第2話:短気は損気
「本当に、何もいらないの?」
戸口でなけなしの銅貨を渡そうとする母に向かい、アルマは笑顔で頷いた。
「食事も着る物も住む場所も、ぜーんぶ国が支給してくれるんだって。もちろん旅費も途中の食事もね。持ち込める物は小物が1つ、着る物が1着。その他の物は一切持ち込み禁止なんだって」
「でも……」
「私が働けなくなるんだから、そのお金はお母さんが使ってよ――その代わり」
背負っていたバックパックから古びた真鍮のランプを取り出し、母に向かって突き出した。
丁寧に手入れされており、鈍い光を放っている。
「お父さんの形見だからって言うわけじゃないけど、このランプを持っていくって決めてるの。いいでしょ?」
「そう、それがあなたの夜更かしを手伝った共犯者ね」
そう言って母が指で突付くと、ランプは文句を言うようにキィと鳴いた。
「でも、アルマが旅立つのに何もしてあげられないのは辛いの。何かできる事はない?」
アルマはランプをリュックにしまいながら小首を傾げた。
「うーん……あ、じゃあ、言葉をちょうだい」
「言葉? 何か言えばいいの?」
「うん。私が1年間頑張れるように、何でもいいから、お母さんの言葉が欲しいの」
そう言うとアルマはニッと笑った。
母は目を閉じ、たっぷりと思案した後、薄く微笑んで目を開く。
「父さんのくれた言葉なんだけど、それでもいい?」
「もちろん! 大歓迎に決まってるじゃない!」
言葉とは人から人へ伝えられるものだ。父から母へ伝わった言葉に不満などあるはずが無い。
まだアルマより僅かに身長の高い母は少しだけ屈み、娘の目を真っ直ぐに見つめた。
「アルマ、この世界で1番強い剣は、なんだと思う?」
「強い剣? ええと……やっぱり王の剣、かな」
「いいえ、王の剣は10年も前に折れてしまったでしょ。折れた剣は、もう剣ではなくなるの」
そう言うと母は1歩近づき、アルマの両肩に手を置く。
優しく、力強く、その温もりは心に染みてきた。
「この世で1番強い剣はね、折れない剣だって、父さんは言ってたわ」
「折れない――剣」
アルマは噛み締めるように繰り返す。
「そう、どんなに鋭い剣でも折れてしまえばそこでお終い。王の剣もそう。かつて、剣聖と称えられたデイルトン公爵も、まやかしの薬に心を折られて王を裏切ったわ」
その話はもちろん知っていた。
軍都ドライ領の領主だったデイルトン公爵は、ただ薬欲しさに王の婚約者を誘拐し、盗賊達に引き渡したのだ。
この話は、今でこそ『剣の国の黒猫』の英雄歎として吟遊詩人達によって歌われているが、当時はドライ領の暴動を避けるため緘口令が出されたほどだ。
デイルトン公爵はそれだけの禁忌を誘惑に負けて犯し、全てを失ってしまったのである。
「だから、決して折れては駄目。たとえ叩かれても、踏み躙られても、心だけは折られてはいけないの」
母は娘をきつく抱きしめ、最後に祈るように言った。
「アルマ、どんな事があっても、折れない剣になりなさい」
アルマはその温もりを感じながら、小さく、だがハッキリと頷いた。
砦都ノイン領はシュバート国の北端に位置している。
国の北側を覆うようにそびえる険しい山脈、その間にひっそりと息づいている街だ。
その昔、隣国で激しい戦争があり、シュバート国は飛び火しないようにと、この山間に砦と壁を張り巡らせたのだ。
工事には多くの人手が必要であり、作業者達の集落がポツリポツリと生まれ、彼らを相手に商売する者達も増えた。
やがて、ノイン領の象徴たる大砦が完成する頃には、1つの街も出来上がっていたという訳だ。
これが砦都ノイン領の生い立ちである。
そして、試験合格者に宛がわれた集合場所も、街の象徴『大砦』だった。
「いつ見ても、無駄に大きな砦よねぇ」
アルマは大砦の正門前に立ち、しみじみと呟いた。
いつもは円柱状の大きな建物にしか見えないのに、いざ中へ入るとなると、華美な装飾を取り払っただけの城に見える。
戦時でない今、役所の1つとしか使われていない事を、少しもったいなく感じた。
(こんな税金の無駄遣い、私が全部無くしてやるんだから!)
鼻息荒く正門をくぐり、敷き詰められた石畳を1枚飛ばしで踏みながら受付を探す。
だが、大砦の内部はまるで迷路だった。
案内書には『正午までに大砦の受付所に来るように』と書いてあるのだが、それらしい場所が見当たらない。念のため2階も3階も探したが見つからず、ただ時間だけが過ぎていく。
気がつくと約束の正午が迫っていた。
(ひょっとして、集合場所を間違えた?)
不安が頭を過ぎり、もう1度案内書の紙を読み直してみたが内容が変わるわけじゃない。
つい、間に合わなかった場合の事を想像してしまい、心臓がギュッと縮み上がった。
(しょうがない、誰かに聞こう)
ちょうど、通路の向こうから役人らしき初老の男性が近づいてきた。
痩身で頭はつるりと禿げ上がり、不機嫌なのか急いでいるのか、険しい顔でカツンカツンと大股で歩いている。
見るからに気難ししそうだが、この際構ってはいられないだろう。
「あの、すみません」
初老の男は嫌そうな顔をして立ち止まり、無遠慮にジロジロと視線を投げつけてくる。
「あぁ? なんだね、お前は?」
(うわぁ、感じ悪いなあ)
男が立ち止まってくれた事だけに最大限の感謝を詰め込み、作り笑顔をこしらえた。
「シュバート国立学院の受付所は、どちらにありますか?」
「はぁん? お前が知ってどうする」
アルマは気が長い方でなくハッキリ言えば短気である――が、今回はかろうじて堪えた。心の中で『暖かくないのは頭だけじゃないんですね』と毒づいたが、顔には出さなかったのだ。
代わりにバックパックから合格通知を取り出し、男の鼻先に突きつける。
「この通り、合格したので学院に行くんです。受付所はどっちですか?」
男は目を細め、それが本物の合格通知である事を確認する。
その瞬間、態度が一変した。
「ああ、合格者の方でしたか! 受付所は1階の裏門の近くでございます」
「ご、ございます?」
「ええ、ええ。あなた方はノイン領の誇りでございますとも」
ほんの数秒前まで険しかった顔が、ニコニコと愛想笑いを浮かべていた。その豹変振りに戸惑いながらも、何故態度が変わったのか、その理由に思い当たる。
(そっか、1年後には私がこの人の上司になるかもしれないんだ)
その場面を想像して、むしろ気が重くなった。
卒業しても大砦の書記官だけはやるまいと心に決める。
「さ、もうお時間がありませんので、受付所までお送りしましょう」
男はアルマを先導すべく颯爽と歩き出したので、その後頭部に残っている僅かな頭髪を見ながら、アルマは後に続いた。
先導しながらも男はすっかり上機嫌でしゃべり続ける。
「いや、それにしても国立学院などと言うシステムを作るとは、国も思い切った事をしますなぁ。建設には莫大な金がかかったそうではないですか」
「はぁ」
「正直、ノイン領からは合格者が出ないかと思っておりました。ですが、蓋を開けてみれば思いのほか多かったではありませんか。ホッとしておるのですよ。いやいや、よかったですなぁ」
「へぇ……あの、ノイン領の合格者って全部で何人だったんですか?」
「7人だと聞いております」
試験会場に集まっていた人は2000を超えていたはずだ。
改めて、とんでもない試験に受かったのだと、小さく背筋が震えた。
受付所の場所は正門ではなく裏門から入れば、すぐに見つかる場所だった。
受付の役人は合格通知を一瞥すると、手元のリストから同じ名前を探す。7人しかいないリストなのだ、すぐに見つかった。
「ああ、はい。アルマ=ヒンメルさんですね。いやいや、これで全員揃いましたよ。あと1時間もすれば裏庭から馬車が来ますので、そこを出て右のベンチで待っていてください」
「はい」
無事、受付が終わってホッと胸をなでおろす。
「そうそう、アルマさん。昼食は済みましたか?」
「いえ、お昼はいつも食べてないので……」
「そうですか、じゃあ、お弁当はいらないですね」
「いーっ、いりますっ! 食べますっ! 下さいっ!」
「そ、そうですか、では」
そう言って手渡されたのは紙箱に入ったサンドイッチだった。しかも、3個も入っている。
サンドイッチ1個に2枚のパンを使っているので、計6枚のパンと言う事になる。それだけでも目がくらむような贅沢なのに、パンの中には燻製にされたハムが入っていたのだ。
(ハムだ! ハムだっ! ハムだあああっ!)
心の中でハム1枚1枚に歓声を上げる。
(最後にハムを食べたのはいつだったっけ……そう、あれは2年前の新年祭)
「アルマさん? どうかしましたか?」
「いえ、ちょっと……合格して本当によかったなぁって」
受付の青年は「はぁ」と微妙な微笑を浮かべ、ああ、そうそうと付け足すように言った。
「飲み物はベンチの近くに水瓶が置いてありますのでそれを使ってください。外にある井戸はだいぶ前に枯れてしまっているので、今は使えませんよ」
「はい、ありがとうございます!」
アルマはペコリと大きくお辞儀をすると、弁当を大切に抱えて受付を後にした。
「扉を出て右のベンチ、だったよね。もう他の人は来てるんだろうなぁ」
お弁当にすっかり上機嫌になったアルマは、鼻歌混じりにベンチを探していると、すぐに木製の頑丈なベンチが見つかった。
案の定、先客がいる。
アルマより少し年上に見える男が4人、同じく女が1人。仲良く横1列に並び談笑していた。
(商売の基本、それは第一印象!)
アルマは本に書いてあった一文を思い出し、簡単に身なりをチェックする。
そして努めて優雅に5人に近づくと、ベンチから見える前に立ち、満面の笑顔を作った。
「あの、学院に合格された方、ですよね?」
正直、そうだよと笑い返す事を期待していた。
しかし、返ってきたのは冷たい沈黙と、刺すような視線。
(あ、あれ?)
そこでようやく気がついた。彼らの服が見た事も無いほど上質な素材で出来ているのだ。
印象的なのは中央の体格の良い男だ。既に5人のリーダー格らしく、高級そうな直剣を杖のように両手で支えている。アゴのエラが広く、貴族というより軍人と言った強面の男だ。
その隣に座る女性の髪も、よく見れば腰の辺りまで伸びている。
5人ともかなりの富豪層の若者――おそらく、元貴族達だ。
中央に座っていたリーダー格の男が、最初に口を開いた。
「ああ、いたのか。貧民の合格者が」
アルマは返す言葉が出なかった。まさか、いきなり面と向かって貧民と呼ばれると思っても見なかったからだ。
黙り込んだのを怯んだと見たのか、その隣にいた女もニヤニヤと笑いながら口を開く。
「ねぇ、なんであなたみたいな貧民がここに来たの?」
「なんでって、もちろん学院に入るためで――」
「さっさと帰りなさいな」
「なっ!」
彼女の言葉を皮切りに、ベンチに踏ん反り返っていた残りの男達も無遠慮に言葉を重ねた。
「そうそう。たまたま偶然で合格したからって、貧民が勉学などする必要は無いだろ」
「君はノイン領の恥を広めることになってもいいのかい?」
「分相応という言葉を知らないのか、この貧民は」
もう一度言おう。アルマは短気である。
「……でよ」
「え? なによ?」
青銅色の瞳を吊り上げ、喉よ裂けよとばかりにアルマは怒鳴った。
「没落貴族が寝言垂れ流さないでよ! 気持ち悪い!」
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