「佐藤君は……じゃああれだ、恥ずかしいんでしょーぅ、だから外で飲みたくないんだ、違う?」
男は可愛い女だったらそういうこと、半分どうでも良いから別にして、女からもコンスタントな人気を集める「文音綾佳」は、確かにすごいと思う。でも、実際のところそれは綾佳の日頃の努力からなるものであって、綾佳という人間が、極めてナチュラルな状態で持つ魅力からくるものでは決してなかった。可哀想だが、そういうものなのだ。
そんな綾佳が、さっきから僕の隣に座っていて、肯定否定の意思を首で表す以外には動かないで黙っている僕に、こんこんと話しかけてくれていた。僕はと言うと、場所こそカラオケだったが歌はおまけみたいなもんだ、という雰囲気の中、それでも歌い続ける「水樹みな」の歌声にじっと耳を傾け、僕を何とか場に参加させようと頑張る綾佳の努力ではなく、みなの懸命さに感心して見入っていた。
みなの歌自体は聞き入るほどのものではない。もともと、彼女の体は大きな声や力が出せるようにはつくられていない。細い体に張り付くような水色の薄手のワンピースを着ているが、それ以上にか細いイメージを与える声は、歌の山のてっぺんで踏ん張りきれずにひっくり返った。胸の小さな膨らみも、不足した酸素を脳へと送るために前後にへーこーへーこー動いていて、こちらとしてはかわいそうにすらなってくる。貧血にでもならなければいいのだが、みながあきらめないで歌っているうちは、僕もあきらめないで見つめていようとさせるみなの説得力が僕を強く惹きつける。
もう、僕以外の誰もが歌なんかずっと聞いていない様子で、皆思い思いにそれぞれの会話を楽しんでいてそれに加えてしばらくみな以外は誰も歌ってもいなかった。あー水樹ちゃんまだ歌ってて良いよ〜でさぁあれよ……。そのとき、僕はみなの頭上にぴょすぴょすと汗が飛ぶのを見たような気がした。
だからみなの歌はこれが三曲目だった。なぜか、みなは『平井堅』を歌った。平井堅の歌には腹式呼吸が欠かせないだろうが、見る限りでは、みなができているとは思えない。
『even if』
不味かったけど、半分まで頑張って飲んできたウーロンハイを最後、のどにぐっと流しこんで飲み干す。少しの間ふくれて何も言わなかった綾佳が、おお〜やるじゃん飲めるじゃんとはしゃぐ。
「さ、おかわりは?」「…いらない」また綾佳は拍子抜けしたと思う。
こんなの、自分のさじ加減で作った方が絶対うまいに決まっていて、そうも思ったのだけれど特に頼む物もなくて、かといってジュースというわけにもいかなくて、まぁ、それだけが理由じゃなかったけど、外で大勢で集まって飲んでバカ騒ぎするのが嫌いだったから、僕は無口にならざるを得ないのだった。
僕がそうなったのは実は綾佳のせいで、健気に頑張る綾佳を見ていると、僕は自然にそうなってしまう。飲み会なんて…となる。
話題を振って振られて話して聞いて笑って笑われて飲んで食べて、歌って歌聞いてアドレス交換して最後には酔いつぶれてへろへろになる……傍目から見ていても、綾佳は飲み会になると相当疲れるようだった。それを隠そうとするから、見ている僕としてはそれで良いのかよと言いたくなる。
良い感じで休み休みやればいいのに、綾佳はそれをせず、いつも自分の保身やイメージのために行動するのだった。だから疲れるんだって、彼女はいつも変な酔い方をして帰れなくなり、ほかの連中よりは酔ってない僕なら悪漢から綾佳を守れるだろうという理由で送るはめになる。ただ、僕も夜道を女の子一人で歩かせるほど無粋な男じゃない。が、そこまでイメージというものは大切だろうかとも思う。
さっきから僕にとやかく聞いてくる綾佳はまだほろ酔いだろうけど、匂いは香水が続いてて良くて、化粧も崩れていないままの可愛い顔だった。ここまで良い自分を保つのは難しいだろうな〜と思いながら、綾佳とちょっと会話しようかと思う。
「ごめん、何の話だったっけ?」と僕は綾佳に言う。
みなは目を瞑って、胸を押さえてはあ、はあ、はあと呼吸を整え、そしてまた歌い始める。
『lovelovelove』
僕のその一言を聞いて、綾佳はもう全然聞いてくれてないし〜というため息を、わざと長く引っ張って僕の腕に吹きかけ、酒の匂いがほんのり漂う。違うよ綾佳、と僕は思う。
綾佳が言う。
「ねぇ、今なに考えてる?」いまだって?
「今?」「そう今だよ」
綾佳の視線を感じる。本気かこいつは。
僕はちょっと自分が何考えてたのかについて考えてみるが、考えているようなことは特になくて、ただボウッとしていたのか、むかついていたのかどうかだったけど、それは感情の話で、何か考えていたからそのせいでボウッとしてるとか怒ってるとかではなかった。強いて言えば綾佳のことだった。でも、それを言って何になるのだろうか?目的は何か?バカ何考えてたって聞かれてるんだからそれが答えだろって、というやりとりの中で僕はみなを見ていたけど、彼女のことは大して考えてはいない気がする。
だからこのとき綾佳に聞かれた答えとしては、何も考えてないって言うのがもっとも適切だった。それか水樹のこと考えてるもしくは君のことを考えていると言えば少しはそれっぽく聞こえるか、とでも言うべきだったのだ。
それじゃつまらなすぎ通り越して白けてしまうかもしれないし、とやかくしてくれている綾佳にも失礼なのかもしれないし、何か勘違いされるかもしれなかったので、ちょっと何か考えていたことについて考えているふりをしている間に何を話すのかについて考えて、頭にほわほわほわと浮かんできたのはなぜか、ラブホテルで行われる「剃毛」のことについてだった。
おしゃれなラブホテルに僕とみなが二人で入っていき、部屋を選んで中にはいると服を脱いで裸になって、それから、一緒にお風呂に入ってみなの陰毛を僕が剃る。
なんだそれ。
と僕は思う。それは、ここで起こっていることと何にも関係がなかった(あるいは、みながいたせいで僕の表層意識の中には当然だがみながいたのかもしれないけど)。しかし、それ以上考えてみたところでそれ以外のことは浮かびそうにもなかった。僕の頭はきっとみなで麻痺していたのだ。みなの歌声は、聞くとその症状を発症する、神経毒のようなものだろうか?
バカあるわけない。と僕は思う。
ラブホの話は女の子にするような話じゃないと思ったし、そのせいで少し恥ずかしかったし、確実に何か誤解されると思ったけど、綾佳にそれを話して聞かせることにした。
綾佳は僕がさらに押し黙って黙って黙って考えている間、僕のことを不思議そうに見つめていたらしく、今も不思議だ〜という目を僕は向けられていた。引き込まれてしまうような黒目だった。
「どうしたの? どうせ、何も考えていなかったんでしょ」
そうだと言いかけて、僕は違うと答えた。
「えなに?」綾佳の目が輝く。顔が近いなと思って、ちょっと引く。
「……変な話だけど、僕と……み、体の細い女の子が、ラブホに行くんだ」
なんだ別にみなって言う必要ないよなと思って、僕はそうして言った。
「えぇ?ラブホ〜?」
なにそれーと綾佳は冗談でしょという風に言って、グラスに残っていた何かをぐっと流し込んだ。それから、林に追加で注文させた。
「うん? 綾佳まだ飲むの?」「うん、大丈夫だよ?」「そか、ま、どうせ迷惑かけるのは佐藤だから別に良いしな、面倒見てやれよさ・と・う、でさあ……なんだっけそうそう」
このやりとり、パターン化している。
「それで? ラブホテルに行って、うふ、エッチするのー?」綾佳は気分良さそうに笑う。
みなの歌は、四曲目を通り越して五曲目に突入していた。
『楽園』
「それ私?」
「違うよ」
なーんだ私じゃないのかとか言いたげだったが、とりあえずは、僕の話を待つことにしたようだった。それから追加の酒がきて、ウエイターが置くやいなや、それをぐっぐぐと飲んだ。
僕は、綾佳ののどが鳴り終わったのを聞いて、続ける。
「まず僕たちは、階段を上っていって、部屋を選ぶ。開いている部屋は六つくらいあるけど、その中でも一番小さくて、みすぼらしそうな部屋に決める。目的はエッチじゃないからね。ラブホに行ったことある?」
僕はない。単にめんどくさいからだ。
綾佳は ふ、ふふ、ふふと、酔っていてセックスを拒否したいのに、力が入らないから何もできない女の子みたいに首を振った。
「それから、部屋に入って、もちろん服は脱ぐけど、そのまま抱き合わずにお風呂に入る」
「お風呂にはいるの?」「そう」「なんで?」「まあ聞いて」
「それから体を温めて、良い具合になったら、僕も女の子も浴槽から出て、僕は床に女の子を寝かせる」
僕はだんだんドキドキしてきて、それは多分綾佳も同じだった。僕は少しだけノる。
「それで、ベッドがある部屋から、ハサミとカミソリを持ってくる。それは、僕が持っていたのか、彼女の鞄に入っていたのか、それともホテルにあったのかはわからないけど、とにかく、髪を切るタイプのハサミと普通のカミソリを僕は手に持ってくる」
こくっくっくっくと言う音とともに、綾佳は今し方きたばかりのをもう飲み干してしまう。綾佳はグラスをテーブルにおいて、僕の肩に倒れ込む。僕は綾佳の意識がまだあることを確認するために、頬をぴしゃぴしゃと叩いた。でも、それは綾佳の体の心配をするというよりは、話をちゃんと聞かせるためだった。
「んーふやめてよ」綾佳はうひゅひゅと笑う。
「ちゃんと聞けよ」
「聞いてる、まだ起きてるから。それで?ハサミとカミソリで何をするの?」
「それから、まずここの毛をよく濡らす」僕は、綾佳の股間に手をぽんぽんと乗せる。
いやん。と言うだけで、綾佳は僕を拒絶しない。酒のせいなのか、単に僕を気に入っているせいなのかは知らない。しかし、僕にはこのまま綾佳に悪戯するとか、抱くとかという気は全くないし、僕の説明をよりわかりやすくするために綾佳の下腹部に触れただけだ、という認識しかないから、綾佳がそうならそのまま続ける。
「濡らして、ここの毛をどうするの?」
彼女の下腹部の上に乗せている僕の手の上に、綾佳は自分の手を乗せた。僕たちの手が重なって、綾佳の呼吸で上下した。そのリズムは心地よくて、僕は眠ってしまいそうだったけど、気を取り直して短い言葉を言った。
「剃る」
「え、えぇ?」綾佳は少し驚いた。けれども僕は剃る。ともう一言だけ言って続けた。
「まず、濡れた毛をつまんで(僕は綾佳の陰毛を、服とパンツ越しにつまむ、いたいよ、と綾佳は言うが僕はやめない、あるいはこれで少し抜けてしまうかもしれなかったけど、僕は気にせず続ける)、ハサミで切って短くする」
いっしゅり、いっしゅり、いっしゅり。
という、僕がみなの陰毛をさくさく切っていく音を、綾佳の耳元でささやく。綾佳の頬がアルコールのせいではない赤みを帯びてきていることがわかる。目はとろんとしてきている。
「それから、ボディーソープを手で泡立てて、ここに塗る、優しくね」「優しく?」
そう優しく。と優しく言って、僕は(正確には僕と綾佳の手が)さっきつまんでいたかったらしいから、その痛みを二人で慰めるように、綾佳の陰毛を服の上からゆっくりと擦った。
でもそれは僕の感覚としては、相変わらずみなのものだった。しかし、みなの顔は、綾佳のものとは違ってとても冷静だった。当たり前だ。僕の想像しているみなと、今何曲目かは知らないけど歌い続けているみなは違うみななのだ。
「それから、僕はカミソリを取って握って水で濡らして、女の子の、大事な部分の毛を、剃っていくんだ」
ぞりぞりぶぶちち、これも、綾佳に聞かせる。綾佳のはぁふぅと言う息づかいが聞こえる。
はぁふぅ。ぞりぞりぶぶちち。はぁふぅ。ぞりぞり……。
「全部剃り終わったら、終わりだよ。ここはつるつるになって、とても綺麗でなめらか」
僕は綾佳の陰毛を触った。もちろん、そこにはまだ綾佳の陰毛の感触があった。
「そんなエッチなこと考えてたんだ、佐藤君」「そうだよ?」「エッチすぎ」「エッチだよ?」「でもなんか気持ちよかったね」
えへへーと綾佳が言って、確かに僕も気持ちよかったけど、僕は無言で綾佳の下腹部から手を離す。
「佐藤君と付き合ったら、みんなつるつるにされちゃう、嫌だなぁつるつる」「え違う、そんなことしないよ。ていうか綾佳嫌だって言うけど、僕と綾佳まだ付き合ってないしょ」「そうだね……そうだ。女の子ぉ、その女の子、誰だった?」僕は黙る。「みなちゃん?」ばれていた。「まぁそうだね」「だって、細い女の子だったらみなちゃんか私で、私じゃなきゃみなちゃんでしょ」「すげ」「ねぇ、みなちゃんのこと好きなの?」「違うよ」
本当に違うと思う。今日この日だけ、みなを強く意識したってだけで、それは好きというわけじゃない。
今度は僕が言う。
「綾佳、付き合おうか、僕たち、綾佳が良ければだけど……」答えを知っているからいかさまゲームをした気分だったけど、綾佳としては、僕がこうしてくれればどんな形でも満足だろうと思う。
僕の胸に綾佳は顔を埋めてくる。
「いいよ好きだから」
綾佳の頭を撫でながら僕の頭に浮かんだのは、僕の想像したみなで、そのみなは嬉しそうに微笑んだまま僕を見つめていた。下半身つるつるのままで。
ちょうど僕の話が終わったのと同時にみなが歌い終わり、僕はみなに言う。
「みなー大丈夫かー?」「う、げほ、大丈夫かな……」眉を寄せて無理矢理笑って、とても大丈夫そうには見えない。
「変わってやるよ、僕が歌う」「え、あー」「うん、別にだめって言う理由もさ、権利もみなは持ってないだろ?」
ちょっときつい言い方だったけど、みなの苦痛を受けるのは自分だけで良いという性格から言って、奪うくらいがちょうど良いと思う。
「うん、そだね」そだそだあはは。
きっと心からの笑みなのだろうけど、今はそれを観察するより休ませてやった方が良いだろうから、僕の座っていた、綾佳の隣に座らせる。
「ありがとう佐藤君」「綾佳〜綾佳、 ほらみな」
僕が肩を揺らすと、うーん?と言って綾佳が起きる。綾佳は多分もてなしてくれるはずだ。
あ、みなちゃんなにか飲む?
僕はみなのために『オンリーロンリーグローリー』を選んで歌う。歌いながら思う。
僕がみなと代わってあげたのも、オンリーロンリーグローリーをみなのために歌うのも、僕が綾佳と付き合うのも、綾佳がひとによくしてあげるのも、綾佳が僕を好きなのも、みなが頑張って歌っていた理由も、平井堅が歌う理由も、みんなオンリーロンリーグローリーのためなのかな、なんて思う。
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