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君は僕の太陽、月のように君次第な僕
作:茶山ぴよ



51◆隠棲


日曜日の大磯はよい天気に恵まれた。

大磯、といってもロングビーチから離れた閑静なあたり、

水平線をのぞむ高台に、樹齢100年以上の大木に囲まれて古風かつ重厚な邸宅があった。

今は個人宅では贅沢なものとなった、濡れ縁を備えた純和風・数寄屋造り。

昔ながらの三和土の土間に、釜の炊口が据えつけられた台所から続く裏庭で

−−−東京なら家が一軒たつほど、裏庭と呼ぶのにはもったいないほどの広さだが−−−1人の青年が一心に薪を割っていた。

将である。

台に30〜40センチに切った丸太を縦に置いて、鉈を力いっぱい振り下ろして細く割って薪にする。

慣れないうちはなかなか薪に鉈がヒットしなかったが、今は真ん中に鉈を振り下ろせるようになった。

今日は何本の丸太を薪に替えただろうか。鉈をふりあげる腕がもうダルい。

冬だというのに将の額から汗が流れる。

薪割を始めた今朝は防寒用として首に巻いたタオルで、汗をぬぐう。

「ぼっちゃん、熱心だねえ。少し休んだら」

生垣越しに声を掛けたのは、隣(といっても庭ごしだから少し離れているが)に住む小太りの年配婦人だ。

将はぺこっと頭だけ下げて、すでに束にした薪を示して

「このへん、ハルさんちのだから、あとで持っていきます」と言った。

「悪いねえ。うちの分まで。……これ、おやつに」

ハルさんは、手作りらしき饅頭を乗せたお盆を将に見えるようにかざした。

「ハイ、いただきます」

将は薪割をいったん中断すると、ハルさんと一緒に縁側にまわった。

濡れ縁と奥の間を仕切る障子には、富士を彫った凝った擦りガラスがはめ込まれている。

古い濡れ縁は、巾が広い木が庭に対して垂直につらなった、今では寺などでしか見られない古い様式だ。

その広い板の1枚の上で、温かい冬の陽だまりを受けて、トラ猫が平和そうにとぐろをまいている。

お湯と茶碗を乗せたお盆を持ってきた将に

「御大、留守なんだって?」

とハルさんが聞いてきた。

「はい。昨日から東京に。……いただきます」

将はハルさんの饅頭をパクついた。

ふだんはそれほど甘いものが好きというわけじゃないのに、肉体労働をしているせいか、とても美味しい。

「うめえ」

将は思わず口に出した。将の笑顔を見て

「ここにいたころはちっちゃかったのに、本当にいい男になったねぇ……。もっとおあがりよ」

ハルさんは目を細めた。そういう顔をすると、乾いたツヤをのせた肌の目元にしわがくしゃくしゃに寄る。

もう80歳近いのだろうか。

母を亡くしてここに預けられた将の幼い頃を知っているハルさんは

この家の手伝いもやってくれている、気のいいご近所さんだった。

行方をくらました将がこの家に来るかも、というのは東京でも最初に予想していて、何度か

『将が来ていないか。来たら連絡してくれ』

と電話があったらしい。

しかし、将の希望通り、曽祖父もハルさんも、ここにいることを秘密にしてくれている。




「おや、ご帰還のようだね」

黒塗りのクラシックカーが門の前に止まった。

巌は、運転手がうやうやしく開けたドアから、出てくると、ステッキをつきながら玉砂利の中を歩いてきた。

運転手が大荷物を持って後ろからついてくる。

「ヒージー!東京の『おめかけ』元気だったぁ〜?」

将は手を振った。ハルさんは居住まいを正して頭を下げる。

「コラ!俗なことをいうでない! 薪割りはどうした!」

巌はステッキを振り上げて声を荒げた。

ステッキをつかなくても本当はスタスタとこちらへ歩いてこれるのだ。

「一休みしてるだけだよ。……これハルさんが」と饅頭を指差す。

「よろしかったらどうぞ」

「いただこう」

巌はどっかと縁側に腰を下ろす。

「ヒージー、うまくやってくれた?」

将は巌にお茶を差し出しながら聞いた。湯飲みも骨董屋でしか見かけなさそうな、細密な絵が書かれた古伊万里である。

「まったくおまえら親子は、100を過ぎた老人をこきつかいおって……」

巌は顔をしかめながら茶を受け取ると饅頭をむぐむぐと食べ始めた。

ちなみに巌は、将から見ると曽祖父、つまり『ひいじいさん』にあたる。それを略して『ヒージー』と呼んでいるのだ。

「説得してくれた?」

「あいつはワシにさからえん。ばっちりじゃ」

巌はにっかと入れ歯を見せて笑った。ちなみにあいつとは、巌からは孫にあたる康三のことである。

「ヤッター!さすがヒージー!」

将は手を叩いて喜んだ。

「これで薪割の日々ともサヨナラ……」ニヤニヤしてつぶやいた将を巌は

「甘い!年内やってもらうぞ」とこづく。

将は巌に頼んで、荒江高校を辞めてアメリカへ行かせるという父の企みを阻止してもらったのだ。


   ◇


あの日、お金もあまりなく、行き場のない将は、ギリギリのガソリンでこの大磯に住む巌の邸宅にやってきたのだった。

母を亡くしたときに預けられていたこともあって、巌は将を可愛がっていた。

将から事情を聞くと、極秘で将をここに置いてくれたのだが、タダで置いてくれたわけではない。

『働かざるもの食うべからず!』という激が何度飛んだだろうか。

将は巌に付き合って毎朝5時に起こされ、畑仕事から薪割りに風呂焚き、庭掃除に床磨きなど雑用にこき使われたのだった。

「ちょー、なんでユニットバスもあるのに、こっちを使うんだよ〜」

将は風呂のたき口で煙に咳き込みながら文句を言った。

古風に小石のタイルをはめこんだ浴槽では巌が鼻歌を歌いながら、『働かざるもの食うべからず!』と決まり文句を一喝し笑った。

将がいるようになって、巌はわざと、薪で沸かす旧型の風呂と、薪で炊くかまどのご飯を復活させた。

表の日本庭園の向こうには、小さな洋館がある。年をとって膝をまげるのがおっくうになった巌はそこで寛ぐのを好んだが、ここの暖炉も薪を使う。

将はそれに使う薪を毎日割らなくてはならなくなった。

先日は、軽トラックで近くの人と雑木林に入り、チェーンソーで来年の丸太を切り出してきた。

近所の人たちは、ストーブや燻製、陶芸などで薪を使うのを好む。

今年切った丸太は1年乾かしておいて、来年割って薪にする。薪も非常に時間と手間がかかるのだ。

ガスがあるのになんで、こんな手間のかかることをするのか。

将は最初はよくわからなかったが、最近なんとなくわかるような気がしてきた。

人に危険を知らせるための臭いがつけてあるガスと違って、薪が燃える匂いは、香ばしくて安らぐ。

苦労して割った薪を燃やして入る風呂は、かすかにその香ばしさが漂ってとても気持ちいい。

同じように薪を燃やして炊くかまどのご飯は、漬物と味噌汁だけでも充分に旨い。

巌は年寄りのくせに肉も好んだが、薪でバーベキューをすると、肉に薫香が付き、たまらない。

ようするに、費やした労力は、それに相当する快楽となって将を労ってくれるのだ。

そして、夜。肉体の疲れは、将を安らかな眠りへといざなってくれる。

何も考えずに深く眠る幸せを将は思い出した。

ここに預けられていた子供の頃−−−川や海で毎日泥んこになって遊んだ毎日がそうだったはずだ。

この2週間、ここで暮らすうちに、将は体の中の汚れがすべて出て行って、肉体的にも精神的にも健康になった気がした。

それを素直に口に出すと巌は

「お前のお祖父さん、つまりワシの息子は、それをとうとうわからずじまいだった。だから親を残して先立ってしまったんじゃ」

と遠い目をした。将の祖父、鷹枝俊太郎元首相は、将が高校に入ってすぐに亡くなった。

まだ75歳で、議員在職中だった。

比べると、巌は現在100歳だがぴんぴんしている。

80歳で政界を勇退して以来、この大磯で畑を耕し、庭木の世話をし、ときおり釣りにでかけながら悠悠自適で暮らしているせいだろう。

頭や目のほうも達者で、例の週刊誌の記事も老眼鏡でしっかりと読んで

「このタワケ!」

とそれを丸めたもので将の頭をはたいた。が、そのあとでこっそり

「まあ、ワシも昔、お前くらいの頃は、芸者遊びが過ぎてな。一浪してやっと東大に入ったものだ」

とウインクする。

将はそんな曽祖父が好きだった。父には似たくないが曽祖父と血がつながっていて、本当によかった、と誇りに思っている。




ハルさんが、お湯をわかしに台所へと席を立った間。

「そうだ。約束のものを持っていったときに、偶然、あきらさんに会ったぞ」

「アキラに?」

将の笑っていた目が真剣に見開いた。

「なんでアキラがわかったのさ」

住所とコーポ名、部屋番号しかメモしなかったはずだ。

「前に、お前のシャメーを勝手に見せてもらったことがある」

『写メ』をシャメーと引っ張るのが年寄りっぽい。何度か指摘したが直らないのが100歳っぽいな、と将は思う。

つまり、こっそり将の携帯の写真を見た、ということである。

携帯は充電がないので、ずっと電源がきれたままだから、将がここに来たばかりのときに見たのだろう。

「……環さんに似ているな」

巌は目を細めた。環とは、将を生んだ母の名前だ。

「うそぉ。ぜんぜん似てねえよッ」将は反論した。マザコン扱いされたくない。

「顔が、じゃない。雰囲気が、だ」

雰囲気といわれても、7歳で母を亡くした将には本当によくわからないのだ。

「しかし、先生に手を出すとはつくづくワシそっくりじゃ。ワシも小学校のころに、担任の先生が好きでたまらず、無理やり接吻してな……」

とカラカラと巌は笑った。

その昔話を聞きながら将は縁側から青い水平線に目をやった。

消印から居所がばれるといけない、とわざわざ巌に頼んで、聡の家に届けてもらったコンサートチケット。

聡には知られてもいいが、万が一、聡が学校や父母に連絡するといけないから……。

−−−聡は来てくれるだろうか。

「あきらさんを、本当に好きなんだな」

巌は丸眼鏡の奥から将を見つめた。年寄りだが濁りのない目だ。

将はうなづいた。巌は将の目に強い光を見た。

「ワシの頃と違って、今は……」巌は途中まで言いかけてやめると空を仰いだ。

高い空を鳶が、グライダーのように悠然と舞っていた。

「いくら好きでも、成就せん恋もある……。むしろそんな恋のほうが多いものだ」

こんなに哀しい曽祖父の顔を、将は初めて見た。







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