではないのだろうか。それとも慰問者は初めてだけれど、慰問者の息子とは知り合いなのか。慰問者は声質から男だった。
「……、息子と、知り合いなのかな?」
 圭の質問のあと、明らかに執務室の空気が変わった。扉や壁に仕切られていても伝わった。危機感を覚え今にも飛び出しそうになった侑生だったが、圭に隣室か支倉のところへ行けと言われた際キツく言い渡されているのだ。“合図が在るまで部屋から出るべからず”“本日の慰問者には接触厳禁”と。今日の慰問者は時の権力者であるゆえ、不用意な接見はNGだそうだ。言い付けを思い出して侑生はぐっと留まった。
「息子さんにはお伺いにならなかったんですか? 半年近く家を空けていたと言うのに」
 侑生は瞳を瞬いた。圭が、侑生の知る中でも随分と棘が在る口調をしていたのでめずらしかった。
「何も言わないんだよ。何を聞いても口を割らない。お手上げだったね。でもマスコミには発覚してしまって突っ込んで来るし。当時は大変だったんだよ」
 大変だったと言う割に、声は平坦だ。この分なら表情筋は動いていないかもしれない。中を見ていない侑生は面識の無い慰問者にそう想定した。
「大騒ぎでしたものね」
「そうだよ。まさか、きみのところにいたなんてね」
「正直、あなたがマスコミに追い掛け回されている様は“いい気味だ”って思いました」
 その場にはいない侑生は、けれども圭が真っ向から喧嘩を吹っ掛けているのだけは悟った。壁と扉で隔たれていても圭は笑んでいるだろうと言うことも。侑生は慰問者が政治家の主席であることを聞いている。肝が冷えた。
「そうかい」
「……それだけですか?」
「私は万人に好かれる職に就いていないし、家出のことならアレもいい年だ。私の関知するところでは無いんだよ」
「外見年齢通りならね」
 圭の一言で殊更向こうの空気がきりきり張り詰めた。
「……そこまで知っているのか」
「ええ」
「そう」
「またあっさりと。父親なのに、どうして知っているか気にならないんですか」
「さぁ? きみは口が堅そうだしアレも信頼したんだろうね。まぁ……父親だから、上手く質せないのさ。責めない自信も無い。口下手なものでね」
「逃げですね」
「ははっ、手厳しいな。にしても、きみは物怖じしないね。さすがは翅白光輪さんの娘さんかな」
 小気味良く交わされていた話が途切れた。圭が黙ったのだ。侑生は焦れた。圭がどの感情で口を噤んだのか定かじゃないからだ。視覚での確認が不可である以上気配で察知するしかない。慰問者は圭の父親と旧知とでも言う風な口振りで、圭は慰問者の発言を如何様に捉えるか考えあぐねているようだった。
「……父をご存知で?」
「私はね。今日きみが非常に優秀な新人だと聞いて話をしたいと思った。で、今日場を用意してもらっただろう。痛ましいあの事故の前に『MISA』の視察に訪れた。同じことが在ったってだけだよ」
 何度か食事にも行ったよ、話が尽きなくてね、と慰問者は語る。圭は喋らなかった。耳を傾けていたのかもしれない。
「きみは、お父上によく似ているね」
「よく言われます。雰囲気なんでしょうね。顔の造作は本来大叔父に似ているのですが」
「それもだけど。辛辣で容赦が無かった。批判されたね」
「……。父が、ですか?」
「驚いているね」
 圭の声音が信じられない、と言外に示しているのを侑生は感じた。間違いでないのは慰問者の指摘で明らかだ。
「ええ。母なら、わかるのですが」
「奥方ね。奥方はお話好きと聞いているよ。けどきみはお父上似だ。一見神経質そうで繊細に見えて寛容で奥ゆかしく、だけれど頑ななまでに信念を貫く強い人だ。彼は。恐らくきみも。あとね彼、結構口達者だよ」
「まぁ……父は余計なことは言いませんけどもね」
「彼は優秀で賢い人だった。彼の意見は大いに参考になったよ。最後に会った日言われたね。“あなたは命を何とお考えか”って。“『ドール』も『クローン』も単なる人形では無い”ともね。“ヒトとの違いは『クローン』は産まれ方、『ドール』は材質だけしか最早無いんだ”と……。彼は『製作者』としては在り来たりだけど『研究者』には向かないね」
『研究者』は、冷徹でなければ務まらないから。慰問者の言葉を噛み砕いて飲み込んでいるのか、圭は間を空けて「父は、やさしい人でしたから」と。笑っているみたいだった。嬉々で無く哀愁を含んだ笑みを。
「現状、扱いに用心深くはなったけど、そうでも戦争で『ドール』の投入を躊躇わない人たちに、『クローン』がいるからと死に躊躇しない人たちに心を痛めていたのでしょう」
「この国はしていないけどね。しようしようとうるさい輩はいるけど。精一杯黙らせてはいるんだがねぇ」
「保守派ですか」
「そうとも言えないんだな。私の周りにもいるんだ。私は革新派だけど……敵は多いよ」
 現代で『革新派』は“科学の力で人類を繁栄させることが目的で『クローン』は人と変わらず『ドール』などは貴重なパートナーである”とする『科学的繁栄推進派』を主とし、『保守派』は“機械での繁栄は不自然の極みであり『クローン』は廃止廃棄、『ドール』は機械である”『自然的概念保護派』を中心にしていた。とは言え人口減少の危機に瀕した世界は科学に頼らざるを得ず『科学総会』なる世界中の科学者を纏める組織が牛耳っている。御蔭でパワーバランスは崩れ表では『革新派』が優位に立っている。だが反面このせいで『保守派』の過激強行派が一部暴徒化しているのが現状だった。
「お疲れ様です」
「本当にね」
 慰問者の声に疲弊が混じっている。圭は圭で労わっているのか皮肉っているのか、声だけで判定は難しかった。
「父はあなたの息子さんに似ているのかもしれません」
「息子に?」
「ええ。……もう一人の」
 もう一人、の辺で圭の声が硬くなった。今度は慰問者が圭の科白を考量しているのか再び無音が差し込まれる。
「そうかね。口下手で、言いたいことを日々溜め込んでいる辺り似ているとは到底ね。こんな人間のほうが往々にして弁が立つことも在るものだが」
「あなたのように?」
「いや、如何にも私は口下手だが────私は違う。周囲が沈黙をゆるしてくれない」
“沈黙は金なり”とは言ったものなんだけどな。くくっと喉を鳴らす音が聞こえた。慰問者は楽しそうだ。圭は違うと思うが。
「あの子は口下手じゃありませんよ……あなたは、似ていますけど似ていませんね」
「アレとかい?」
「はい」
「そう、かもね。だけどねアレも大概似ていなかったよ」
 再度静寂。慰問者の言うことを考えていた圭が何ごとか発する前に慰問者が自ら話し始めた。
「アレはね、確かに死んだ息子の代わりでウチに来た。けれど、全然別物だった」
「……」
「眼を見ればわかるよ。人の眼は個々で輝きが違うものだろう? 相対する対象にもよるがね。目覚めてすぐ“この子は違う”って直感したよ。だのでね、私は、……僕はアレを“四番目の息子”だと思っていたんだ」
「……」
「名前もね、戸籍はともかく改名しようかと考えていたんだよ。これでも、アレの行く末を案じていたのさ」
「言ったんですか?」
 黙り込んでいた圭が、改めて尋ねた。慰問者は「いいや」否定した。首を横に振る所作も付いていたかもしれない。想像でしかないけども。
「言う前に、消えてしまったし」
「帰ったんだから教えてあげれば良かったでしょう」
「どうも……苦手なんだ。気恥ずかしくてね。男親はそんなモンだよ」
「父は違いました。言い訳ですよ」
「厳しいな。そりゃあ翅白さんはそうだろうけどねぇ。僕には難儀なんだよ」
 気が付けば慰問者の一人称が『私』から『僕』になっていた。打ち解けている証拠なのだろうか。慰問者の化けの皮が剥がれたと判断したらしい圭が「総理」慰問者を呼んだ。
「突然畏まって、何かな。怖いね」
 茶化す慰問者───総理だったが圭の真剣さを理解したようで「何だい?」訝しげに訊いた。水分を啜る音がした。総理が今はぬるくなった珈琲でも口にしているんだろう。
「はい、実は─────」
 圭のお願いは、総理の予想を遥かに超えていたみたいで今までで一番の静けさに満ちた。
 扉の前で立ち尽くす侑生は、最初から最後まで傍観者だった。

 そうして、今も傍観者だ。侑生は己に対して嘲笑が浮かぶ。次いで唇を噛んだ。噛んだところで血は滲まないけれど『ドール』は循環液が体内を巡っている。血のような色ではなく半透明だ。だけど噛み過ぎて滲み出ればわかってしまうので噛む力を緩めた。
「まー、良いじゃない。この子も無事懐妊出来たし」
 あっけらかんとする圭に侑生は「良くない、まったく良くない!」反論した。圭は苦笑いする。『クローン』のあの子には無い部分だ。あの子は何でも何やかんや受け入れてしまうだろうから。
 圭は、『ドール』の侑生の、こう言ったところに安堵していた。やはり違うのだ、と。
 侑生には言っていないけれども仕事や勉強の合間、何度か『成縢侑生』の演奏する動画を観たことが在った。日付を確認して、『成縢侑生』が自殺する前のものをだ。
 バイオリン専科の教師の肩を持つ訳では無いけど、あの子と『成縢侑生』の演奏には明確な差が在った。もっと言うと『ドール』の侑生とも。『成縢侑生』の演奏はか弱くてだけども切れることは無く、繊細な織物をイメージさせ、だと言うのに昏い昏い灯りを通さない深淵を連想させる深みの在る音だった。『成縢侑生』の秘匿にしていた想いを余すこと無く表していると評して過言では無いだろう。
 あの子は違う。あの子も繊細なのだ。でも違った。あの子の音は悲鳴だった。光を求めて這い上がろうと腕を伸ばす叫びそのものだった。
 音の印象の違いは弾き方だろう。強弱の付け方、鳴らし方が微妙に違うのだろう。こればかりは記憶では無い。体が、耳が覚えるものが影響する。
 事実、『ドール』の侑生のバイオリンは完全に異なる。侑生は、楽しんでいる。聴かせるのが楽しくて、マスターした楽譜にアレンジまで加えている。正統に弾くことも出来るからこそ場面場面で変えている。“魅せる弾き方”、と言うのだろうか。『ドール』ゆえに違うと言えばそうかもしれないが。周辺の観客を巻き込む、観客も一体となって手拍子したくなるような。エンターティナーな弾き方だ。
 毛嫌いをしているのに、支倉の演奏の仕方に楽器は違えど酷似していた。
「……ねぇ、」
「なぁに?」
 圭が追想に耽っていると侑生に呼ばれる。圭は考えつつも腹を撫でていた手を止めず応答した。侑生は俯いて、暗い顔をしている。圭が不思議そうに侑生を見返せば侑生が言いにくそうに喋った。
「何で、正人(まさと)じゃ駄目だったの」
 圭は一瞬撫でる手を止めた。遅れて、成程、と頷く。
「正人くんを嗾けたのは、侑生だったのね」
『正人』とは、雅彦の孫である。正乃の産んだ子供は『仁史(ひとし)』と言うのだが、正人は仁史の子であった。仁史とは幾度か会ったことが在り必然的に正人とも顔見知りになっていた。この彼が認知のための書類を託されていて体外受精で妊娠した圭へ届けてくれたのだ。
「正人くんに告白されたのには目を剥いたわよ。正乃の差し金かと思った。死ぬ前にやらかしたのかと」
 あの共同生活から実に三十数年が経っていた。圭も六十代だ。見た目こそ二十代より童顔で更に若いけれど。すでに雅彦も正乃もこの世に無い。正乃は雅彦より早世だった。
「雅彦に入れ知恵したのも正乃と知ったときの衝撃半端無かったからね」
 申請書が見付かった雅彦は正乃に容易くバラしたらしい。書類の真相を聞いた正乃は認知の提案をしたと……。
「どう言う心積もりか知らないけどさ、ちょっと引いたわよね」
“ちょっと”と言う程度で済ませられるのかと侑生は突っ込みたかったが心中に留めた。話すことはここではないからだ。
「正人は良いヤツだったよ」
「そうね。あの雅彦の孫とは思えないわ。仁史さんの子だとは思うけど」
「だったらっ、」
「駄目」
「っ……」
 圭は愛おしそうに撫でる腹を眺めていた。お腹の子を、とても慈しんでいる、それは、母親の微笑だった。
「正人くんを巻き込む訳には行かないでしょ。何と言っても─────私があの日から一等愛したのは、子供を産みたいって思ったのは、あの子、
『侑生』だけだったんだもの」
 面を上げ侑生を真っ直ぐ見据えた。侑生は若干後退する。強い瞳に口を引き結ぶ。……ズルい。圭を愛する侑生にとって、これだけ黙らせるには有効な手段も無い。
「私のクローンを覚醒させない方法を考えたとき、破棄出来ないなら子供を産むしかないって思った。私だって迷ったのよ。『侑生』にも迷惑掛けちゃうし。でもね、この数十年間、あんなに好きだった支倉さんも断って、私が子供を産むなら『侑生』の子が良いって思ったの」
 変よねぇ、そう言う目で侑生のこと見れないのに。腹を撫でる圭が零す。侑生は痛みに耐えるかの如く歯を食い縛った。
「“私がいたら頑張れる”って言う『侑生』に、待っていられる家族を作ってあげたかったのかもしれない。エゴだけど」
 子を残さず死んでもクローンがいるが、クローンじゃ別人だから意味が無い。ゆえに。
 ゆえに『侑生』の子を産むのだと。
 腹の子は現在行方不明の、『侑生』の子だ。
『ドール』の侑生が、最も憎く殺意を抱く相手だった。
『ドール』にロボットのような三原則は無かった。道徳については刷り込まれているものの、拘束力は弱い。だけれども、『ドール』の自発的な犯罪は未だ一件も起きていない。『ドール』にとって人間は“存在意義”で[神]だからだ。『ドール』の精神性は人間と違い限り無く純粋で、ロボットと違い柔軟だった。神だからと盲信することも無いけど憎いからと言って“存在意義”だから危害を加えようとすることも有り得ない。危害を加えたら主に咎が及ぶことを彼ら彼女らは熟知しているのだ。文字通り染み付いていると言うのが正解だろうか。
「本当は雅彦の手だって借りたくないのよ。だけども、こうすれば伯母になる雪菜が保護者になってこの子をあなたに任せられるし、」
「殺してやりたい」
「侑生」
「何で圭がアイツのために、子を産むのさ! ひとりで! 近くにもいないアイツのために産む必要がどこに在るんだよ! 圭をひとりにするヤツなんか……っ」
「泣かないで」
 圭がチェアに座ったまま侑生へ手を伸ばす。両手で左右の頬に触れた。頬は濡れていた。
『ドール』にも涙腺は在る。眼球に異物が付着した際流すためだ。眼球は硝子だけれど特殊な構造で神経も通っている。義眼にも応用されている技術だ。『ドール』に無いのは消化器官と生殖器官だけだった。
「侑生、私はひとりじゃないわ。あなたがいるもの」
「……」
「結局、『侑生』を待つ私の心の拠り所は『侑生』自身なのよね。そしてあなたを造ったんだけど……あなたを造ったとき、あなたが起動したとき。私は少し怖かったの」
 侑生は知っている。人間と違って記憶の忘却など侑生には無い。原初の記憶で朧気の意識ながら侑生は視界に入った圭の顔付きが強張っていたのをはっきり憶えていた。
「……」
「けども、あなたと過ごす内あなたが『侑生』とも『成縢侑生』とも違うって知って心底安心したものよ」
 圭は涙が伝うたび侑生の頬を拭った。次から次へと流れ濡れる頬をその都度拭った。
「あなたには、私が不幸に見えるのかしら。だけどね、そうだとすれば、あなたの視点でなのよ。
 私はしあわせよ?」
「圭、僕は、」
「ねぇ、侑生。地上も海も、その場で見ていると平らだけど、遠くから見たら丸いでしょう? 坂だって離れてみると傾斜なのにその場に立つとそうでも無かったり。私ね、見え方なんだって気付いたの」
「……圭」
「視点一つで全部変わるのよ。私は昔、大した坂道でもないのに“ひとりで、つらい、つらい”って泣いていたんだわ」
 圭は笑っていた。花が咲くように。頭上の桜が硬く蕾を閉ざしている代わりみたいに。
「視点なのよ。ほんのちょっとズラすだけで変わるのよ。私は些少離れて、私の周囲にはいっぱい人がいるって気が付いたの。この人たちの視点にもね。『侑生』の御蔭なの。だから、」
 私、今、しあわせなのよ。
「それにね、」
 圭がきれいに微笑むから。侑生は何も言えなくなった。
「この子がいるでしょう?」
 圭が腹を撫で摩る。己の中の[命]を愛でるみたいに。
「この子には私の遺伝子が在るの。私は、この子の中に生きているのよ。ねぇ、侑生。私は何れ死んでしまう。『侑生』もあなたも置いて、どの道」
 侑生は泣いた。────“行かないで”。
「けれど、この子がいればあなたといられるわ。『侑生』も待っていられるし、朽ちることの無いあなたと、永遠にいられるの」
“永遠なんて要らない”────喚けたら。
“圭が消えてしまうことに変わりないじゃないか”────縋れたら。
 長らく、『不老延命措置』を受け続けた体は出産に耐えられないとは医師の見解だ。
 だが侑生は『ドール』だ。圭には、主には、逆らえない。
 従うしかない。
「あなたには非道なことを言っているの、自覚してるわ。身勝手なのもね。と言っても、これしか無いのよ。『侑生』を待っていられて、あなたの隣にいる手段は」
 侑生は泣いた。“何も要らない、ただ、いっしょにいて”、その一言が呟くことさえ叶わなかった。
「ごめんなさい。私のために、生まれて来てくれて、ありがとう」
 圭は侑生を引き寄せ、抱き締めた。
 肌寒くなって来た海辺で、圭の体温は確かにあたたかかった。

 独り善がりな彼女の、物語はやがて終わりを迎えた。
 圭は、出産による疲労と負荷が、妊娠のため『不老延命措置』を調節していた体に掛かり、出産後、一週間程生死の境を彷徨った末息を引き取った。


 
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