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F l a t_フラット 作者:aza/あざ(筒示明日香)

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*The second scene.

 


「距離を置こう」

 置いて行かれたのは────

「ごめん、……」

 二度目だった。



   【*The second scene.】



 暴漢の名前は、『侑生』、と言った。本名かは不明。偽名とも限らない。でも、それ重要? 必要なのは()と識別するための呼称だ。だから、私は追及しようとも思わなかった。いよいよの非常時に陥ったら訊けば良い。今更だった。

「……で、きみは何が出来るの。侑生くん」
「あ、“くん”とか良いです」
「あ、そ。じゃあ、侑生。何出来るの?」
「え、と……」
 面接みたいだなって、思い付いて莫迦莫迦しいと打ち消して、強ち間違いでもないかと考え直した。面接みたいなモンだろう。言うなれば、大家と住人、いや、正確に定義するなら私と彼は、家主と居候だ。ヒモ……って言い方は違うか。だって。
 多分、私と彼の間に性的な接触は生まれなさそうだから。

 私と彼、侑生の奇妙な共同生活はこうしてスタートを切った。

 一言で表すと、変な上下関係だった。侑生はその立場からか不平不満を決して洩らさなかった。おとなしく、何も言わず、ただ家にいるだけだ。手間が掛からなかった。掃除も洗濯も食事の用意も特に負担じゃなかった。独り暮らししていれば大抵のことは出来てしまうようになるし、もともとどこぞの莫迦と長く暮らしていたせいで二人分の何かをすることも慣れていた。まぁ、その時代はやってもらうことも在ったけどね。そのため、失念していたくらいだ。
「圭さん、」
「なーにー? 今ちょっと……よし。あとは煮込むだけーっと。で、何?」
「あの、何か……しましょうか」
 数日経つ内に家主の私は家事とかさせること、手伝わせることなんかすっかり頭から抜け落ちていた。……私、初日に何のためにあんな面接紛いのことしたんだか。勝手のわからない家で何出来るの私の指示も無く。
 しかしいよいよ私は困り果てる。何をさせようか、思い付かなかったんだ。苦じゃ無さ過ぎて。そもそも、この子何出来るのよ。どう見ても深窓のお坊ちゃんが。絶対お手伝いさんとかいただろう。執事やメイドもいたかも。……嫌だいそう。
 私は自分の発想に自ら噴き出してしまった。この私の状態に「圭さん?」怪訝そうに眉を寄せる侑生。私はまた笑ってしまった。耳と尻尾の垂れた犬みたい、そう想像したらおかしくて。「ごめん、ごめん」詫びるけれど一向に笑いが止む気配は無い。あー、おかしい。
「で、何だっけ」
 侑生が困窮の表情を深めた。私はいっそう笑ってしまった。

 結局、「好きにしていて良いよ」って言うに留まった。だって何にもさせたい気は無いんだもの。それでも居候としては気が済まないのか何かやりたいと言って聞かず。しようがないなぁと家事をちょこっとさせてみることにした。
 案の定やり方なんか知らなかった。お坊ちゃんはーと考えながら私は一から教えてあげた。不思議と、自覚も在る短気な私は苛付くことは無かった。侑生が一生懸命だったからなのか、こんなこと一から教えるなんて初めてで新鮮だったのか。
 侑生は掃除、洗濯は出来た。だけど料理は駄目ね。何かミュータントが生まれそうなんだもの。アレは無理だわ。うん、無理だわ。
 何だかんだ侑生が余りにもモノを知らな過ぎて、大きいだけの子供と暮らしているようだから。
 暮らして数日、私の予想を超えてくれて楽しかった。

 そんなある日。こんな出来事(こと)が在った。

「……コレ、バイオリン?」
 侑生が持っていた大きなスポーツバッグ。一際スペースと重量を占めていた黒いケースは侑生が中身を漁ってるときに引っ繰り返して見付けた代物だった。
「あっ……」
 革製でなだらかな、一昔前のコーラ瓶に似たシェイプ型。持ち運べるように取っ手が側面に付いている。その下の金属の留め金が。懐かしい革の感触とまた違う金属特有のひやりとする感触。大きさから言って、ビオラでは無いわよね。私の記憶が正しければバイオリンだと思うんだけど。てか、このケース結構良いヤツよ。革製で軽量、頑丈だけども衝撃を逃がす。高いの。ガチで。
 手に取った私を情けない顔で見上げている。私が取り上げてしげしげと眺めるので対処出来兼ねている、と言った風だ。
「弾けるの?」
「え、」
「弾けるの、って訊いたの。私バイオリン好きなんだよねぇ」
 私は手の中のケースを手触りの良さに何度も撫でた。懐かしい。
「……。そうなんですか?」
「うん。ねぇ、コレ、バイオリンでしょ? 弾けるの? 弾けるでしょ? 持って歩いてるんだもの」
 盗んだ物でない限り。ここは、寸でで飲み込んだ。無心に幼子の如く問う私に侑生は戸惑いながらも「弾けます……けど」肯定した。私は心成しか笑みが洩れる。
「じゃあ、聴かせて? 嫌じゃ、無かったら」
 口だけの拒否権なのは瞭然だっただろう。すかさず私は侑生にケースを差し出したのだから。侑生は逡巡を一瞬だけ見せて。
「……───良いですよ。ここに置いてもらってる、お礼も兼ねて……なんて、ならないかもしれないけれど」
 承諾してくれた。私はソファに腰掛ける。侑生は床にケースを置き金属の弾ける音をさせて蓋を開いた。ゆっくり、楽器本体を取り出した。所作は丁寧で、大事そうで。
「……」
 父も、そうやって、バイオリンを扱っていたっけ。とか。
「……なんてね……」
 少しの感傷。侑生はバイオリンを手にすると構えた。バイオリンを手首の辺りに乗せ肩、首と押し当て固定している。「リクエスト、在りますか?」スタンバイしている侑生が尋ねる。私は「無い。から、侑生の好きな曲聴かせて」首を振った。音も無く、弓が弦の上に置かれ、次ぐ瞬間弾かれた。
「───」
 音が、滑るように流れた。
 演奏前。侑生がした刹那の硬直は、何を示すのだろう。演奏前の、緊張、だったのか。……もしくは?
 私は思考を消した。根拠の無い邪推に感じたから。だのでひたすら、美しい侑生が生み出す音に集中することにした。目を閉じてその中を意識が漂う感覚を楽しんだ。

 この日以来夕食のあと、私がバイオリンをねだっては弾いてもらうのが侑生の日課となった。私がねだると、侑生は二つ返事で受諾してくれるものの、どこか気が進まない様相だったが。



 この時期、春に向けて新入職員の試験的な研修が行われる。私には常々鬱な期間なのだけど、今度の新人は、まぁまぁ可愛がっていた。正直新人研修は面倒、と人付き合い嫌いの私の素っ気無い態度にも素直だし、噛み砕かない説明を前に飲み込み早いし、こう、と教えればきちんと復習して覚えて来るし。打てば響くと言う感じ。他の新人のように同じ内容を再度訊き返すことも格段に少ない。理想的な新人だった。
 もっとも、私はそうでなくちゃ困る職業だと思うんだよね。この『プログラムコンディショナー』は。試験の難易度から“狭き門の最高峰”と呼ばれているくらいだ。大昔の弁護士試験みたいなものかしら……ああ、いや、このたとえ、最近じゃわかる子いないかも。
 現代じゃ『弁護士』って無い職業だもの。陪審員はいるけど、現今、証拠品と科学捜査が物を言う。討論会みたいな形式で裁判するのだが刑事裁判では被告側に、民事裁判では訴訟を起こした側と起こされた側両者に、それぞれ裁判所勤務の『弁護官』と言うのが付くだけ。彼らも、弁明の発言権だけしか無い。有利にするため証拠を提示したり証人呼んだり、昔の裁判のように出来ないって訳。文字通りの“弁護だけ”。
 人一人の人生が変わってしまうような局面も機械が決めてしまう。陪審員だって、機械が突き付けた結果に沿うしか結論に達せない……工場のベルトコンベアー的な、嫌な世の中だ。
 このように、とかく現代社会はコンピュータが物言う世界だ。機械の弾き出す数字が、シミュレートが、元は電子英数字の文字列が、人を左右する。コレに慣れた世代が作る無機質な社会。機械が人を管理して、未婚者は子供を作らなきゃ限界まで生かされて、子供も無く死んだら同一遺伝子の別人が存在を取って代わったりして。
 この時流で『プログラムコンディショナー』やそれに従事する仕事が、並の議員より扱いが上なのは仕方ない。科学が支えている人間社会なのだ。通常の電子プログラムとは違う生体信号のプログラムを使用しているため、プログラマーなら誰でも簡単になれる職種でもない。父の影響で私は普通の電子プログラムも扱えるけど。得意な部類で。
 ともかく、最難関をパスしてここまで来た(つわもの)なら一回で覚えろよ、と。出来る限りは。努力の跡も見られない弛んだ輩は特に。ここは学校じゃねぇよっての。
 こう言う中で筋も良く、教え甲斐も在ってほぼ一回で卒無くこなせる新人が、可愛くないはずも無い訳で。
 実際に外見も仕草も可愛い。ふわふわ、きらきら、女の子と言うか、『可愛い美人ちゃん』ってカテゴリーはこの子のために在るような……あのいけ好かない甲高い笑い声の女子職員が「あー、そう言う子だよねぇ」って、言いそうな。
「圭さん! 確認お願いしまーすっ」
 私が室内に入った途端上がる声。紅潮した頬、満面の笑顔。大きく振られる手につられてゆる巻きの髪が揺れた。
「……はいはい」
 可愛い新人のその子の名前は、『正乃(しょうの)』と言った。

「ふぅん。これならあと一時間は一人で大丈夫そうね」
 早々自前の端末を機械に繋いで端末の液晶に表示されたカルテと機械の電子盤を見比べた。私の端末で検索を掛けても見付からなくて、目視でも見付からないならバグは無い。つまり、正常に常態を保っていると言うこと。私が来る前に、言い付けて置いたとは言え一人で不備に気付いて修正を行っていたってこと。研修期間の初段階に新人一人でって、あんまり無い。私の独断で本来ならまだあと一週間は付きっ切りでなければならないのを、一人でさせてみようと限定的に試みたのだ。これは、正乃が抜きん出て仕事覚えと要領が良いってことだ。こう言うバランスの良い、絶妙なセンスばかりは素質だよな……。
「ええっ、そんなこと無いですよー!」
 両手と首をぱたぱたぶんぶん振って否定する。その様が面白くてつい笑いを零してしまう。
「私が見る分にはミスも無いし。今日はこのままあと一時間がんばって」
 端末の接続を解き私は正乃に場を任せて事務室に戻ることにした。デスクで残りの報告書の作成と、メモの整理をするためだ。生体信号を使うプログラムだ。日々調子が変わることも多い。奇妙な話だが、ストレスが掛かるのだ。機械でも負担と言う意味で在ると思うが、この場合は本意でのストレスだった。
 私たちが相手している機械は、強大な電脳でありながら大体は有機物質で出来た人工脳だった。当代のライフラインはみんなそこに繋がれている。本体の所在は極秘らしいけど、ま、知りたいとは思わないわね。不都合も無いし。
 ただ、クローン相手ではないけれど、毎度入院患者を診ている医師や実験中の研究者の気分だ。相違無い気もするけど。大元的に。
「……やってみますけどぉ……早く戻って来てくださいねぇ……?」
 困惑して渋っていたけれど否は唱えず頷く。私は肩をぽんと叩いて了承の意と「何か在ったら呼んで」とだけ伝えて部屋を出た。
 うーん。率先して引き受けるくらいの度量が在ると、もっと高評価なんだけどなぁ。新人には酷か。研修中だろ、て突っ込みは無し。

 こうして事務室へ向かい後悔したのは言うまでも……いや、言わなければわかるまい。ああ、戻るんじゃなかった。

「圭」
 戻った先にいたのは、今日私と同じシフトに入っている同僚で後輩の刑部(おさかべ)だけではなかった。
「……雅彦」
 刑部と世間話に興じていたのか、壁に寄り掛かり書類と思しき紙を弄んでいる雅彦がそこにいた。刑部の、事務室に入って来た私を見た表情がぎょっとしたところを見るに、今し方の二人がしていただろう会話の中身を察した。つかこっち見んな。
 物悲しい、と全面的に訴えて来るのがウザい。侑生や正乃がやったら頭撫でてやりたいけどもお前がやっても顔面が歪んで引き攣れるだけだわ。私はこめかみをぐいぐい押して宥めつつ問うた。
「チーフに用? 今日の出勤は……刑部、あと何時間だっけ」
 急に振られた刑部は「え、あ、ええと……一時間ですかね」と若干吃りながら返して来た。疑問系でない辺り上出来と言ってやろう。
「だって。出直したら?」
 言いたいだけ言って備え付けの珈琲マシンへ足を向ける。何か雅彦から返って来たようだけど私は聞く気も無かったので無反応で珈琲マシンの前に行こうとして、……やめた。先日の苦い経験を彷彿して奥歯が微かに鳴った。然り気無く方向を変えて刑部のデスクに寄って行く。
「圭さん、新人どうですか?」
 刑部はさっきの動揺は消え何事も無かったように他愛ないことを尋ねる。雅彦とのこと話してなかったから、近隣事情に疎い私の数少ないこの年下の友人は今知ったばかりだろうに。たった数分程前に。気にならないはずも無いのに一ミリも触れはしないらしい。まぁ? こうでなくちゃ私となんか付き合えないだろうけどね。私も、私のあとから入って来たくせに着々と私を追い越し地位を築きつつ在る後輩同僚に、何も感じてない風体で答えた。
「さてね。んー、良いんじゃない? 今のとこ、悪くないよ」
 私は現状目を離している正乃に期待していることなど露とも見せず、嘯いた。刑部はそんなところも気付いているんだろうに合わせて「そうですか」と言う。
「一人で任せているんですね」
「一時間放置して大丈夫だったしまた一時間程度なら問題は無いと思うよ。危なげでもないのにべったりしてても成長しないでしょ。……珈琲良いなぁ」
 向かいの己のデスクへ着くことはせず刑部の隣の席から椅子を引いて勝手に座る。刑部のカップに入ってる珈琲を羨ましげに見詰めた。羨ましがる前に自分の珈琲くらい用意しろよって話だが。座っちゃったから面倒で動きたくないんだもん。お湯無かったらこの前の二の舞だしさー。同じ轍なんぞ踏みたくないわ。
「入れて来たら良いじゃないですか、珈琲マシンすぐそこなんだから。お湯、空だったから僕わざわざ入れて来たんですよぉ?」
 やたら「満タンですよ、満タン。僕入れて来たんですからぁ」とお湯のことを強調する。得意げの刑部に、お前私の苦い経験をどっかで見てやがったんじゃないだろうな、と。いや、単純に「僕偉いでしょ」と言いたいだけだ。子供か。私よりは確かに下だけどさ。雅彦は口を挟まない。黙って成り行きを見ているようだ。私は意識してそちらへ目をやらないので視認してないけども。
 いつも通り、振る舞うだけだ。
「えー……。良いよ、面倒臭いし、それちょーだい」
 言うなり、刑部のカップを取り上げた。刑部も止めない。また圭さんは頓着しないんだからー、くらいのモンだろう。二人して、回し飲みなんて友達同士でするじゃん、て感じなのだ。刑部とはそう、時たま飲みに行くくらいは友達だしね。私は平然とカップに口を付けた。
 雅彦の、目の前で。
「……っ、……────圭!」
 声が飛んだ。叱責染みた声。
 雅彦の。私と刑部はぴたりと動きを止めた。刑部はびっくりしながらも“しまった”と顔が語っている。私は。
「何、雅彦」
 雅彦を振り返った私は平常と変わらない。変えない。むしろ挑むみたいに目を細めた。わかっていたもの。こうなるって。確信犯だった。
 嫌がらせだった。雅彦に対する、明らかな当て付け。条件反射で、やると思った。伊達に付き合いが半端無く長かった訳じゃない。コレくらい良いでしょう。復讐なんて莫迦なことしないけど、さ。
「……何?」
 畳み掛ける。雅彦は予想以上に大声が出てしまったせいか、まさかこんな自分が行動すると思っていなかったのか、気が動転しているらしかった。コレくらい良いでしょう? ひっそり、私はいい気味だ、と思っていた。冷淡とも言える態度で私は雅彦を見据える。さ、どう出るつもりなのかしら。
気持ち待ち構える私に雅彦が「……。この前、機械にまた手を突っ込んだんだって?」なんて、バツの悪そうな面持ちで言った。私は最初何を言われたか理解出来ず呆けて、次いで唇を噛んだ。腹が立ったんだ。……どうして。
 どうして、棄てた女のことに口出すの。
「───……雅彦に関係ないでしょ」
 吐き捨てた。かろうじて『あんた』でなく『雅彦』と、恋人時代の喧嘩口調にならなかっただけ理性が働いていた。声は冷え切っていたが。至極なことだろう。一方的に別れを切り出して出て行ったのは雅彦だ。今更雅彦に他の男と回し飲みした程度でがたがた意見されたくないし、直すために稼働中で熱を持った機械の中に手を突っ込んだことをとやかく言われたくないのだ。
 たとえ、以前付き合う前に同じことをして、付いてしまった火傷の痕を雅彦が気にしていたとしても。雅彦は極端に私が傷付くことを嫌っていた。殊、火傷は。付き合っているときに揚げ物さえ作らせてもらえなかった。揚げる段になって強引に代わられたくらいだ。自然俯いていた私は目線だけ上へ向けた。雅彦の顔が覗ける。女受けする端正な外貌。その左側には大きな傷が在った。
 火傷の、痕だ。
 長い髪でも隠し切れず眼鏡の下白い眼帯で覆うそれは、熱した機械によって付いた私の腕に在るものよりずっと酷い。何と言っても左目が無いのだから。直接火を押し付けて付けた火傷痕。私は、見たことが在る。
 付き合い始めて幾分のころか。昔の女が雅彦に要求したのだそうだ。“一生残る傷跡を付けろ”って莫迦げたことを。
 いつか何か在るだろうと危惧はしていた。私と付き合う前は女を取っ替え引っ替えして特定の女を作ったことが無かった。雅彦は条件を飲んだ。恐らく私のためだった。雅彦は何も言わなかったけれど、女好きの雅彦は、私のことは異例ってくらいたいせつにしてくれていたから。他の女の影なんか交際期間中はチラ付いたことも無い。雅彦は女の前で、不敵に笑って愛用の、父親の形見のジッポで付けたらしい。その場に言わせた不運な人の証言だ。どうでも良いけど、女は精神病院に送られたと警察に聞いた。
 戻さないのは交換条件だから。そう笑って話していた雅彦に私は嘆息していたっけ。今では懐かしい。……ああ、そう言えば。こうして盗み見る形でも雅彦の顔を見たのは幾日振りだろう。別れたのは数箇月前のことなのに幾年も経ったようだ。感慨に耽る私に、雅彦が顔を背けた。
「ごめん」
 謝る雅彦。何で?
 何で、雅彦が苦しそうにしているの。追想して、せっかく冷静になった私の心を波立たせる。
 棄てられたのは私で、別れ話を突き付けられたのも私で、置いて行かれたのも私だ。
 私なのに。
 私の『古傷』をかっ開いて、押し込めた影を引っ張り出したのはあんたなのに。
 ねぇ、どうして。

 この後、チーフが来て雅彦の用事に取り掛かり、私は持ち場に戻った。刑部が「僕がやって置きますよ」と私の分の報告書を引き受けてくれた御蔭で。メモの整理は家でもクラウド管理で出来る。侑生がいるけど凡人には英数字の羅列でわかりゃしないし。今日刑部は事務処理だったか。さすが、期待の成長株。このままチーフにお前がなっちまえ。次の打診も私は蹴るから。

 それからの私のテンションはだだ下がりで、どころか埋まる勢いで、士気は鼓舞する程に落ちた。ミスは見逃しそうで「圭さんっ」指導する側のくせに逆に正乃から指摘されるしフォローされるしで、ボロボロだった。

 なので、気が付かなかった。正乃の様子が少々ぎこちないことにも。硬い笑顔にも。
 端末で連絡しても出ない私に正乃が呼びに来ていて、あの事務室の光景を一部始終見てしまっていたことも。

 私は、良くも悪くも自身のことで精一杯だったんだ。



 忘れてしまえば良いことで、どこかが傷んで、痛んでいるのを、取り繕えなくなって。
 そこに囚われて、気が急いていた。焦れていた。
 そんな、気がする。
 これは初めてじゃなかった。これが初めてじゃなかった。

 両親が死んだとき。施設の爆発事故で死亡した両親の遺体は見せてもらえなかった。クローンで蘇らせますか? こう投げ掛けられて瞬時に頭が沸騰して一気に冷めたのを覚えている。かっとなって何か、罵倒してしまいたい衝動を、腕を千切らんばかりの力で握ってやり過ごした。確認事項だと、通例だとわかっていたから。
 勤めていた施設で事故死した父と母。母は勤めていなかったけれど、たまたま父に差し入れだか何だかしていたんだと思う。それで巻き添えを食らった。
 私は高校を卒業したばかりの、子供だった。

「……」
 それと。
 あのとき、と。あのとき、も。
 恋人と、別れる二回とも、も。



 仕事を沈み切った心持ちでやり通した私は、交代時間になって救われ帰路に就いた。私には待ち人もいて、帰宅を躊躇っていたことなどすでに忘れ去っていた。部屋のドアを力強く開ける。僅かに開閉音が大きかった気がしないでも無い。ドアが開いた音を聞き付けた侑生が「お帰りなさい」と出迎えてくれた。私は殆どの気力は削げていたが出来るだけ無け無しのガッツを搾り出し笑って「ただいま」と小さくだが返した。私の空気の悪さを察知したのか「どうか……したんですか」侑生が首を傾げて来る。ああ、やっぱ上手く笑えてないか。
「何で?」
「顔色、悪いから。挙動も、疲れているにしてはちょっとおかしいかなぁって」
 ちょっとだけど。付け足して、侑生は私に告げた。仕事の疲れだとか考えてくれないかなーなんて、甘かった。共に暮らしてそこそこ日数を経て判明したのは、この子は意外にずばずば物を言うことだ。普段おどおどしているようで何の憚りも無くさらー、と所見を口にする。これがまた、的外れはおろか核心を突くから油断ならない。
「うん、まぁ……」
 私は言葉を濁した。下手な言い訳が利かないことも同居して発見した一つだ。侑生は静かに、私の次の発言を待っていた。金色を含んだ茶の瞳が、じっと私を捉えていた。
 侑生は雅彦のことを知らない。話すことに必然性が見い出せなかったからだ。別れたのは侑生に出会うずっと前だったし。今だって言う必要性は無い……と、言うのは、思いたい願望だろうか。願望かな。うん。
 言いたくないものは言いたくないんだもの。思索の末私は誤魔化すと選択した。
「……。いやー……仕事でね、ちょっと忙しくて、ミスっちゃいそうになったりとかーさ?」
 嘘じゃない。ミスし掛けた。持ち堪えたけども。
「そう、なんですか?」
 どっちの意味だろうか。「“本当に”そう、なんですか?」か? 純粋に科白のままか。侑生はこんなときばかり鋭くて、私の返答に引っ掛かりを感じている。……ぅぐぅ……。
 侑生の眼は、雪菜を連想させる。華を湛えた顔立ちが似ている気がするからだろうか。あの、隠し事をする疚しい気持ちに、ぐっさり深く刺さりそうなくらい、やさしい眼だ。
「うん……新人さんの面倒とか、在るしね」
 どぎまぎしながら、でも感付かせないように装って。「ああ、」納得するように声を上げた侑生。私は騙されてくれないかなとおくびにも出さず祈った。祈りが通じた訳ではないだろうけれど、侑生は話題を打ち切った。代わりに「無理しないでくださいね」と困ったように微笑んだ。その笑みも、雪菜に似ていた。
「……うん」
 私はそっと笑い返したのだった。

 本日の私は凄く心情を表に出していたみたいだ。マイナスの。だっていつも頼んでもやや渋る侑生が自ら進んでバイオリンを弾くと言い出した。思わずよろこんでお願いすると、侑生は苦笑した。
「圭さん、バイオリンが本当に好きなんですね」
 侑生からすれば何の他意も無い一言だったんだろう。だけれど、私は。
「うん。父がね、昔弾いてたの。っても趣味でね。元から習ってて、大学生のとき引っ越した先で母の実家が音楽教室やってて、で、そこで習い始めた、ってのが二人が知り合った切っ掛けだったんだって」
 口を滑らせた。しかも饒舌で止まりそうに無い。
「父に関しては仕事が忙しい人だったからさ、あんまり記憶に無いんだけど、休日が出来ればよくバイオリン弾いてくれたなぁ」
 無口と他人に評される私が、今まで振られても絶対喋らなかった思い出話を語っている。自他共に認知する標準装備が無気力、低テンションの私が、ぼんやりしながらも明るく朗々と。
 随分とおかしなことだ。
「へぇ……」
 侑生は感心したように相槌を打った。この声にはっとした私は我に返って打ち消すように演奏を促した。私の慌て振りに不思議そうな侑生だったが特に食い付きもせず私の催促に従ってバイオリンを弾き出した。

「……」
 宗教画みたいだった。美しい螺旋を、奏でるのは美麗なバイオリニスト。その背景が偶然家具の無いアンティークホワイトの壁だったから。尚のことだったかもしれない。
 きれいだった。筆舌、尽くし難い程に。瞼を落とした侑生。溢れた音。しばらくして、私も目を閉じてソファに身を任せた。
 歌の付かない音楽は、それだけの価値を見せ付けていた。
 ふと、父のバイオリンはどうだっただろうと考えた。こう言っては何だが、父のバイオリンは侑生に遠く及ばない。侑生のほうが断然技術的に上手い。けれども、一番違ったのは味だった。父のバイオリンは正確でやさしい、音だった。力強さもそこには在って。けど、侑生はどうだろう。
 侑生のバイオリンは正確さは当たり前で、典雅と言うのか楚々とした中に流麗さが存在していた
 でも、何だか……“強さ”は無い気がした。繊細そのもの、と言うのか。一度ほつれてしまったら解けて無くなって跡形も残さず消えてしまう……失礼かもしれないけれど侑生本人のような。
 音楽って本性を出すって言うから、そうなのだろうか。
 にしても、私はどうしたって侑生に両親の話をしてしまったんだろう。無関係にも程が在るのに。両親の葬儀が発端で付き合い始めた、雅彦にだって両親のあんな、馴れ初めなんか話してないのに。まぁ、アイツはもともと両親の知り合いだったし私が話さなくても、両親から聞いているかもしれないけど。母さんとかすぐに惚気るし。バイオリンを見て、ケースとその形に触れて、父が懐かしくなったのだろうか。

 多くの遺産を遺され補償金も出ることが決まっていた私は、食うに困る子供でも在るまいし『プログラムコンディショナー』の資格も取っていたからと、クローンで蘇生するか否かできっぱり否と回答した。クローンの破棄手続きをしながら吐き気も堪えてみせた。葬式だって毅然とした対応を貫いた。大人の手を、借りようとかしたくなかった。私の親の葬儀だもの。葬式のプランナーが付いていたし一人で行えた。
 そうしても、あの当時から私に構いたがっていた雅彦とか、昔馴染みで父の友人で母の再従兄の支倉さんは自主的に手を出してくれていたけれど「……」支倉さん、か。とうに終わった、て言うか立ち直っていたと思っていたのに。それもこれも雅彦のせいだ。絶対。盛大に舌打ちしたい。私は歯を強く食い縛ることで気を紛らわせた。父の音とは違うバイオリンで力を抜き心を休ませる。
 父の勤め先は世間じゃ極秘の研究施設だった。『ドール』と言う、生体機械を造る機関。人間並みの人工知能を創り出そうなんて場所。揉め事も国際規模だった。宗教的反対を信条にした過激派のテロとか、笑えない辺りの、そんなところ。
 事故の原因とか詳細は教えてもらえなかったので私は知らない。父と同施設の同僚だったはずの支倉さんはたまたま休みだったから被害を免れていた。紙一重の奇跡だった。

“尊い命と素晴らしい技術を一遍に失ったことは、誠に遺憾であります。ですが、私は辞任することが責任を負うことではないと考えております。私はこの犠牲を胸に、私の信念を貫き、職務を全うさせることこそ、改めて責務を果たせたと思うからです”
 どの局でもハイヴィジョンで放映された、時の総理の記者会見。力強い邁進宣言の演説通り総理は辞任せず、記者たちの責任追及に平謝りや釈明する厚生省と防衛省の大臣が首を切られた。既婚でも『不老延命措置』が義務付けられている総理は今でも、若々しい姿をままに政治の表舞台に立っている。

 遺族に詳しい内容を伝えないのは、きっと後ろめたいことが在るんだろう。後ろ暗い機密事項が。私に洩れる恐れの在る支倉さんにさえ、教えていないらしいのだ。あの場にいなかったから、と言うことだが真偽はさてはて。
 皆、周囲は私のそう言う境遇に同情した。“憐れな子”と、情けを含んだ涙目で遠ざけるみたいに眺めていた。対岸の火事と言うヤツだ。両親の存在をクローンで生き返らせたら、無かったかもしれない。定かじゃないけれど。こうなると承知していても私は嫌だった。クローンで蘇らせることは。
 死んだのに、『私』と言う娘もいるのに、なぜ再び存続せねばならないのか。
 第一クローンは当人じゃない。同一遺伝情報を持っていて同形の容姿で記憶を持っていたとしても、私の前に現れるそれは、父と母じゃないのだ。
 蘇った父は、稀な休日に私と遊んでくれたりプログラムの課題をくれたりバイオリンを聴かせてくれた父じゃない。蘇った母は、私を産んで時に甘やかし時に叱り付けてくれて友達のような接し方をする母じゃない。私、私だってそうなのに。
 死んでしまったら、クローンは私じゃないから私はいなくなるだけ。生き物は複製可能なデータじゃない。生きることはゲームと違う。リセットボタンなんて在り得ない。
 狂ってる。本心では、ずっと底で考えていた。

 現実に戻ると侑生の演奏も終盤だ。
 父のバイオリンは燃やしてしまった。あの、お空に浮かぶ霊園に埋葬する前に火葬して燃やしてしまった。父と、母と、いっしょに。
「───圭さん?」
 追憶と焦燥と、些か興奮していたらしい。感情に飲まれていた私は不意に侑生から呼ばれ慌てて目を開けた。が、視界はクリアにはならなかった。
「……、?」
 ぼやけていた。どうして。私が訝しんで自己の手を凝視していると、侑生が歩み寄って来た。私の前に膝を折って、姫に跪く王子のように覗き込んで来る。はっきり見えないけど然ながら、ご主人のご機嫌を見分けようとしている大型犬みたいだ。おとなしく黙視していると侑生はそっと私の頬に手を伸ばした。侑生の曲げた関節が、触れて何かを拭った。
 拭われたのは「あ……、」涙だった。
 私の涙。
「大丈夫、ですか?」
 侑生がした質問はこれだけだった。指す辞は無く他には続く言も無かった。変な状況だ。父と母の葬儀にだって泣くことは無かったのに。ここで泣くなんて。侑生の前で。
 雅彦にも見せたことは無かった。支倉さんの前でだって。
「大丈夫、……うん」
 泣いたのは、どれ程振りなのか。首肯して私は頬に触った侑生の手を取った。侑生も何か感じ取ったらしく半分閉じていた己の手を、開いて成すがままでいてくれた。それを良いことに私は、侑生の手のひらを面に押し付けた。仄かな体温に安心した。
 誰かがいるのが、こんなにも安心出来るとは思わなかった。両親が死んでからは諸々多忙だったし、何より、雅彦が何かに付けて付き纏っていた。寂しいなんて、考える暇も無かった。
「……」
 ────じゃあ、現況(いま)は?
 寂しいの? 寂しかったの? 何で?
“ごめん”
 雅彦が謝った。何の謝罪かわからない。
 ────もう、だれもいないからだよ─────支倉さんも、雅彦も────。
 脳裏で、『誰か』の声が囁いたけれども私は侑生が、やさしい瞳の毛並みの良い大型犬みたいな美しい青年が心配げにいてくれることで。

「───」

 無視、した。


 
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