6◆再会1
1
聡の黒いズボンは腰骨まで降りてひっかかった。
グイグイと力任せに引っ張られるが、尻と腰骨にひっかかり、それ以上は降りない。
ラテンが面倒くさそうに聡のズボンをとめるボタンとジッパーに手をかけたそのとき。
バタンと、ドアがあいた。
反射的に一同がドアのほうに振り向いた。
「ショウ」まず瑞樹の驚いた声。
次に口々に不良が
「ショウ」「将さん」と歓迎の声をあげた。
それはもちあげられた聡の足先の方向へ向かっていた。
腰をラテンに持ち上げられている聡にはその顔は見えない。
―――ショウ、『将』?あ!
聡は、初日に見たクラスのポイントやデータの一覧を思い出した。
その中に、ポイントが一人極端に低い生徒がいた。教頭はそれを指差して
「ああ、鷹枝将。一番の問題児です」
吐き捨てるように言った。月に一度程度しか登校しないのがどうやら低ポイントの原因らしい。
試験も受けていないので1年生の終わりで退学になるだろうに3月に高いポイントを獲得している。
コメントに「ボランティア」とあった。
「ここだけの話ですが金銭的な貢献、つまり寄付です。彼の父親は××党の有力者でね」
「そのうち、イロイロ噂を聞くでしょうが。とりあえず今はおとなしくしてるので、
ヘタにあまり関わろうとしないほうが賢明です」
データに貼付された写真には、憮然とした表情ながらなかなかの美少年が写っていた。
IQ値が記載してある。その数値に思わず聡は
「ウソ!」と叫んだものだ。
ちなみに、テレビのIQ番組に出ればトップレベルの数値だった……。
鷹枝将。学校一の問題児が現れたとしたら。
助けではなく新手の仲間であることは間違いない。
聡は絶望したがそっちに気をとられている男子の隙をつこうともがいた。
将はドアの近くに転がっていた聡のローヒールを拾いながら
「何してんの」
近くにいた瑞樹と、井口に訊いた。
「ちょっと撮影会よ」
「教師?例の?」将は靴を瑞樹らに見せながら、奥をみやった。
そこには、若い女性が上半身裸で、押さえつけられていた。
下半身も今まさにあらわになろうとしているところであった。
「生意気なんで、ちょっとお仕置きしようとしていたんだよ」
井口が将に言い訳のように言う。
「ふーん」
女の頭の後ろにある窓からの逆光で詳しい様子はわからない。
沈む直前の夕陽は世界を赤みを強めた金の光と黒のコントラストにしてしまっている。
女の体は黒い陰の部分に属してしまっている。
聡の腰を抱え上げたまま動きをとめて、将のほうをうかがっているラテンのほうへ、将は歩いていった。
紫色の影に横たわる、女のほうを見る。あられもない姿とはこのことだった。
「な、なんだったら最初にヤってもいいぜ」
ラテンはなぜか将に気を遣っているようだった。
将が近づいたことで、聡を押さえている男子生徒の力はゆるんだ。
聡は、腕をふりほどいて、力が抜けているラテンに抱えられていた腰をひいた。
上半身を起こすと、腕にかろうじて残っていたジャケットの前を固くあわせ、将という少年の視線から自らを守った。
夕陽で茜色に染まりながら近づいて来る男をにらみつけようとして、
―――あ!
と気がついた。それは弁当屋に通ってきていた東大生『山田』だったからだ。
「……山田さん?」
呼ばれても、将は目の前の女が、弁当屋のお姉さんだとはしばらくわからなかった。
「……え?あ!」
やっと気がつくと同時に将は驚いた。
不良少年らはびっくりして二人をみていたが、
井口が将の後ろから声をかけて手をかけた。
「将、どうしたんだよぉ」
「……やめとけ」
「何?」
「やめろといった」と将は平坦な口調でいった。
「何だよ、こいつ俺たちのポイント操作しやがったんだぜ」
「そうだよ」ラテンも立ち上がる。
「とにかくやめろ」
井口は不服そうにだまりこんだ。
しかしラテンは
「ちょっとぐらいいいじゃん。ここまできてんだからさあ」と
将に背を向け、再び覆い被さろうと聡を組み敷いた。聡は悲鳴をあげた。
「やめろと」
将はラテンの襟をぐいっと引き、聡の身体からラテンを引きはがすと
「言ってるのが」
胸元に持ち替え、
「わからないっ?」
拳をその顎に下から食らわせた。ゴキっという嫌な音がした。
ラテンの下の前歯が一本空中へ飛んだ。
仲間がやられたのに、「すげえアッパー」とつぶやく声さえあった。
ラテンは口から血を流してその場に倒れこんだ。
「無駄な暴力使わせるなよ」将は言い捨てた。
「将、まあそのくらいでさあ」と井口がとりなした。
その場の不良は皆降参し、退散した。
瑞樹だけが、
「将、あとで行くから」と部屋を出る前に声をかけた。
2
聡はやっと解放された安心感で、いまさらガタガタと震え出した。
目じりに涙が一筋流れていたのに今気がつくと、後から後から涙が流れてきた。
涙を『山田』だった鷹枝将に見せたくない、と背を向ける。
将は肩をふるわせて泣いているらしい聡の後姿にそっと近寄った。
「大丈夫?」
聡の肩の横より先に進めなかった。
聡の横顔のむこうで、今まさに夕陽が今日の終焉をつげていた。
目をしきりに手の甲でぬぐいつつも、頬のあたりが涙で濡れている。
それがピンクがかったオレンジにキラキラと光り、将は一瞬みとれた。
―――こんな風に再会するなんて。
永遠のように思われた夕陽は、あっけなく隠れ、あたりはいつしか藤色がかった黄昏。
聡の乱れた髪、首の横のあたりに、くちゃくちゃになったガムがひっついていることに将は気がついた。
取ってやろうと将は聡の首筋に手を伸ばした。
次の瞬間、視聴覚準備室に
パチーン!
と音が響いた。聡が将の頬を思い切りはたいたのだ。
「……! 痛ってえ」
将の口の端から、血が一筋流れた。
頬に走る熱い痛みは、将に小さい頃の記憶を思い出させた。
本当に将を産んだ母親の。
『将!遅くまでどこに行ってたの!心配したのよ……』
しかし今、将に強烈な平手を食らわせたのは将が助けた女だ。
「俺、叩かれるようなことしたっけ」
血を手の甲でグイとぬぐいながら将は、聡に向きなおった。
あの弁当屋のお姉さん。前髪も何もかもひっつめた色気のない髪と違い、
柔らかそうな髪にふちどられた顔はさらに美しかった。
しかしあの優しげな瞳はなく、涙に濡れた瞳のまま将をにらみつけている。
「触らないでっ。アンタもあいつらの仲間なんでしょ」
ナーバスになっているのか、言葉を投げつけながらも声は震える涙声だ。
そのまま将が左手に持っていた靴を奪いとり、履くのももどかしく、走り去った。
カッカッカッカッカッ……
走る足音が遠ざかる。
黄昏の中に、将は一人取り残された。
「弁当屋。あれで教師かよ」
頬がジンジンと痛んだが、不思議に腹が立たない。
それどころかなんだか笑いがこみ上げてきた。
将はタバコを取り出して、火をつける。
一瞬夕陽がそこによみがえったかのような暖かい光がライターから生まれる。
吐き出される紫煙は立ち昇り、やがて夕闇迫る部屋に溶けていく。
夕陽の赤は、将の忌まわしい記憶である火、そして血の色を連想させてもいいはずなのに、その光に包まれると将は安らぐのだ。
海に行けば、今日で100回目の夕陽だった。
3
弁当屋にキスした翌日からここ3日、あいにくの天気だった。
将はひたすら眠った。外に出る気がしない―――おそらく、弁当屋にいっても彼女がいないから。
彼女を失って、将は何をする気にもならなかった。
天気も悪いので夕陽を眺めにもいけない。
家庭教師のアルバイトだけ、重い体をひきずるように出かける。
便宜上、東大生を名乗っているが、小学4年生の勉強なんて別に東大生の必要はないと思う。
高2(将の学力は中2程度で中断しているが)でもまったく問題ない。
でもわが子をできれば東大に入れたい親は、東大生に執着する。
『東大ウィルスでもあると思いたいのかな』あるいはオーラか。
「最近は山田さんみたいにイケメンの東大生も多いですわね」30代後半らしき、教え子の母親は、将が来る日はいつも着飾っている。
将が東大生であることをまったく疑っていない。まさか『電話一本即入学』の荒江高校の生徒だとは夢にも思わないだろう。
疑っていないといえば、アイツもそうだった。弁当屋。
将はことあるごとに弁当屋のお姉さんを思い出す自分の心をいっそ捨ててしまいたかった。
◇
将の3LDKのマンションは、しばしば、遊び仲間がやってくる。
夜、雨が降ったりして、行き場がないときなどは特に、
プチ家出している面々が将の家に泊まりに来る。
昨日も雨で、家に帰りたくない奴らが将の家に来ていた。
その中に荒江高校のクラスメートである、井口と瑞樹らも入っていた。
「今度の担任、結構カワイイの」最初に新しい女教師のことを告げたのは井口だった。
顔面中のピアスは将から見ても痛そうだが、本人は気に入っているらしい。
「あーいうの好みなんだ」と瑞樹が軽蔑したようにいう。
「オッパイでかそうじゃん、てかもろ巨乳」
「男ってみんなそこだよねー。牛みたいなのがいいんだ」
そういう瑞樹も別に貧乳というわけではない。
ほどよく形の良い瑞樹の裸の乳房を少しだけ将は瑞樹の制服の下に思い浮かべた。
……彼女とはそういう関係である。
しかし特に好きだというわけでもない。
最初に瑞樹が泊まった晩に、瑞樹のほうから将が寝ているベッドにもぐりこんできてそういう風になっただけで、
将のほうとしては、体にたまりゆくものを吐き出すのにちょうどいい存在なだけだ。
以来、彼女は家庭の事情
―――離婚した母親に新しく彼氏が出来て同棲しているのだが、けしからぬことに、その彼氏が瑞樹にも手を出そうとしたらしい―――で
家に帰れない、と将の家にほぼ住み着いている。
家庭に帰れない孤独をそれぞれに抱え、共通の寂しさを舐めあうように将と瑞樹は毎晩のように抱き合って眠る。
弁当屋への思いとそれとは別なのだった。
……そして今日。さすがに3日ぐたぐたしてたら、昼すぎには寝れなくなった。
急に晴れそうにもないし、今日も海には行けないだろう。
―――暇だなあ。
と新しい巨乳女教師の顔でも見に行くか、と、つまり暇つぶしで、制服も着ずに夕方学校に行ってみたのだった。
覗いた職員室にはそれらしい女はいなかった。
おまけに雲間からはいまさら夕陽の光が差し込んでいた。
―――やっぱり海にいけばよかったなあ。
水浸しになった校庭は、その静かな水面に茜色の雲を反射していた。
それを見ながらタバコに火をつけようとして、細く助けを求める叫び声を聞いたのだった。
◇
夕闇はいっそう色濃くなってきた。
将は、正面から目を射る夕陽の朱い光の陰で組み敷かれていた聡(まだ名前もしらないのだけど)を思い浮かべて、
その場所に目をやった。そこに何かが落ちている。
飛び散ったボタン、そして携帯電話だった。
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