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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

♭03

6/17

“ 産 声 。 ”

 





♭03 降って湧いた[真実]は、語るには酷く重く。



   【“ 産 声 。 ”】






「───あれ? 成縢(なりかがり)?」
 訪れは、唐突だった。



 早番で上がり、帰宅して早々侑生を拉致りショッピングモールへ連行した。侑生の良いところも悪いところもやさしいところだと思う。やさしいから、こうして漬け込まれる訳ですよ。主に現在は私に。……それはともかく。まぁ、ほら。洋服は買わないとね。生活する上で必要ですから。侑生を強引に衣料品のショップに連れ込み物色中だ。
「コレ、良いわねぇ」
「圭さん、あの、」
「ボトムとかパンツも要るよね。ああ、そうそう、ハーフ丈とかさー。これからの季節在ると良いわよね」
「もう、良いですから……」
「何言ってるの! あ、下着どうする? この前買ったから良いか」
「もう、本当に良いですから! いったい、何着買う気なんですか……」
 私の腕にはすでに春夏物のインナーやらトップスやら掛かっている。いやぁ。侑生は見目が良過ぎてねぇ。目がとてもオイシイです。とか思いながら侑生に「動かないで」と言い付け服を宛てる。良いね良いね。自分の服はどうでも良いんだけど侑生は、前述通り見た目が良い。すらっとした体型に顔だ。おばちゃんは眼福を求めています。
「それにここ、高いじゃないですか」
 侑生が辺りを見回して小声で言う。僕のなんか安くて良いのに、と。私は「良い服は物持ちも良いものよ? 品質も良いし、私このブランドは好き」と笑った。確かに人気ブランドで少々お値段は張るが……バラすと、このブランド、雅彦のご贔屓なんだよね。だから知ったんだけど、ここの男性物のデザインとか好きなんだ。系統で行くと支倉さんも雅彦も似たような部類で、侑生は違うので二人には似合わない服も似合うので楽しい。駄目だ際限が無い。
 女性物も在るけど私は違うとこのが好きだし。あー、あそこの男性物も良いかも。ヤバい本気で限りが無い。侑生の素材が良いのが悪い。
 今になって、父に群がって洋服着せたがるおばさんたちの気持ちがわかってしまった。父もカジュアルからフォーマルまで何でも似合う人だったから。侑生程美形じゃないけど。アジア人種顔薄いからかな。逆に支倉さんとか雅彦とか個性が強いと方向が決まって範囲狭まっちゃうって言うか。可愛いの着せられない……着せても面白かったかな。今度言ってみよう。
 ああ、雅彦と言えば。今日正乃早退しちゃったんだよね。刑部に「正乃早退するからお前もして迎えに来いって言いなさい」って命じたら「崎河さん、今日出張で『フリー』みたいなんですけど、まだ帰れないって」とか返って来たんで即行「使えねぇ、って言っといて」で終わったんだっけ。アイツが出張なのは正乃から聞いていて知っていた。しかし、使えねぇ。ふらふらしているのを一人で帰すのもアレなので、同居しているらしい親御さんを呼び出し。引き渡すとき「あなたが圭さん! 正乃から兼ね兼ねお話は伺っております」ってお父様に言われたんだがあの子は何を話してるんだろうか。愛想笑いを基本しない私でも、正乃の親御さんだし多少頑張って笑っていたけど。聞きたかった。
「お金は気にしないで。独身女の三十代、金だけは貯まる一方だから」
 こう言うとこで散財させろと暗に言う。近くで私たちの会話に聞き耳立てていたらしい店員が棚の服を畳む手を止めてぎょっと顔を上げた。うーん、店員としては三十点ね。私は気付かない振りで見逃しつつ点数だけは付ける。聞くのは良いさ。仕事柄も在るだろう。お奨めしたり顧客掴むためにはやむを得ないでしょうとも。だけどそこで顔を上げたら駄目。如何にも聞いてましたって白状するようなもの。あと、私見て二度見も駄目。……アジア人種は若く見えるのよ。何気に気にしてるんだから。私、未だ未成年に間違えられるんだ。いや、ほら『不老延命措置』のせいだよ? 二十歳来たら止められるから、老化。
 そう言えば、だいたい三箇月に一回定期健診といっしょに措置の施術を受けるんだけど侑生は行かないよな。私が言及しないのも在るだろうけど、その辺まったく話題に上らない。良いんだけど。“ご老体生き長らえさせて扱き使ってどうすんだ”って、あんなモン糞食らえな人だから、私。こう言う部分も、私が侑生を未成年じゃないかと睨んでいる要因の一つだ。成人すると「来いよ、でないと法律違反でしょっ引くぜ」て言うのを莫迦丁寧にして文字数水増しした文章が通知として来て思い知らされる。仕事も免除になるためシフトを組む際も報告しなきゃならないから嫌でも染み付いて行く。……あ、私もうすぐだ。ウゼっ。
「コレ着てみようか」
「もう、良いですって……」
 憔悴した侑生に構わず細身のジーンズを差し出す。侑生を「良いから試着に行け」と追い遣り私は懲りずもう春、四月って言っても寒いだろうしこのパーカー可愛い、とか見ていた。格好良いデザインも良いけど遊び心の在る可愛いのも良い。雅彦、絶対着ない。支倉さんは……ギリ着るか。コレサイズ在るね買おうと腕に下げる。さすがに重くなって来た。籠、籠無いか。私は店員に声を掛けた。はいっと悲鳴みたいな応答をしたのは例の三十点だ。「籠ください」と言うと「ただ今!」と俊敏に籠を取りに行き戻って来た。「どうぞ!」……良い笑顔だった。プラスして改めて六十点にして置こ「お買い物ですか?」マイナス十点。
「ええ、まぁ」
「そうですかぁ。彼氏さんとですか?」
 侑生がいないのにこの切り込み方は、普通なら男物の服ばっかだからだと考えるのだろうが聞き耳を立てられていたのを私は知っている。適当に「弟です」と答えた。彼氏じゃない。あ、『息子』にしとくべきだった。『弟』とか言っちゃった。私は自ら偽称して置いて言い得て妙、と思った。六十点改め五十点の店員は「ああ、そうなんですねぇ」と頷いて見せる。聞いてたもんね。三十代の独身が若い男と買い物、弟か、と納得したんだろう。ニコニコしているけどトークを絶やさないようにあれこれ思考しているに違いない。攻防戦は好きじゃないのよ、と私が仕掛けられる前にどう逃げようか策を巡らせていると試着を終えた侑生が帰還した。「サイズどうだった」て私が訊けば「あ、ぴったりでした」と侑生。しめしめと「じゃあ、コレ全部買いますので」と店員に断りを入れた。他に買わされる前に逃げようとしていた私だけど「ああ、ではこちらどうぞ」と誘導される。まぁ、良いか。買うんだし。

「何か……買い過ぎじゃないですか?」
 大きなブランドロゴの入った紙の買い物バッグを肩に下げ、小さいものを手に提げている侑生が零す。私は「良いの良いの」と笑いながら「ご飯どうするー?」話を切り換えた。侑生が「今、話換えましたよね」と指摘したけどもスルー。取り合わない私に侑生は肩を竦めた。
「外食ですか?」
「たまにはね。侑生もずっと家で食べているでしょう?」
 侑生は近所のコンビニくらいしか出歩かない。最初に出くわしたとき「一晩で良いから置いてください」と言い募っていた侑生だ。家出か、何かは定かじゃないけれど外に出ることを忌避しているように感じた。だから、私も無理に連れ出そうとは思わなかった。しかし、引き籠っているのは良くないと思うんだよね。不眠の原因にもなるし。私も人のこと言えないとしても。もうずっと、家と仕事場の往復だった。こんな風に出掛けたのはいつ振りだろう。雅彦は、家で私を構い倒すのが好きだったから外出らしい外出はそうそうしなかった。私がインドア過ぎて動かないのも問題だったと今は反省してるけど。多分、私が家好きでどこか行こうとか言わなかったから雅彦も行かなかったんだろうし。買い物はしてたけどね。ごく偶にね。けど会社帰りだったよね。
 研究所勤めの父が言っていた。「外の空気を吸わないと人間も動物だから滅入ってしまう」と。日光を浴びることは大事、こう説いた父は休みになれば私や母を連れ立って出掛けた。自然に触れさせようと山や海に連れて行くことも在れば近場の公園、今日みたいなアミューズメント施設も併設されたショッピングモールなんかも在った。純粋な遊園地も在ったかな。外に出ることは思惟の転換を促す、と信条としていた父だ。父が大好きな母はデートも延長線みたいに思っていたのか私以上にはしゃいでいた。
 私は父が家族を構ってくれるのがうれしかった。母がよろこんで楽しそうなのがうれしかった。……侑生といると、父と母を思い出す。侑生が父に似ているからだろうか。侑生は、父より、儚いけれど。私は侑生の手から小さい買い物バッグを取り上げると「圭さん?」父と母としていたように侑生の手を取った。指を絡める私に侑生は何か口にすることも無くおとなしく繋がれていた。握り返してくれたので、私はOKサインだと受け取った。
「どこ行こうかー? 何食べたい?」
「そうですねー」
 二人で今日のメニューについて話し合っていた、ときだった。
「───あれ? 成縢?」
 声が、滑り込んで来た。私は初め、自分たちには無関係だと思っていた。だが侑生が、びくりと体を揺らしたのだ。足を止めて背後を振り返る侑生。私は「侑生?」怪訝な声で呼んだ。侑生の目線を追うと一人の男が立っていた。男は笑っている。笑みに邪気は感じられない。だと言うのに。侑生は。
「───」
 目をいっぱいに開いて血の気が失せた顔だった。男は歩み寄って来る。侑生が動かないので私も止まっていて、男との距離は縮まるばかりだ。
「お前、久し振り! 何やってたんだよー心配してたんだぜ? 学校来なかったからさー」
 男は侑生の変化に気が付いていないのか気さくに話し掛けて来る。侑生は「あ、……」と洩らしたけど形を成さず、ただの音となって消えた。淀む侑生にようやく男は「あれ、どうした」気取ったがすぐに私の存在と繋がれた手に「あー、もしかしてデート中だった?」と見当違いのことを言い出した。
「悪い悪い。はー、しっかしあの成縢がねぇ」
 言うなり私を物珍しそうに見遣る。そして侑生が、私も、黙っているのを良いことに品評し始めた。「なーんて言うか、清楚系? 年上? だな。アジア人種の清楚系年上美人かー成程なぁー」一頻り一人で首を縦に振っている。何、と思いながらも年上と言われたのがちょっとうれしかったりする。何に飢えてんだ私は。成程なぁ、と繰り返し男が言った。
「こう言う清楚で美人で華奢でしかも年上とかが好みじゃ、そりゃ学校の女子は相手にしないよなぁ。アイツらガキだもん。てっきりお前は潔癖なだけかと思ってたけど、これじゃあ相手にならないわなぁ」
 男は一人で得心している。私は手の痛みに「……っ」一瞬視線を下げ息を飲んだ。侑生が繋いでいた手に力を込めたのだ。もう片方もそうなのだろう。[何]だ? [何]に反応した? 私は侑生を見上げる。
 侑生の顔色は真っ白だった。生きているのか、と疑いたくなる程。男は鈍いのか、侑生の異常に感付くことは無い。
「そう言やお前卒業式も来ないからさー、女子共泣いてたぞー。成縢の演奏楽しみにしていたヤツ多かったからなぁ。藤見屋(ふじみや)先輩もいなかったしな」
 あの人やっと卒業だったのに、とぼやく男。学校、卒業式、先輩。男から繰り出されるキーワードに私は男が侑生の学校の同期生だと推理する。馴れ馴れしさは置いても無遠慮な態度や砕けた口調から後輩は無いだろう。もっと言えば同級生かもしれない。先輩の線は棄てた。先輩なら学校に来ていないことより卒業式へ来なかったことに要約されるだろう。だから、学校に来なかった、と言う言い草から同級生だと見た。クラスが違えば己の知らない内に来ていた可能性も在るし“来なかった”ではなく“見なかった”と言うと思う。人間、無意識に使い分けているそうなので当たってるんじゃないかな、などと呑気に推考しているが、実は私の手、更に侑生の力が強まってぶっちゃけ物凄い痛いんですよね。だけども。
「……」
 繋いでいるからこそわかる、侑生の小刻みに震える手を、振り払うなんて怖くて出来そうも無い。莫迦莫迦しいと、他人は思うかもしれないけど、私は侑生が、この手を放したら死んでしまうんじゃないかと考えたんだ。男は、この間も全然気付いていない。能天気だなぁ、おい。
「そうだお前、知ってた? 藤見屋先輩、襲われたんだぜ? 冬休み中にさ」
「……“襲われた”?」
 つい不穏な一文に鸚鵡返ししてしまった私へ男が水を得たとでも言うように「そうなんですよ!」と私に迫る勢いで喋り出した。
「藤見屋って先輩なんですけど高二のとき事故で入院しちゃって。ピアノ専攻科の人だったんですけど、手が上手く動かないとかで辞めちゃうかもってなってた人で。まぁリハビリして弾けるようにはなったんですけどね。彼女さんはご存知じゃないですか? コイツの伴奏者(パートナー)だったんですけど」
『彼女』さんではないのだが。ピアノ専攻科と聞いてああ、と合点が行った。侑生の演奏技術はそうとうだと思っていたけどやっぱり専攻科が在る学校に通っていたのか。音楽学校では生徒同士コンビを組んで演奏するのはよく在る話だ。藤見屋と言う人は侑生の伴奏者だった。私は当然追及しなくて知らなかったので、首を横に振った。
「まー成縢も言わなそうだもんなぁ。一応、成縢が先輩を引き留めて藤見屋先輩は専攻科に残ったんですけど、入院とかリハビリとか結構な期間休学してて。留年しちゃったんですよねぇ」
 どんな事故か知らないが、ピアノを弾くのを辞めるか否かと選択せざる得ない状態となると、復学復帰にはそれだけ掛かるだろう。想像に難くない。ましてや専攻となると生半可な努力じゃ無理だ。たとえやりたいことをやらせる子供に易しい世界でも。よく頑張ったなぁと会ったことも無い相手に感心する。
「で、俺らと同学年になって今年卒業だったんです。でも、今年冬休み中に学校の近くの公園で倒れているのが見付かって。大騒ぎでしたよ。ウチ音楽系の有名校でしょ? お坊ちゃまお嬢様も多いし」
 いや、知らんよ。音楽系の有名校、か。いよいよ検索で侑生を見付けられるんじゃないかってアイディアが現実味を帯びて来た。いや、『成縢』の時点で、確定か。男曰く結局市内に在る防犯カメラを全部チェックしたけども不審人物は映っていなかった、「又聞きだし捜査情報は教えてもらえないんで噂ですけど」らしい。男は怖いでしょう? と尋ねて来たが私は曖昧に頷いた。って言うのも侑生のことが気懸かりなのだ。今や侑生の顔は小面の面の如く白い。いっそ人形のほうが肌色は良い気がする。元から白磁のような肌だったけれどそんな程度じゃない。侑生の挙動不審具合は、この藤見屋さんの事件への関与を充分に疑わせた。
 が、次の男の発言に私もそれどころでは無くなった。
「お前の次は藤見屋先輩とかさー、本当心配掛けんなよーお前ら。でもさ、彼女出来たならもう大丈夫だよな。お前繊細だからマジ心配だよ。
“また死ぬんじゃないか”って」
 侑生が一際大きく震えた気がした。
「────え、……?」
“また”? “死ぬんじゃないか”? どう言うこと? 私は侑生を瞠視する。侑生は。
 侑生は、濁った目をしていた。『絶望』、この単語がしっくり来る双眸。手の震えは、消えていた。張り詰めた糸が、ぷっつり切れたみたいに。無表情だった、侑生が薄らと笑った。
「─────もう、死ねないよ」
 その笑みはこれまで目にしたどの笑顔にも属していなかった。強いて挙げるなら『諦念』、すべてをあきらめた、ような。男は、侑生の返答をどう捉えたのか、「だよな、美人の彼女さん置いて死ねないよなっ」と茶化した。
「……と、こんな時間だ。俺もう行くな! また今度、遊ぼうぜ、藤見屋先輩誘ってさ!」
 じゃあ彼女さんもお邪魔しました!って捲くし立て、男は去って行った。だから『彼女』さんではないのだが。私は去る背中を見据えたまま「侑生」と呼んだ。侑生は「はい」とか細い声で返して来た。私は今ではすっかり力が抜けて私に握られるだけの手を引き。
「帰ろうか」



「驚かせてしまいましたね」
 帰り道ずっと口を噤んでいた侑生の、帰宅して開口一番に放たれた言葉は謝罪だった。私は首を縦に振るべきか横に振るべきか悩んだ。驚いていないと言えば嘘だし、吃驚したかと言うと違う気がする。綯い交ぜ、コレが一等近い。予想内と予想外が一気に来て混乱した、と言うのが正しい、気もする。冷静だけど。
「何から話そうかな……何から話したほうが良いのかな……」
 口元を押さえ立ち尽くす侑生。私はそっと背を押して「取り敢えず座りなさい」と一人掛けソファに誘導した。私はすぐ隣の二人掛けに座る。珈琲でも淹れるべきか。ああ、その前にお絞りでも用意すべきか。帰ってから手を洗っていないし。私は淹れる際にでも洗えるけど。軽く握って、緩く曲げた人差し指の背で顎を撫でつつ侑生が思索しているそば、私も考えていた。やがて切り出し方が決まったのか、「僕は、」侑生が顎を撫でる手を止め語り始めた。
「まず、成縢、は僕の名字です。圭さんも耳にしたことが在ると思いますが……」
 口籠もる侑生に私は首肯した。『成縢』と言う名字はめずらしいが間接的に、事在る毎聞く名前でも在る。やはり“あの”、『成縢』なのだろう。私が知り、侑生がこう言う言い方する『成縢』を私は一つしか知らない。
「僕は“成縢侑生”と言います。けれどこの名前はもともと僕のものでは有りませんでした。厳密には、もう僕しか『成縢侑生』はこの世にいませんが」
 おかしな言い回しだが、誤りは無いのだろう。元来『成縢侑生』ではないこの、目の前の侑生。私はすでにわかっている。
「クローン、なのね」
「はい」
 奇妙にも、侑生は平静に即答した。迷いなんか無いようだった。先程の様子を鑑みるに、実際は淀んだ沼の上澄みみたいなものかもしれない。水底は依然重く沈殿している、気がする。
「僕は、」
「うん」
「僕は、馴染めなかった、『成縢侑生』の、[記憶]に」
 遠い目、と言うものが体現されるとしたら、この侑生の瞳がそうだろう。前屈み気味に座り、太腿(ふともも)に肘を突いて手を祈るように胸の前で組んでいる。懺悔、しているみたいだった。ここは教会ではなく私の部屋で、私は修道女どころか無宗教無神論者なのだけど。私は黙って耳を傾けていた。童話で在るじゃない、『驢馬の耳』。あの床屋が秘密を叫んだ穴にくらいはなれるかな?
「『成縢』の家風宜しく、僕も音楽学校に通っていました。『成縢侑生』が、幼稚舎から通っていたからでした」
『成縢』は代々著名な音楽家を輩出していた家柄だ。今程知名度が上がる前から、()の家はそう言った一族だった。侑生はバイオリンだけれど『成縢』の出身者は専攻ジャンルが多岐に亘る。バイオリン、ピアノ、トランペットなど楽器は勿論、指揮者や声楽、他にもいろいろ。音楽の種類も多くはクラシックだが、ジャズやポップス、ロックなんかも在ったと思う。ここまでバラエティに富んでいると揶揄の定番となっている“芸能一家”も強ち間違いではないだろうと思う。もっとも、『成縢』の名字が世間一般で周知されている理由も私の認識も、世界を飛び回る由緒正しい音楽一族と言う、その特色の点ではない。
「さっき騒がしく寄って来たのはこの学校の同級生です。……すみません。圭さん、ああ言う人間苦手ですよね」
「まぁ、……好きでは無いわね」
「良いヤツなんですけど。察しが良くないんです。そこに救われたことも在りました。僕が、ではなくて『成縢侑生』が、ですが」
 僕自身はあまり長い期間いっしょにいなかったんです、と苦笑いする侑生。そう、と私は相槌を打った。
「僕は……去年の秋ごろ、目を覚ましたんです」
 去年の秋ごろ。私が雅彦と別れた時期だな、と関係無いことが頭をチラ付いた。すぐ消えたけど。
「僕は……目覚めた当初何もわからなかった。上体を起こして周辺を見回してみたけど感覚が霞掛かって、ぼんやりしていた。家族の安堵した顔も、泣いてくれる年の離れた従姉も年近い従妹もみんな、認知していなかった。ただ、“この人たちは僕の家族だ”“ここは病院だ”と識別しただけ。そんなとき、急に病室の扉が勢い良く開け放たれたんです。音にびっくりした僕は扉のほうを見ました。涙でぐちゃぐちゃに顔面を崩した男の人がいたんです」
「それが」
「先輩です。藤見屋、愁治(しゅうじ)先輩。僕の、それから『成縢侑生』の伴奏者。もっと言えば─────
『成縢侑生』の想い人、だった」
 私は静かに目を瞠った。侑生の美貌は耐えるように歪んだ。唇は笑みを象っているように見えるけれど自嘲の笑み、と言うには悲愴過ぎる。
「実は、僕も判然としないんです。『成縢侑生』は“恋”だと捉えていたようですが、もしかすると単なる強いだけの“憧れ”だったのかもしれません。思い込みだったのかもしれない。けれども心を閉ざす彼にとって藤見屋先輩は、そのぐらい強い『光』だった」
 親子程年齢の差が在る兄弟も、話を碌にしない父親も、『成縢侑生』には『畏怖』の対象であって『家族』とは名称だけの程遠い間柄だった。心配してくれる従姉妹たちも、どこかで信じ切れず線を引いてしまい心をゆるせない。その中で『成縢侑生』が境界線を軽く飛び越えてしまった先輩を、手放したくないと考えてしまうのは、仕方が無いことだった。侑生は言う。「僕には、わからなかった」と。
「『成縢侑生』は苦悶していました。これは確かです。……藤見屋先輩ってね、物凄い面倒見の良い人なんですよ。最初に伴奏を組んだのも藤見屋先輩が誘ってくれたからだったんです」
 上級生と下級生で組む授業。一人誰とも馴染めず俯く侑生に声を掛けて来たのが先輩だった。お互いの演奏を披露してからの組決めで、無邪気に褒めてるんだか貶してるんだか定かじゃない賛辞を寄越し、いっしょに組めと強引に手を引いて来た。呆気に取られた侑生は拒否する暇も無く二人は演奏を始めた。結果で言えば楽しかったのだ。家が家だけに『成縢侑生』は目を白黒させて脳内をパニックさせても、演奏だけはこなせるように躾けられていたから、失敗もしない。何より。
「満面の笑顔で見て来る先輩があまりに楽しそうで、彼も、『成縢侑生』も自然と心が躍ったんです」
 それまでの人生で音楽は『仕事』で『日課』。楽しむ、なんてことを『成縢侑生』は知らなかった。
「家では、出来て当たり前だったんです。出来ないなら、出来ることを探す。けれども音楽以外の道を、認めてはいなかった。無言の圧力が在ったんです」
 中には、いるのだろう。だけども、『成縢侑生』にはこの気概が無かった。才能が在ったのもそうだが、物心付いたときからの『日常』に露程の疑問も持たなかったからだ。
「けど、別にあの家は音楽だけじゃないでしょう?」
「もう一つの家業は……選択肢に入れる以前に、向いていませんから」
 私は「あー、まぁねぇ……」同意をした。[鈍感力]が最も必要とか野次られる業界だ。神経もか細そうな『成縢侑生』では勤まらないだろう。
「そう。二人の兄も、音楽家でした。クラシックの。一番上の兄は音楽家から転身しましたが、元は父の前職と同じ声楽で、二番目の兄は未だ現役の指揮者をやっています」
 ああ、そう言えば現当主は声楽の前歴を持っていたって、どこかの番組が特集でやっていた気がするな。興味無くて即チャンネル変えたけど。そうか。
「……。音楽の楽しさを教えてくれた人に、依存しちゃったのね」
「“恋”か否か。どちらにしても拠り所だったのは確かです。でも愚かではなかった。自分の立場を弁えていた。だから叶わなくて良い。想いを同じだけ返されなくても構わない……と、決心していたはずなのに」
 侑生が深呼吸した。つらいのだろうか。無茶しなくて良いと言ってあげたいけど……ここで止めるのは却って飲み込ませることになる気がする。逡巡した末、私は静聴することを選んだ。
「崩れたのは、一昨年。高二のときです。付属中学から付属高校に進学して、前年事故に遭った先輩と進級した『成縢侑生』は同学年になりました。科が違うのでクラスは別でしたが。一つ下の従妹がこの年入学して来ました」
「従妹? 一つ下ってことは、さっき泣いていた年近いほうね」
「はい。彼女は僕に、『成縢侑生』にそっくりだった。よく周りに言われました。性差こそ在れ、まんま“女の『成縢侑生』”だったんです。とは言え『成縢侑生』は然程気にしていなかった。
 先輩が、彼女を好きになって、二人が付き合うまでは」
「───」
「仲は良かったんです。親子みたいに年齢の離れた兄姉の中、互いに[似た者]でしたから……容姿以外も」
 そこへ先輩も入り込んだ。幼いときは何の感慨も持たなかった。ただ三人で仲が良かった。それだけで。
「彼女は本当に『成縢侑生』にそっくりで……兄妹どころか双子にさえ間違われた。“侑生が女だったら”って友人知人は皆口を揃えて言った。よもやコレが、彼を追い詰める切っ掛けになるとは思いもせず」
 侑生が組んでいた手を放して片方の手で片方の肘に触れた。掴んで服の上からでも爪を立てているのが一目瞭然だった。私は「侑生、」その手に自らの手を伸ばして触った。やんわり叱るように。私の手が重なって、侑生は力を抜いた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくて良いけど……痕になるから」
 侑生は、頬が乾いたままでも泣き笑うような表情だ。私は胸が痛むけれど気が付かない振りをした。
「……。僕はね、圭さん。わからないんだ。先輩を好きだった[記憶]が在るのに……自殺する程の激情を押し殺していたはずなのに、僕は先輩に何も感じない。精々、“親切な人”ってくらい。心臓が抉られて呼吸困難に陥るような錯覚も、僕には無い。でも」
「うん、」
「みんなは、先輩も、僕を『成縢侑生』として扱う。僕も“僕は『成縢侑生』だ”って、思うのに、この体は覚えの無いことを拒絶するんだっ……最も顕著だったのはバイオリンだった」
 バイオリンは直線運動だ。弦に弓を直角に置いて真っ直ぐ動かすことで弾ける。力加減だって難しい。……一通りやらされたのと、父がやっていたから知っている。これくらいは。
「体が付いて行かないんじゃ大変だったでしょう」
「はい。何十時間も練習しました。家でも学校でも昼夜問わず。だって『成縢侑生』には出来たから。僕は『成縢侑生』だから。[記憶]を辿り必死に。それでも、僕は『成縢侑生』にはなれなかった。演奏前に構えるとき、どうしても一旦体が躊躇するんです。馴染んでも、記憶と体が合致しなくて。どうしたってぎごちなさが抜けない気がして。初日、酷かったから。そうやって何とか弾いて来て、言われたんです、先生に。
“今日調子悪いの? あと
 弾き方、変えた?”」
「……」
 演奏は、人柄が出る。父然り侑生然り。支倉さんもピアノやっていたし雅彦だって実はピアノやってる……付き合ってた男二人もピアニストは偶然です。二人とも父と同じ嗜み程度だが。件の先輩もピアノだったな、と思って停止。
 専攻科の講師だか教授だか教師だかが弾き方を指摘したのなら、侑生は『成縢侑生』とは違う癖でも在るのかもしれない。出来てしまった、のか。弾く内に。
「僕は“僕”に失望した。だって、だって圭さん。僕、“『成縢侑生』として”ここに生まれたんです。僕は“『成縢侑生』だから”存在出来るんです。だのに、“『成縢侑生』じゃなかったら”、[僕]はどうしたら、良いんですか?」
[記憶]は在るのに体が拒否反応を起こしている。まさに移植手術後の人間だ。体が、いや、侑生の『自我』が異物として[記憶]を排除している。「だから、」震える声で侑生が言った。
「だから、僕は、あの日、死のうと思ったんだ」
 もう持たない、と思った侑生は死のうと公園に行った。侑生の学校は都市ドームの外、海の近くに建物そのものを小規模のドームで覆って建っていた。ドームの維持費はそうとうなものだがこの近辺は家々でそう言う状態のものが多いので浮くことは無いだろう。なぜなら私でも知る高級住宅街の地名だから。金持ち学校めと皮肉り唾棄してやりたいものである。公園は海を見下ろせる場所に在った。丘だか小山だかの斜面を切り崩して棚田みたいに段々になっていた。見晴らしの良さに反して人気は無い。そりゃそうだ。ドームが個々に在るような地域は『高級住宅街』とステータスの皮を被っているが、都市部と違い外は天気が不安定で集中豪雨やら豪雪やらとの危険と隣り合わせである。しかし阿呆な金持ちは「自然はこう言うものよ」と笑っているのだ。昔創作物で「赤い海を除染する」とかって描写が在った。アレがお目に掛かれる場所が地続きで実在しているんだ。自然破壊は、何も都市開発だけが原因に留まらない。戦争で使用する化学兵器だって、充分に汚染の元って訳。
 侑生の行った公園から見える海は勿論除染浄水済みできれいな海だった。侑生は、首を切って死のうとしたらしい。
「また何で」
 首を? と尋ねると侑生は「『成縢侑生』の死に方だったんです」と。待て。何で侑生が、知ってるの? 『成縢侑生』が死を決意するまでの[記憶]は仮に未成年の定期健診で記録されていた、としよう。でも、死ぬ間際の記憶なんか、在るはず無い。私の疑義に侑生は「人の口に戸は立てられないってことですよ」答えた……成程ね。侑生の家は緘口令を布いただろうに従わないヤツがいた訳だ。
『成縢侑生』は風呂場で首を切った。手首を切ろうとした躊躇い傷が在ったことから最初は手首を切ろうとしたのだろうと。が、直前で深く切らねば死ねないことに思い至り首に変更した、と。
「死に方くらい、『成縢侑生』で在りたかった」
『成縢侑生』の死後、侑生は鋏も食事用のナイフでさえも持たせてもらえなかったそうだ。しばらく、今考えれば監視も付いていた。特に先輩は『親友』の死が堪えたのだろう、一番そばにいた。時間がゆるす限り侑生のそばに。侑生の首を真綿で絞めていると気付かずに。
「もしかして、私に突き付けたヤツ? どうやって手に入れたの」
「やろうと思えば出来ますよ、手に入れるくらい」
 ああ、そうだった。この子は、行動力だけは在るんだ。あのナイフの所持目的を明かされ私はこの子の無謀な行いを回想した。回想して、ああ、と。この子を“年相応ではないけど賢い子供のようだ”と評していたけれど的外れでは無かったらしい。この子は言ったもの。「去年の秋ごろ、目を覚ましたんです」って。この子は、確かに“子供”だったのだ。生まれ立ての。生れ落ちたばかりの。納得ね。
 この子は、紛うこと無く“賢い子供”なのだ。他人の[記憶]により知識だけを詰め込まれた赤ん坊。家事を教えたとき、体験するたびに目を輝かせて、私を頬を染めて見た侑生。そうよね。
 さすがに、赤ん坊相手で、苛々する大人じゃなかったわ、私。「……怖くなかったの?」私が問うと侑生は(かぶり)を横に振った。
「あのときの僕は、[僕]が、『成縢侑生』ではないって感付かれるほうが怖かった」
 海の見える公園で、人気の無いその場で、大勢の前で演奏する前みたいに息を整えた侑生は決心して、バイオリンを挟む首にナイフを宛てた─────のに。
「揉み合って、僕の手は冬の空気に悴んでいながら汗を掻いていて。滑り易かった。あっと言う間でした」
 侑生の眼前には倒れた先輩。はたと正気付いて救急車を呼んだけれど、胸の下から血を流す先輩を置いて侑生は逃げ出した。
「何でこうなったか、僕は言えなかったから。隠れて救急車が到着するのだけ見届けて逃げたんだ。いっしょにいたら事情を訊かれる。訊かれてしまえばなぜ刃物を持っていたのか、なぜ死のうとしたのか言わなきゃならなくなる。言いたくなかった。
“[僕]が『成縢侑生』になれなかったから”なんて、『成縢侑生』の生還をよろこんだ人たちに言えやしない……っ、口にしてしまったら、[僕]は、僕は、どうしたら、良いの……? 『成縢侑生』である外に[僕]には、何も、無いのに!」
 語り終えて、侑生は泣いていた。私は物音を極力立てないようにして侑生の座るソファに近付くと、肘掛けに腰を下ろして丁度胸の辺りに来る侑生の頭を抱き締めた。


 
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