第26章:刑事たち
警視庁捜査1課の佐藤美和子警部補と高木渉巡査部長は、時間が許すと、米花町にあるユニークな2件の屋敷と、帝丹小学校付近をパトロールするのが日課になっていた。
米花町のユニークな屋敷。
1件は、世界的な推理小説家、工藤優作と、若くして引退した伝説のアイドル女優、藤峰有希子こと工藤有希子の夫婦の屋敷である。
夫婦は、今、アメリカに住んでいて、そのひとり息子、高校生探偵の工藤新一がこの洋館に住んでいたが、彼が姿を消して以降、誰も住んでいない。
その隣、大きな窓と、2階までの吹き抜けが特徴的な凝った設計の屋敷は、発明家、阿笠博士の自宅兼研究所で、今は、不思議な少年と少女が同居している。
高校生の年齢から、小学生にまで、体が幼児化してしまった少年と少女。
佐藤が彼らの秘密を聞いたとき、にわかに信じられない想いだったが、妙に納得できるところもあった。
人間が薬によって幼児化するということ。これは、今でも、佐藤には、信じられない想いが強い。しかし、その幼児化したという少年と少女を見ていると、その言動は、小学生のものとは、思えないところが多く、信じざるを得ないと思っている。
少年、江戸川コナン。
彼の本当の姿は、高校生探偵として有名な工藤新一だという。
少女、灰原哀。
彼女の本当の姿は、犯罪組織にいた、宮野志保という科学者だという。
大人びたというより、大人以上の推理力を発揮する少年。
大人以上の医学知識を持つ少女。
その行動は、騒ぐことも、はしゃぐこともなく、いつも落ち着き、冷静だった。
警察官の自分でも、悲惨さに目を背けたくなる事件を前にして、なぜ、この子たちは、冷静でいられるのか。
その答えは、佐藤には、わかっている。
そして、二人が抱える大きな秘密。
世間を揺るがせかねないその秘密を守ることは、彼らが、普通の人生を生きるためには、絶対に譲れない。
最愛の人、高木と二人、いや、上司である目暮警部や白鳥警部と共に、彼らの秘密を、彼ら自身を守ると決意した。
佐藤は、そのときから、自分の中にある刑事という仕事に対する誇りが、さらに大きくなったような気がしている。
その日も、佐藤と高木は、コナンと哀の住む阿笠邸に立ち寄った。
日によって、阿笠邸の周囲を見回るだけのときもあれば、阿笠邸を訪ね、コナンと哀の顔を見ていくこともある。
この日、佐藤と高木は、阿笠邸の呼び鈴を押した。学校は、春休みに入っている。
哀が応対に出てきて、門扉が開けられ、二人を中に入れる。さらに、玄関のドアに3人が消え、ドアが閉まる。
その様子を、少し離れた場所からじっと覗っている人影があったが、3人とも気づかなかった。
「阿笠博士は?」
哀に招かれ、リビングに入った佐藤がソファに腰掛けながら言った。
「学会の仲間と会合だって・・・夜には、帰ってくると言ってたけど」
コーヒーカップを運んできた哀が、そのカップを佐藤と高木の前に置きながら言った。
「ありがとう・・・コナン君は、出かけたんだ」
高木がコーヒーカップを持って言う。
「ええ。毛利探偵と蘭さん、園子さんと青森だって」
「青森?」
「以前、毛利さんが事件を解決したことのお礼に、そのときの依頼者に自分の経営するペンションに招待されたんだって、彼が言ってたわ」
哀も、佐藤と高木に向かい合って、ソファに座った。
「どうして、哀ちゃんは、行かなかったの?」
佐藤が訊くと、哀は、首をすくめた。
「いろいろあって・・・」
阿笠の幼馴染で、有名デザイナーの木之下フサエが久しぶりに訪ねてくること。阿笠の体調が少し良くないこと。歩美たちと遊びに行く約束をしていること。
そんな理由を挙げて、哀は、今回は、行かなかったのだと言った。
「へえ。二人は、いつも一緒だと思ってたけど、そうでもないのね」
佐藤が少し意地悪げに微笑んで言った。
「あなたたちも、いつも一緒じゃないでしょう?」
哀が反撃する。
「そりゃあね。別の事件を担当することもあるし・・・非番の日がずれたりもするし・・・」
佐藤が生真面目に答える。その様子がなんだか可笑しくて、哀がクスッと笑うと、佐藤が軽く睨んだ。
「それに、たまには、彼女に彼を預けるのもいいかなって・・・」
哀は、佐藤の視線をはぐらかすように横を向くと、彼女が最近、よく見せるようになった穏やかな、優しげな表情を見せて言う。佐藤も高木も、その顔は、可愛いというより、綺麗だと思った。
「蘭さんのこと?」
佐藤は、コナンと哀が蘭に対し、複雑な感情を持っていることを知っている。そして、それでも、二人にとって、蘭が大切な存在であること、蘭にとっても、コナンの存在が大きいことも、わかっていた。
「哀ちゃん・・・蘭ちゃんは、もう大丈夫だと思うけど」
佐藤が哀の顔色を覗うように言うと、哀は、フッと微笑んで、佐藤を見た。
「そうね・・・彼女は、強いわ。私なんかよりも・・・でも、彼女、周りに気を配って、その強さの陰の寂しさとか、悲しさとか、無意識のうちに隠しているように思えるの・・・もっとも、それは、私のせいでもあるんだけど・・・」
「誰のせいでもないよ。君も、蘭さんも、コナン君も、いつも本気に生きて、誰かのために頑張ってるじゃないか・・・誰かのこと、みんなのこと、大事に思ってるじゃないか・・・それなら、誰のせいでもないよ。寂しさとか、悲しさとか、生きてれば、たくさんあるからね。それを誰のせいとか、自分のせいとか言ってさ、責めてる時間なんか、ないよ」
いつもと違い、高木が哀に一所懸命に話してくる。
隣に座る佐藤も、哀も、少し驚いて、高木を見ていた。そんな二人の視線に気づき、高木が顔を赤くして、俯く。
「なんか、似合わないこと、言っちゃったみたいだね・・・」
高木が呟くように言うと、
「そんなことないわ・・・」
佐藤が優しく微笑んで言った。
「あなたの言うとおりよ」
二人の様子を見ていた哀が、目を細めた。
「ありがと・・・」
微笑んでそう言った哀が、言葉を続ける。
「で、あなた達、いつ結婚するの?」
「え?」
二人同時に顔を上げ、哀を見つめてきた。その動作が見事に揃っていたので、思わず、哀も吹き出してしまう。
「まあ、この人次第なんだけどね・・・」
佐藤が少し高木を睨むようにして言った。
「あら。高木刑事、まだプロポーズしてないの?」
「え?・・・や・・あの・・・それは・・・」
言いよどむ高木に変わって、佐藤が哀の方を見て言う。
「ま、彼のことだから、まともなプロポーズは期待してなかったけど・・・」
「は?」
意味がわからないというように哀が不審な顔をする。
「だって、普通、張り込み中に言う?『結婚してください』って」
佐藤は、肘をついて、半目で高木を見た。
「はは・・・だって、他のところじゃ、絶対邪魔が入るし・・・あの時言わなかったら、また、チャンスが遠のきそうだったし・・・」
「でも、もう少し、状況を考えてほしかったわね」
佐藤の表情は変わらない。
「でも、佐藤刑事は受けたんでしょ?」
哀が少し呆れて言う。
「え?・・・ええ・・・」
佐藤が赤くなって俯いた。
「そう。じゃ、日取りが決まったら、早めに教えてね。こっちにも、都合があるから・・・」
そう言いながらも、哀が二人を見る笑顔は暖かい。
「じゃ、哀ちゃん。戸締りしっかりしてね・・・何かあったら、すぐ連絡してね」
「ええ。ありがとう」
1時間ほど話していただろうか。佐藤と高木は、哀に見送られて、阿笠邸を後にする。
門を出て、振り返って哀に手を振ると、停めてあった車に乗り込んだ。
門のところで見送っていた哀は、ふと、視線を感じてあたりを見回したが、誰もいない。気のせいかと思って、玄関に入り、ドアを閉めて鍵を掛けた。
さっきの人影が、そんな哀の様子を覗っていた。 |