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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

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*The fourth scene.

 


 この時代精子バンクや卵子バンクは普通に存在していて、使用の緩和でその気になれば独身でも子供は作れた。
 いっそ、それならば受精から出産まで国で管理してしまえば良いと思うけれど、人間の生存本能の保全のためとか。繁殖機能の安定のためだとか。
 ベルトコンベアー染みた全自動世界のくせに言い訳を重ねている。

 でも本当はどうしてか知っている。勿論この側面も在るだろうけど。

 実際は機械管理を良しとしない自然至上主義(ナチュラリスト)に妥協させるためだ。

 民主主義を掲げた“世界”の、歪な折衷案。



   【*The fourth scene.】



 人の噂も、と言うことか。七十五日経ってないけど。三週間程度は経ったか。まぁ私の慣れも在るのかな。好奇の視線は相変わらず在れども私は現状比較的平和に過ごしていた。
「……よ」
 ウザい『退避対象物』が目の前に現れるまでは。私はすかさず回れ右をする。遠回りになるけど、接触するよりマシ。転回後、即座に急発進した。
「え、ちょ、」
 幻聴。コレは幻聴。聞こえない。あーあー、聞こえないっ。
 だけど私の逃亡に「ちょっと、待てって」『退避対象物』は追跡を開始したらしい。お前何だよ、付いて来るなよ。私は速度を上げるかいっそ全力疾走するか考えて……あ、この先人口が多いと足を止めた。だってヤバいじゃない。やっと和らいだ注目を、何だってまた引き戻さなきゃならないの、と思った辺りで「つかまえた」と背後に気配。肩へ置かれた手に後ろを足上げて蹴ってやろうと考えて……やめた。コイツ、絶対避けるし!
「……何」
 私が肩の手を払い除け苦虫を潰した顔を向けると「怒るなよ」とほざいた『退避対象』。死ね。滅べ。
「はぁ? “怒るなよ”? 頭湧いてんじゃないの?
 雅彦」
 そう、噂の雅彦さんだよ。私が詰ると「そんな言わなくても……」と口をへの字に曲げやがった。いやいや。
「言うし。あんた莫迦なの? ようやく関心の的から外れて来たのにどうして煽るようなことすんのよ? てか何待ち伏せ?」
 ここは廊下だ。雅彦がいたのは私の事務所の数メートル……二メートルくらい手前だった。加えて何も持っていない辺りどう鑑みても業務外で待っていたとしか言いようが無い。しかもコイツ、私を追い掛けて来た。周囲に怪しんでくださいと言わんばかりだ。睨め付ければ僅かにたじろいで身を引きつつ雅彦は「待ち伏せって訳じゃ……」と弁明に走ろうとしたので「言い訳かストーカー」退路を塞いでやる。
「ちょ、違うし! 何その“ストーカー”って!」
「別れた女を追い掛けたら言われると思う。正乃を捜してるとしても」
「えー、それ、さすがに偏見では……」
「うっさい。私がそうだと言ったらそうなんだよ」
「うわ、横暴。だから裏で『女王様』って言われ、」
「……ほー。誰が言ってるのかな?」
「すみません、流してください」
 目を細めて口角を上げるとさっと雅彦が目線を逸らした。『女王様』だと? 流せるか。
「どうせ刑部辺りでしょ」
 他に浮かばないし。私が指摘すると雅彦は明後日の方向を見ながら「いやぁー……」濁した。おい、ちょっと待て。他に誰がいるんだよ。言っちゃ何だが私の行動範囲も交友関係も広くないんだぞ。ちょっと待て。
「誰がいるのよ。つか、あんたが広めてんじゃないの? 陰口とか最低」
「誤解です! 激しく誤解っ……ははっ」
 弁解していた雅彦が突然噴き出した。ほほぅ。「何がおかしいのかなぁ」笑みを深めて訊いてやると雅彦が口元を押さえながら「違うんだって……うれしくてさー」と噴き出したときのものとは明らかに違う種類の笑いを浮かべた。
「……あんた、マゾだっけ」
「違います。普通です。むしろ……何でも無い」
 むしろ何だよ! うわぁ……別れてから元彼の性癖なんざ知りたくないわぁ。
「引くわー」
「酷い」
「酷くない。可愛い後輩の負担にだけはしないでよ……頼むから」
 次の日響くようなことだけはしてくれるなと切に思う。思わざる得ない。二人のことに口出しなんてしないけどコレだけは思う。胡乱な目で見ると雅彦が心外だと反論した。
「しないし。正乃は大事にして、」
「……」
 反論し掛けて、何でそこで止めるし。何でバツの悪そうな顔するし。俯くし。良いことじゃないの……なんてね。私は溜め息を付いた。わかってるのよ、本当は。付き合い、長かったもの。私は後ろ頭を掻きつつ。
「雅彦」
 呼んだ。雅彦が顔を上げた。私は雅彦の腕を取る。っても上着の袖掴んだだけだけど。
「あっち行こう。人が気になるし」
 疚しさは無いが、見られて困るのも確かだ……と言うのも本心なんだけども。
「世間話、付き合いなさい」
 決着、させたいんだよね。すっきりさせよう、と思った。

“このままじゃ、傷付けるだけだと思うんだ。距離を置こう”
“ごめん”
 出て行く雅彦を私は無言で見送った。考えてみればきっちり別れていないんだ。主に私側のほうで、きちんと対応していない。て、言うか付いて行けなかった、処理が。
 支倉さんも同じこと言って別れたから。
“距離を置こう。このままじゃ、駄目だと思うんだ。傷付けるだけだ”
“ごめん”
 なかなかに“距離を置こう”って言い方は別れてるのか不確かだよね。二人して勝手なものだ。異なるのは支倉さんは約束をくれて、雅彦は不確定なだけってところ。まー、貰ったからって復縁することも無いけれど? アレは、可能性ではないだろうから。区切りを付けただけだ、切り換えられるように。言うなれば、さよならの代わり。
 雅彦が正乃を恋人に選んだ今、隔絶より断絶しなければいけない。私との関係を曖昧な形にしているのは駄目だと思う。
 あやふやにしたのは話し合いを放棄して日が経って尚、不貞腐れたように答えなかった私だ。私が極端に忌避していたせいで雅彦も私を気にしてしまう。
 だったら。
 私が、ちゃんと片付けないとね。

「そこで良いんじゃない?」
 私たちは中庭に来ていた。付き合っていたころ、よく来ていた場所だ。私の部署は雅彦の部署や一般の部署などとは遠い位置に在る。この時間誰もいない。通常就業中だものね。私は休憩取るのに事務室に戻る途中で雅彦は……何だっけ他施設からの出張帰りとか言っていたっけ。あー、それで白衣じゃないんだと得心した。
 事務関係に出張って必要なんですかと昔は思ったけど。雅彦の仕事の場合、死者とクローンが円滑に交代出来るようにしなくちゃいけなくて、実は事務とは言っても外部連携が大きいのだ。だから、シフトに影響が無い『フリー』と言う、時間に定時と言うものは基本存在しない役が在った。営業の人は外回りって在ると思うけれどコレみたいなものかな。で、雅彦は今日この『フリー』だったので時間に頓着が無いのよね。ちなみにウチは無い。いや、私は、無くした。
 新人の間は外部研修も在るとして、勤続十年以上ともなると出張は最早講師、教えるために行くようなものだ。こんなもの、私は向かないので刑部とかチーフに押し付けていた。……コレが罷り通る職業って凄いよな。だって若い子無理。感性が違うもの。私だって物の見事におばさんなんだよ。見た目若いけどね。『不老延命措置』の御蔭で。
 私が一つベンチを指すと雅彦も「だな」と同意し座る。私も腰を下ろした。雅彦も私もベンチの両端に各々座る。ベンチは三人から四人掛けで、私たちの間に人一人半空いていた。ふと意味無く空を見上げた。今日も都市部を守る台形ドームは健在だった。少々ぼやけて透けて見える空は本物の青空だろうか。空気も浄化して、気候も緩和させてしまうこのドームの中はすべてが疑わし……「圭」呼ばれて私は雅彦へ向いた。いけない。考えごとしていた。雅彦を見ると、また笑いを噛み殺している。
「……何かな、雅彦」
 その笑いはどの辺のことかと。事と次第によっては、と私が薄ら笑いを浮かべると「いやいや違くてさ」と片手で私を制する顔は笑ったまんまだ。今更ながら誘ったの後悔して来た。私、時間在るから誘ったんだけども。
「帰ろうかなぁー」
「え、嘘、ごめんて。だってさー」
「何よ」
「圭、変わってなくて。すぐ、ぼーっとすんじゃん。思考が飛ぶって言うのか。仕事じゃ絶対しないけど」
「してるよ」
「え、してんのっ? て言うか自己申告されても」
 はははと軽快に笑う雅彦。楽しそうだな、おい。してるってか、思考が飛ぶって言うか、仕事中別のこと考えることはするでしょうが。私は不機嫌に唇を突き出す。こう言う仕草が幼いってのは自覚してるんですけどね。
「……」
「何」
 私が吐き捨てるように問うのを雅彦は微笑んでいる。気色悪い程やさしい笑みだ。むず痒いことこの上無い。錯覚しそうになる。雅彦が、付き合っていた当時私に向けていた表情だから。……私たちの関係を強いて例えるなら、なみなみと満たされ頭まで浸かるぬるま湯だと思い知った。雅彦を好きだったけれど、今も、嫌いでは無いけれど、この感情は、果たして恋情だろうか。
 支倉さんに向けたものがそうだと私は覚えてしまっているから、雅彦への想いをそうだと決めて良いのかと躊躇する。いや、そもそも支倉さんに向けた気持ちは真意に恋だったのか。
 支倉さんのことは手放したくない、渡したくない、なんて考えていたけれども、こんなの独占欲だった。子供の、我が儘とどう違うのだろうか。雅彦には。
「……」
「圭?」
 手放したくないとは思っていても、恋だったのか。窒息するかの如く溺れるくらい甘やかされていたせいで、居心地が好かっただけで。
「圭、どうし、」
 恋だったのかな。判然としない。だけど。
「好き」
「え、」
「好き、だった」
 目を丸くする雅彦に笑う。眉が寄るのを直せないから苦笑になっているだろうか。まぁ、仕様が無い。
 十年以上の関係は、長過ぎた。
「け、圭、」
「私といてくれて、ありがとう」
 私は頭を下げた。雅彦の瞠目している姿が見なくてもわかる。今になって「さよなら」とか「ごめんね」とか遅いでしょ。だったら、一番合っているのは、この言葉だ。呼吸もままならないくらいにたいせつにされていて、窮屈と感じたことも在った。故意に怠った避妊処置に怒りを覚えたことも在った。けれど、両親を亡くして、支倉さんとは隔たりが在って、心理的に誰も頼れずひとりでふらふらする私を、そばで支えてくれたのは間違い無く雅彦だから。
 だから。顔を上げて直視する。
「正乃のこと、たいせつにしなさいよ。恋人でしょ?」
 何と身勝手な言い草。雅彦を散々振り回して、ずるずる引き摺らせて、結局棄てたのは私か。でも、これだけは言える。離れたのは確かに雅彦だ。離れて心機一転で正乃を選んだのも。放したのは、私だとして。
 人一人半の距離感。私たちが恋人だったのは、もう過去のお話で。とっくに終わって、弛んだ糸を手繰るような関係だった。
 私たちの間に現存するのは恋じゃない。未練だ。未練は断ち切らないといけない。正乃が、いるから。未来が、在るから。
 雅彦の瞳が揺らいだ。私は笑顔を崩さなかった。横たわる沈黙。やがて雅彦が口を開いた。
「……圭は、」
「んー?」
「そう言う人、出来たの?」
 雅彦の質問は、己の正乃みたいな存在が出来たかと言う確認だろうか。私は逡巡もせず即答した。
「うん」
 脳裏を過ったのは侑生だった。侑生へははっきり、恋じゃないと言えるんだけどね。だので、侑生じゃ、雅彦の代わりにも支倉さんの代わりにもならないもの。拠りどころにしている感は否めないが。
 あの子は、唯一無二だななんて思う。周りにいないタイプだったのも在るけれど、何より。
 あの子は儚過ぎて、守ってあげたいと、思うのだ。誰より。
「そっか」
「うん」
 項垂れる雅彦へ私は敢えて声を掛けなかった。しばしして雅彦が立ち上がった。
「戻るな」
「ん。私はもう少しいるわ」
「ああ、休憩だもんな。……じゃあな」
「またね」
 お互い手を上げて別れの挨拶をした。去る雅彦の背を見送って、見えなくなると私は再度空を仰いだ。
「……まだ時間在るから良いわよね」
 上を向いたら涙が零れないなんて嘘ね。
「よく持った、私の涙腺」
 誉めてあげよう。
「十数年てのは、生半可じゃないのよ」

 持ち場に戻った私を出迎えたのは今日も先程とも変わらぬクローンたち。水底の海藻のように、生まれるときを待つ胎児みたいに膝を抱えて漂っている。……“生まれるときを待つ”ってのは、強ち間違いじゃないか。クローンは目覚めのときを待つ。目覚めるときは、人が一人死んでいるときだけど。そう言や、クローンは夢を見るのだろうか。夢って、経験を抽象的に振り返っているって話だけど、彼ら彼女らも夢を見るんだろうか。定期健診で電子に置き換えて保存した記憶を、クローンに複写しているから一応、記憶は在るようだけども。整理する程馴染んでいるようには考えられない。うーん、レム睡眠じゃないから見ないのかな。
 こうやって水族館に来た子供の気持ちで水槽を見上げつつ、雅彦に連絡するよう刑部に報告。さっきの今でアレなんだけど正乃がね。具合悪そうなんだよね。そうでもさっきの今なので刑部に頼む。今休憩に出したから、もしかすると刑部も正乃といるかもしれないけど。事務室で休憩しているかもだし。
「……っと、」
 バグ発見。向こうの電脳も悪夢でもご覧なのかしらね。ライフラインに影響が無い程度でお願いしますよ。安定のため、ノンレム睡眠に近い状態を保たれているから重大な事態には陥ったことは皆無だが。
「……」
 夢、夢か。雅彦も、魘されて起きたことが在ったなぁ、と思い出した。
 間接的に死んだ人を、子の無い未婚者だったらクローンで蘇らせる仕事。日々の営みの中その処遇を目の当たりにしていれば、恐怖を抱くのも当然か。己の目を焼いても平静としていたくせに。ある日ふと、思い至ってしまったのだろうか。自身も子がいない未婚であると。ああ、それとも、私のせいだろうか。
 父と母をクローンで蘇生しなかったのは私だ。いやでもだって、両親のケースは私って娘がいるからで。ううん、けど。未婚者は有無を言わせずだものな。
 両親は両親として埋葬された。雅彦はこのままだと名も無く葬り去られる。何もかも取り上げられることが怖い……てことか。
 まー、まー、だけれど、もう。
「私、無関係だしね」
 正乃なら、雅彦をすくってくれるでしょう。あんなにも必死に、私へ噛み付いたんだから。カプセルが揺れる光景を眺めて私は肩を竦めた。

 刑部に引き継ぎをして家に帰った。正乃は定時より早く帰した。貧血なのか顔色が良くなかったからね。その外は変化も無く、帰宅すれば侑生にお出迎えされ、夕食を作り、食べてゆっくりしていた。食器を片付けて戻って来た侑生に「バイオリンー」と催促も忘れない。侑生は呆れたように笑った。仕方ないなぁと言いたげである。こんな大人でごめん。
「今日」
 バイオリンを取り出しながら侑生が話し掛けて来た。私は「うーん?」訊き返す。バイオリンの弓を調節しつつ侑生が続けた。
「良いことでも在ったんですか」
「……」
 二人掛けソファで腹這いで寝そべっていた私は下敷きのクッションを抱きながら黙考。“良いこと”? 良いことねぇ。
「無いな、うん」
「そうですか? 今日、機嫌良さそうに見えたんですけど」
 バイオリンを構えながら「最近お疲れに見えたのに今日は元気そうだから」……って、私隠してたのに侑生の観察眼にはほとほと驚かされます。単に私がアレか、隠し下手なだけか。や、それは無いよ。私、標準無表情で無愛想……自分で言ってて落ち込んだ。私は少し間を空けて「良いことって言うか、」言葉を切った。
「良いことって言うか……“先に進もう”って」
「先に?」
「そう。うじうじ、過去ばかり見ているのをやめようって」
 私は支倉さんのこと、雅彦のこと、ずっと拘っていた。共に住んでいた名残の在る、家に帰りたくないくらい。その割に惨めだって、自らを反省しない。省みたら、もっと惨めに思えるからだろうか。や、耐えられないだけか。
「まだまだ怖々とだけど。他人ばっか非難してないで我が振り直せ、みたいな?」
「そうなんですか」
「うん。……侑生の御蔭かな」
「僕の?」
「何かさー、侑生といると退屈しないって言うか……毎日新鮮でね。忘れていたことも思い出させてくれるって言うか」
 侑生は何も知らないお坊ちゃんだ。見目も上等で、性格も素直。難を挙げれば擦れていないがゆえの、世間知らずなところ。騙されそうなところ。侑生って子供みたいなのよ。本意での子供。変に度胸が在るのも、賢い子供なら納得出来る。どう見ても青年なんだけど、なぜかね。二十歳前後と思しき外見に反して中身は幼さが抜けていない感じ。大人びた子供、と言えばしっくり来る……かな。おかしいわよね。年相応とは違うようなの。
 こう言う侑生といっしょにいたら考え過ぎることは無い。気が紛れて考察に一点集中しないから、一度置いて余裕が出来てる。頭が冷える。
「だからね、感謝してるのよ。ありがとう」
 私は心から笑んだ。謝意を表したかった────んだけど。
「───」
「侑生?」
「……いえ。お役に立てたなら良かったです。僕こそ、感謝してるんです、圭さんに」
 侑生の表情は、ぎこちなく歪んだ。微笑もうとして失敗した、そう言う面持ちだった。侑生の様子は一言で表現するなら『複雑』だった。「……」[何]が。
 この子の奥を揺すったのだろう。

 侑生はその後バイオリンを聞かせてくれた。けれどもどこか上の空で、演奏が狂わなかったことが凄いくらいだ。あれだけとちらないってやっぱ趣味の域じゃないわよね。ふむと、私は一考。一回頷いて「侑生」私にお休みの挨拶をして部屋へ戻ろうとした侑生を呼び止めた。
「どうか、されたんですか?」
「今日、いっしょに寝ようか」
「は、」
「だから、いっしょに」
 侑生が間の抜けた顔をした。あら嫌だ、美貌が台無し。私が再び繰り返すと侑生が顔を片方の手のひらで覆った。
「圭さん……」
「何?」
「それは、“同じ部屋で寝る”って意味ですよね」
「うん。あ、布団はいいわ。私のベッド広いし」
 セミダブルだし私は小柄なので二人ぐらいは眠れる。事実、雅彦とはそうしていたんだから。侑生が顔面を覆う手が両手になった。嘆いて泣く人の如く。え、何で。
「圭さん」
「うん」
「圭さん、僕、“男”ですよ」
「そうね。侑生はきれいだけど女じゃないわね」
 何当たり前のことを、と私が平然としていると、侑生が隠す手を退け疲れた表情でこっちを見た。目が淀んでいた。え、何で?
「圭さんは未婚女性ですよ? 独身女性ですよ? 僕、赤の他人ですよ?」
「ああーそうねぇ。あ、そっか」
 私はぽんと手を打つ。侑生は、あ、ようやく気付いたか、と言った風に視線を寄越していた。が、次の瞬間ずるっと転けることになる。私の発言で。
「大丈夫、襲わないから」
「……っ、違うでしょっ? 逆ですよ、そこは!」
 侑生の猛抗議に「えー」と私は首を傾げた。だって。
「もう数箇月……結構経つけど、侑生は何もして来ないじゃない」
「当然でしょう。圭さんは僕を死刑にしたいんですか」
 強姦罪は死刑。現代の常識だ。男が被害者だと強姦罪は適用されないのよね。加害者が女性でも男性でも。暴行罪傷害罪になる。何でかしらねぇ。やっぱ精神的にキツいからかしら。男なのに、て、巷で噂されてしまうからだろうか。世評なんて基本下衆過多だしね。私は侑生の難しい顔付きにふっと笑みが零れた。侑生が怪訝な目を向ける。私は「だってさー」と説明に努めた。
「常に喋る以外は遠慮がちな子が何言ってるんだろうかって」
「だから、」
「死刑にしたいのかって? なる訳無いわ。侑生は、そう言うことしない、断言してあげる……夜、眠れないんでしょ?」
 夜中、寝付けないのか家の中をうろうろしている侑生を私は知っている。初期こそ、すわ夜這いか盗みかと動向を窺っていたものだけれど何も起きなかった。一箇月経過した辺りからうろ付く時間は減ったようだったけど、現在も起き出しているのは把握している。朝、すっきりした顔の侑生を見たことが無い。休みの日、眠そうな侑生に寝ちゃいなさいと勧めたことも一度や二度じゃない。
「気が付いていらっしゃったんですね……」
「私の部屋の前にも来てたじゃない。……寝られないんでしょ? 今日は、いっしょに寝ましょうよ。話すだけ。話してる内に、眠れるかもしれないし」
「けど、」
「別に抱き合って眠ろうってんじゃないわ。枕を並べて話しながら寝ましょって、こと。子供のころしたこと無い? 友達と」
「……。在ります、けど、」
「じゃあ、良いじゃない。事情聴取でもないから、さ」
 警戒しないで、と苦笑いを浮かべると侑生は渋りつつも最後は折れた。譲歩点は掛け布団は別々ならって。要は肌が触れる恐れを一切消すためだ。寝巻き着てるんだから平気じゃない? って突っ込みは棄却されました。
 半ば無理矢理な感が拭えないけどコレ、未成年略取だ青少年保護法だのに引っ掛かったりしないよね? と一抹の不安を覚えながら寝室をセットしていると、侑生が戸口にいたので手招きした。

 二人でいろいろ話した。お喋りに興じる内に、侑生がうとうとし始め「寝なさい」と促した。始めは「大丈夫です」などと頑張っていた侑生も、合間合間に静かにすると次第にすーすー寝息を立て始めた。しばらく置いて私も電気を消して布団に潜る。横を向くと「……」隣で絶妙な間合いで眠る侑生が見える。年齢にしてはあどけない寝顔だ。手を伸ばして掛かる前髪をそうっと除けてあげる。
 会話の内容なんか他愛ないことだ。取るに足らないこと。音楽とか明日の予定とか。
 明日私は早番で、午後から暇なので侑生を連れ出して服の調達と決まった。侑生がこの家に来たときは年始の、冬も良いところで侑生は厚手の服しか持っていないから。気付けば、季節は春だ。正乃が正規になる時期。私も、多分侑生も、よもや季節を越えるとは思っていなかった。結果として春が来てしまう訳だが。
 侑生がいつまでいるかはともかく、春夏物は揃えてあげないとなと考慮の末明日行くことに決めました。侑生は乗り気じゃなかったけども。
 ここに来た当初、侑生は外に出ようともしなかった。近ごろはだいぶ近所なら出ているらしい。
 私も禁じていないしね。むしろ出たほうが良い。体のためにも。
 この年になると一定の人間としか出掛けないため明日楽しみだなーと年甲斐も無くわくわくしながら瞼を下ろした。……あれ、私だけ?

 遠足前の幼児みたいに胸を膨らませていた私は、当日、思い掛けない事態に直面することを未だ、感付いていなかった。


 
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