第10章:コナンの告白
この日は、激しく雨が降っていた。午前中、リハリビをした後、いつもは昼食をとってから、庭や屋上に行くのが二人の日課だったが、今日は、哀の部屋で過していた。
ベッドの上で、哀は本を読んでいる。博士に頼んで買ってきてもらった薬学の本。椅子に座ったコナンは、推理小説を読んでいる。
哀がふと見ると、コナンは、本を持ったまま居眠りをしている。哀は、目を細めて優しく微笑むと、上着でもかけてやろうとベッドから下りようとした。
まだ、足が不自由なので、ベッドの手すりを掴み、慎重に床に足を下ろす。そして、ゆっくり立ち上がり、コナンの右上の壁にかけてあった哀の上着を取ろうとした時、まだ自由にならない足からフッと力が抜け、そのままコナンの方へ倒れこんでしまった。
コナンは、自分の首に手を回し、倒れてきた哀の顔を見つめ、あっけに取られている。哀は哀で、しまったという顔で間近になったコナンの顔を見つめていた。
「・・・ご・・・ごめんなさい」
哀が左手に上着を掴んでいたので、コナンにも状況が飲み込めた。
「・・・いや・・・それより、大丈夫か?」
「ええ・・・ごめん・・・」
哀がコナンの肩に手を置いて、立ち上がろうとした時、コナンが立ち上がって哀を抱きしめ、ゆっくり、哀をベッドに座らせた。そして、自分も哀の隣に座り、右手で哀の肩を抱く。哀は、少し戸惑ったが、おとなしく、コナンのぬくもりを感じていた。
コナンが口を開く。
「俺さ、決めたよ」
「何?」
「俺さ。ずっとおめえと一緒にいるってさ、決めたんだ」
「え?」
「これからも、ずっとおめえと居たい。灰原、おめえが好きなんだ・・・これからも、守ってやりたい・・・」
哀は、驚いてコナンの顔を見つめる。
「何言ってるの。あなた、あんなに蘭さんのことを想ってたじゃない。・・・あんなに・・・あんなに戻りたがっていたじゃない・・・蘭さんへの想いを何度も私に話してくれたじゃない・・・それなのに・・・あなた、自分の言ってることがわかってるの?」
薄々、コナンが自分に好意を持っていると感じていてはいた。しかし、彼が何度か話してくれた蘭への想い。
彼がどれほど蘭を想っていたか、彼以外では、哀が一番よく知っていただろう。蘭より、わかっていたかもしれない。だから、コナンから告白されるとは、思いもしなかった。
「蘭には、他に好きなヤツが出来たって、この前、電話で言った。俺は、もうアイツの所には戻れない」
「えっ?・・・どうしてそんな・・・元の体に戻ることができないかもしれないから?」
「いや、それは関係ねぇよ。もし、元に・・・工藤新一に戻ったとしても、お前の傍にいたい」
「あなた・・・どうかしてるわ!・・・私が・・・あなたと彼女を引き裂いた薬を作った私が・・・あなたに・・・あなたに想われるなんて・・・」
「俺は、おめえが好きだ。これは、俺の本心だよ・・・おおめえの本心を訊かせてくれないか、俺のこと、どう思ってる?」
叶うはずのない恋だと思っていた。しかし、ここへきて、優しくしてくれる彼の好意に、哀は、期待していなかったといえば、嘘になる。しかし、彼の口から、その想いを聞いた今、正直、戸惑いが大きい。彼の傍にいたい・・・でも、自分が居れば、彼女が悲しむ。彼女が「真実」を知った時、どう思うだろうか?増して、彼女から新一を奪ってしまえば、なお更許されないと思う。
「なあ、灰原。俺も、生半可な気持ちで言ってんじゃないぜ。おめえには、蘭のこと、いろいろ話したからな、俺がこんなこと言うの、信じられねえのかもしれねえけど・・・でも、本心だと誓えるぜ、おめえが好きなのは・・・」
「ちょっと待って・・・お願い・・・私は・・・ごめん」
「・・・わーった・・・俺も急ぎすぎた。悪かったな」
コナンは、少し俯いて考えた後、静かに部屋を出て行く。扉の閉まる音が聞こえると、哀は、半ば呆然とした表情で、ベッドに座っていた。
コナンが部屋へ戻ると、有希子が怖い顔をしてベッドに座っている。
「かあさん!・・・いつ来たんだ?」
「そんなことは、どうでもいいわよ・・・それより、哀ちゃんに好きだって言ってたでしょ?」
「えっ!・・・聞いてたんか・・・」
「新ちゃん、本気ね」
「ああ」
フッと、有希子の表情が柔らかくなる。
「なら、私は何も言わないけど・・・」
「ああ。まあ、蘭を傷つけずに、ってのは、無理だろうけど・・・灰原が俺を嫌いだと言っても、俺はアイツから離れる気はねえし、はいそうですか、って蘭の所へ戻る気も、もちろんねえし」
「あなたが哀ちゃんに好意を持っているのは、わかっていたわ。でも、どうしてなの?」
有希子は、小さくなったわが子の本心が知りたかった。
「なんてのかな?蘭とはさ、いつも一緒にいるのが当然で、それは、コナンになってからも同じなんだけど・・・顔を見てホッとするのも事実なんだ。一緒にいたいとも思う」
いつも鋭いコナンの瞳の光は、今日は少し弱いように有希子は思った。
「でも、アイツはさ、灰原は違うんだ。アイツ、いつも一人でいろんな想いを抱えて、誰にも言わずに、誰も巻き込まないように一人で抱え込んで・・・子供の頃から、今まで、ずっと、いろんな傷を受けてきただろうに、一言もそんなことは、言わない・・・そう思うとさ、アイツを抱きしめてやりたいとか・・・思っちまうんだ・・・抱きしめたいとか、触れたいとか・・・蘭に対してはさ、あんまりこういう気持ちにならなかったんだけど・・・アイツ、見た目は小学生なのに・・・小さな女の子なのに・・・よく、そう思うんだ・・・で、どうしちまったんだろうって、自分でも思う」
有希子がコナンの顔を間近に覗き込んできた。
「なっ・・・なんだよ!」
「新ちゃん、ひょっとしてロリコン?」
「バ、バーロ!」
「フ、冗談よ」
「・・・灰原だから、アイツだから、アイツの背負っているもの、シェリーと呼ばれていた頃のこととか、姉さんのこととか、今のアイツとか・・・そういうのをすべて包み込んでやりたいというか、それをひっくるめて抱いてやりたいというか、そういうふうに思ってんだ」
有希子は、自分の息子に感心したように小さく笑って言う。
「まあ、哀ちゃんのことは、私に任せなさい」
「え?」
「心配なんでしょう?今のあの子にとっては、頼りになるのは、あなただけだものね。彼女が、はっきり返事を言わなかったことで、あなたに気兼ねするようになると、彼女自身が困るものね」
「アイツ、あれで、相手や周りに気を使う方だからな」
哀は、ベッドに座って、俯いていた。ここへ入院して以来、コナンが自分に好意を見せ始めていることには、気づいていた。でも、自分の心の方の整理は、まだついていなかった。ただ、彼の優しさに甘え、抱きしめられたときのぬくもりの心地よさに酔っていただけ・・・。
こうなってしまうと、二人以外にあまり人がいないこの場所が息苦しくなってくる。しかも、今の哀は、コナンがいないと自由に移動すらできない体である。
「ふう」
哀は、いつ以来だろうか、深いため息をつき、ベッドに座り込んでいた。
「哀ちゃん、入るわよ」
明るい声が聞こえたかと思うと、新一の母、有希子が哀の部屋に現れた。
哀は、正直、誰にも会いたくはなかったが、このコナンの、新一の明るい母にだけは、今、会って話しをしてもいいと感じさせるものがあった。
「改めて、哀ちゃんにお礼を言っておこうと思って。ありがとう。あなた、自分の命を賭けて新ちゃんを守ってくれた。親として、こんなに感謝すべき人はいないわ。本当にありがとう」
「・・・私、お礼を言ってもらえるような立場には・・・ありません・・・工藤君の人生を狂わせてしまいました。ほんとなら、彼やご両親の好意に甘えているのも許されない・・・そこまでしてもらえる人間じゃない」
「でも、あの子は、あなたを守ると言ったわ。事実、守った。そして、あなたも新ちゃんを守った。これほどの関係を持つ人間なんて、そんなにいないわよ。あなたは、新ちゃんにとって、とても大切な人。もっと自信を持ったら?」
「でも・・・」
「新ちゃんだってね。中途半端な気持ちであんなことを言ったんじゃないのよ」
「えっ?」
哀は、さっきの話を有希子が聞いていたことを察し、顔が赤くなってしまった。
「ごめんなさいね。部屋の前まできたら、あなた達の声がしたから・・・聞いちゃった」
いたずらっ子のように舌を出して笑う。
「新ちゃんはね。あなたが受け入れなくても、蘭ちゃんとは別れるでしょうね。そして、その罪悪感をずっと背負うつもりなのよ・・・ね、哀ちゃん、新ちゃんのこと、好きなんでしょう?」
哀は、この人にはかなわないと思う。
「・・・私には、工藤君を好きになる、工藤君に想ってもらえる資格なんてありません・・・でも、それは頭でわかっていても・・・彼が優しくしてくれると、すごく嬉しいし、抱いてくれると、また抱かれたいと思う・・・あの優しい手に触れてほしいと思う・・・でも、そのたびに蘭さんの顔が浮かんで、自分が嫌になるんです。さっきも、ものすごく嬉しかった。私なんかを好きだと言ってくれた・・・でも、やっぱり・・・だめだと・・・」
哀の表情が悲痛に歪んでいる。
「ね、哀ちゃん。あなたは、幸せにならなければいけないのよ。あなたのご両親、お姉さんのためにも、あなたを匿ってくれた阿笠博士のためにも・・・そして、あなたを命がけで守った新ちゃんのためにも・・・それには、ね、新ちゃんと同じ重荷を背負ってくれない?あなたが新ちゃんと一緒に、新ちゃんの重荷を・・・そして、あなたが背負っているものを新ちゃんも同じように背負うこと、これがあなた達が幸せになるために必要なことだと思うんだけど・・・もちろん、あなたの気持ちが一番大事。それで、あなたが、新ちゃんのことを誰よりも想ってくれるのなら、あの子の背負う重荷を一緒に背負ってあげて。一緒に歩いてあげて。それができるのは、今の新ちゃんと一緒に歩けるのは、世界中であなただけなのよ」
「私・・・彼の傍にいていいんですか?・・・彼と一緒に歩くことを赦してもらえるのですか?」
「赦すとか、良い悪いっていうことじゃないわ。新ちゃんが望んでること。そして、あなたが心から望んでいることでしょ?・・・ね、逃げないで。新ちゃんの想いからも、あなたの想いからも・・・そして、蘭ちゃんやこれから、あなた達を包むいろいろな想いから、逃げないで・・・そして、あなたの本心を、想いを、新ちゃんに話してあげて・・・ただ、急がなくていいのよ。あなた自身が、あなたの気持ちを整理出来たらでいいから・・・母として、女として、二人の味方として、お願いするわ・・・哀ちゃん」
有希子の顔は、優しかった。そして、哀には、テープの声だけでしか知らない母の姿がそこにダブったような気がした。有希子が哀の母に変わって自分に言い聞かせているような気がして、哀の表情が穏やかなものになっていた。 |