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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

♭02

4/17

*The third scene.

 


“癒し”が実在するのなら、私はこの時間だと思った。

「圭さん、」

 治らないと放置した傷から広がる罅割れを撫でるように包むように、隙間を埋めるように、ゆっくりと流れた。

 侑生との、日々。



   【*The third scene.】



 疑問、なのだけれど。
「……」
 侑生ってさ、学校とか、どうなってるんだろう。自宅で機械に向かい合ってはいるものの手馴れたもので、ながら作業で済んでいる。で、いろいろ考えている。侑生のことだ。……他に無いよ。無趣味だもの。昔はプログラム組むの好きだったけどもう仕事以外でやりたくなくなったし、こう、メンテの外に家でやりたいとか思わないもん。
 だから自然と侑生くらいしか考えることも興味も向かず。ちらり、背後を見遣る。掃除している侑生の背中が見える。
「……」
 このご時世、子作り至上主義だもんで一昔と違い高校だろうが大学だろうが基本無償だ。医療も保険制度で負担は無い。私的に、嫌なことに特に婦人系は。だから、個人的にやりたいことが出来るんだろう。たとえば、好きなこと。大学だって短期、長期、中途退学入学好きにし放題だし。これの御蔭で芸術面も技術面もこの国は急激に発展出来たと言われている。
 もともと、国自体無駄に危機感が無い。無駄な危険が無いから。少なくともいきなり爆弾が降って来ることは無い。銃で射撃されることも無い。外国の血が混じりまくった割に、風土か犯罪率は高くなかった。まぁ、狭い島国だし。生活苦も無いのに戦う必要も無いのだろうけど。せいぜい、ああ、そう……宗教ね。ふっと父と母が過った。瞬時に自嘲で唇を歪めていっしょくたに消した。
 ま、気を取り直し、とにかく。侑生が学校がどうなってんのか気に掛かるのは仕方ない。ふと、バイオリンとかね、と。そう、バイオリンだ。前述の通り、この国は芸術面も発展させた。それこそ、想像力や情操教育の一環で読書とかさえ必須科目に伸し上がった。道徳の面でどーとか言っていたようだけどここは失敗してんじゃない?
 ただ子供には、あらゆる可能性が在るってことで親の間では何かしら芸術を習わせるのが流行っていた。今はどうか知らないけど私のときも例に洩れず。が、私は、祖母が医療関係で音楽の仕事に就いていた割に父がバイオリンを愛していた割に、残念ながらその辺はまったく才能が無かった。母が頑張ったようだけれど私は一人、父の出すプログラムの宿題に没頭していた訳で。そっちのほうが好きだった訳で。
 つまり、才能が無かった私でも侑生のバイオリンが凄いのはわかった。これこそ、習い事レベルじゃない。父には申し訳無いけど、父のバイオリンは習い事で上手い、だけ。私は好きだったけど。侑生はこの範疇ではない。絶対、音楽専攻の学校に籍を置いている。だとすれば、この子はコンテストなんか総なめにしている可能性も在りそうだ。『侑生』で検索したら出たりしてね。個人情報。
「……」
 しないけど。この子が話したくないことを漁る必要は無い。今のところ。探りを入れても良いけど、……。
「侑生、」
「はい」
「今日、ご飯何が良い?」
 私も言わないことが多分に在るし、今のところ、この程度の質問でコミュニケーション取れてるんだから問題無い。世評とか、もう別に構わないし。
 私は、己の頬に触れた。
“未成年だとしたら────”
 以前私が思ったこと。……だけれども。
「……」
“大人の責任”? 取ってやるわよそれくらい。非国民的な私でも、成人しているからには、さ。赤の他人から繰り出される世評より、私のそばで悪戯に掻き回さず静かにいるこの子のほうが何倍もたいせつのようだから。
 この子のためになら幾らでも、ね。



「圭さんは、崎河さんと縒りを戻されないんですか」
 休日明け研修中、プログラムのチェックも終わり顔を上げると急に正乃が言った。可愛い(かんばせ)は変わらずいつもの甘えた子供みたいな、いわゆる無邪気な女の子の笑顔で。ああ、この子は本当に年下なんだなぁと。この時代じゃ、二十歳過ぎたらもう年相応かなんか、わからないもの。
「……雅彦のこと?」
 悪足掻きしたのは、ちょっと意外だったせいだ。正乃から聞くと思わなかったから。世間話だろうと私に振ってるんだからどう考えても雅彦だろうけども。
「はい。崎河さんと圭さんが別れたって……野中さんに聞いたので」
 正乃が頷いて笑った。入手の経緯を聞いたけど私は、はて、と首を傾げた。
「誰?」
「え?」
「『野中』」
 端的に私が尋ねると正乃は一瞬間の抜けた顔をして。
「……えぇー……そこですか? てか、野中さんて崎河さんの同僚ですよ? 私たちも仕事で何度か顔合わせしてますよ?」
 眉を顰めて教えてくれた。……うぅん? どれ?
「ごめん、わかんないや」
「ちょ、もうっ。圭さんは少し周りに無関心過ぎますよ? ちょっとは気を配ってください! でないと……」
「でないと?」
「……襲われちゃいますよ?」
「無いわー」
 物凄い形相で言われたわ。そりゃ怖い。顔が。即完全否定するけどね。正乃の可愛い容貌はますます歪む。こんな顔も可愛いって得なお顔立ちですことほほほってか?
「人の心配してないで自分のこと気になさいな。さっきの話からして、恋愛に関心は在るんでしょう?」
「むぅー。どうせ私は圭さんからしたらお子様ですよーっ」
「あら嫌だ。私、異性愛者(ヘテロ)なの。ごめんねぇ」
「私だってそうですー! じゃなくてっ」
「あははは。ごめんごめん、冗談だって」
 むくれる正乃の頭を撫でつつ謝る。くるくるに巻かれた髪がふわふわと心地好い。正乃とは身長差が侑生や雅彦と程は無いけど、一応在るので手を伸ばしている。撫でていると正乃が猫みたいに目を細めた。気持ち良いのか。()いヤツよ。私も気を良くしていた。だから、口が軽くなって喋ってしまったのだろう。
「誰に何吹き込まれたか知らないけどさ、」
「……」
「雅彦とは、終わってるから、とっくに」
 私は笑った。その笑みは乾いていて、多分口調より軽薄だったに違いない。飛んで行きそうくらい。いや、ゆえに。
「っと、」
 正乃が、ばっと私の伸ばして撫でる腕から勢い良く逃れた。距離を取られた私は中途半端に腕を下ろした。置き所を無くした手は私の胸の上の辺りで所在無げに止まった。「っ、だったら、」正乃の声は小さい音量なのに叫ぶような掠れ具合だった。───ゆえに。
「私が、崎河さんを貰っても良いって、ことですよねっ?」
 私の飛んで行きそうな笑いは正乃の、喘ぐように発せられた科白で吹っ飛んだんだ。私は正乃を見据えた。観察するみたいに。
「私が、」
 正乃は、尚も言い募るようだ。
「私が、崎河さんを、盗っても、」
 正乃は全部の酸素を言語変換に、喉から発声させるために使っているようだ。顔色が、悪くなっている。場違いにも、医務室に行かせたほうが良いかと考えさせる程。
「圭さんは気にしないんですよねっ?」
 懸命に紡がれた問いを、私はどうして良いか思案した。“気にしない”? ……そうね。
「良いんじゃないの?」
 白い顔面に浮かぶ正乃の感情を、私はどんな目で見ているのだろうか。挑むみたいな女の顔をする正乃、この可愛い後輩に。
「好きにしなさい」
 どんな顔でこう言う返答を、吐いているのだろうか。
「別れた女が先輩だろうと上司だろうと関係無いでしょ。プライベートに、干渉しないから」
 精々、頑張りなさい。チェック表のデータを正乃の端末に送ると、肩を叩いて私は場を後にした。私の許可が要るはずもないのに。ましてや、応援したのに。
 去り際視界に入った正乃の絶望的な、愕然とした様は何だったんだろう。この正乃の姿に。
「……私も、あんな風だったのかしら」
 高校生の、私を見た気がした。

 高校に入った時分、私は初めて女になった。相手は、父の同僚で親友だった人だ。でたらめなことを言って無理強いして、付き合わせた。脅迫に近かったかもしれない。
 幼さに暴走して迷惑を掛けた、と言えば聞こえは良いか。生まれたころから私を知るその人は、私に父や母の如く甘くて、ともすれば両親以上で。彼の弱みに付け込んで関係を迫って。ママゴトの延長のような交際だった。彼は、幼子染みた私を恋人としてちゃんと扱ってくれた。
 そして体は一丁前に出来て来ていたから。結果は単純な遅れだったんだけど。
 生理が、来なくて、私も動揺したけれど、私以上に苦しんだのはその人だ。
 その人が、自分の身体的欠損を気にしていた、ことを、私は彼の持ち前の明るさで悟っていなくて。遺伝しないとしても、子供が出来ることを、自身の子供が生まれることを怖がっていた、ことも私は聞かされて知った。
 結局、何事も無く済んだ私たちは別れた。彼の懇願で。されなかったとしても、私だって耐えられたか、どうかだけれど。
「圭ちゃんが、成人して、それでも俺以外に好きな人が出来なかったら、俺が好きだったなら、今度はきちんと光輪(みわ)たちに挨拶して、結婚を前提に付き合おう」
 その人が言った約束は果たされることは無いだろうなって私は思っていた。後悔しか無い間だったのだから。
「そう言えば……」
 雅彦にこの話をしたこと無かったなぁ、と、思い至った。アイツ、私には変に怖いとこ在ったし。年の差かもしれないけども、過保護なんだよね。この話したら、支倉さんの命が危ない気がする。本気で。ただでさえ私と支倉さんが会うの嫌がってた雅彦。すでに何にも無いのに。
 私が下手なことしなければ、変化なんか起きやしない、そう言う関係だ。父も母もいない現在は、良い友人関係だと思う。父と母が死んだから、疎遠だったのが戻ったと言えるのか。
「……何か、変わったのかな……」
 雅彦にこの話をしたら────まぁ、ほら、詮無い仮定だ。私は下腹部を何とは無しに(さす)った。
 子供が作れる、それだけの機能に私は常に振り回されているって。
 思い付いたら、わらうしか無かった。



 正乃と雅彦が付き合い出したのは、あの会話から二日程度あとのことだった。
「……」
 雅彦が正乃と付き合おうが正直どうでも良いわ。どうでも良い、や、本当に。
 ま、ショック、てか寂しくないと言えば嘘になる。可愛い妹分が碌で無しの男に引っ掛かった心労も無いことも無い。でも発破掛けたの私だもの。雅彦を、追うことを放棄したのも。だと言うのに、さみしい、なんて。
「……私も大概」
 烏滸がましい、なんてね。わらっちゃう。



 あれから数日経って。
 正乃と雅彦が付き合おうが別に良いんですよ。
「……もーぅっ」
 ええ、構いませんよ。好きにしなさいよ。だけどさー。
「いちいちお迎えを見せ付けるってどんな了見だよ、こるぁ……」
 思わずの巻き舌に柄が悪いとか、言ってらんない。
 正乃は私が面倒を見ている。当然仕事はいっしょだ。同じシフトの、正乃だけ先に上がる。うん、おかしいことじゃない。……じゃないんだけど。いや、良いんだよ。お迎え自体、好きにしなよ。勝手にイチャ付けよ。ウザいのは。
「雅彦、滅べ」
 アイツが、何やら言いたげにこっちを見て来ることだ。言いたいこと在るなら言えよ。マジで。正乃も意図が在るのか無いのか、逐一細々雅彦の話を振るし、私に。何もうマジウザい。極め付けは。
「お前だ、鬱陶しい」
「えぇぇぇぇっ、いひゃいいひゃい」
 やたら気遣いオーラを出す刑部。頬を摘み上げ引っ張ってやると刑部が悶えた。はっ、ざまぁ。私は書類の処理に追われていた。何だよ。別に気にしてないっつーの。気にするとしたら、施設の至るところで好奇の目に曝されることか。ああ、雅彦と私が付き合っていたのは有名ですものね、わか……って堪るか。
 何で、他人てこうも煩わしいのだろうか。無責任に、無遠慮に。クラウド式で各部署繋がっていても、判子貰ったり特定の機密書類に関しては紙でのやり取りが主流だ。最終的に行き来するのは古今変わらない訳で。
 衆人環視の中私も行かなきゃ行けないんですよ、ええ。刑部ばっかり使いに出すのもこれはこれで噂立つしね!

「はい、ありがとうございます」
 雅彦は情報処理室に入っているのかいなかった。要らん情報をくれる正乃に休みとは聞いていないからいるだろうが。ここに来るまでも様々な目で見られたものだ。最悪なことにここは雅彦の部署だ。そりゃあ通常の倍、見られましたよ。仕事だっての。私は地味めな職員に書類を渡してささっと立ち去ろうと踵を返して「翅白さん」呼び止められた。一秒でも早く帰りたかった私はぐっと飲み込んで振り返った。困ったように笑う地味の人。
「何でしょう」
 今、室内は私とこの人だけだ。まさかお前も良い機会だから探ろうってんじゃないだろうな。私は半ばやさぐれた気持ちで訊いた。前も在ったんだよね、移動中に。いっしょだった刑部とチーフが追っ払ってくれたけど。本当にそうだったら上司に訴えてやる。ここのじゃなくて自分のとこのね。ここのチーフ、かなりズレている人だからお話にならないと思うよ、うん。
「えっと、わざわざこっちまでお持ちいただいたのに申し訳無いのですが、こちらの書類をそちらのチーフにお渡しいただけませんか。今日ちょっと人手が足らなくて」
 と、差し出されたのは封筒。あれ、普通に用事だ。何だ。良かった。
「ああ、良いですよ。戻るついでですし」
「助かります」
 じゃあお願いします、わかりました、と交わし合うと地味の人は忙しいのか自らの席に戻ってしまった。……気が抜ける程、普通の対応。探りを入れようと画策して来る人間にうんざりしていた私。ここのところ、そんな人間ばっかりだった。
 無関心、なんだろうか。何か私はほっとしてしまう。こう言う人もいるのね。雅彦の同僚なんだから、一番聞きたがるかと思った。雅彦が何喋ってるか知らないけど。……ふぅん。
 私は退出の声だけ出して、部屋を出た。
 この地味の人の御蔭でほんの少し気分を上げた私だけど、その後の周囲の視線に急転直下で下降した。本っっっ当に、鬱陶しい! 周知の付き合いは長いとマジ弊害大きいな!



「うわっ、圭さんっ?」
 習慣となったお出迎えをしてくれた侑生の悲鳴が聞こえたけど、知ったこっちゃない。ばたん、と力尽きた私は玄関で屍の如く転がっていた。良いの。きれいにしてるから。
「具合悪いんですか?」
「具合って言うか、もう動けない……」
「立てます?」
「嫌だ」
「嫌だって……」
 絶句する侑生に駄々っ子を貫く私。侑生が呆れて「酔ってるんですか?」と尋ねて来た。私はお酒を一滴も飲んでいないけれど「酔ってる、かも」と暈した。侑生があからさまに嘆息を吐いた。これじゃあ、どっちが年上かわからないね。あははは。空笑い。「笑いごとじゃないです」ああ、洩れてた。嫌ぁね、本物の酔っ払いみたい。侑生が逡巡の末「失礼します」と私を抱き上げた。わっ、色気の無い声を上げる私。……男って凄いなー。小柄で無抵抗とは言え人一人抱えられちゃうんだ。横抱き、いわゆるお姫様抱っこにされながら私は静観していた。この一見華奢な印象の細腕に、そんな力が在るとは思えないけど。実際私を抱えて運んでいる。雅彦も見た目痩躯のくせにそうだったなと考え、やっぱ男って筋肉質だからかなぁ、なんて呑気に。
 侑生は廊下を通ると開け放されていたリビングに私を運ぶ。ソファの前に着くと私をゆっくり下ろした。
「お水、持って来ますから」
「うん」
「何か薬、要ります?」
「うぅん、要らない」
 頭痛も生理痛も今は無い。在るとすれば疲労だ。精神的過労と言って良い。私は侑生から水を受け取る。私に水を渡すと離れた場所に移動しようとした侑生を止めて呼び寄せる。手でも来い来いとジェスチャーして。近う寄れ、みたいな。
「何ですか?」
 侑生が屈んで目線を合わせたところで頭を撫でる。侑生が硬直した。が、スルーして撫でまくる。柔らかい毛並みに癒される。侑生が私を下ろしてくれたのは二人掛けのソファだった。横になれるようにだろう。事実、横たえるように下ろされたし。私は乗っていた足を降ろしズレて、隣に座ってと要求した。侑生は反論せず私の指示通り座る。侑生が何某か口にする前に私は遮るみたいに開口した。
「ちょっと話しようか」
 面白くは無いかもしれないけど。侑生は瞬きした。私は笑って語り出した。
 至極詰まらない、女の話だ。

 幼少期、幼稚園の先生が聞かせてくれた。赤ちゃんのことだ。赤ちゃんはどこから来てどうやって産まれるのか。男女の体の違い。とかく子を産めよ増やせよの世界は、正しい性知識も義務教育とした。小学校に上がる寸前の幼児から徹底して“子供を作ること、産むこと、育てること”のたいせつさを説くのだ。物心付いたばかりと思しき私は先生に訊いた。
「どうして、赤ちゃんを産まなくちゃならないんですか?」
 先生はこう答えた。
「義務なのよ。生きる上での」
 私は、齢六歳ながら納得が出来ず今度は父に訊いた。今日幼稚園でね、と言う報告の延長線で。父はこの時期『ドール』開発が一段落してまぁまぁ家にいたのだ。私の教育は、殆ど父がしたと言っても過言ではない。母はお喋りな人だったが教えるのが上手い人ではなかった。私の疑義に回答をくれる人はいつだって父だった。
「どうして、赤ちゃんを産まなきゃいけないの?」
「いけないってことは無いよ。ただ、そうだねぇ……人それぞれ、だよ」
「でも、先生は、『義務』だって」
「大人になったら、絶対ってことは無いよ」
 困った風に苦笑した父は六歳の子供に何て言えばと試行錯誤、脳内でしていたに違いない。どう伝えるか、大いに悩んだだろう。もう少し年が行けば、たとえば十歳くらいなら法律のこととか簡素にでも話せただろう。性教育も教育の一環と言え、父としてはさすがに、六歳の、小学校すら行っていない娘に強姦罪とか堕胎罪なんて話は出来ない。
 強姦罪が死刑になったのは、堕胎罪が復活してほぼすぐだった。女性の人権がどうのと喚く団体が、奮闘した成果だろう。
 だけどもこの世界は酷く厳しい。子供を産まないことは罪だ、と責め立てられる。犯罪被害などの望まない妊娠以外で子供を堕ろすことは罪となった。妊娠歴中絶歴がうっかり知れればトラウマさえ掘り返される可能性が出て来る。だったら産んでしまって、預けたほうがずっとマシだ。そう言った現今かなり養護施設も養子制度も整備されていた。
 父は解説出来ない代わりに私へこう答えた。
「ひとりは、寂しいものだからね。どんなに偉い人でも、寂しいから家族を作るんだよ」
「寂しいと、家族作るために赤ちゃん産むの?」
「お父さんはお爺ちゃんもお婆ちゃんもいないけど、お母さんと結婚してお母さんのお婆ちゃんがお婆ちゃんになってくれたし、圭だって生まれて来てくれただろう? お父さんはその御蔭で寂しくなくなったよ」
 父は私を抱き上げながらそう笑んでいた。抱き上げて膝に乗せると、ぎゅーっと抱き締めて来るので、私はきゃっきゃっとよろこんでじたばた暴れた。一頻りじゃれ合ったあと、父は不意に呟いた。
(やなぎ)も、早く家族を作れば良いのにな……」
『柳』は、支倉さんの下の名前だ。父は支倉さんを本人には名字呼びにするのだが、家では母との団欒で出ることも在るので名前で呼ぶことが多かった。
「支倉さんは家族いないの?」
「うん? ああ、そうだね。お父様も亡くなられたし。ひとりだねぇ」
「そうなの? じゃあ、圭が支倉さんと結婚する!」
「ええっ? 駄目だよ!」
「えー、どうして? 圭と結婚したら、支倉さんは家族になるでしょ? 寂しくないよ」
「そ、そうだけど……」
 父が焦る様子を不思議に見ていた私だったけど、今になって思えば複雑の極みよねと気が付く。だって、支倉さん親友よ? 親友と結婚とか言われたら困って当たり前よね。お父さん、本当にごめん。思い起こせば、もうこの時点で私は支倉さんが好きだったんだ。まぁ、このときはあんな擦った揉んだをやらかすとは夢にも思っていなかったけども。六歳児だし。

 高校生になって、周辺の友人知人たちは軒並み恋人を作って行った。私は勉強のほうが大事で、どうでも良かったんだけど。何でかなぁ。
 支倉さんと女の人が楽しそうにしていたの、見ちゃったからかしら。

 家開けたら午前は休みだったらしい上半身裸の支倉さんと、下着姿の女の人がリビングでキスしてて、一悶着在ったって言うね。
 母が、「どうせ柳は碌なモン食べてないんだから、持って行きましょ」と、合鍵を持っているのを良いことに大量に作ったおかずを持って突撃噛ましたせいだ。アポ無しで。……母の擁護をするなら、母の急襲は日常のことで、来てほしくない日は支倉さんから必ず連絡が来ていたのだ。独り身の支倉さんを母は幼馴染みとして親戚として心配していたので。
「あんた、いるなら言いなさいよ!」
「え、理不尽!」
 支倉さんは母に口撃されつつ急いでシャツを着込んでいた。女性は慌てふためく二人を後目に早々服を着て颯爽と去って行った。私にだけ振り向き様に「ごめんね、変なとこ見せて」と謝罪して。きれいな人だった。現代を『優性遺伝子時代』と揶揄する人がいる。それだけ、美形が多く、不細工がいないから、てことだろう。平凡地味はいるけど、そう言う人も別段整っていないと言うことでは無いし。だから、母もそれなりだったけども、彼女もきれいだった。きれいで。
「……」
 胃の下辺りが痛んだ。私はお腹を押さえながら「帰る」と言った。言い合っていた支倉さんと母が静かになって「え?」と二人して異口同音に訊き返して来た。私は再度帰ると告げて、持たされていたおかずの入っているバッグを置き、二人が止めるのも構わず逃走した。

 ……うん、コレだな。コレが原因だな。後日支倉さんから両親にないしょで呼び出されて家に行ったら土下座された訳だけど、私はとち狂っていたせいで阿呆なこと言い出すしで……支倉さん可哀そう。土下座する支倉さんに言った言葉は忘れました。……嘘です憶えています思い出したくないだけです。
 とにもかくにも支倉さんと付き合って、妊娠騒ぎ起こして、散々で、別れて忘れようと勉学に励んでいた私は就職が決まったら両親が死んで。
 雅彦と付き合って。
 雅彦は、一言で言うと格好付けしぃだった。んで、物凄く甘やかす。アイツは私を何だか壊れ物のように考えていた節が在った。何て言うか、甘やかすだけ甘やかせて、すべての醜悪なものから遠ざけようとでもするみたいに閉じ込めた。私は窮屈で。なのに。
 アイツが一番私を傷付けていた。

 支倉さんとの一件で私は妊娠に対して恐怖が在った。いや、恐怖より嫌悪だ。支倉さんは自分の子供が生まれることを怖がっていた。私は。
 彼を追い込んでしまった自らの愚かさとこの体の機能が大嫌いだった。
 けれど雅彦は、支倉さんとは正反対で。
 むしろ子供を欲しがっていた。
「あんたね、どう言うつもり?」
「……」
「私が出るとこ出たらあんた、犯罪者よ?」
 何度か、避妊処置無しで行為に及んだことが在った。私は嫌がったのに。
「ごめん」
 謝る雅彦の顔は俯き加減でよく見えなかった。こんなこと初めてじゃなかったから、苛立って私は追及した。
「何でこう言うことするの? 私まだ嫌だって言ってるじゃない」
 私もわかってた。雅彦が子供を欲しがっていたのを。私だって雅彦のことこのときはちゃんと好きだった。支倉さんとのことは言えてなかったけれど、「苦手意識が在るの、待ってほしい」ってお願いしていた。
 だけれど雅彦はなぜか急いていた。何かを恐れるように。子供も無く死ぬことが怖いと言ってはいたけど、ここまで急ぐ意味がわからなくて。定期診断の結果は二人とも見せ合っていた。雅彦に異常は無かった。私にも。健康体だった、嫌と言う程。だので私は、「最低」吐き捨ててしまったんだ。
 黙っていた、雅彦。でも。
「……仕方ないじゃないか」
「仕方ないって、」
「俺の子を産んでほしいんだ。お前に。誰でもない、俺の子供の母親に、お前がなってほしいんだ」
 あのときの、雅彦の顔を。
「……」
 真剣な声に気圧された私は見ていない。

 今なら、冷静な頭で省みられる。私は、本当に受け入れる努力が出来ていた? 嘘だ。雅彦に甘えていたんだろう? 私は。甘やかされていたから、調子に乗っていたんじゃないのか。
「……」
 このとき、雅彦に何か言えていたら。
 雅彦の顔を見ていたら。
 私は、今、どうしていたんだろうか。

「……って、言う話です」
 面白くないねぇ。実に、面白くない。私は酩酊している人の如くからから笑った。あっけらかんと。勿論装って。侑生は私の話に静かに、耳を傾けていた。話の合間も相槌さえ打たず聞き入ってくれた。やがて、「僕は、」口を開いた。
「圭さんのことも、その人たちのこともわからないから。僕自身、そう言うこと、よくわかっていないから、上手く言えないけど」
 侑生が考えを纏めているのかゆっくり喋る。顎を軽く握った人差し指の背で撫でている。考えるときの、侑生の癖だろうか。私は悪酔いしたみたいに、泣き腫らしたあとのようにぼんやりとする感覚でそれを見ていた。侑生は言語中枢を探って、一生懸命、私に宛てる答弁を作っているみたいだった。良いのに。
 適当に流してくれて、良いのに。「わからない」って、判断出来ているんだから。思うが、これは反発じゃなかった。奇妙なことで、この子に関して私はどうも反感が抱けない。湧かない感情はどうしようも無い。私は待った。お行儀の良い犬のように。平時と逆でおかしい。けれども私は黙したまま、待った。
「────ただ、」
「ただ?」
「羨ましいなぁって」
「へ?」
“羨ましい”? 私は侑生の言った一文を反芻した。“羨ましい”? どこが? 私がきょとんと見詰めると侑生は微かに苦笑した。きれいな面差しは影が差し、少々かなしそうだった。
「羨ましい、ですよ。ひとりだってことを、こんな風に考えてもらえて。家族がいないことを気にしてもらえて。圭さんは、無理強いしたって言うけど。そうかなぁ。だって付き合うのって一人じゃ出来ないでしょ? それって、相手も受容しなきゃ成立しないんだもの。その人たちだって、圭さんを享受したんでしょ? 圭さんは自分のことをきちんと主張しただけだし。その人たちも、圭さんに自己主張しただけだから……お互い、たいせつにし過ぎただけじゃないかなぁって」
 だから、羨ましいなって。侑生は笑う。物悲しい笑みで。
「僕には、無かったから。飲み込んで、ばっかりで」
 主張して、主張を受けて、双方慮るって。どんな思いで、今この子はいるんだろう。自覚しているのだろうか。己の顔面に浮かぶ情を。頬に手を伸ばす。私は侑生に触れた。
「侑生?」
 私が不意打ちに手を伸ばしたせいか侑生が目を瞠る。だって。
 だって、消えてしまいそうだったんだもの。春に解ける雪みたいに。私は一気に正気付いた。ああ、何やってるんだろう。いい大人が、こんな子に。私は「ごめんね」自然と零した。
「ごめんなさい」
 この子の生い立ちは知らない。だけども、傷付けた、ことはわかった。[何か]を思い出させてしまった。
「ごめんなさい」
 私は更に伸ばして首に腕を回し侑生を抱き締めた。侑生はされるがままだった。

 私に傷が在るように、侑生にも在るのだろう。
 もしかしたら、細かい傷の罅の多い私より、深くて痛い、大きなモノが。


 
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