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第3話:井の中の蛙
 アルマの怒声は、ベンチに座っていた5人の顔色を変えた。

 ザッ

 元貴族たちは打ち合わせでもしていたように一斉に立ち上がる。
 その全員がアルマよりも長身であり、頭を押さえつけられたような威圧感にヨロリと後退(あとず)さった。
 だが、それすら許さないとでも言うように、左右の男二人が挟む。
 つまり、すっかり囲まれてしまったのだ。

(やばい、またやっちゃった)

 これまでも短気で失敗する事は多々あった。しかし、これはとびっきり不味い失敗だ。なにせ貴族のプライド以上に厄介なモノを、アルマは1つしか知らないのだ。
 エラの張ったリーダー格の男が、その大きな(あご)を近づけ、吐き捨てるように威嚇する。

「クズが、我がカイツ=クライフと知っての暴言か?」

 後悔したばかりなのに、クズ、と言う言葉に反応して体の芯がカッと熱くなった。
 アルマが最も厄介だと分かっているモノ、それは『彼女自身のプライド』である。

「あんたなんか知らないわよ、このエラ男!」

 ドンッ

 横に立った男が即座に反応し、アルマの肩を突き飛ばしたのだ。その反動でサンドイッチの入った紙箱が腕からこぼれ落ちる。

(のあああぁ! 私のハム達いぃ!)

 慌てて手を伸ばしたが、紙箱から飛び出したサンドイッチはくるくると空を舞い、地面にべったりと張り付ついてしまった。
 最後の1つは辛うじて紙箱に踏みとどまったが、すぐさま黒いブーツにグシャリと踏みつけられる。踏みつけたのはカイツ=クライフと名乗った男だ。
 カイツは不機嫌一色の顔で手にしていた剣を抜き放ち、アルマの眼前でチラつかせた。剣先が正午の光に怪しく光る。

(ひざまず)いて許しを乞え。そして、すぐさま帰るのだ」
「ふっ、ふざけないで。帰るわけ無いじゃない! だっ、大体、学院は大衆が政治に参加するために出来たのに、なんであんた達みたいのが行くのよっ!」

 必死で啖呵を切るが、声の震えを抑えることが出来なかった。絶対に泣きたくなんか無いのに、目は勝手に潤む。
 その僅かな怯えを察知したのか、カイツは嫌らしい笑みを浮かべた。

「愚民を教育して何になる? 勘違いするなよ。学院は、我々貴族がいかに優秀かを知らしめる為に作られたのだ」
「勉強するお金と時間があっただけじゃない! 何が優秀な人間よ。貴族がこんな馬鹿の集まりだとは――」

 それ以上言えなかった。
 カイツに腹部を思い切り蹴り上げられたのだ。硬いブーツのつま先が鳩尾(みぞおち)に入り、呼吸ができなくなる。

「捕えろ」

 カイツの号令で左右にいた男二人がアルマの両腕をガッシリと掴まえる。とても振りほどけそうに無かった。

「けほっ、離しなさい……この変態」

 その弱々しい怒声を楽しむかのように、腕を捕まえている男たちはニヤニヤと笑う。

「カイツ、こいつもやるんだろ?」
「いや、時間が無い。お前ら二人でさっきの場所に放り込んでおけ」
「ちっ、運が良かったなぁ、貧民」

 そう言って男達はゲラゲラと笑う。

(何? さっきの場所っていったい何のこと?)

 アルマは訳も分からず乱暴に引きずられていった。しかし、漠然とだが分かることもある。
 このままでは、待ちに待った学院に行けなくなると言うことだ。


 引きずられた先にはポツンと、古い井戸があった。
 古井戸には辛うじて藁葺(わらぶ)きの屋根があるが、そのほとんどが剥げ落ちている。ひざ下までの石の囲いが無ければ井戸と分からなかっただろう。
 それほど古井戸は大砦の陰にひっそりと存在していたのだ。その周囲には木々以外に何も無く、当然のように人の気配も無い。
 嫌な予感は急激に加速する。

「まさか――ちょっと、いったい何するつもりよ!」
「貴族に逆らった事を、あの中でたっぷりと反省してもらう」

 怖れは確信に変わった。
 無駄だと分かっていてもアルマは懸命にもがく。

「じょ、冗談でしょ? まさかあそこに落とすつもり?」
「心配するな、あれはただの枯れ井戸だ。足から上手く落ちれば死なないだろう」
「そうそう。夕方に見張りが通りかかる事もあるしな」

 男達はゲラゲラと笑い合いうと、嫌がり暴れるアルマを造作もなく古井戸の前へ引きずった。

「やめなさいっ! あんた達、一生呪うわよ!」

 しかし抵抗は言葉だけであり、それだけでは当然のように男たちの凶行は止まらない。
 細枝のような腕をひねり上げ、一息に井戸へと突き出した。

「ちょ!? きゃあああああ!」

 抵抗らしい抵抗も出来ないまま、アルマの叫び声は井戸の闇の中へ飲み込まれたのだ。



 サク

 体を動かすと乾いた音がした。
 馴染み深い、心安らぐ音。
 天高き秋の日の匂い。

(そうだ、枯れ葉だ)

 うっすらと目を開くと、丸く切り取られた蒼い蒼い空が見えた。切り取っているのは井戸の石壁で、ずいぶんと遠くに見える。
 それはあそこから落ちた事になるのだが、となると大きな疑問が湧きあがる。
 体に痛みが全くと言っていいほど無いのだ。

(……ひょっとして、私、死んじゃったの?)

 まさかとは思った。
 しかし、まだ生きているのなら、痛みを感じない説明がつかない。

(私、死んだんだ……もう……学院に行けないんだ)

 そう思った瞬間、涙が次から次へと溢れた。
 悲しいからではない。こんな事で諦めるなど、悔しくて、悔しくて。
 涙で視界がグチャグチャに歪み、ヒックヒックと嗚咽が漏れる。

 その時だった。
 見上げていた丸い空に影が刺し、蒼い三日月のようになったのだ。
 やがて焦点が合ってくると、次第に影の正体が分かる。

 片目が潰れ、顔中を血で汚した……人の顔だった。

「うっぎゃああああああ!」

 陸に捨てられた魚のように跳ね起き、井戸の石壁に張り付くとダンダンと叩きまくる。

「誰かっ! 誰か助けてっ! 死人(ゾンビ)があああっ!!」
「おい」

 アルマの絶叫の間隙に男の低い声が聞こえた。

「ぎゃあああああ! 死人(ゾンビ)がおいって鳴いたのおおお! ちょっと、誰かああああ!」
「あのなあ……」

 あきれたような声にアルマは壁を叩く手を止め、ちらりとだけ後ろを振り返った。

「あれ?」

 そこに立っていたのはアルマより少し年上の男だ。体中ボロボロで所々に血痕がある。しかし、決して腐ってはいない。

「ずいぶんと新鮮な死人(ゾンビ)ね」
「違う!」

 アルマは冗談よと笑い、男を不躾(ぶしつけ)に観察した。
 頭から幾筋もの血痕が線を引いていたが、それはすっかり固まっている。左眼をすっかりと覆う傷も、ずいぶんと古い痕だった。
 空のような蒼い目、少し癖のある柔らかそうな褐色の髪、彫像のように整った顔立ち。
 そこには上にいた旧貴族達にすら無かった気品が、確かに存在していた。
 しかし、彼は貴族ではありえないだろう。着ている服はアルマと同じ最下級の麻シャツと、ひと目で粗悪と分かる黒いズボンなのだ。
 つまり、彼もまた被害者なのだろう。

「あの、ごめんね。まさかこんな所に人がいるなんて思っていなかったから、つい……あなたも学院へ?」
「ああ」
「そう、合格者は7人だったものね。私はアルマ、アルマ=ヒンメル。あなたは?」

 ピクリと男の頬が引きつる。
 アルマの顔を見ないように逡巡し、グルリと周囲を見回してからボソリと呟いた。

「シュルト」
「シュルト、だけ? 姓は無いの?」

 シュルトと名乗った男は、何を思ったのかギリリと歯を食いしばった後、口を開いた。

「……シュルト=デイルトン」
「デイルトン? ええと、それって、まさか――」

 まさかと言った事を後悔した。男の顔が苦く歪んだのだ。しかし、アルマが何か言おうとする前に、シュルトは口を開いた。

「そうだ。かつて、王も国も裏切った男、デイルトン公爵は……俺の父親だ」




 シュルトは枯れ井戸に放り込まれた後、様々な脱出を試みたが、その全ては失敗に終わった。
 石壁を昇ろうにも所々に生えたコケで手が滑り、石畳の隙間は指が入り込むほど広くなかったのだ。
 万策尽きたとばかりにため息をつくと、独り石壁にもたれ掛かり目を閉じた。

(失態だ)

 まさか、自分の入学が貴族たちの間で既に広まっているとは思ってもいなかったのだ。
 その結果、カイツ=クライフなるノインの田舎貴族ごときに不意をつかれ、ここに放り込まれる事になろうとは。

(考えろ、ここを出る方法を考えるんだ。学院に入らねば、俺の生きている意味など無い)

 入学を一度でも蹴った者を、再び合格にするとは思えない。チャンスは今年しかないのだ。
 しかし、この何も無い空間で残された方法など、たかが知れている。大声で助けを叫び続けるくらいしか無いのだ。
 惨めに助けを求め叫ぶくらいなら、死んだほうがマシだった。
 
「やめなさいっ! あんた達、一生呪うわよ!」

 突然、頭上から怒鳴り声が落ちる。見上げると井戸端に1人の少女がいた。
 その顔は日に陰ってよく見えないが、状況は容易に想像がつく。カイツ達が新たな犠牲者を増やそうとしているのだろう。

「きゃあああああ!」

 抵抗空しく少女は突き落とされた。
 しかも、下手に抵抗したのか頭が下になっている。

(馬鹿が!)

 思わず手が出ていた。

「ぐっ」

 シュルトは落下の衝撃を受け止めきれなかった。
 腕からこぼれた少女は、堆積した枯葉の上をゴロゴロと転がる。同時に少女が背負っていたバックパックが外れ飛び、井戸の片隅にカチャンと落ちた。
 静かに横たわる少女の安否を確かめようとして――シュルトは途中で足を止めた。
 特に外傷は無さそうであり、それに――

(助ける必要など、無かったはずだ)

 再び壁にもたれ掛かり、脱出の方法を模索するため静かに目を閉じた。

「ヒック……ヒック」

 (かす)かな音が井戸の石壁に響く。
 うっすらと目を開くと、ちょうど正午なのか、井戸の底まで日光が射し込んでいた。
 その光の中で、少女が倒れたまま涙を流し、それでも真っ直ぐに天空を睨んでいたのだ。
 双眸からとめどなく溢れる涙は虹のように輝き、そのあまりにも幻想的な光景に、シュルトの思考がカタンと止まった。
 まるで砂漠で水を見つけた旅人のようにフラフラと吸い寄せられ、少女の顔を覗き込んだ。
 光を受け金糸のように輝く髪でも、薄紅色の小さな唇でもなく、ただ青銅色の瞳に魅入ってしまったのだ。

 人影に気が付いたのか、少女の視線がゆっくりとシュルトを捕えた。
 それは心臓を掴まれたような衝撃だった。息が止まり、頭が真っ白になる。
 だが――

「うっぎゃあああああ!」

 少女は手も使わないで飛び起きると石壁を叩き、死人(ゾンビ)だ助けてくれと喚きたて始めたのだ。
 シュルトは何度か声をかけたが、すっかり恐慌をきたしている。

死人(ゾンビ)、生ける屍か……)

 シュルトが嘆息をもらすと少女は恐る恐る振り返り、死人でないと分かったのか安堵の表情を見せる。
 少女は小首をかしげて口を開いた。

「ずいぶんと新鮮な死人(ゾンビ)ね」
「違う!」

 怒鳴ってから、シュルトは自分が何年も大声を上げていなかった事を思い出す。それ以前に、全くの他人にここまで動揺するなど初めてだった。

(こいつは、いったい何だ?)

 少女は薄茶色(ヘーゼル)の短髪も、粗末な麻のワンピースも一介の貧民である事を如実にあらわしている。ただの無力な少女のはずだ。
 だが、心の奥まで見通すような視線は落ち着かない。まるで、大切なものを無理やり引きずり出される感じがするのだ。

「私はアルマ、アルマ=ヒンメル。あなたは?」

 名前など即答するつもりだった。自身の名を知った時に態度を変えられるのは一番嫌いな事なのだ。
 呪われた姓を聞き、すぐさま軽蔑すればいい。そんな事には慣れていたはずなのだ。
 しかし、言葉は喉に張り付いたように、なかなか出てこない。

「シュルト」

 そして、ようやく口から出てきた言葉には、女々しくも肝心の姓が付いて無かった。
 姓を名乗る事に、とてつもない抵抗を感じているのだ。

(馬鹿な! ありえない!)

 心の中で己を叱咤し、歯を食いしばって、ようやくそれは出てきた。

「……シュルト=デイルトン」
「デイルトン? ええと、それって、まさか――」

 その言葉は辛くなかったが、少女のしまったと言う顔が、トゲのように心に引っかかる。

「そうだ。かつて、王も国も裏切った男、デイルトン公爵は……俺の父親だ」

 アルマと名乗った少女は絶句した。流れる気まずい沈黙は当然の反応だろう。
 デイルトン公爵の名は、シュバート国では言わば悪魔に等しい名前だ。シュルトはこの国に存在するだけで最悪の非国民なのだ。
 次にアルマの口から出るであろう罵声か軽蔑の言葉に、心を備えた。

「そう……じゃあ、はやくここを脱出する方法を考えましょう。協力してね、シュルト」
「なっ」

 その言葉に耳を疑った。じゃあ、と言う言葉の意味が分からない。

「おい」

 シュルトの呼びかけを無視し、アルマはグルグルと井戸の底を歩き回りはじめた。

「おい、お前」
「ちゃんとアルマって呼びなさい。私、気に入ってるのよ」
「ア……アルマ、その、何をしている?」

 アルマは小さく頷いて、石壁の前に座り込んだ。

「いくわよ」

 いや、バネのように体を引き絞っていたのだ。

 ピョン

 両足で飛び上がるとアルマは意外と高く跳んだ。そして最高点で壁をパンと叩くとそのまま着地する。その有様はまさに蛙だった。

「いや、流石に無理だろ」
「分かってるわよ! 計ったのよ! 私の跳躍力を!」

 アルマはその言葉を裏付けるように、井戸の壁の高さを位置を変えながら測っていく。

「ねぇ、シュルト。ちょっと壁に手をついてしゃがんでくれない?」
「何故だ?」
「私があなたの肩に乗ってジャンプすれば届くかも……ううん、きっと大丈夫よ。計算ばっちり!」

 自身満々に言い放ったアルマに、シュルトはゆっくりと首を振った。

「……駄目だ、成功したとして、お前は1人で逃げるだろう」
「逃げないって。ちゃんと誰か呼んで来るから。私じゃジャンプ台にならないの分かるでしょ?」
「駄目だ。信用できない」

 アルマは近づくと目を吊り上げ、鼻先にビシリと指を突きつけた。

「なに甘えた事言ってるのよ! もう時間無いのよ? 信用もへったくれもないでしょ!」
「……だが」
「ああああああっ、もうっ! じゃあこれ持ってて!」

 そう言ってアルマは井戸の片隅落ちていたバックパックをシュルトに渡すと、これでもかと顔を近づけた。

「この中には学院の合格通知、つまり私の全てが詰まってるの。これなら文句無いでしょ?」
「あ、ああ」

 アルマの迫力に押されるように、半ば暴れる心臓を抑えるために、シュルトは頷いていた。

「じゃあ、はやく!」

 シュルトは急かされるままに、壁に手をついてしゃがみ込むと、すぐさま肩にアルマの足の重みを感じた。

「ゆっくり立ち上がって……ああ! それから!」
「何だ?」
「絶対に上見ないでよ」
「ぐっ、愚弄するな!」

 気が付けば、シュルトはまたしても叫んでいた。喉を振わせる感触は、痛いのに心地いい。

「よぉし、なんとか届きそう……せーの」

 ぐぐっと肩に体重がかかり、次の瞬間、アルマが飛び上がった。

(どうだ?)

 シュルトは出口を掴み損ねて落下するのではと心配になり、アルマを見上げ――すぐさま、視線を落とした。
 そこには見事に石段に手を掛けたアルマが吊り下がっており、ワンピースの中が下から丸見えだったのだ。

「やった! シュルト、届いたよ!」
「あ、ああ」
「もっと喜びなさいよ! っと、そんな場合じゃなかったわね。待ってて!」

 またも蛙のように器用に井戸から這い出ると、アルマはあっという間にいなくなった。
 そこで、シュルトは大きくため息を付く。

(俺が、人を信用するなんて)

 激しい自己嫌悪が襲ってきた。
 誰も信用しないと、誰にも頼らないと決めたはずだったのだ。それが学院に入る前からこの体たらくだ。

(忘れるな、俺は何のために生きている?)

 シュルトは左眼の傷を、怒りに震える指先でゆっくりとなぞった。
 激しかった動悸が急速に冷え、代わりにドロリとした憎悪が沸きあがる。
 それは、自分を生かしてきた感情だ。
 
「アルマ=ヒンメル、あいつは……危険だ」

 呟いた視線の先には、虚空と闇しかなかった。



「シュルト! お待たせ!」

 頭上から弾んだ声が掛かる。
 アルマは井戸に向ってロープを垂らすと、上機嫌でしゃべり続ける。

「なんとか間に合ったよ、もうギリギリだったんだから! 今、御者さんに待ってもらってるの。忘れ物は無い? はやくはやく、今からツヴァイ港にいくんだよ! ツヴァイ港!」
「……なにがそんなに嬉しい」

 シュルトの不機嫌そうな問いに、あたりまえじゃないとアルマは満面の笑みを浮かべた。

「私、海って見た事無いの!」

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