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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

♭04

7/17

アニュス‐デイ

 





♭04 どんなものにだって、祈っていた。



   【アニュス‐デイ】






「……」
 私は一人リビングにいた。侑生はあのあと泣くだけ泣いて、洗面所で顔を洗い、部屋へ行ってしまった。私は仕方ないので一人キッチンに立ちご飯を作った。軽めの野菜スープ。コンソメ味でポトフに似ている。これなら、あたためていつだって食べられる。ふと、私は手を止めた。そうしてぽつり「静かね」と呟いて調理を再開した。

 深夜零時を回ったころ、私も自室に入った。ベッドを素通りして窓際の、ブランコの如く支えのスタンドに釣り下がっているハンギングチェアへ私は腰を下ろした。揺れる卵形の籠のように編まれた椅子で、私は胎児みたいに膝を抱え丸まっていた。抱える両膝に額を押し付けた私の胸に押し寄せていたのは、喉まで競り上がるような罪悪感と不快感だった。
 私は無責任なくせに、好奇心を隠しもせず興味本位を剥き出しにして他人の内情を漁る、そうも無遠慮な人間が大嫌いだった。だけど、侑生の、許容量を遥かに超えた苦悩を暴いた私は、どうだろうか。
 私があのとき同級生の男に反応しなければ、強引にでも侑生の手を引いて逃げてしまえば、侑生は事情説明する必要も無く、今もああして泣かずに、苦しまずに済んだのでは無いか。
 今だって聴取して置いて何もしてあげられない私は、私の嫌う無遠慮なヤツらと、どう、違うのだろうか……?



「お早う……」
「お早うございま───って、ぅわぁぁぁあああっ? 圭さん、すっごい隈出来てますよ!」
「うっさい! お前も大概だよ!」
 刑部は隈どころか顔色そのものがもう青い。白いと言うより青い。こんな真っ青人外の刑部に心配された目の下を私は突っ込みつつ撫でる。ぐりぐり押して引っ込まないかなこのクマちゃんとか。冬眠しろよとかああ現在春だわとか。
「何か在ったんですか」
 疑問符が付いていない辺り確認系で訊いている刑部に、私は肩を竦めて答えなかった。刑部からすれば、きっと様々思い当たることが在るんだろう。ばかひこ……じゃなくて、雅彦とか、正乃とか。まったく関係無いけど。(うなじ)に手を当て揉みながら首を左右に揺らす。あ、ぐきぐき音がした。
「まぁ、いろいろ在るよ。私も大人だし」
 大人だし、と口にしたところで不意に思い出した。私、今週定期健診だ。侑生が来てすぐのころ行ったきりだから……もうそんなに経ったのか。
「私今週いないけど」
「ああ、検診でしょ? 通知来てましたね」
 刑部が珈琲を淹れて私の横へ歩きながら平然と言った。珈琲は二つ、私の分も淹れてくれたらしい。差し出され受け取った。……気の利く後輩だ。同僚だけど。しかも次期チーフ候補。
「家と勤め先に通達を届けるシステムってさ、」
「はい」
「いちいち報告しなくて楽で便利だけど、何か逃げ道塞がれてる気分だわ」
 私が刑部の淹れてくれた珈琲を飲みながら零すと、心底嫌そうな口調になったのがツボに入ったのか刑部が噴いた。珈琲は含んでいなかったため周辺に被害は無い。唇を押さえ笑いを収めようとする刑部と、並んで珈琲を啜る私の前を、刑部が担当している新人の青年が「お疲れ様です」挨拶して通り過ぎて行く。私は「お疲れ様」と返し刑部は口を覆ったまま「お疲れ様」と言った。毎度見るが入れ違いなので特に接点は無い。ので、私の印象だけで言えば生真面目そうな、大柄の短髪青年だ。刑部や正乃が小動物系なら彼は熊みたいだ。
「彼、」
「……はい」
「どう?」
 私が何気無く問うと「めずらしいですね」と刑部が口元から手を外して微笑んだ。私は「そう」と嘯くと刑部が「ええ」同意した。私は追及はせず珈琲を飲んだ。
「圭さん、この時期絶対不機嫌で、新人も自分の担当以外と関わらないじゃないですか。挨拶の外自分からは口利かないし、僕たちとの会話でも触れなかったし」
 自分が担当している新人も深くは接しないでしょ、いつもは。そう刑部が言うのだけれど私は今もそう変わっていないと思っているので「別に……」としか返事出来なかった。刑部は納得しなかったようで「えー?」とブーイングに近い声を上げられた。
「圭さん、いっつも無関心も良いところじゃないですか。不要な接触一切無しで。なのに今、“彼どう”って」
「意味なんか無いけど」
「意味が無いから驚いてるんです。何とも無しに訊くってことは彼に関心持ったってことでしょ? 自分の担当した新人だって、教えるだけ教えて“はいお疲れー”みたいな。今までで正乃くらいでしたよね、圭さんが褒めてたの」
 寝不足でハイなのか、今日の刑部鬱陶しい。十年以上勤めてりゃ過去にだって一人くらい……いるじゃん、目の前に。とは言え職種は変わらずとも研修した施設が勤務先とは限らない。刑部は稀なケースだ。私も新人研修はここじゃない施設だった。
“新入職員研修”と付いているが実地経験の資格習得から技術習得が目的の研修なのだ。正規資格を取って初めて『プログラムコンディショナー』と名乗れる。車の免許習得に似ているかもしれない。かと言って紛うこと無く『新入職員』では在るのだ。この研修と合わせて三年は研修した施設にいるから。
 ゆえに、正規の赴任先が雅彦と同じ施設になったのは偶然だった。今となっちゃ別の施設に行きたかったわ。ここに来たときには私、“雅彦の恋人”で周知だったし。暗い方向に落ちた思惟に早く正乃来ないかな、と思い直す。私、早く来過ぎたわ。通常ならもう十分程遅い時間に入っている。今日早く出勤した理由は言わずもがなだけど。私は珈琲を啜りながら専用端末を弄った。弄って話を続ける。
「……。ぶっちゃけると、」
「はい」
「これまでの研修生はさ、みーんなフザケてんのかこの野郎ってのばっかだったし。基礎すら覚えていないヤツいたじゃん」
 勤続十年のこの職は、正規で勤めて一年くらいになると普通に資格習得研修の面倒を見る羽目になる。一年目は初めて任される訳だけど自身のお浚い的な要素も在って物凄い新人も苦労する。まぁその苦労の被害者が刑部だったんだけど私は。なまじ刑部が良く出来てたから、むしろ刑部の次から私は苦労させられて、問題のヤツは五年目に面倒見た子だった。
「あー……。彼、泣いてましたよね“翅白さん怖い”って」
「あーそう。知るかっての。怒鳴らなかっただけ有り難いと思えっつの。でもソイツ根性在ったよね」
 私の醒めた目に怯えても、紙のメモを握り締めて食らい付くように質問をして来た。今時電子じゃないのと私は思ったが、敢えて言うことも無かったメモは書き込みでぐちゃぐちゃだった。
「元気ですかねぇ。この前リーダーになったらしいですよ」
「うっそ、マジ? まー、アイツが行ったとこって確か規模大きいとこだよね。病院と提携してる。人数多いから小分けされてて慣れればやらされるのか」
「ええ。それでも早い出世だと思いますけどね。あ、前外部研修のとき会ったんですけど、彼、感謝してましたよ。“翅白さんの御蔭で僕今頑張れてます”って。何だかんだ圭さんが教えた子ってみんな出世してますよね」
 へぇー。本当かねぇ。だったらなーんで誰も私に直に言いに来ないのかねぇ? ……嘘々。忙しい職業だからね。立場が上がれば上がっただけ、増える業務も多い。ちょっと昇進したくらいで遊びになんて来れるはずが無い。
「精神的フォロー入れないけどねぇ私」
「その分見棄てないしミスっても頭ごなしに怒らないし、褒めるときは褒めるから」
「でも正乃は出来が良いからね」
「可愛がってますよね」
「だけど一番出来が良かったのは今も隣にいるけどね」
 ぽんぽん続いていた会話が途切れた。隣を流し目で見るとなぜだか窶れ顔を真っ赤にして俯いていた。……何だよ。
「何」
「圭さん、業務に置いては褒めるとき褒めるけど、こう、他愛無いお喋りでそう言うこと言うこと無いから本当にびっくりですよ……」
「褒めてないけど」
「褒めてますよ! 一番出来が良かったとか、アレじゃないですか、最初の教え子だからって補正じゃないんですか」
「そうかも」
 と私が応じると「そこで認めないでくださいよ」刑部は目に見えて肩を落とした。お前が言ったんだっての。

 さて。今期出来の良さ一等の正乃は体調不良でお休みだった。私一人の業務となったけど、まぁ研修期間外はこれがスタンダードなので何の支障も来たさない。逆に。
「……」
 久しく一人で全部の工程を行うのは、今の私には思考も逸れず集中出来て丁度良かったり、して。



“今日飲みに行かないか”と誘ったのは私だった。
「にしても圭ちゃんから誘ってくれるなんてぇ、雪菜さんうれしくってピッチ早くなっちゃうわぁ」
「やめて、人の話聞いて」
 話が在るから、と言えば雪菜がバーの個室を予約してくれていた。洋室の個室はよく在る、カラオケも完備されている安い居酒屋と違って、ちょっとしたベッドが無いだけのホテルの一室のようだ。ソファで寝れそうだけど。二人だけの部屋でフザケる雪菜にぴしゃりと言えば雪菜はふっと笑う。先程とは遠い、微笑で。
「……まーまー。もう一人ゲストが来るまで待ちなさいよ」
「ちょっと、人が来るなんて聞いてないわよ」
 雪菜の発言にぎょっとして抗議すると「まーまー」と宥められる。いやいやそれくらいで収まり付く訳無いから!
「人が来るならまたで、」
「あ、着いたみたい」
 私が腰を上げると、すかさず雪菜が器用にもプライベート端末を操作しながら私の腕を掴み言った。ちょっと、マジ誰が来るの……。私が焦るのと同時に個室の戸が開いた。
「あ、」
「雪菜、何なんだよ突然呼び出して───あ」
 従業員のお姉さんが開けた扉の先にいたのは雅彦だった。お互い認識した瞬間硬直する……待て。私はぎぎぎぎっと油を点していない機械のように首を巡らせ雪菜に問うた。
「コレは、どう言うこと?」
 私が顔面のひく付くまま見詰めていると「だってね、圭」雪菜が平時の調子で至極当然のように。
「私より、この相談は雅彦のほうが向いていると思うわよ」
 雅彦が来るまでしていた話。
“ねぇ、雪菜”
“なぁにー?”
“『クローン』てさ、自分だと、自分自身だと思う?”
“思わないわよ”
 雪菜はあっさり私の質疑に即答した。こうも返して来た。
“あんなモン「存在の保存」じゃなくて「遺伝子の保存」だから。同じな訳無いわ。記憶が在ろうと、名前が同名だろうと。みんなわかってるわよ”
 わかってても、それは理解で、感情は認めない、ゆえに、蘇らせて────絶望する。雪菜はそう言った。
“けどね”
“うん”
“蘇った人に失望するのは、お門違いだと思うわ。兄弟や姉妹に代わりを務めさせようとする人間がいるけど、アレといっしょ。反吐が出る”
 吐き棄てる様は常に飄々としている雪菜らしくなく、華やかな容色は歪んでいた。瞳も昏かった。
 で、現状に至る。
「圭がどうしてこんなこと聞いて来たか知らないけど、餅は餅屋でしょ」
 私との問答を雪菜は『相談』と表した。侑生のことを触れてもいないのに。雪菜は未だ掴んでいた私の腕を引くと、私の耳に赤い新色の口紅が少々剥げた唇を寄せて囁いた。
「圭のことだもの。どうせ自分には不必要な誰かの事柄に首突っ込んで、抱え込んじゃってるんでしょー?」
 その上、圭のことだから無駄に考え込んじゃっているんでしょう、答えはシンプルなのにね。雪菜は妖艶に笑んだ。瞠目する私から腕も放し顔も離すと、まだ扉の前で突っ立ている雅彦を呼び寄せた。
「いつまでそこにいるのー? オーダー来たとき邪魔でしょ、さっさとこっち座りなさーい」
 雅彦を招くと向かいの席に座らせる。成程、雪菜が私の隣に座ったのはこう言うことだったのか。今ごろ私は得心した。
「……よ、」
「ん」
「一文字で会話するのやめなさいよぉ。ほら、あんたはさっさとお料理とお酒頼みなさーい。本当幾つになっても手の掛かる弟なんだからぁ」
「……、は?」
「手が掛かるころは面倒見てもらった憶え無いんですけど『お姉ちゃん』?」
「え?」
「まー、なっまいきぃ。聞いた、圭。この子、こーゆーのが駄目なのよねぇ」
「あのなー」
「ちょ、ちょっと待ってっ……どう言うこと?」
 私たちの挨拶に呆れた雪菜と雅彦との、雅彦へメニューを渡してからのやり取りに私は脳みそがフリーズした。え、だって、何か変なこと耳に入って来たような……? 私が両手を上げ制止のポーズをして説明を求めると、メニューから目線を上げた雅彦、私のほうへ向く雪菜、二人が揃って顔を見合わせた。
「雅彦、あんた、言ってなかったのー?」
「……。言ってなかったかも」
 二人は二人だけ腑に落ちたように「あー」と声を上げた。あー、じゃねぇよわかるように解説してよ。
 別れて半年。初めて二人が姉弟だと知った。

「道理でねぇ……」
 長い付き合いだと言うのはわかってたけどまさか姉弟だとは思うまい。言われてみれば似ているところも在る気がした。あくまで“気がした”、だけども。……あ、けど二人とも節操無いのはそっくりか。雪菜は「気付いてよーっ」と頬を膨らませるがコレが五十路の女かと思うと……「正乃がやると可愛いんだけど」私が言ちると「正乃はやらないなぁ」と首を傾げながらウィスキーを口にする雅彦。私は「えー?」と大袈裟にリアクションした。だって信じられないから。
「えー、って、何だよ」
「やるじゃん、あの子」
「正乃ちゃん? うん、あの子やらないわねぇ、多分」
 あ、雪菜知ってるんだ、もう会ったのかな早いな、なんて考えつつ私は「いやいや、やってるよ?」と反論した。二人は再びアイコンタクトし始めた。視線で会話すんなし。中央のサラダに手を伸ばすとすぐ様雅彦が寄せてくれる。然り気無く出来るのがまぁ、良い男だよね。
「何よ」
「いや……」
「私が会ったときも良い子だったんだけどね。しっかりした子って印象だったわよ」
「正乃がしっかりしてるのは知ってるし。でもあの子甘えたじゃない。甘えん坊でしょ?」
 そう。私へ敵意剥き出しにしている割には甘えて来る。圭さん圭さん、と、刑部が近くにいようとチーフがいようと私にしか寄って来ない。チーフの「何か在ったら言ってね」差し伸べた手も「大丈夫です! 圭さんがいますし!」笑顔で回避して、余りに私に行くものだからチーフが密かにちょい落ち込んでいたりする。私が担当なんだから当たり前だと言ったんだけど。
「……。圭だけだよ、それ」
 雅彦が若干うんざりした顔をした。え、何コイツ焼き餅とか? だったらウザいなぁ。良い傾向だけども。
「まー、職場はそうだろうけどさー。曲がっていても変態でも恋人じゃん、あんた」
「待って! 誰が変態なの誰が」
「へー、雅彦変態だったんだぁ。お姉ちゃん、弟の趣味に口出す気は無いけど程度によっては引くなぁ」
「違うっつの! ああああもうっ」
 頭を抱える雅彦に雪菜とにやにやしてやった。あれ、楽しい。つか今まではやられる側だからかもしれない。雪菜に。テンションも上がってついつい私もピッチが早くなる。や、私は話を聞いてもらうために烏龍茶なんだけど。微妙にわいわい盛り上がっているところへ雪菜の端末が着信を知らせた。「あ、息子だ」……そう言や雪菜の子供って何人かもう成人してるんだよね。
「ちょっとごめんねぇー……どうしたのー」
 通話して部屋を出る雪菜にいってらーと見送ると雅彦と目が合った。一瞬の沈黙のあと「……こーゆーの、」雅彦が口を開いた。私は「うん」応える。
「久々だな」
「半年振りね」
「だな」
 再度沈黙。と言っても嫌な沈黙じゃない。料理を食べる音と飲み物を飲む音がする。
「俺さー」
「うーん?」
「今一人でさ」
「あー、正乃、実家暮らしだもんね。だけどさ、泊まりに来るでしょ」
 恋人だもの。私が言うと「いや」と雅彦が否認した。あれ。
「来ないの?」
「しょっちゅうはな。実家暮らしだし」
「あー……」
 親の目ってヤツか。私のときはむしろ両親とのほうが先に知り合いだったから盲点だった。健在のときは遊びに来てたし。付き合う前だったけど。
「挨拶とか、行ったの」
 ウチの場合は今更って話だったから。つか付き合いだしたときはもういないんだけども。「一応は」とグラスを傾けながら雅彦。ほーぅ。
「順調じゃん」
「でも無いかな。……ご両親と俺、年齢変わらないし」
「……。ああああっ、そっかー! そうね!」
 この辺も盲点だった。そうじゃん。コイツ、四十路過ぎてんだった。見た目二十代でも。うっかりしてたわ。てことはこの前のお父様って、雅彦と変わらないのか。あのナイスミドルお父様が。
「うわー。あんたもうちょっと落ち着いたほうが良いよ」
「放っとけ。……だからさ、あんまり感触良くないんだよ」
 七十八十の外見二十代がいるこの現代に、年齢で物言うのかってお思いだろうが物言うんですよ。雅彦の年までふらふらしてたら、やっぱり遊んでるんじゃないのって言われるんですよ。ま、コイツは遊んでるんだけどね。私は仕事し過ぎでしょって言われる。
「正乃、若いから余計心配されるんでしょうねぇ」
 物言われるのは年齢差ってのも在ると思う。こればっかりはどうしようもないが。ああ、だから。
「あんたここにいるのね」
 正乃が具合悪いのにここにいて良いのかとかちらっと思っていたもので。けれどそれなら仕方在るまい。そーかそーか。
「まぁ、仕様が無いよ」
「そーね。報いね」
「ひどっ!」
 私は茹でられた海老を取る。何だっけ、コレ。茹でた海老と、大根と……良いか。どうでも。口に入れてあ、胡麻油、とか考えつつ咀嚼していた。雅彦は唐揚げに手を出している。特製ソースとやらに付けていた。あとで食べよう。私がぼんやり次に食べようと決めていたら「なぁ、」雅彦が話し掛けて来た。
「今日、圭は良いのか」
「何が」
「相手」
 彼氏、とか恋人、とか言わないのね。言われても困るけど違うから。私は「ご飯作って来たし。あたためるだけで済むから」喋りながら侑生に思いを馳せた。今日早番で家に一度帰ったのだ。けども侑生は出て来なかった。寝ているのかもしれないし私と顔を合わせづらかったのかもしれない。手を付けられていなかった朝食も昼食も冷蔵庫に仕舞った。食べ易いものばかりだったんだけど、ね。念のため夕食も作って来たけど……どれでも良いから食べてくれたら良いんだけども。意図せず溜め息が零れた。「いっしょに住んでるんだ……」て、雅彦の独り言が聞こえたがスルー。
「何か、」
「んー?」
「在ったのか?」
 心配げに私を窺う雅彦に笑ってしまった。刑部もだがまったく。
「今日ね」
「うん」
「雪菜にも訊いたんだけどさ」
「うん」
「『クローン』てさ、自分自身だと思う?」
 雅彦が目を少し見開いた。数瞬して「何で?」訊き返される。雅彦は無表情だった。私は逡巡して開口した。如何に伝えるか考慮しながら。
「ちょっとね」
「……」
「今日ずっと考えていたの。お父さんたち死んだじゃない」
 今日考えて引っ掛かった。あのとき。
「うん」
「あのとき、“クローンで蘇らせますか”って言われたの。何かさ、壊れ物の交換みたいじゃない。物みたい。私ムカ付いちゃった」
「うん」
「私、“絶対違う”って。私のお父さんもお母さんも帰って来ない、こんなのは違うって」
 だから破棄した……けど。
「うん」
「だけどね、今思うんだよね……どうなんだろう、って」
 あのとき、どうしたら正解だったんだろうって。
「どう、って?」
 相槌だけしてくれていた雅彦が尋ねる。私は数度瞬きして「クローンを殺したことになるのかな、って」返答した。脳裏に侑生の泣いている姿が過る。侑生はクローンだ。感情だって在る。雅彦が「何言ってんだ?」眉を顰めた。
「お父さんじゃない、お母さんじゃない。別人よ。だから私は要らないって。でも、だけど、生きていた、訳でしょ? それに、」
 私のクローンもいるじゃない? 当代は人の出生と共にクローンだって生まれる。私のも当然、いる訳だ。ウチの施設には見る限りいなかったがどこかに、私の記憶を移植されながらいるのだ。カプセルの中で膝を抱えて漂っている。
 侑生の告白を聞いてから、考えて、思い至ったことだ。ここまで考え至らなかった辺り、私もだいぶ毒されていた。いや、己で手一杯だっただけだ。私しか見えていなかった、だけ。
「……仮に、」
「……」
「クローンを目覚めさせたって不幸なだけだ。自分じゃないんだぞ」
「そう、なんだけど、さ」
「圭のクローンは圭じゃない。今の法律じゃ、自分が死ぬまでクローンを覚醒させることは叶わないし。これじゃ、いずれちぐはぐして壊れるだけだ。圭は知ってる? 昨今の自殺者はクローンが多いんだ」
 雅彦の言葉に私は雅彦を瞠視する。そうして私は「だから」続こうとする雅彦の声を「待って」遮った。
「どう言うこと?」
「最近もニュースになったよ。ずっと国会中継で総理が糾弾されていたしね」
 知らない。総理……あの人が。私は俯いた。
「もう、ずっとだ。第一無理が在ったんだよ。同一遺伝子ったって、他人の記憶と立ち位置、戸籍を手に入れたところで違和感に嘖まれるに決まってる。周りだって、無理を来たすさ」
 雅彦が遠い目をした。雅彦はそれこそ未婚者の死とクローンの覚醒の事務処理を請け負っている。まさに現場の人間だ。幾つも事案を目の当たりにしているのだろうか。て、言うか。
「ねぇ、」
「ん?」
「クローンが死んだら、次ってどうなるの?」
 人間の代替がクローンの役目だ。だとするならクローンが死んだ場合どう対処されるのだろうか。新たなクローンが生まれるのか。促進剤を投与して。雅彦が刹那黙り込む。思索しているようだった。
「次のクローンが生まれる。が、大抵は次のクローンが起きることは無い」
 雅彦の答えには私の予想内と予想外が混在していた。私は目を僅かに丸くする。
「どうして?」
「死なせてくれって懇願して死を選ぶ家族を友達を恋人を、二度も三度も見たい人間なんていないからだよ」
「でもそれじゃあ、……」
 子供を作る義務は果たせない。雅彦がゆるり首を振った。「出来るさ」笑った。
「精子バンクの登録や卵子バンクの登録は本来任意で、理由は、国民に『家族』って概念を強く植え付けるためだよ。倫理や宗教観念の問題の手前、と言うのも在るけど。クローン製造のために人工子宮は存在するが、一般人が使用するケースには内蔵型人工子宮を体内に移植することになっている」
「その程度なら私も知ってる。学校でやったわ」
 母親は己の胎内で育まれる命を実感させ、母性本能を喚起させるため。父親は妻の膨らんで行く腹に父性本能を抱かせるため。子供のたいせつさを文字通り身を以て覚えさせるためだ。
「でも内蔵型人工子宮は、余程のことが無いと使用が認められないでしょう?」
 このご時世、医学の進歩は目覚しくだいたいの病気は治せてしまう。そうでも、簡単に生身を切ったり機械臓器を貼ったり、あるいは死んでクローンで蘇ったほうが安価だ安易だと言う事実も在って、思い付く人間がいないことも無いので法律で厳しく制限されてる。
「薬物での治療が難しく切除しかなく、更に再建手術が困難である場合だな」
「生体移植は脳、子宮、卵巣、精巣以外じゃないと駄目なのよね」
「遺伝子関係の不具合が起きる可能性が在る以上影響が不安な箇所はな。生体移植の副作用の原因もまちまちだから」
 進歩した医学も突然変異は防げていない。病状は一つ防げてもまた新しい症例が出て来る。この病気なのにこの症状? なんてのは、現代医学でも多々在るのだ。癌も、遺伝子異常だけで起きるものじゃない可能性が浮上したのが、癌治療が盛んになった時代のもっとあとであるように。
「で、人間は任意のバンク登録がクローンは絶対になる」
 私の“なぜ新たなクローンを目覚めさせずとも義務が果たせるのか”と言う疑問が、今の話とどこで繋がるのかと雅彦に付き合っていたのだが、繋がった途端ぽかんとした。数秒、ラグを発生させて思考回路をフル回転させる。
 え、と、要するに、人間が死んだらクローンに代替させるけれど、クローンが死んだら精子や卵子が残っているから蘇らせる必要は無いってこと? 何それ……。
「じゃあ、端からバンクで良いじゃない。何でクローンが必要なのよ……」
「『家族』の概念を根付かせたいからだろう。ああ、」
「え、」
「『人質』なのかもな。所在不明児童は、年々増えることは在っても減りはしないくせに」
 雅彦がウィスキーを呷った。氷がからんと鳴った。同じものを好むのって姉弟よね。今の表情も。
“反吐が出る”
 苦そうに歪めた顔は、先刻雪菜が吐き棄てた時分の顔に似ていた。
「俺はさ、」
「……うん」
「クローンは自分だと思わない。だったから俺は圭に、」
「駄目」
 後続の科白は言わせない。わかるもの。付き合っているときに聞いていた言葉だ。今は、もう聞かない。聞きたくないし聞くようなものじゃない。雅彦は、苦笑した。
「まぁ、さ。クローンじゃなくても誰も代理なんか出来ないさ」
「……」
「誰も、誰の代わりにならない。だろう?」
 力無く、緩んだ微笑み。私は。
「うん」
 頷いた。



「ただ今」
 帰宅した私はリビングでバイオリン本体の手入れをする侑生に声を掛けた。振り返って「お帰りなさい」私を見上げる容貌は目元を腫らして精彩を欠いた。無理矢理笑う面差しは痛ましいのにきれいだった。私は笑って「手入れ中?」と訊いた。
「はい。摩擦のために松脂使うじゃないですか。定期的に拭いてやらないと」
 クリーナーは無いようで乾拭きだけらしい。まぁクリーナーはニスが溶けたりするかもだから慎重な人は業者に頼むのが無難よね。
「侑生の弓って馬の毛なのね」
 バイオリンケースはマジマジ以前手に取って見たけど、本体と弓をこの距離でじっくり見たのは初めてだ。白い毛が木製のスティックに平たく張られている。良いお値段の代物だ。巨匠たちのオールドフレンチボウ程の価値は無いにしても、丁寧な造りが一目でわかる。焼き印の向きからしてフランス製、かな?
「メインも予備もそうです。圭さん、もしかして初めて?」
「ううん。父の弓はカーボンファイバーだったけど、祖母の家で見たこと在るわ」
「ああ。圭さんのお婆さんは音楽教室をやっていたんでしたっけ」
「そう。特に義肢になった人のリハビリを兼ねた教室をね」
 大叔父が義肢装具士をやっていた関係だった。勿論義肢でない人、病気じゃない人も来ていた。なので祖母の家にはいろんな人が来ていた。盲目の人、難聴の人、腕を無くして義手になった人。そうじゃない人も皆対等に音楽を楽しんでいた。私は彼ら彼女らに可愛がられていた。この環境にいた私は小学校に上がってからようやく、みんなが『身体障碍者』と言うのだと知った。だって、出来なかったら手を貸す、なんて日常のことだと思っていたから。道徳で改めて授業するなんて思わなかった。
「小さいときは入り浸っていたわ。父が忙しい人だったもので、母が暇を持て余していてね。……ねぇ、そろそろ張り替えなきゃいけないんじゃない?」
 侑生がここに来て三箇月以上は経っている。この間侑生は一人で外に出ても近所くらいだ。近所に楽器屋は無いので弓の毛は私の家に来たときから換えていないことになる。本体を拭き終え弓の竿を拭き出していた侑生は手を止めて毛を注視して見定め始めた。
「うーん……。でも圭さんのところに来てから弾く回数は格段に減ったのでそうでも無いですよ。家を出る前に弾き過ぎてぼろぼろにしたので一度換えているんです。通常コンテスト前の練習中だって二箇月に一回くらいの割合だったんですけど、一箇月くらいで換える羽目になったから周囲に言われたなぁ」
 思い返して苦笑いを浮かべる侑生に私もどんだけ弾いてるんだ、と思ったがああ、昨日言っていたなと。
「凄い練習していたんだっけ。ええと、昼夜問わず? 何十時間も」
「ええ。『成縢侑生』はおとなしいくせにプライドが高かったんですよ。だから、かな。不慣れな音が僕も気持ち悪かった」
 単なる、齟齬のせいかもしれないけど。侑生は眉を下げてそれでも笑っていた。私は、何を思ったのか。
「お父さん、クローンのことで糾弾されているらしいわ」
 口を滑らせていた。侑生は一時目を瞠って、空を見据え「そうですか」と呟いた。
「……」
「……圭さん」
「うん」
「バイオリン、弾いて良いですか?」
 私のほうへ目を向けながら、侑生は私を見ていなかった。焦点の合わない双眸で訊いて来た。
「ええ」
 私は首肯した。

 松脂が飛んでせっかくきれいにしたのにまた汚れるわね、と私が苦笑すれば侑生はまた拭けば良いんですよ、と笑い返して来た。私は行儀良く姿勢を正して侑生の演奏を聴く。苦痛では無いと良い。侑生の、『成縢侑生』との人格異同を決定付けたのはバイオリンの演奏だったから。私が心を砕くそばから奏でられる音。
 音楽は、人の深奥を表すって言う。
 弾けるたび跳ねては解けて消えて逝く音色はか細い泣き声にも、厳かに捧げられる祝詞にも感じられた。侑生の穢れの無い精神が顕現しているようだ。

 侑生が弾いていたのは『アニュス・デイ』だった。ただし、どちらかは判然としない。
 ミサ曲なら神に捧げていたのだろうか。レクイエムなら、誰の安息を願っていたのだろうか。侑生が演奏を止め一呼吸した。
「侑生、今の、」
「ミサの曲です。『アニュス・デイ』───“神羔頌(しんこうしょう)”、“神の子羊”がわかり易いかな」
 私が確かめるより侑生が先手を打った。今度は侑生の目に私は映っていた。ああ、やっぱり。
「もしくは、“平和の賛歌”とも言うようですよ。レクイエムだと変わりますけど。まぁ、同名曲がカバーとか別物とかたくさん在りますが。聖体変化、ほら、『最後の晩餐』でキリストがパンとワインを与えているでしょう? ミサってもともとアレを模した儀式で、ユダヤ教の礼拝形式と合わせたもの、らしいです。習った先生の受け売りですけど。キリストの肉に聖体変化したとされるパンを切り分けられるときに歌うんですって。キリストに世の中が平和でありますようにって……」
「穢れの無い子羊の血で信者の、人間の罪も洗い流すとかって話? 子羊の血も、誰の血も、そんなこと出来やしないのにね」
 それが可能なら、とうに世界は争いも無いし、苦しみも悲しみも無いし、人も死んでいない。侑生は私の意見に笑った。「そうですね」同意を示した「けれど、」が、反対意見も示した。
「一方で血は罪をゆるすものでは無い、回心や愛や他人へのゆるしが罪を取り除くのだって言われています」
「“隣人を愛せよ”ってヤツ? 出来ていたらコミュニティなんか分かれて出来ないわよ」
「圭さん」
 聞いて? と言外に咎められた気がした。くっ……これじゃあどっちが年上かわからないわね。私は口を噤んだ。
「僕はね、強ち間違いじゃないって思うんですよ。気休めとするか、本物とするかは本人次第として。話を、聞いてもらえるだけでも、人って救われるじゃないですか。……隠し事を、暴露したあとの変わらない態度にだって救われる」
「ああ……それは、そうね」
「はい。────圭さんは、“僕の御蔭で前に進める”って言っていましたけど……」
「うん、言った」
 痞えていた支倉さんとのこと、抱え込んでいた雅彦とのこと。……そうね。私は、侑生の反応に救われて来た。何も知らないから、私の奥を、殻に閉じ込めた本心を探ろうともしないこの子に救われて来た。座る私が見上げる侑生はやわらかく微笑んだ。
「けどね、僕にとっては圭さんが、“神の子羊”─────救いだった」
 私は呆気に取られてしまった。私が? いやいや、無いし。私、何もしていないし。私は首を横に振るった。
「私は、何もしていないわ」
「してますよ」
 間髪入れず侑生が否と言う。私は尚も言い募った。
「私は、何もしてないよ、侑生」
 私の出来たことって何だ? 逃げて来た侑生を匿ったくらいだろう。で、ご飯作ったりしていただけ。洋服も買ったっけ? 生活の面倒? だけど、こんなの。
「私が、侑生を利用しただけだよ」
 私が一人でいると脳内を占拠されるから。自身の不甲斐無さ、棄てられた現実、子を作らなければと追い立てるような仕組みの世界から反感を拭えずはぐれてしまった孤独感、いずれも思い込みの錯覚だったろう。今ならわかる。
 己の過失で誰もいない、いなくなった自分。
 さみしかったから、引き留めた、だけだ。
「だとしても。僕のこと、許容してくれた、でしょ」
 侑生が私の頬に触れた。侑生から触れるのは余っ程のときだけでめずらしい。私の、隈に縁取られた目の下を親指で擦った。
「僕、圭さんが出勤してから疲れて寝ちゃったけど、圭さんは今日ずっと起きていたでしょ。僕のせいで」
 昨夜から自室に入っていなかったのは本当だけど。私は「侑生のせいじゃないよ」否定する。侑生は私の隈を宥めるみたいに撫でて「僕のせいだよ」笑う。
「圭さん。世間の人はね、今の時代の人は、同性愛者ってだけで良い顔しないんですよ?」
 子作りが義務の世界だ。差別を悪としている手前表立ってはしないが、咎人のように視線で指弾する。『ホモ』『レズ』と言う呼称は昔からスラングだけど、現代では公共の場で使うことはマナー違反とされ罰則さえ設けられている。反面『ゲイ』の名称は一般に浸透しながら、そうである人々は昔以上に市民権を失っていた。一時期一部で認められたはずの同性愛は現代で[異物]なのだ。大らかな近世の人からしたら時代を逆行したかの如く感じるだろう、と言う程に。
「下らないもの」
 侑生は違うかもしれないと言っていたし、たとえ本当に同性愛者だったからどうだと言うのだ。子供がどうとのこうのと言うのなら私なんてどうする。人を愛して、爪弾きにされるとは意味がわからない。宗教的に受容出来ない、生理的に受け付けないと言うのなら、己が黙って消えたら良いじゃないか。
「普通の人は、思わないんですよ、そんな風には」
「私は普通じゃないと?」
「はい」
 ちょっ……侑生に肯定されると結構痛むんですけど。雅彦だったら追撃して言い負かしてやるのに。そうかい私は普通じゃないのかい。私が内心ショックを受けていると侑生は笑顔で。
「普通の人よりやさしいんですよ。普通の人は“同性愛者だったかもしれない”と言われたら引くし、“しかも『クローン』です”って言われたら逃げ出しますよ。賭けても良いです」
 言い切った。何だそれ。
「別に、私だけじゃないわ」
「少なくとも、僕には、圭さんだけでした」
  私が面映さで来ているのか、響いて来た頭痛に俯き加減になって耐えていると侑生は、眩しいものを見るような眼差しを向けて来た。いや、冷静になれ、侑生。私は侑生の、私を撫でる手を掴んで退けつつ顔を背け、額を押さえる。私を壊れ物みたいに扱う雅彦と言い、侑生と言い、私相手に幻想を抱き過ぎじゃないか? 私は自覚在る利己主義だ。私を棄てたと雅彦に当て付けて嫌っていたことから見ても自分本位だと窺える。こんな女を、この子は、“やさしい”と言ってのける。……まぁ。
“僕には、無かったから。飲み込んで、ばっかりで”
“少なくとも、僕には、圭さんだけでした”
 侑生の周辺にいるヤツがヤツだった、てのも在るか。環境とか。柔軟性の欠けらも無さそうだものね。あの『成縢』じゃ。……音楽って、感受性大事だと思うんだけど。
 現総理の名を、『成縢』と言う。そう。『成縢』は音楽一族と言うだけで有名なのではない。
 初当選より百年前後。すでに幾人も政治家を輩出している、立派な由緒正しい政治家一族でもあるからだ。“芸能一家”と言う揶揄も、元は初めて出馬し当選した当時よく言われていた雑言の一つだった。
 総理の息子は三人いて、一人は政治家をやっていて一人は指揮者だ。一番末の息子は学生だった。妻は他界している。そして、末の息子は学生で今年、前年度に卒業している。現今同じ年の人間は『成縢』一族にはいない。つまり今年卒業を迎えている『成縢侑生』は、どう推察しても総理令息って訳だ。
 侑生も『お父さん』って単語に訂正しなかった。直接は『成縢侑生』の父親だろうけども遺伝上なら侑生の父親でもあるからだ。
「……言えないわよね」
「はい」
 クローンの自殺が多い。この問題に総理が追及されている状況で息子が、しかもクローンが自殺しようものなら大変なことになる。報道も反対勢力も過熱して悪化すれば暴動も起きるかもしれない。退任は避けられない上、下手すれば一族全体で非難され政治生命が危ないかもしれない。人間は大きな問題に直面したとき、押し付けられる贄を作りたがるものだから。最も組織は顕著だ。
「死んでも同じでしょうに」
「そのときは、頭が正常に働かなかったんです……人を刺して、正気付くなんてどうかしてるんですが」
「そうね」
 冷えた頭で、己の立場を思い出して逃亡したのだろう。わからないことも無い。ショックを与えると我に返る、アレだろう。ショックを受けたのが加害行為でと言うのはいただけないけど。
「いや、わかっていても、死にたかったんです。生きていられる、気がしなかったから」
 自信なんか無かった。侑生は笑う。泣きそうな空笑いなんて痛いだけだと言うのに。
「今は?」
「え、」
「今も?」
 本日の私の口は遠慮を知らない。的確に良いところを突いてる、みたいな。無邪気な子供のように。ふっと笑いが洩れてしまった。侑生のようだと考えてしまったのだ。微動だにせず困惑しているだろう侑生が何事か言う前に先を制する形で「私はね、」発声する。
「私はね、侑生に生きてほしいよ」
「……」
「侑生にとって生きることは地獄かもしれない。何も理解してないくせに、非道いことを言っているかもしれない。けれども、私は生きてほしい」
 侑生は静止したまま私を見ていた。凝視、の表現が合うんじゃないかって程。私は私が出来る最大の笑顔で「侑生には、侑生らしく生きてほしい」祈りを捧げるが如く強く思って。
「……っ」
 息を飲む侑生を、喋り終えて私も静観した。動かない中長い睫毛と唇が震える。私はそっと頭を撫でた。手触りの良い髪がさらり指の間を擦り抜ける。
「『成縢侑生』が、圭さんに出会っていたら、死なずに済んだんじゃないかな」
 侑生が零した。私は侑生を横目で捕捉する。侑生はどこか異なる場所を見ていた。私は逸らしていた顔を上げ引き戻すように即座に否を唱えた。
「んー、無い。それは無い」
 侑生が驚いた顔をした。え、驚くこと?
「だって、私の知る『成縢侑生』は侑生だもの。『成縢侑生』は知らないけどさ、」
「……」
「仮に『成縢侑生』に会ったとしても、多分侑生のようにはならなかったよ」
“クローンじゃなくても誰も代理なんか出来ないさ”
“誰も、誰の代わりにならない。だろう?”
 雅彦の発言に私は頷いた。ならば、『成縢侑生』だって侑生にはなれない。ならない。
「私がたいせつにしている『侑生』は侑生だけだから」
 侑生がなれなかった『成縢侑生』と言う青年を私が助けられるとは想像でも出来そうに無かった。
「侑生じゃないから。きっと、無理だった」
 知り合えば、それなりに気遣っただろうけど、今の、この侑生程に考えたかと言えば、ノーだ。
「……何か、ごめん」
 私は、聖人じゃないから。
「誰が、例の先輩とかが『成縢侑生』を取っても、私は侑生を取るよ」
 酷薄だろうか。暗に“『成縢侑生』は要らない”と言っているみたいだ。さすがに違うんだけど。ただ、侑生のご期待には添えないよってだけで。
「『成縢侑生』と、会っていても?」
「侑生じゃないじゃん。侑生は、私にとってひとりしかいないから。
 誰も私の侑生の代わりはいないの」
 でしょ? と首を傾げて尋ねれば、掴んでいた手はそのままもう片方の手で抱き寄せられて抱き締められた。まるでダンスを踊るような体勢で肩に顔を埋められた。手を掴んでいたのは私だけど。私は空いていた手で侑生の背を撫でた。



 翌日出勤した私を待っていたのは、正乃が妊娠したらしい、と言う情報で騒ぐ職場だった。

 私がチーフに言われ書類を持って行くと事務室に誰もいなかった。仕様が無いので情報処理室に入る。中では雅彦が普段は見られないような真剣な面持ちで作業していた。事務処理、とは言うけどクローン関係の情報処理ってヤツで市役所とかと繋がっている分膨大な量を捌いていて、今日ウチの施設からはクローンが何体起きたとか、何体『蘇生申請』が来ているとか死亡届との照合とか、自動処理にさせていてもやることが多い。
「────……わっ!」
「ぅわぁあっ」
 がたがたんっと派手な音を立て飛び跳ね、椅子から落ちた雅彦は背後から忍び寄った私を驚愕の表情で見上げていた。モニター見易いようにとかだって聞くけども、にしてもここは相変わらず暗いなぁと思いながら持っていた書類を雅彦の前に差し出した。雅彦は呆然と一拍間私を見詰めていたが「書類。表に誰もいなかったわよ」話し掛けたところで正気に戻ったらしく「あ、ああ」と返事して受け取った。蝋封の封筒が幾つか混じっていた。ウチのチーフからだ。いつも見るけれどコレが何か私は聞いたことも無い。知っているのは極少数……雅彦の部署の人たちとウチのチーフ、あとは次期チーフ候補の刑部か。私は聞かない。チーフ候補の打診は蹴っているし、聞かなくて良いこと聞いて危険に晒されたくは無い。好奇心は猫をも殺すと言うでしょ。
 椅子に座り直して書類確認したいから待て、と言う雅彦に従い私は待つ間モニターを眺めていた。一般事務職や庶務ではここに入れない。私のところもそうだけど関係者以外絶対立ち入り禁止なのだ。連携が必要な部署ならいざ知らず、無関係な人間は企業機密の漏洩またはテロなどの反社会行動を未然に防止するため。
 だもので、大変なのよ。故障とか滅多に無いけど簡単なものは自分たちで直さないとだし、深刻なら政府認定の修理専門業者呼び付けなきゃだし。
 流れるグラフ、データを見ながら医療機関や他施設に接続されているものを見付けた。クローンは一人に付き一体だけれど、次のクローンを造るにも施設にポッドの空きが無ければならない。スムーズに行うためにも情報共有が必至だよねぇ。起きるタイミングもクローンのコンディションが関わって来ると聞いたことが在るし。雅彦は連携のサポートに近いのかもしれない。
「ねぇ、雅彦」
 私は、不意に、本当に不意に、思い付いてしまった。
「んー」
 雅彦は紙面から目線を上げないで応答した。私も視界からモニターを外さない。
「コレって、検索出来るの?」
 雅彦は顔を上げた。「何の?」怪訝な声音だ。私は、しかしモニターに集中したまま。
「覚醒したクローンの、精子バンクの登録番号」
 何で、こう言うこと言ったのか。
 私にも自認出来ていない。でも。
「圭? 何言って、」
「出来るわよね。たとえ、蘇生処理がここでなくても」
 すべての施設が繋がっている。円滑な流れを塞き止めないために。情報共有。それは、つまり、筒抜けってことだ。内部であれば。そう。
 父の施設のように。
「圭、莫迦なこと言うな。何を言っているかわかってるのか? 職権乱用だ。お前は、確かに内部だけど閲覧資格が無い以上、俺が洩らせば漏洩に、」
「だけど、私が違法アクセスするより、マシだと思う」
 雅彦の淡々と諭す言葉を遮った。違法アクセス。うん、簡単だ。雅彦が「圭っ!」叫んだ。そこで私はモニターから雅彦に視点を移した。
「別に、情報の横流しもクラッキングもしたいんじゃないわ」
 国を混乱に落とすとか、国賊になる気は無い。ただ、知りたいだけだ。
「知って置きたいの」
 この言動が私に何を齎すのかわからない。だけれども、知りたいと思ったのだ。「ねぇ、雅彦」重ねて呼ぶ私を雅彦が悲痛な眼で見上げた。……何を齎すかわからないけれど、脅迫めいた言動が雅彦を傷付けたことは確実だった。数秒膠着状態でいた私たち。やがて雅彦が息を吐いて肩を落とした。嘆息だったろう。私は「ごめんね」と小さく謝った。眼鏡を直して雅彦が「謝るなら、やめないか」と訊いて来た。
「無理」
「……。検索したい名前は?」
 雅彦が折れた。元恋人を犯罪者にするより職権乱用のほうが良いと計算したんだろう。雅彦のアクセスなら適当に言い訳も聞くし。申し訳無く思う。私は、雅彦が私に未だ甘いことに漬け込んでいる。ごめんなさい。
 これで、最後だから。
「『成縢侑生』」
 ぴくっとタッチパネルを叩く手が止まった。ばっ、と私を振り仰ぐ。驚くよねぇ。
 何だって総理令息の名前を聞くのかって、一般国民は思うだろう。が、この名前なのだ。登録されているのは、間違い無く。
「何で……」
「早く」
 戸惑う雅彦を叱咤するように急かす。私が答える気が無いと悟ってか雅彦は再び操作を始めた。

 登録されたデータはすぐ検索をヒットした。番号が表示され私はプライベート用の携帯端末にささっとメモする。
「……なぁ、」
 雅彦がモニターを見据えて私を呼んだ。表情のせいで睨んでいるみたいだ。メモを終えて私は返す。
「……うん」
「俺さ……お前としあわせになりたかったんだ」
 雅彦の突拍子の無い一言に、私が眉を寄せる番だった。
「何言ってるの?」
「お前を、圭を、愛してるんだよ」
 何言ってるの。心からそう考えた。だって、コイツはもう結婚するのだ。正乃の妊娠。当人に聞いた訳では無いのでまだ真偽は判断し兼ねるけど、真実なら、コイツは一児の父親になる。尚更、こんなところで元恋人に言って良い科白じゃない。
「あんた、今ごろ、何、」
「だからっ、」
 激昂し掛けた私を抑えたのは雅彦の、激情を抑制された声だった。私はつい出掛かった文句を飲み込んだ。
「だから、俺は逃げたから、あきらめてしまったから、せめて、しあわせになってほしいってっ……今だって、柄にも無く、誰でも良いから、って祈ってるんだ……」
 愛しているから。自身ではすでにどうしようも無く、誰でも良いから。……ああ、まったく。ドイツもコイツも。私は「ありがとう」取り敢えず礼を述べた。述べて、軽く静かに深呼吸をして。
「けどね、雅彦。私図太いのよ。知っているでしょ? 『女王様』なんだから」
 冗談めかして悪戯っぽく笑って見せた。雅彦は「……」昏い顔を変えない。
「こう言うことして、心配させたのはごめん」
 ()ったつもりだったんだけどな。未練。駄目かー。
 絶たなきゃ、駄目か。
「私のしあわせは、私で決められるから。それにね、雅彦」
 私も、祈ってるの。
 私がしてあげられなかったから。
 雅彦の、しあわせを。
「正乃、妊娠したんでしょ? おめでとう」
 私の祝いを、雅彦は黙然と聞いていた。否定が無いと言うことは、真実なんだろう。
「しあわせになって、ね」
 支倉さんの約束が離別だったのと同じように、私の祝福は拒絶だった。落ち込む雅彦の姿があの日の侑生に重なって無意識に手を伸ばしそうになったけど気付いて堪え「書類、大丈夫?」仕事の確認に戻った。雅彦は下を向いたポーズで「大丈夫、全部合ってる」と小さく応えた。
「じゃあ、私戻るね」
「……、ああ」
「ばいばい、雅彦」
 私は書類を持っていた手に現状、自己の端末を握り締めて情報処理室を後にした。


 
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