妹の吸血衝動が止まらない!?
「お兄ちゃんっ! こっちこっち!」
「ちょっ、待てって。音々」
俺の妹――上月 音々は俺の腕を抱きつかみ、引っ張り歩く。モヤシの俺には対抗のしようがないわけで、されるがままショッピングモールを二人で突き進む。
はたから見たら、イチャついているカップルだと思われてしまうほど、音々は俺に引っ付いている。
兄としては嬉しくもあり、悩ましくもあるのだが、そんな兄の葛藤など知り得ているのか、いざ知らず我が妹はご機嫌上々といったご様子だ。
「ねぇねぇっ、お兄ちゃん。コレ、かわいい!」
「ん? あぁ、かわいいな」
「むぅー。お兄ちゃん今、てきとぉーに返事したでしょっ! 今日は何の日だっけ?」
「……妹感謝デー」
“妹感謝デー”。
それは一ヶ月に一回やってくる、妹のための特別な日。音々の言うことを聞き、音々を甘やかす日。
音々曰く「私は常日頃、お兄ちゃんの妹をしてあげてるんだから感謝の気持ちを表すべきっ!」とのことらしい。
理不尽だ。理不尽すぎて何も言えない。
ことの発端は俺が間違えて、音々のプリンを食べてしまったことから始まる。俺は許してもらうために必死だったため、うっかり口を滑らせ軽率なことを言ってしまったのだ。
何でもするから許して欲しいと……。
「せーかいっ。ならわかってるよね、おにぃーちゃん」
十二歳にして、この悪魔ぶり――小悪魔だといえるほど甘くない――だ。実をいうと、弱みを握られているのはこれだけではないのだが、考えたくないのでここまでにする。
「わ、わかったよっ……これを買えばいいんだろ」
「わぁーい! ありがとぉー、おにぃーちゃん。だーいすきっ!」
音々は俺にギュッと抱きつき、男を惑わす笑顔を向けてくる。
俺は妹の作戦だと分かっていながらも、真に受け嬉しく思ってしまう。とんだシスコン野郎だ。自分が情けなくてしょうがない。
「お兄ちゃん! ほらほら、次いくよー」
「おいおい、十四歳の経済力をちょっとは考えてくれよな……」
もちろん、俺の声など届くわけもなく音々は次の店を目指して進んでいく。
はぁー……何で俺はこんなことをしているのか。
『――――キャァーーーーっっ!!』
突然、爆破音が聞こえる。
モール内を響く轟音、悲鳴。
何が起きたのか分からない。どうすればいいのか分からない。
落ち着け、落ち着け! 落ち着け俺っ!!
「音々っ!!」
「お兄ちゃんっ!!」
少し先にいた音々もこの騒ぎに気がつき、俺の元へ走ってくる。俺も急いで音々に向かって走り出す。
「大丈夫か?」
「うん。お兄ちゃんは?」
「あぁ、俺も何ともない。それにしても、何が……」
その時、二度目の爆発が起きる。
「きゃーーっ!」
「音々っ!!」
俺は音々を庇うように覆いかぶさる。爆発の余波が風となって俺の背中に攻め来る。
くそっ! 何なんだ!?
何なんだよ、これ……俺たちはただ、ショッピングに来ただけだってのにっ!
「音々。逃げるぞ!」
「うんっ」
俺たちは出口へと向かい走り出す。幸いここは一階、このまま走って行けば出口のはずだ。
逃げ出す人の波が目の前に映る。
このままだと音々とはぐれる。手だけでも繋いで……
「きゃっ」
「音々! 大丈夫か!」
俺は急いで、転んで座っている音々の元へ駆けつける。
「いたたた……足、挫いちゃったみたい」
「なっ……そんなハイヒールを履いてくるから」
「だって、お兄ちゃんとのせっかくのデートだったから……」
なんでこういう時にそんなことを言うんだよ……俺が絶対、お前のことを守るからな!
「ほらっ! 早くっ! 俺の背中に乗れよ」
俺はしゃがみ、音々に背中を見せる。
いくらモヤシの俺でも、妹一人くらい背負えるさ。
「お兄ちゃんっ……」
「よいしょっと……あ、重い……」
俺は非力な自分の脚に鞭を打ち、何とか背負いあげる。
「重いって言うなぁっ! ばかっ!」
「う、ウソだよ、ウソ。行くぞ、音々」
「うん!」
一歩を踏み出したその時、また爆発が起きる。今回は一つ上の、二階が対象だったらしい。
俺たちを追いかけ楽しむように、爆発が起きているように俺は感じる。
ふざけてるっ……爆発を起こしている犯人は俺たちを玩具のようにしか思っていないのか? クソ野郎がっ!!
『キャァーーーーーー!!』
出口でごった返している人たちが、パニックになり更に滅茶苦茶なことになっている。焦燥から叫ぶ女、泣き喚く子供、中には後ろから来る者を殴り飛ばす男もいた。
酷い……何でみんな、助け合えないんだよっ! 何で……。
「音々……大丈夫か?」
「うん………………ねぇ。お兄ちゃん、聞いて」
「……何だ?」
音々の張り詰めた声に集中する。
「私ね……私ね。いっつもお兄ちゃんにイジワルしちゃうでしょ?」
「何だよ急に……そんなこと、今更だろ」
俺の冗談まじりな返しに、音々は少し笑うと言葉を続ける。
「……本当はね、お兄ちゃんにかまって欲しくて言ってたんだよ?」
そんなこと……分かってるよ。なんせお前の兄貴だからな。
「あ、分かってたよって顔したぁー。私もお兄ちゃんの考えてることなら分かっちゃうんだからね!」
「なっ、いいだろ別に! ……で、聞いて欲しいことって何だよ」
俺は音々の言葉を待つ。周りは騒がしいが、俺たちがいるこの空間だけは静寂が続く。
『……私ね、お兄ちゃんが好き。家族とか兄妹とかじゃなくて一人の異性として――――好き。ずっとずっと、一緒にいたい』
俺は言葉に詰まってしまう。
だって思いもしないだろ……妹が、音々が俺のことを異性として好き? 兄の俺を?
「驚いたよね……実は私も驚いてるんだ。なに告白してるんだぁーって……でも、今言わないとダメだと思ったから。驚かしてごめんね」
「それは別に……」
どうしても言葉に力がなく、歯切れが悪くなってしまう。
「お兄ちゃんは優しいから、私の気持ちを完全に断ることができないんだよね」
あぁ、音々には何もかもお見通しってわけだ。つくづく情けない兄だな、俺ってやつは……。
俺は情けなさから、俯いてしまう。
「私はお兄ちゃんに生きてほしい――――大好きな人だから。……だからね、約束してお兄ちゃん。もし、どうしても二人で逃げ切れないときは、私をおいて逃げるって」
「ばかっ、そんなこ「お願いっ」……」
音々が俺の言葉を遮り、心を叫ぶ。音々の想いが深々と俺に突き刺さる。
「お願いだから、ね? 妹のお願いだよ、お兄ちゃんっ」
ここでも、妹のお願いが俺の弱い心を支配する。
理不尽で、理不尽すぎたお願いが、今は俺を心配してくる。こんな笑えない笑い話があっていいはずがないのに。
いや、俺は決めただろ。何があっても音々を守るって!
「……ごめんっ、音々。やっぱりそれだけはできない」
「お兄ちゃん……」
「絶対に二人で逃げ切るんだっ!」
「……うんっ!」
俺は前を向き、力強い一歩一歩を踏み出していく。
まだ、逃げ切れないって決まったわけじゃないんだ。そうだ。俺たちが諦める必要なんてどこにもないんだ!
しかし、神は無慈悲で全ての者を救ってくれるわけではないと俺は知る。
――――四度目の爆発が起きた。
***
「……ぅう、い、痛い……」
俺は黒く真っ暗な世界から這いずり戻るように、目を覚ます。何故か全身が痛む。
だんだんとはっきりする意識の中で、俺は先ほどまでの惨劇と目の前に映る地獄を確認する。あちらこちらで瓦礫が山を作り、炎がこのショッピングモール全体を包み込んでいる。
焙るような熱さが俺を襲う。
「くそっ……っ音々! 音々は!? 音々っーー!!」
俺は背負っていたはずの音々がいないことに気がつく。すぐさま体を起こし辺りを見渡し、探す。
どこだっ! どこなんだっ!
焦りだけが積り、思考する余裕がなくなる。
「音々っ!」
俺から数メートル離れたところに、倒れている音々を見つけた俺は這いずって近づく。
中々進めないことに苛立ちながらも、少しでも早く音々の元へ行きたいという気持ちが心の中を埋め尽くしていく。
やっとの思いで辿り着き、倒れている音々を俺は抱きかかえる。
「音々っ、音々っ! 起きろ、音々っ」
いくら揺すっても音々は起きない。不安が俺の心を掴み、握りしめてくる。苦しくて、思わず泣きそうになるがグッと堪える。
何でだよ! 何で起きないんだよ……お兄ちゃん、おはようって、いつもみたいに返事してくれよ……。
「たまには、お兄ちゃんの我が儘くらい聞いてくれよっ!!」
俺は知りたくない事実を突きつけられる。
音々のお腹に深々と刺さる“ガラス片”の存在を……。
『…………は?』
『な、なんだよ。なんだよ! なんなんだよっ!!』
『――――うおおおおぉぉっっわぁぁぁぁっ!!!』
「は、はは、あはははは……」
どうでもいい。こんな世界、こんな人生、こんな――自分っ!
俺は近くに落ちていたガラス片を拾う。そして、先の尖った部分を自らの首元にあてる。
このままガラスを引けば、俺は死んで……死んで、音々のところに俺はいくんだ。
「ごめんな。ごめんな、音々。守るって決めたのに。告白の返事もしてやれてなかったのに……。情けないお兄ちゃんでごめんな。お前は寂しがり屋だから、俺がそばにいてやらないと……」
俺は覚悟を決める。
『あらあら、ちょっと待ちなさい。本当に死んでもいいのかしら?』
だれだ?
俺の目の前に、漆黒のドレスを纏った女が現れる。女の目は、俺を見ているようで見ていない。何もかもが見透かされている気がした。
「誰って、顔をしてるわね。決して怪しいものではないから安心して」
怪しくない? 逆にどこが怪しくないのか教えてくれよ。どっからどうみても、お前は怪しいやつでしかない。
「酷いわー……せっかく妹さんを助けてあげようと思ったのに」
女は如何にも演技だと分かるような、ショックを受けた反応をする。
「っ! それは本当か……本当ですか?」
「いい心がけよ。妹さんを助けられるのは本当よ」
怪しいやつだと思ったが、意外といい人なのかもしれない。
「私は『救済の吸血鬼』。あなたの妹さんの命を取り戻すことと引き換えに、妹さんは吸血鬼となる」
今、なんて……ヴァンパイア? そんな作り話が信じられるわけ……
ヴァンパイアと名乗る女は、俺の思考を遮るように言葉を放つ。
『さぁ! 選びなさい。このまま妹を人間として一生を終わらせるのか、それとも人外としてこの世で生かすのか!』
音々は……どう思うだろうか。
俺が一生を終わらせたら。
俺が人生を終わらせて、人外に変えたら――――
『お兄ちゃんっ!』
音々が俺のことを呼ぶ姿が、頭の中をよぎる。
何気ない一日。俺を召使いとでも思っているかのように、音々が呼ぶ。嫌だったはずなのに、今はその声が――俺を呼ぶ声が心の底から聴きたい。
音々。俺のことを、身勝手で、情けなくて、どうしようもないこんな兄を、どんなに恨んだっていい…………だから、俺のために――――
生きてくれ。
***
俺はそこで、夢から覚める。目覚めが悪いわけではないが、妙に覚醒するのがいつもより早くなる。
珍しいな……あの時のことを夢で見るなんて。もう三年、か……。
あの事件から三年が経った。俺は高校二年生になり、音々はというと……
「おいっ音々。何でお前が俺のベッドで寝てる」
俺は上半身を起こし、毛布をめくる。この狭いベッドの左側を音々が占領していた。
左側は壁があるので、ベッドから落とせない。さすが、腹黒魔女――正確には吸血鬼なのだが――だ。
「んっ……」
音々は、まったく起きる気のない声で返事のようなものを返すと、俺から毛布を奪い包まる。
「んっ、じゃない! 早く出ろ」
「……やだっ、ねむい」
今日は日曜日だからいいものの、これが平日だと大変。本当に大変。
なんせ、音々の着替えから学校の支度まで、ありとあらゆることを俺がしなければならないからだ。
それでいいのか俺。それでいいのか妹。
しかし、こうなってしまった原因は俺にあるわけで、強く言えない。
今日はいいか……。
「お兄ちゃん……すきぃ……(むにゃむにゃ)」
……寝言か。
今のは寝言だったが、最近はこう言った――好きとか、そばにいてとか――ことを頻繁に言ってくるので、俺は対応に困り果てている。
更に問題なのが、中二なって……その、あの……女性的な成長が現れ始めているというのが、実にまずい。
妹をそんな目で見るわけないと思っていたが……あの事件以来、俺の中で何かが変わりつつある気がしてならない。
俺はそんな禁断のドアが見え隠れしていることに、頭を悩ませながらベッドを出る。
俺の抜けたベッドは少し広くなり、これは占めたぞ、とばかりに音々はベッドの全領域を支配する。
呆れのため息をついてしまう俺。
こうして寝ていると、どこかの国のお姫様のように見えるのにな。
どこか心地よさそうな音々の寝顔に、俺は微笑みを漏らしながらも安心する。
それは人ではなくなった音々が、苦しみだけではない気持ちでいると感じたから。俺は心のどこかできっと許されたいという想いが、願望があるのだろう。
分かっている。俺が人ならざる者に変えた。変えてしまった。
許して欲しいと言えば、音々はニコッと笑って俺を許してくれるだろう。
そんなことは、俺自身が許さない。
何が正しかったなんて誰にも決められない……決められるとしたら、それは音々ただ一人だけだ。
「お兄ちゃん……しいの」
「ん?」
「……ぃが欲しいの」
音々は少し顔を赤らめながら、らしくない程にか細い声で俺に伝える。
「血が、血が欲しいの……」
ぐはっ……な、何だ今の。心臓を鷲掴みされたかのように、ギュッと胸の奥を締め付けられる感じ。
うるうるとした瞳がちらちらと俺を見つめてきて、目が合うと途端に視線を逸らす。
や、やめてくれ。そんな目で俺を見つめないでくれ。
「……んっ……ダメっ、つ、翼が出ちゃう。翼が出ちゃうのぉ……」
妙に艶めかしい音々の声が部屋の中に響き、反響するように俺の頭の中を熱い何かが染め上げる。
俺の体温が上昇していくのを感じられて、思わず音々から視線を外す俺。
ダメだダメだ! 落ち着け俺。これはいつものアレだ。
そう。これは今日たまたま起きたことではない。
音々があの日、吸血鬼になってしばらくしてからこの症状は起き始めた。
“吸血衝動”。
それは人間でいう『三大欲求――食欲、睡眠欲、性欲――』のようなもので、吸血鬼からしてみれば至極当然なことだ。
何故なら、吸血鬼は血を吸わなければ生きていけない体なのだから。
音々は血が足りなくなると、吸血鬼の特徴である翼、牙が出てきてしまうのだ。
音々曰く、吸血鬼としてまだまだ未熟だからとのことだ。
衝動を抑えつけられなくなった音々は、ベッドから飛び出して俺に倒れこむように向かってくる。
立っていた俺は慌てて音々を受け止めようとするが、もちろんモヤシは健在で耐え切れず床に尻もちをつく。
「痛たた……」
今の状況は俺が後ろに両手をつき、音々が俺の上にまたがって覆いかぶさっている。
顔と顔が近い。音々の吐息が頬を撫でるようにあたる。
「おにい、ちゃん……」
「わ、分かったから。血を吸っていいからっ」
「ありがと……(チュっ)」
音々の唇が俺の左頬を捉え、触れる。刹那の感触が俺の思考をショートさせて、何も考えられなくなる。
「いただきます……」
音々は頭を少しずらし小さな口を開くと、そこには二本の鋭く先の尖った牙がチラリと見えた。
ガブッ――そんな音が耳元で聞こえた気がした。針で刺されたような痛みが一瞬走るが、それを忘れさせるくらいの快感が俺を惑わす。
吸血鬼は血を吸う代わりに、被吸血者――吸血される者――に快楽を与える。そうすることで、吸血行為を『恐』ではなく『享』に変えてしまうのだ。
次第に被吸血者は吸血されることを望むようになる。それは上級の吸血鬼ならば、の話ではあるが……。
「あっ……」
血が抜かれる感覚はすでに快楽に変わっているわけで、俺は思わず声を漏らす。実に情けない声だ。恥ずかしい。
そんなことを考えている暇もなく、快楽が俺の脳を蝕むように支配していく。抵抗の余地などない。
音々、ちょっといつもよりペースが早くない? っ! ……あぁぁ!!
俺の精神がやばい方向へと制御不可能になる寸前で吸血が止まる。
首筋から艶めかしい感触が消え、残っているのは火照ってしまった体温のみだ。
離れていく音々の頭は、密接距離45センチ圏内でピタリと止まり――と言っても、今すぐにでもキスできてしまいそうな距離で――目と目が合う。
音々は舌を出し、唇を下から上へと舐めまわす。それが何とも言えない妖艶さを醸し出し、俺の気持ちを落ち着かせてくれない。
「……ごちそう、さま」
少し頬を赤らめて幸せそうな顔をする音々に、俺の心臓が跳ねる。
そんなことを知られたら最後、俺は未来永劫に音々の使い魔として逃れることが出来なくなってしまうだろう。
先ほどの感情を胸の奥に仕舞い込み、何食わぬ顔で俺は音々の頭に手をのせる。
「満足したか?」
「うん。ありがと、お兄ちゃん」
「よしっ」
俺は軽くワシワシと音々の頭を撫でてから、二カッと笑う。
音々も返すように、ニンマリと笑う。
これが俺たち兄妹の日常。
ちょっと歪で、それでも何より代えがたい日常――――
***
「お兄ちゃぁーん! 早くー」
「ちょっと待てくれよ」
皆さん、もうお気づきの方もいるでしょう……あえて言います。そう、今日は皆さん大好き“妹感謝デー”。わぁーい。
現実逃避はさておき、現在俺と音々は隣町にある遊園地まで遊びに――音々はデートと言い張っているが――来ている。
うちのお嬢様は、見てわかるくらいに上機嫌のご様子でいらっしゃる。
ちゃっかり腕を組んでくる音々。あまりにも自然な動きに、反応することも忘れてそのまま俺たちは遊園地を進む。
規模はそこまで大きくないといっても、観覧車やらジェットコースターといった定番のアトラクションは揃っているので退屈するほどではない。
ここら辺の地域ではここしか遊園地はないため、土日だと規模に見合わない程の込み具合を見せることがある。
しかし、今日は平日なのでそこまで混み合うことはないだろう。
もちろん学校をさぼったわけではなく、俺は文化祭の、音々は合唱発表会の振り替え休日がたまたま重なり今に至る。
それと、秋の肌寒い風も理由の一つにあるかもしれない。
よく見れば、学生のカップルがちらほらいる気がする。
あれ、この状況をクラスのやつに見つかったらやばくね?
「……お兄ちゃん、今日は最高の思い出にしようね!」
「お? おう」
どうしたんだ急に。
そんなに楽しみだったのか?
まぁ、それは兄として嬉しい限りだけど……
「お兄ちゃん、何から乗る?」
どこから出したのか、音々はパンフレットを見ながら俺に聞いてくる。
珍しく俺の意見を聞き入れてくれるのか、音々は俺の顔を覗き込み反応をうかがっている。
回答なんて用意しているわけもなく、いつもどうりの適当な返しをしてしまう。
「え、あぁー何でもいい……あ」
そこで自身の失言に気がつく俺だったが、時すでに遅し。音々はニコッと笑う。
「ジェットコースター」
「え?」
「ジェットコースターでいいよね?」
「……はい」
今更ながらに過去の自分を呪う俺。
何故ここまでへこんでいるのかというと、俺は絶叫系が大の苦手だからだ。マジで泣くレベルに!
そんなことはこの腹黒魔女様には関係ない。ちなみに音々は絶叫系が大好きだったりする。
神様は無慈悲なのだよ……。
***
「ふぅー、たっのしぃーっ!! ね? お兄ちゃん」
「……」
もう、許して下さい。
あなたの兄は死んでしまいそうです。
魂が抜けかけています。
「もうっ……しょうがないなぁ。時間も丁度いいし、お昼にする?」
「そ、そうしよう」
俺たちは一旦休むべく――俺がダウンしているため――近くのベンチに座り、昼食をとることにする。
俺はベンチに座ると全身を脱力させ、気持ち悪さを軽減させる。
音々も俺の隣に、ほぼゼロ距離でくっつくように座った。
「くっつきすぎじゃないか?」
「いいの! そんなこと言ってると妹の手作りお弁当が、なくなるよ?」
「え、音々が作った?」
「そう」
音々の弁当。
正直言うと嬉しさ半分、怖さ半分です。
何故なら音々が料理をしているところを俺は見たことがない。
バレンタインだって、くれはするけど市販の板チョコをそのままだ。
その際に放たれる一言と言えば「30倍ねっ(ニコッ)」である……。
酷くない? ねぇ、バレンタインデーってもっと初々しさを感じられるイベントじゃなかった?
まぁ、そんなことはどうでもいい。よくないけど、今はいい。
「じゃじゃーんっ! 音々の手作りサンドイッチ弁当だよ」
「おっ、見た目はいい感じ!」
「ん? 見た目はって、どういうこと?」
「い、いや、何でもないよ。うん、何でもない」
こわっ。なに、あの目。
兄に向ける目じゃなかったよ。
俺が口を滑らせたのがいけなかったんだけどね。
悪い癖だ。気を付けよう。
「お、おいしそうだなぁー。食べてもいい?」
俺は音々の顔を伺いながらサンドイッチに手を伸ばす。
音々の返事はないが、別にダメというわけでもなさそうなので一切れ手に取る。
顔はそっぽに向けてはいるが、音々は反応が気になるのかチラチラと横目で俺を見ている。
手にあるサンドイッチを口へと運ぶ。
どんな味なのか見た目からではわからない。
少しの不安と、それを超える興味心が俺の中で渦巻く。
三角形の角を俺は一口かじった……。
***
「ほい、バニラ&ストロベリーでいいんだよな?」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん」
俺はアイスを音々に渡してからベンチに座る。
ちなみに、俺はチョコミントだ。
少し寒いが、アイスはいつ食べても美味しい。
「アイスっていつ食べても美味しいよねぇ」
「同じこと考えてた」
「やっぱり! だよねぇー。アイスなら、いくらでも食べれそう」
「それは腹を壊すからやめろっ」
俺は音々を軽く小突いて笑う。
小突かれた音々はぷぅーっと口を膨らませるが、俺と同じように笑い出す。
考えていることが同じ。
それは兄妹だからなのか、それとも……今は止そう。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「ん? ……あ、一口欲しいのか?」
「えへへ、あたりぃー」
俺は大して口にしていない自分のチョコミントを、音々の方へ向ける。
音々は少し俺の顔を見てから、手に持った小さなスプーンで俺のチョコミントをすくい取る。
ミントとチョコのバランスが丁度いい感じに取れているところが、実に音々らしいと思う。
スプーンが音々の唇に迫る。
あと五センチ、あと三センチ、もう直ぐそこだ!
「お兄ちゃん?」
「え?」
「その、ジッと見られるのは恥ずかしいんだけど……」
「あ、ごめん」
俺は我に返り、アイスを口に運び始める。
いつの間にか音々のスプーンから、アイスは消えていたが、
「お返し」
次に俺の元へとスプーンがやってくる。
音々のバニラ&ストロベリーを乗せて。
俺は迷わず口を開けて迎い入れる。
「はいっ、あー……」
「んっ……うまっ!」
「でしょ、でしょっ!」
「俺もそっちにすれば良かったかなぁ」
なんとなく音々と違うやつを買った方がいいと思って、チョコミントにしたんだけどね。
まぁ、チョコミントも美味しいけどさ。
「じゃぁ、半分ずつ食べよ?」
「いいのか?」
「いいに決まってるじゃん」
音々は何を当たり前なこと聞いてるの?っといった表情を作り、そして笑う。
そんな笑顔が俺の心を騒つかせる。
「頬にアイスがついてるぞ」
俺は音々の頬についたアイスを人差し指でとる。
しかし、その人差し指は俺の元へと帰ってこない。
何故なら俺の人差し指は今、音々の口の中にいるからである。
「え、なんで?」
チクッという鋭い痛みが指先に一瞬だけ走る。
あーはい。吸血タイムですね。
ちゅ、ちゅ、ちゅっという音が、はっきりと俺の耳に届く。
吸血行為と吸血音により、俺の思考は段々と正常から離れていく。
もう、気持ちよければ何でもいいかも。
と、そんなことも思ってしまうほどに吸血行為が、音々が俺のことを惑わす。
「……ん、はぁ……おいしかった」
「……はっ! な、何してっ」
「吸血行為?」
「まじめに答えるなっ!」
妹の吸血衝動はいつも突然なんです。
たとえ公園でも、街中でも、もちろん遊園地でも。
***
時は過ぎ、空はオレンジ色に染まっている。
楽しい時間というものは、あっという間なのである。
「そろそろ帰るか」
「えぇーやだ」
「駄々こねんな」
どうやら、うちの姫様はまだまだ遊び足りないご様子。
さすがは体育会系なだけはある。
モヤシな俺は、もうバテバテですよ。
「……なら、最後にアレ乗ろう?」
「アレって」
俺は音々が指をさした方に顔を向けると、そこには遊園地の定番もド定番、観覧車があった。
「……わかったよ」
「やったっ!」
音々は今日一番かと思うほどの、とびっきりの笑顔に表情を変える。
そんなことで喜ぶなんて、可愛いやつだな。
音々の喜ぶ姿につられて、俺も嬉しくなる。
そんな俺の手を音々が掴む。
「行こっ」
引っ張る音々の手を俺は握り返して、笑う。
きっと今の俺の顔は今日一番に、世界で一番に幸せな顔をしているのだろう。
***
スタッフの指示を受け、観覧車の箱に俺たちは乗り込む。
四人ほどが入れる箱の中で、俺と音々は向かい合わせに座る。
少しずつ上昇する箱は次第にその景色を変え始めた。
「お兄ちゃんっ、あそこ見て!」
「ん?」
遠くに見える海は真っ赤に染まっていて、その先にある水平線には宝石よりもよっぽど煌めく夕陽が、その姿を少しずつ静かに消え去ろうとしていた。
「綺麗……だな」
「うん……」
夕陽が沈むわずかな時間、俺たちはその景色にただただ見惚れていた。
俺は少し気になって音々を見る。
泣いてる……。
目の前にいる彼女はその無邪気で、純粋な瞳から美しく綺麗な涙を流していた。
「音々?」
「あれ? なんで私……」
俺は感情よりも先に動いていた。
向かい合う音々を引き寄せ、抱き締める。
そして、優しく頭を撫でる。
小さい頃、音々が大切にしていた人形をなくして大泣きしたことがあった。
それはもう、本当に大変だった。
どこを探しても人形は見つからなくて、でも音々は泣き止んでくれない。
お兄ちゃんとしての責任感だったのかな。
何故だかは忘れたけど、あの時も今と同じように抱き締めて頭を撫でたんだ。
すると、さっきまで泣いていたのが嘘だったかと思うくらい直ぐに音々は泣き止んで笑ったんだ。
鼻水だらだらの顔で「おにいちゃん、だいすき!」ってさ。
俺はその笑顔がどうしようもなく愛おしく感じた。
多分、その時からだったのかな。
音々が時々、妹じゃなく感じ始めたのは……。
「……大丈夫か?」
「……うん」
音々は顔を見せないが、大丈夫だと頷く。
「何かあったのか?」
「……」
少しばかり沈黙が続き、そして夕陽が完全に沈んだ頃、音々はようやく口を開く。
「私は上月音々で、上月稜の妹」
「あぁ」
そうだ。音々は大切な俺の妹だ。
「私はお兄ちゃんのことが好き」
「うん」
ごめん。それには、まだ答えられない。
本当にごめん。
「バカ、なんで落ち込むの」
「いや、ごめん」
「……聴いて」
俺は音々の言葉を逃さぬように、音々の言葉だけを聴く。
「私がお兄ちゃんを好きでいるのは、私の勝手でお兄ちゃんは何も悪くないの。たとえ世界中の誰もがお兄ちゃんを悪者だって言っても、私は、私だけはお兄ちゃんの味方なんだよ?」
あぁ、いつもそうだ。
音々は俺の妹には勿体無いくらい優しくて、思いやりのある女の子だ。
きっとこんな子は世界のどこを探してもいない。
「ただ一つだけ私が怒っているのは、三年前のことをいつまでも引きずっていること」
「そ、それは……」
音々の言うことを受け入れることしか俺には出来ない。
「本当にお兄ちゃんはバカ」
「そんなバカ、バカ言うなよ」
「だってバカなんだもん!」
「なっ!」
音々と目が合う。
その目は泣いていたせいか、少し赤くなっている。
潤んだその瞳には、暗い俺の顔が映っている。
なんて情けない顔してんだよ。
妹と前なんだから、もっと兄貴らしくしろ!
「音々」
「うん」
「俺が間違ってた。結局、俺は自分のことしか考えてなくて……」
本当にダメダメだけど、でも俺は俺を変える。
それは自分のためでもあるけれど、でも何より大切な妹の、音々のために。
『これからは過去ばかりに囚われないで……俺が音々を幸せにするから』
「……ん」
俺は音々を深く抱き締める。
二度と離さぬように、これからもずっと一緒にいたいと思うから。
どのくらいだろうか、もしかしたら一瞬かもしれない。
けれど、俺たちの時間は不思議と止まっているように感じた。
「お兄ちゃん……血を吸ってもいい?」
「……うん、いいよ」
俺は首を傾け、音々が吸いやすいようにする。
薄暗い箱の中で抱き合う兄妹。
何故だか、俺はそれでもいいと思った。
音々が耳元で囁く。
「え?」っと俺が聞き返そうとした時にはもう、音々の牙は俺の首筋に突き刺さっていた。
ゆっくりと、ゆっくりと俺の中から血が抜けていくのを感じる。
だが、それを嫌だとは思わない。
今はこの時間がいつまでも続けばいいとさえ思っている。
それほどまでに俺は音々のことを……
「お終い……」
そう言って音々は俺から離れる。
「あ、あぁ……そう言えばさっき、何て言ったんだ?」
「……ぃご」
音々の声は小さかったけど、俺には分かってしまった。
『最後だよ――――』
「音々?」
「私は吸血鬼……だから、もう行かなくちゃいけないの」
「なんのことだよ。そんなこと一度も……」
――――『……お兄ちゃん、今日は最高の思い出にしようね!』
あの時の言葉が今になって蘇る。
「お兄ちゃん」
「ま、待って、待ってくれっ!!」
大好きだよ――――
「ね、音々ぇええええええええええええ!!!!」
音々は俺の大好きな笑顔で、闇となって消えた。
最後まで読んで頂きありがとうございます!!
続きを読みたいと思って頂ける作品になっていれば、この上なく嬉しいです。
続編に関しては未定です。
烏滸がましいお願いですが、感想を頂けると嬉しいです!!
黒眼鏡 洸でした。
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