3◆新米教師1
職員室で聡はため息をついていた。
荒江高校に赴任して3日目の朝は、めちゃくちゃな天気だった。
台風が接近しているのだ。
朝からもう疲労しているのは、台風の中の出勤のせいでもある。
もちろん慣れない勤めというのもある。
だが、それらは疲労の理由としてはほんの一部だろうと思う。
聡が赴任した、荒江高校がひどくガラの悪いところだ、というのは、初日、学校の前に立っただけで分かった。
屈強な、生徒じゃなくても避けたくなるような、ジャージ姿の体育教師とおぼしき、
ターミネーターのような男が2人竹刀片手に仁王立ちで正門を守っていたからだ。
彼は生徒が「おはようございます」と挨拶しながら通るのをあたりまえのように無視し、にこりともしない。
生徒も生徒。男子生徒は腰パンに茶髪、女子生徒はパンツが見えそうなミニスカートと黒々としたアイラインが標準のよう。
その肌は皆ニキビや肌あれに覆われているのがいかにも不健康だった。
聡は回れ右したくなるのを理性でこらえた。今日初めて生徒の前に立つ新米とはいえ教師なのだ。
職員室が、また異様な雰囲気だった。
職員室に聡が入ると教師が一斉にこちらを見た。
その視圧は一瞬あとずさりしそうになるものだった。
聡を見つめる教師群は、自衛官かヤクザのような風貌の屈強者か枯れ果てた年配者か変質者と間違われそうな個性派ばかりだった。
しかもそのほとんど男性で女性は聡が見る限り年配者が2人だけだった。
聡は、勇気をふりしぼって、一番近くにいたジャージ姿の中年の教師に
「あの、今日からお世話になる古城と申しますが、教頭先生はどちらでしょうか」
地味なスーツぐらいでは隠しきれない聡の若さと色香は、そのムサイ集団の中で確かに目立った。
まさにはきだめにナントカのことわざ通り。
「古城さんってアナタ?」
別の教師の机で話していた、教頭が立ち上がった。
「ハイ。よろしくお願いいたします」
「あ、ああ、ああ。じゃ校長先生に挨拶に行きましょう」
教頭はなぜかうろたえていた。
校長も同じだった。
「……君かね?古城聡くんは」
開口一声が裏返ってしまっていた。
小太りでテカテカした頭の校長は驚きでずり落ちた眼鏡を持ち上げて聡をマジマジと見た。
痩せぎすの教頭とは対照的だ。
「はい。山中教授の紹介で参りました。よろしくお願いします」
聡は、なんで皆こんな風に見るんだろ、といぶかしく思いながらも挨拶。
「女の子、ねえ……」ため息をつく校長。
−−女じゃいけないわけ?
ひそかにむっとする聡をよそに
「さっそくですが、1、2年の英語と2年2組を受け持ってもらおうと思いますが」と教頭。
「え、いきなり?」再び校長が飛びあがる。
「そのために紹介して頂いた代用教員でしょう。女性だとは思いませんでしたが」
「ハア……」ため息をついて頭をかかえる校長。
何その態度。どうやらボーイッシュなこの名前で性別を勘違いしたようだけど、
こっちこそため息つきたいわ。という気持ちを聡は
「新人な上に女性でご心配だとは思いますが精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
という言葉に変換した。
就職難にようやく見つかった代用教員のクチを反古にするわけにいかない。すると校長は
「頑張らなくていいよ。それより気をつけてね」
意味深なはげましを聡にくれたのだった。
その後、聡はこの荒江高校の一風変わったシステムについて教頭から説明を受けた。
低偏差値校としては珍しく、中退が少ないこの学校の一番の特徴は
『卒業キャッシュバック』だ。
無事に卒業できたら、生徒に入学金の半金が返されるという。
聡は、きちんと卒業するなんてアタリマエじゃないか、とも思ったが、この中退が多いご時世としては、
画期的アイデアなのかもしれないと、とりあえず感心するそぶりを見せた。
そして、卒業の判定に使われるのが『ポイント評価システム』なのだという。
アメリカの最新システムを取り入れた、と自慢しながら、教頭はそのシステムを説明した。
教頭によると、荒江高校に入学した生徒は一定のポイントをまず与えられる。
遅刻、無断欠席、授業妨害など問題行動を起こした場合、
注意に従わないとそこから規定のポイントが引かれ、ゼロになった時点で退学になるという。
「現在の自分のポイントは、携帯やインターネットでも確認できます。
例えばだいたい試験も受けずに毎日欠席しますと1年の終わりで退学になりますね。
……まあもっとも試験といっても半分以上は中学の復習ですがね。
いじめなどは発覚時点でクラス全員マイナス1000ですからまずやろうという者がありません」
と教頭は自慢げに話した。
さっぴくばかりでなく、学校のためになるようなことをやったり、成績優秀者は加算もされるという。
そんなゲーム感覚もウケているのかもしれない。
聡は自分の担当である2年2組のポイント一覧と各生徒のデータのファイルを見ながら考えた。
そのあと、初のHRがあったのだが、それが最悪だった。
教頭に引率されてリノリウム張りの廊下を踏みしめながら聡は鼓動が一歩ずつ高鳴るのを感じた。
教職実習で教鞭をとったことはある。
しかし、あれは比較的お行儀がよい、故郷にある母校だった。
『あきらセンセイ』と慕ってくる女子生徒は本当に可愛かった。
ここを紹介してくれた大学の卒ゼミの教授は「ちょっと低偏差値の学校」としか言わなかったけど、
まさかこんなガラ悪目の学校で教師デビューとは。
聡は廊下を歩きながらあたりを見回した。
昭和50年代創立、とあったがなるほど鉄筋3階建ての建物は古びている。
1学年に2組ずつしかないこともあり、トラックをつくれるほどの校庭もない小さな学校だ。
−−−体育祭とかあるのかなあ……。
タイル張りらしきトイレの前を通るとサンポールの匂い。
白かったであろう廊下の壁は落書きを消した跡と手垢で黒ずんでいて、緑と灰色がまじったような色になってしまっている。
壁に鉛筆で禁断の女性マークの落書きがあるのを見て、聡はふいに女教師が複数の男子生徒にレイプされるアメリカのポルノ映画を思い出す。
たしか『さよならミス××××』だった。
−−−なんでこんなときにそんな映画を思い出すのさ!
聡は自分の脳を呪い、必死で別のことを考えようとした。
いっそ具合が悪くなった、とウソをついて帰ってしまいたい。そんな考えさえ浮かぶ。
いかにもガラの悪そうな風貌の生徒らだったが、皆教室におさまっていた。
その理由はすぐにわかった。
ターミネーターや自衛官、ヤクザなどの教師が廊下を巡回し始めたからだ。
教室に入る前の廊下上で、教頭は聡の耳にもう一度口を寄せた。歯槽膿漏なのか口臭がきつい。
すんでのところで顔をしかめてしまうところだった。
「……わが校では体罰厳禁ですから。まあ、古城先生は女性だからご心配はないとは思いますが、念のため」
体罰厳禁?じゃこの廊下を巡回してるターミネーターやヤクザまがいの屈強者はなんなの?
どう見たって体罰要員じゃない?聡はわからなくなった。
教室の入り口で教頭は若干胸をそらした。次にガラっと勢いよく木の引き戸を開ける。
古いせいか、ガラガラという音にしんちゅうのレールがきしむキイーという細い音が混じる。
「ホームルームは始まってるんだぞ!」
教頭はどなりながら教壇中央へドカドカとあがる。
大半の生徒らは好き勝手なところでくっちゃべっていたようで、
ドアがあくなり、自分の席に慌てて戻る。学園ドラマのよくある風景が目の前で展開されている。
その勢いに乗れず、聡は入り口に突っ立っていた。
「古城先生」
教頭はつったっている聡にやっと気づき、こちらへ来るよううながした。
瞬間、40人ほどの視線が聡につきささった。
鼓動は最高潮になり、体のあちこちはコチコチ……変な話だけど自分の乳首も硬直してるのがわかる……になり、頭は真っ白になった。
どうやって教壇に立ったのかも覚えていない。
教頭がなにやら、今日からナントカセンセイに変わって、君たちの担任になる古城先生だ。
言うことを聞くんだぞ。とかそういうことをいった気がするが。
気が付くと、聡は一人で教壇に取り残されていた。
あいかわらず聡の、教卓から出た上半身にクラス全員の目がそそがれている。
聡は視線から逃げるように黒板に向き、大きく自分の名前を、漢字とひらがなで書いた。
「こじょうあきらといいます。英語を担当しますので、よろしく」
「先生、ニューハーフ?」
と男子生徒のバカ声が飛んだ。とたん、クラス中がげらげらと笑った。
何て答えていいやら。注意すべきなのか、わからない。
「違います」とだけ答えて、しょうがないので無視して、ホームルームを先に進める。
「じゃあ、出欠とりを兼ねて、一人ずつ自己紹介してくれるかな。……じゃあ出席簿1番、阿部くんから」
聡は出席簿の1番から起立させて自己紹介したのだが、これが失敗だった。
1番の阿部豊はボソっと名前を名乗っただけで座った。以降の生徒は皆それを踏襲して名前しか言わない。
それどころか、3番ぐらいからすでに、一部生徒は席を離れて好きなところへ行きしゃべりはじめたのだった。
女子生徒に入る頃には、すでに自己紹介が聞こえないほど、私語でうるさくなっていた。
耳をそばだてて辛抱強く自己紹介を聞いていた聡だが、とうとうたまりかねて
「静かにしてください」
と声をはりあげて注意した。一瞬静かになるや否や、また
「アキラさあ、処女?」と男子のバカ声。
すかさず「違いますぅ」と聡の声色を真似て別の男子。
どっと笑いが起こり、以降は動物園のような騒ぎになってしまった。
聡はどうしていいかわからなくなり、途方に暮れた。
すると廊下側の窓がガラッと開き、ターミネーターが顔を出した。
ターミネーターは、学校一のコワモテ教師・多美栄太先生だ。
それだけで、教室はシーン、と静まり返った。
なんとか自己紹介は終了できたが、聡は今後を思って暗澹たる思いで教室から職員室へ戻った。
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