神の花占い
嫌い、大嫌い……嫌い、大っ嫌い……嫌い……
ふわり、と最後の白い花びらが風に乗ってどこかへ運ばれていった。
それを見届けたと同時につかれた重い溜息は、散らばった花びらを舞い上げ、彼女はもうひとつマーガレットの花を取り上げた。
……大嫌い……嫌い
花びらの取れた茎とむしり取られた花びらと、山と積まれた白いマーガレットの花。その中で彼女は白い花びらをむしりとっては溜息を付いていた。それはもう、少女の出来るたった一つのこと。
マーガレットの花占い。
もっとも彼女がしているのは何かを占うのではなく、最悪を回避するための儀式と言っていいほど形式めいたものだ。
……嫌い……大嫌い……キライ
最後の花びらを散らして、少女は「キライ」じゃなく「大っ嫌い」だと思った。
神の末席に座す彼女の責務は、生まれ落ちる人間の幸福を引き寄せること。前任から教わった方法もそのままに、花びらをむしりとる。生まれる人間の魂に、神々からの祝福が相応しいか否か判別し、結果最悪だった魂を少しでも幸福にさせるため。大抵の魂の花占いは「キライ」で終わる。ささやかな祝福を授けられ、大きな悲劇も不幸も訪れることなく、穏やかに幸せに暮らしていく人間になるはずだ。
『あぁなんと、呪われた運命か』
一本のマーガレットを掴み、くるりくるりと回して弄びながら、彼女はつぶやき苦笑。
仮にも神の末席に座すものに運命などあるのだろうか。
何度も付いた溜息は幾度となくちぎられた花を舞い上げ、下界へと落ちる。
彼女を囲う異空間はそのたびに揺らぐ。それを見つめ、前任が補強して入ったにもかかわらず異空間の維持が限界に近いことを知る。
神々の序列の中でも最下位かと思われる彼女の仕事は、人間臭く、人間が生まれるにあたって一番重要なものだ。気まぐれな神々が面白半分に、過度な祝福を授けないように。
『あたしたちの中でも立派なお仕事よ、飽きるけど』
前任者である神が、彼女へ言った言葉。
思い出して彼女は後半は特に同意だと思う。たった一人、花とともに閉じ込められた空間の中で、後継者が現れない限り花をちぎり続ける。立派な、重要な仕事と言われても成果などまるで見えず、実感なんか湧かなくて。
……大嫌い……嫌い……
ぷつ、とむしった花びらを放りつつ揺らぎつつける空間を見つめる。
もう決めていた。
維持できなくなったら、己の役目を替わってくれる人を見つけに行く。己がいない間の魂なぞ知った事か。気まぐれな彼らは生まれ落ちる魂たちに祝福の大きさが判断されていないことなど当分気づくまい。
神の末席に名を連ねる彼女は神に成った時間も短い。永遠を過ごす神にしてはまだまだ、人間の本質が抜けぬようで。異空間がひび割れた瞬間、彼女は空間を抜けだした。
一瞬にして山と積まれた白いマーガレットが、散らした花びらが、舞い砕けた。牡丹雪のように、なくなりかける空間に降り注ぎ……何の欠片も残さずに消えた。
『……あら』
別の場所で。彼女を囲う空間をかつて補強した本人はふと、顔を上げた。
『いやだわ、やっぱり飽きるわよね』
唇が弧を描く。細められた瞳の奥に真っ白な花が映り込む。彼女に譲った仕事。形はいくら変えてもいいと言ったのに。
何もない目の前に片手を差し伸べると、待ってましたとばかりに一輪のマーガレットが現れその手に落ちた。
『ま、責任は取ってもらうわ』
花びらにくちづけ、ふっと息を吐く。
手の中の花が消えたと同時に、彼女がいた空間が再び修復される。神々の間で花占の間と呼ばれるそこが造られたのを感じたのか、側にいた一人の神が顔を上げ、笑みを浮かべる。
『当分、暇することはなさそうだな』
空間を造り上げた本人はその神を振り返り、優雅に微笑した。
『あら、いやよ。おいたが過ぎるのは』
『よく言うよ。こんな機会は滅多にないってのに見過ごすなんて、そんな奴はここにはいないだろう』
年がら年中だらしなく寝そべっていることに定評あるその神は、すっくと立ち上がると目を瞠るほどの威厳を纏い、姿を消した。向かうは花占の間だろう。
神を見送ったのち今後を思い、遠い花占の間を見上げるように顔を向ける。彼女が良い後継者を引っ張ってこられるなら、まだましなのだけど。己を棚に上げ、そんなことを思ってから手を振り一輪のマーガレットを取り出す。
……好き、嫌い……すき……きらい……
千切られた花びらが手元から足元へ落ちていく。
「キライ」の言葉とともに最後の花びらが千切られる。久々の花占いは以前とおなじように、大半の魂と同じ結果で終わった。花占の間の主が消えたからと言ってうまいこと神に多く祝福されうる魂なぞぼろぼろあるはずがない。
適正ではない多くの祝福を受けた魂はその重みに耐えられず、最悪を歩む。知っているにもかかわらず、暇つぶしと称して神々は魂に祝福を与えに行くだろう。生まれ落ちた魂の末路を見届け、暇な神様業を少しでも愉快にするため。
『本来、このお仕事が作られた目的はユウシャを見つけやすくするためだったと記憶しているのだけれど』
我々が見守り管理しているこの世界は、数百年に一度、ユウシャを必要とする出来事が起こる。そのように創造主はこの世界を創ったらしい。その為、人間たちはユウシャを見つける努力を数百年に一度、行うことになる。
ユウシャたる魂は多くの神々の祝福を、大いに受け止めることが出来る魂だが、ロクに仕事をしない神々が面白可笑しく生まれ落ちる魂に過度な祝福を与えるものだから、本物のユウシャ発見が遅れ、人類滅亡の危機に陥ったりしたことがあった。
幾度がそんなことを繰り返し、人間たちが出した祈りが今のマーガレットの花占いに繋がっている。
『たしか、あと数年でユウシャ探しが始まるのではなかったかしら』
他の神々とは違いよく下界を覗いて、得た情報をまとめ合わせ、そう結論づける。
『となると、そろそろ生まれ落ちる魂にユウシャのものが混ざっていても、おかしくないわね』
人間たちも苦労するわね。
楽しげに呟いて、その苦労を少しは知る故に、一輪ずつマーガレットを取り出しては占いを行っていく。些細すぎて、人間たちが苦労するのは目に見えているけれどやらないよりはましであろう。後で人間たちの苦情に対応する彼女が言い訳できるように。
遠く、けらけらと高らかな笑い声が聞こえた。
のんびり自分が創った世界を覗いていたら、どこからか笑い声が聞こえた。
ここまで届く笑い声ならかなり大笑いしてるんだな、と考えぎょっとした。ここまで届く笑い声の発生源は神々……あの世界の細かい管理を任せているあいつらしかいない。
『あいつら、今度は何しやがったん……ああ?』
座っていた椅子から思わず立ち上がり、ふっと視界をかすめた世界を覗く。生まれたての赤ん坊から異様なほどの祝福が溢れているのを見つけた。
『あのやろう……今の花占の間の主は誰だ! 仕事サボりやがって』
いらいらと呟き、創造主はひとつため息を吐いて椅子に座り直した。怒ってもどうにもならん。
『これでまたおれが手を加えなきゃならんほどあいつらは世界を壊すんだからな。ったく、おれの仕事内容考えろってんだ』
海と森が大半の人間たちの世界。先代が愛した世界だ。
『むしろユウシャ探し手伝うくらい愛してんなら、「数百年に起こる危機」のプログラム外せよ』
おれの仕事増やしてんじゃねーよ。
基本的に創った本人にしかその世界の規定はいじることが出来ない。
先代に任された世界は変な規定が付けられていて、それ故に自分が創った世界よりも先代の世界の面倒を見ることが多いのが現状である。
ちなみにその先代は自分が創った世界へと降りて、人間として暮らしている。約二百年ごとにこちらへ戻ってくるが、うひょうひょと笑ってばかりでなんの役にも立たず、神々にちょっかいかけて楽しんで、飽きたら世界へとまた降りて行くことを繰り返している。自分で設定した危機には巻き込まれたくないようで、危機が起こる年は毎回ユウシャ探しが終わればこちらへ戻ってくるので今回もそうだろう。
『先代もとっとと帰ってきて自分の世界くらい自分で面倒みろや』
ぼやく。しかも今回は花占の間の主がいないせいで、危機の回避までかなり時間がかかるはずだ。厄介事が増える一方だ。
『あーでもそうすると』
既に今の時点で祝福が溢れすぎてる先代の世界を横目で見つつ、首を傾げる。
『だいぶぶっ壊されてもその復興期間、先代いてくれるなら任せられるし、あいつらの仕事が増えるだけか……?』
先代がいれば多少は神々も動くし、神々の本来の仕事は魂に祝福を与えることだけではないはずである。海をなだめ、森を生き返らせ、人々を活気づけることも仕事のうちだ。問題は先代をこちらへ留めおく方法か……。
『……んー……』
考えにふける創造主の脇、もう一つの世界で、先代の世界から溢れた祝福により、一つの規定が崩れかかり人間たちが大混乱に陥っている。そんなことなどつゆ知らず腕を組み、悩む創造主の目の前に浮く世界の覗き穴から、人間になった先代が空を見上げ薄く唇に笑みを浮かべているのが見えた。
「ねぇ、まま? ほめてほめて!」
無邪気に笑い、認めてとせがむ我が子に私は引きつった笑みを浮かべた。
「そ、そうね。すごいわね」
「でしょ! でもね、さやちゃんのがもっとすごいの! わたしは一匹しか捕まえられなかったけど、さやちゃんは三匹も捕まえたんだよ!」
満面の笑みから目をそらし、我が子が捕まえたというモノをちらりと見やる。帰ってきたばかりらしい夫が唖然とソレを見ているのも目に入り、私は目をそらした。
「まぁ、そうなの。そろそろ夕食の準備するから手を洗ってきなさい」
「はーい!」
促して、バタバタと裏の水場へ出て行った我が子を見送り、私は固まったままの夫をつついた。
「おかえりなさい」
「お、おぅ……ただいま」
一応挨拶を口にし、夫はやっとこちらをみた。
「で、これは一体何だ」
「どこからどう見ても、西山に出るという黒猪では?」
ドンッと家の入り口を塞ぐように置かれたソレを指して言う。
「いや、それはわかってる。……いやいや、なんでうちにこんなモンが置いてあるんだよ。狩人二、三組派遣してやっと捕まえられる獲物だろう」
「それが、うちの子が捕ってきたらしいんですよ」
「……は?」
口を開いたまま、夫は冗談言うなという顔をした。私だってそんなの冗談にしてやりたい。我が子はまだ五歳の女の子だ。自然が多いこの村で、絶えず外にいる生活で活発にならないほうがおかしいくらいだが、これはあんまりだ。
「あ! ぱぱぁ~おかえりなさーい」
水場から帰ってきた娘は夫を見つけると、ダッシュでやってきて黒猪を飛び越え抱きついた。
「うぉっ。おーぅ、ただいま」
一気ににやけた夫に溜息をつきたくなる気持ちを抑えつつ、私は夕飯作りの仕上げにかかろうと台所へ向かう。
「で、これはどうしたんだ?」
「んー? 捕ってきたんだよ! わたしは一匹しか捕まえられなかったけどね、さやちゃんは……」
私にしたのと同じ話を繰り返す娘の声を聞きつつ、私は口を挟んだ。
「そこに置いておくと邪魔だから、裏にでも移動させて捌いちゃってくれる?」
「はーい! だって、ぱぱ。捌くってなに? ぱぱできる? わたしうらに持ってくからぱぱが捌くの見てもいい?」
矢継ぎ早に繰り出される娘の質問に、夫は圧倒されつつ、うんうんと頷く。娘はするりと夫から滑り降りると黒猪の前足の片方を掴み、ずるずると裏庭へ引っ張っていった。
「……こりゃ本当か」
その様を見ていた夫の呟きに、私は大鍋に火をかけながら言った。
「なんでも最近、こんな在り得ない子どもが増えているようですよこの村では。まったく、どうなっているのやら」
「……どうなってんだよ、おかしいだろ」
昨日まではこんなんじゃなかっただろ。
呻くような声に、私は肩をすくめた。耳の奥でうひょうひょと笑い声が響いてくる。
『いつか、この世界もわしの世界に引きずられる。世界は流転するものじゃ、怯えることなく受け入れることじゃな』
夫の元へ嫁ぐ前、神殿で働いていた時、開かずの間であった部屋からぬっと現れたおじいさんにばったり出くわし、驚かした詫びじゃと未来の欠片を教えてもらったことがある。それが、この変化なのではないかと黒猪を引きずって返ってきた娘を見て思った。
「まぁ、これが世界の流転なら、私たちは受け入れることしか出来ないでしょう。もっともあの子が流転に関わっているのだもの、拒むことは出来ないでしょう?」
私が神殿に仕えていたことを知る夫はその抽象的な発言に、まぁな、と返した。
「神さんがなーに考えてんのか知るよしもねぇが、ま、なるようにはなるんだろうな」
まずは黒猪をいっちょ捌いてきますか。
腕捲りしつつ、少しは晴れた顔で夫は裏庭へ出て行った。
「……だけど」
娘の声と、夫の声が聞こえてくる裏庭へ一瞬視線をやり、私は首を横に振った。
「子どもを力持ちにさせて、一体世界をどう創り変えたいのやら」
『いきなり呼び出したりして、どうかしました?』
『あん? あぁ、来たか。お前、花占の間の前任者だろう、今の主の代わりは立たないのか』
『いやだわ、あたしにはもう別の役職があるんですよ。そうやすやすと戻れませんわ』
『別の誰かを立てることは?』
『無理ですわね、大抵の神々はすでに花占の間で、祝福を与えて遊んでいることかと思います』
『……役に立たねぇ奴らだな』
『あたしに言われましても。……あら』
『ああ?』
『珍しいですわね、規定の一つをお変えになったんですか?』
『変えられねぇよ。変えられるもんならとっとと危機発生の規定を変えてるわ』
『いえ、あたしたちが管理する世界ではなく、あなたの創られた世界のことですよ』
『いや、変えてねぇがどうかし……おいっ! なんだこりゃあ……あいつらの祝福か! だぁっ! ざけんな、あいつらとっちめてやる!』
『あらあら……行ってしまわれたわね。せめて、影響くらい取り除いてから行けばいいものを』
『てめぇらっ! その垂れ流しの祝福を止めやがれーっ!』
『にしても、いくら溢れる余り物の祝福を受けたからとはいえ、魔法の発現の方向がおかしいわね。怪力ばかりが発現しているとは、元の規定はどうなっているのかしら』
「あなたのSFコンテスト」に参加させていただいた作品です。
すこしふらっと(♭)を略して「SF」!
♭とは楽譜で音を半音下げるときに使う記号です。
本来の意味のSFではございません。
どこかズレてる、人間臭い神様を、本来の音から半音ずれた♭に置いてみました。
……。(後付なんかじゃないはずであるきっと)
枯れ木も山の賑わいということで、隅っこにでも置いておきます。