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7◆再会2
   1

将は視聴覚準備室で拾ったいくつかのボタンと携帯電話をもう一度見た。

おそらくあの弁当屋のお姉さんのものだろう。

将はこれをどうするか、考えた。

夕闇も夜になりつつある。職員室にはもう誰もいなさそうだし、よしんば、いたとしても。

自分が『問題児』扱いであることを、称はよくわかっていた。

……となると。

将はとりあえず自分のマンションのほうへ向かって歩き出した。

   ◇

聡は前を固く閉じて廊下を走って……そのままタクシーで家に帰った。

誰にも会いたくなかったが、バッグをとりに職員室に入った。

幸いほとんどの教師は帰っており、誰にも声をかけられずに済んだ。

ドアを閉めて、鍵をチェーンまでかけると、靴も脱がずにドアを背もたれにしてその場に座り込んだ。

ボタンが飛んだ上着は、手を離すと自然にはだけてしまったが、気をまわす余裕もない。

静まり返った部屋。暗がりで閉じた青いカーテンだけが外に残った明るさを透過している。

聡はその場で10分も動かなかった。

―――絶対辞めよう。あの学校は危なすぎる。

辞めるとなると暮らせない。博史のいる中東へ行こうか。結婚を早めてもらって。とりあえず実家の母に電話をして。

と、腰のポケットをさぐる。

―――! ない!

携帯電話がないのだ。あの騒ぎのときに落としたか盗られたに違いない。

―――どうしよう。

聡は再び座り込む。

―――もうやだ。

また涙が出てくる。聡はそのままうずくまった。

盗られたとしたらどう悪用されるかわかったもんじゃない。

すぐさま、電話会社に連絡しなくてはならない。

でも、長いことバイトの掛け持ちで暮らしていた聡は生活費を切り詰めるために連絡手段は携帯電話だけだった。

だから連絡をとるには一刻も早く公衆電話を探さなくてはならない。

聡は立ち上がると、ボタンが飛んだ上着を脱いだ。

真ん中が切れたブラジャーを見て、恐怖が蘇るようだった。

手早く着替えて、携帯の契約書類を捜して。意を決してドアを開けて外へ。

本当はアイツラが待ち伏せしている気がして外に出るのも怖かったのだが……。

近くのコンビニにいけば公衆電話があるに違いない。

すでに空は藍色になり、夜と呼べる状態である。

人通りが多い通りに出るまで、聡は走った。

「おい!」

突然暗い水銀灯の下で通りすがりの男に引き止められる。

「……いやっ!」

聡は思わず、その男の顔も確かめず、持っていたバッグを抱えてうずくまった……。

   2

「おいってば」

男は聡の肩をゆする。

「やめてぇ!」

聡はうずくまったまま叫んだ。

「俺だよ。俺。山田だよ」

聡はおそるおそる顔をあげた。

顔をあげたところに携帯と飛んだボタン4つ。将の手の中にあった。

「落ちてたんで拾ってきたんだよ。……悪用してないぜ」

将は聡とおなじようにしゃがみこみ聡の顔をのぞきこんだ。

水銀灯に照らされた、少し傾けた将の顔が聡の目の前にある。

何も悪びれない顔。さっき聡が殴った頬が少し赤く腫れている。

実は大学2年にしては少し幼い顔だと聡も思っていた。

まさか高校2年だったとは。

「なんで?なんで……」

なんで大学生なんてウソをついていたの?

なんであんな奴らの仲間なの?

なんで問題児なの?

頭にうかぶ「なんで?」のうち、1つだけ聡は口にだせた。

「なんでここがわかったの?」

「弁当屋のおばさんに聞いた」

本当は将は聡の名前も知らなかった。

昨日、井口と瑞樹が新しい教師の噂をしたときもロクに聞いてなかったのだ。

だから本当は弁当屋にいくまえに、井口に電話して名前を聞いたんだけど。

それは言うまい。



弁当屋の主人は将をさんざん疑った。

「お前、その、ス、スト、スト……何だ」

「ストーカーですか?」と将が先に言った。

「そうだ。そのストー…カーするんじゃないだろうな」

「しませんよ」

「いいや。若い男は信用できんっ!」

すると奥さんが

「この人は常連さんだよ。そんなことする人じゃないだろうよ」

と、とりなしてくれて聡の住所を教えてくれたのだ。

「聡に変なことしたらタダじゃおかないぞー!」

という声に見送られて、将は聡の家へ走ったのだ。

    ◇

「変なことしたらタダじゃおかないぞー、って言われた」

将は聡の手の中に携帯電話とボタンを押し付けるように渡した。

メタリックの携帯は水銀灯の光を受けて鈍く光った。

「また会えて俺、めっちゃ嬉しい」

聡はまだ信じられない、といった顔で手渡された携帯とボタン、そして将の顔を見比べている。

「あきら、っていうんだ。男みたいな名前だね」

将は水銀灯で彫りが深く見える、聡の呆けた顔を見つめた。

長いまつげが頬の上に濃い影をつくっている。

「……担任なんだ」

これから毎日会えるんだ……。

聡は呆けた顔のまますくっと立った。

「あきら」

将の声など聞こえないように、聡はそのまま将に背を向けて歩き出した。

「やめるなよ!あきらセンセ!」

その背中に将は言った。早足になった。

「俺が守るから!絶対やめるなよ!」

将が追っているわけでもないのに聡はついに走り出した。

将は水銀灯の下で立ち尽くした。

   3

将は聡とはじめて会った日を思い出していた。

あの日、少し風邪気味だった将はコンビ飯に心底飽きていた。

オニギリは薬臭く、ラップで包んであるプラスチックはレンジで温めると石油の臭いがした。

目先を変えたいと足を向けた小さな弁当屋。

しかし、女店員は早くも店じまいの支度をしていた。

「あの……もう終わりですか」咳をこらえながら将は聞いた。

「はい?……ちょっと待って下さいね。店長、店長……」店員は笑顔で奥に消えた。

奥から、
―――油はもう火を落としてしまいました?

―――でもまだ熱いですよね。お客さんなんですけど。

と聞こえた。この女店員こそ聡だった。

そして、その会計のとき。

ガソリン代を払いすぎたのか、お金が40円足りなかった。

―――しまった。

将は動揺した。ポケット中をまさぐったがお金はない。

「あの。お金が足りませんでした……」

そういって将はうつむいた。

すると聡はにっこり笑って自分の財布を出したのだ。

「ハイ。40円」

「え」

「いいんですよ」

将が翌日、40円を律儀に返しにいったのは、

もう一度あの笑顔に会いたかったからであることは自分でも知っている。

     4

将はさる高級住宅街の大邸宅の前に立っていた。すっかり夜になっている。

「これは将ぼっちゃまお帰りなさいませ……。あら、ほっぺたはどうなさったんですか」

「なんでもない」

と将が答える前に太ったお手伝いは奥にむかって声を張り上げていた。

「奥様、将様がお帰りになりましたよ」

その声を聞いて奥から走り出てきたのは7歳ぐらいの子供だ。

かわいらしい顔の、でも頬に痛々しい傷跡がある。

「お兄ちゃん」

「おう、孝太。……元気だったか」

「うん、お兄ちゃん、ほっぺが痛そう」

と赤く腫れた将の頬を指差した。

将には異母弟にあたる孝太は優しい性格で、

言葉を覚えた頃から人のことを気遣う子だった。

「なんでもないんだよ」

くるくると孝太の頭をなでてやってると奥から和服姿の女性が駆け出てきた。

「将、お帰り……」

「おひさしぶりです。お義母さん。」

「その頬は……またケンカなの?」

「担任に引っ叩かれました」
バカ正直に答えた後でしまった、と思った。

無視しようと思ったのに。聡に関連することだから、嬉しさでつい口に出てしまった。

「でも大したことはないです」

とすぐさま付け加えたのだが、

「そんなに腫れあがるまで叩くなんて、酷い学校だわ」

と義母は眉根を寄せた。

「……お夕食は?」という問いに

「制服を取りに来ただけだから」と

将は義母の前を通り過ぎ、自分の部屋へ入る。

といっても、将は、この家に引っ越してきてから―――あの事件で前の家が焼けてから―――

この部屋で眠ったことは数えるほどしかない。

高校にあがってからは、世間体を気にする父が学校の近くにマンションを買ったので帰るのは何かをとりに帰るぐらいだ。

引き出しから制服を取り出す。まだ新品同様だ。

将は実は学校へ制服を着ていったことすらないのだ。

「将……、うちには戻ってこないの?」

部屋の入り口で問い掛ける母に将は何も答えず、制服を抱えると、横を無言ですり抜けた。

玄関で靴をはく将に義母は遠慮がちに続ける。

「将、お父さんが、あなたさえ行きたければアメリカでもフランスでもどこでも留学してもいいって……」

将は立ち上がると

「やっかい払いですか」

と薄く笑った。

「違うわ、違うのよ将、あなたにあんな学校は不似合いだと……」

義母の声を背に受け、将は路上に停めたローバーミニに乗り込み、

エンジンをかけアクセルをいきおいよく踏んだ。
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