フィルサンド防衛戦 5(三人称)
「おおおっ!」
「ひぃぃっ!?」
宮廷魔術師カネイギンが立つ指揮所からは、暗鬼の軍団のど真ん中に八つの隕石が落下するのが良く見えた。
隕石が落下した地点に、八つの巨大な火球が生まれ、轟音と衝撃が指揮所をも飲み込む。
堅牢な大門の上に設置された指揮所もビリビリと大きく震え、カネイギンや重臣たちは必死に脚を踏ん張った。
「あれがマルギルスの隕石か……」
冷徹なフィルサンド公爵の呆然とした声など滅多に聞く事はできない。むしろ、悲鳴を上げないだけ立派だとすらカネイギンは思った。
居並ぶ重臣や騎士たちをさしおいて、涼しい顔をしているのは魔法使いの側近である女魔術師のみだ。
「み、見ろっ。あのデカブツが……」
「何という凄まじい魔術だ……」
重臣や騎士の呻きを聞くまでもなく、全員が確認できていた。
大門自体に匹敵するほどの威容で迫ってきた超巨大暗鬼が、ほとんど両脚と下半身だけの姿になって台地に転がっている。
千切れた腕は市壁に『押花』のように張り付き、その他の肉片が兵士達に降りかかっていた。
黒い絨毯のように広がっていた暗鬼の群れにも八つの大きな穴があき、そこだけに大地が露出している。
「ま、魔法。これが魔法の威力なのか……」
カネイギンは戦慄して呟いた。
マルギルスがドラゴンを造り出した場面には立ち会っていた。その時も驚愕と恐怖を覚えたが、今回の衝撃はそれ以上だった。
魔術師学院の本院で英才といわれた彼は、重臣や騎士のように単純に隕石の威力にだけ驚いたのではない。
マルギルスの『魔法』が、ただ『ドラゴンを造り出す』という一点に特化した技術ではなく、恐るべき多様性を持つ技術だということに気付いたのだ。
「……わ、私では、あの隕石の半分の火力の魔術を一度使っただけで、魔力が枯渇してしまうだろう……」
魔術師である彼はどうしても自らの『魔術』との比較で考えてしまう。
魔術とは、『魔力を消費して発動する』ものだ。
例えばカネイギンの『魔術盤』に表示されている魔力量は322である。世界の魔術師の中で上位数パーセントに入る数値だ。
そして、彼の最強の魔術『サンダーボルテックス』の魔力消費量は300。つまり一度サンダーボルテックスを使えば、彼の魔力は322から22にまで落ちる。中級の魔術を一度使えるかどうかという数値だ。
その超級魔術サンダーボルテックスでさえ、今見た隕石一つの半分にも満たない威力なのである(一応、彼の名誉のために付け加えておけば、このサンダーボルテックスは岩鬼一体を倒せるほどの威力はある)。
要するに、魔術でいまマルギルスがやったのと同じことをしようと思えば、約4800の魔力を消費しなければならないということだ。
「一人の人間が、5000近い魔力量を持つなど……信じられない……」
カネイギンが知る最強の魔術師、魔術師ギルドのグランドマスターだって魔力量は1000というところだろう。自分達が客としていた人物のあまりに規格外れの力に、カネイギンは力なく首を振った。
「おい、デカブツがっ」
「動いている……さ、再生しているのか!?」
「それにまだ暗鬼は残っている……ああ、岩鬼も二体生き残ってるぞっ」
「……騎士団と歩兵隊がどこまで食い止められるか……」
横倒しになっていた超巨大暗鬼の下半身、内臓が零れる損傷部に赤黒い肉が盛り上がっていくのが見えた。見る間に、というほどではないが赤い新しい肉はどんどん増殖していて、半日もあれば復元しそうな勢いである。
さらに、隕石の威力は確かに凄まじかったが、それでも五千体近い暗鬼を全て倒すことは不可能だった。
ざっと見ただけでも半数近い暗鬼は無傷で、隕石落下後の十数秒停止していた進軍を再開しはじめている。人間の兵士なら到底戦闘不可能な傷を負った暗鬼も、身体を引きずるように城門を守るフィルサンド軍に向かっていく。
《あそこの岩鬼なら私の魔術で何とかできる……もう一体も残った魔術師と兵士で集中攻撃すれば……》
と、カネイギンが戦術を検討していると。
『ヒュウッ』
再び、頭上から暗鬼の軍団に向けて八つの隕石が落下していった。
「な、なにぃぃっ!?」
「うわぁぁぁっ!」
最初の一撃から30秒も経っていないだろう。それと全く同じ、八つの火球が暗鬼の軍団を焼き払う光景が再現された。
違うのは、後に残った暗鬼たちの数だ。
再生を始めていた超巨大暗鬼は最早跡形もなく消し飛んでいる。二体残っていた岩鬼も同様。
小鬼や巨鬼の軍団も、黒い絨毯というよりは大地に数箇所できた黒い染みのようだった。大雑把に勘定して、千に満たない数だろう。
「あ、あ、あ……ありえないっ! ありえないっ!」
頭を抱えて叫んだのは、カネイギンの後ろにいた彼の弟子だった。
他に数人いる魔術師や、騎士の一部も似たような状態だ。魔術や戦いに疎い重臣たちなどは、単純に喜んだり驚愕しているが……。
「少なく見積もって一万の魔力量だと!? そんな存在があるはずがない!」
「マ、マルギルス殿がその気になれば、この剛毅城すら簡単に破壊できる……」
「それどころか本当に国を一つ滅ぼせるぞ……」
「……」
カネイギン自身も弟子たちのように喚き散らしたい気持ちで一杯だった。しかし、宮廷魔術師としての責任感がかろうじて彼に理性的な思考を残させている。
《これはもう……認めるしかない。あれは、あれは魔術とは全く違う技術だ。『魔法』か。魔力ではない別の『力』を源とする技術なのだ……》
物心ついたときから魔力を感じることができ、修行を始めてすぐに魔術盤も認識できたカネイギンにとってその結論は、『歩くために脚ではない器官を使う』というくらい異常なものだった。
他の誰にも気付かれずに終わるが、カネイギンが英才たる所以はこの結論をひとまず受け入れることができたことと……『では、そもそも魔力とは、魔術とは何なのか?』という疑問に行き着けたことだろう。
「ま、また隕石だぁっ!」
深い思考に沈みそうになっていたカネイギンの頭上を三度目の隕石が通り過ぎていった。
「……も、もう何が起きても驚かんぞ……」
精一杯の意地を込めた宣言は、もちろんすぐに覆ることになる。
「……なあ、これって夢じゃあないよな!?」
「こんな滅茶苦茶な夢があってたまるかよ!」
フィルサンド歩兵隊のバイクは、地面に伏せたまま隣のボンドと喚き合っていた。
三度の轟音で鼓膜が馬鹿になっており、大声でないと聞き取れないのだ。
つい三十秒ほど前までは、暗鬼の軍団の黒い大波に飲み込まれ死ぬことも覚悟していたというのに。
いま、目の前の大地を埋め尽くすのはばらばらになった暗鬼の身体の破片だった。いや、良く見ればまだ数百体は小鬼や巨鬼が動いている。そのほとんどは大きな傷を受けており、本能に任せてこちらへよたよた向かってくるだけだ。
「いまのって……あれが、やったんだよな?」
「バカっ! あれとか言うな! 聞えたらどうするんだ!?」
バルクが見上げた視線の先には、小さく小さく、黒い馬に跨った男の姿が見えた。
魔術など、せいぜい小鬼を一体倒す火の矢や風の刃くらいしか見たことのないバルクたちにとっては、想像もできない存在だ。
その人物をあれ呼ばわりしたボンドをバイクは思わず小突いていた。万が一にも彼の機嫌を損ねて、あの隕石が頭上に降ってきたらと思えば当然だろう。
「……あ、暗鬼どもは最早壊滅寸前だっ! 総員、構えろ! 残敵を掃討する!」
背後から指揮官の裏返った号令が聞えた。
確かに、大きく数を減らしたとはいえこれだけの暗鬼を見過ごすことはできない。隕石は凄まじいが、暗鬼の軍団の密集度が大分薄くなったいまのとなっては効果が薄いだろう。
指揮官の判断は妥当だったし、バイクたち兵士も震える身体を必死に立ち上がらせていく。
「よ、よしっ。あれだけなら俺達でも何とかなるぞっ」
「フィルサンドには一匹も入れられないからなっ」
『ズウンッ』
十数メートルにまで迫った巨鬼や小鬼の小集団に歩兵隊は槍を向けた。
その瞬間。
バイクの目の前に、『壁』が現れた。重い音は、目の前の『壁』が大地に降りた音だ。
「な、何だ……ぎゃぁぁっぁ!?」
「うわあぁぁぁっ」
「あ、暗鬼かっ!?」
腰の引けたバイクとボルトが見上げた『壁』の先には重厚な鎧に身を包んだ戦士の姿があった。つまり、彼らが『壁』と思ったものは、戦士の脚だったのだ。
「きょ、きょきょ、巨人!?」
幻馬にのって上空にいるマルギルスが、【怪物創造】の呪文で作り出した三体の森の巨人である。
巨人たちは、フィルサンド大門と生き残りの暗鬼の軍団の間に壁となるように横一列に並んでいた。五千に近い大軍ならともなく、僅かな敗残兵ではこの三体の防御をすり抜けてフィルサンドへ到達するのは不可能に思えた。
「こ、こいつらも……あれ……じゃない、マルギルス……マルギルス様が、魔術で出したのかなぁ!?」
「……そ、そうじゃ……ない?」
「つーか、こいつらが持ってるものって……」
「おいまさか……」
三体の巨人はしっかり鎧を着込んでいたが、手にしているのは武器ではなかった。
長い柄の先に細く長い枝を無数に束ねてくくりつけた……要するに『ほうき』である。
「「……っ」」
巨人たちは三つ子のように息を合わせ、両手に構えたほうきで『掃いた』。
もちろん、向かってくる暗鬼たちを、だ。
「うわあっ!?」
「ひいいっ」
これで巨人たちの動作が見た目通り鈍重であったら、不屈の憎悪に燃える暗鬼のうち数体くらいはバイクたちの前までたどり着いたかも知れない。
だが、巨人はむしろ軽快な足取りで立ち位置を変え、子供くらいなら吹き飛びそうな乱気流を巻き起こしながら素早くほうきを前後させている。
《うちの母ちゃんと同じ掃き方だ……》
尻餅をついたバイクはぼんやりと、最近あまり会っていない母親の姿を思い出した。
「ギアアアッ!?」
「ギャヒッ!」
もちろん、『掃かれる』暗鬼たちは尻餅どころではすまない。
軽々と数十メートル吹っ飛ばされるもの、地面とほうきの間で磨り潰されるもの、枝に串刺しになるもの……。
嵐のように舞い上がる砂埃でほとんど見えないのが幸運だとバイクはつくづく思った。
「あ、あっちにも巨人だぁっ」
「向こうにも出たぁっ」
へたり込んだまま兵士達は次々に出現する巨人の影を見た。
砂埃で正確にはわからなかったが、巨人は三体ずつ、暗鬼の軍団を閉じ込める四角形を構成するように配置されていた。
「なんだこれ……もう笑うしかねぇよ……」
「あ、ああ……」
数分後。
実に規律正しく、12体の巨人が生き残りの暗鬼たちを中央に掃き集めると……。
「ギュオオォォォッ!」
今度天空に響いたのは隕石が大気を切り裂く音ではなく、竜の咆哮だった。
フィルサンドの港にやってくる大型の帆船ほどもありそうな巨大なドラゴンが飛来したのだ。
「今度はドラゴンとか……」
「マルギルス様って人はほんとうに何者なんだ? 蛮族がよく言う魔神か?」
巨人たちによって一箇所に集められた暗鬼や暗鬼の残骸でできた小山を、ドラゴンが吐き出す灼熱の息が焼き尽くしていく。
現実離れを越えて、神話じみた光景だ。バイクたち歩兵はもちろん騎士たちも痺れたように動けない。
バイクをはじめ、その場の全員が『公爵がマルギルス様を怒らせないように……』と心の底から祈っていた。
「……これが夢なら、醒めてほしい……」
「なんなら海に飛び込んでみますかい?」
フィルサンドの港から出航し、入江に待機していた最新型の大型帆船。
その見張り台に立つ二人の男が緊張に強張った声で囁き合っていた。
一人は北方の王国の商人であることを示す青いたすきを肩にかけた中年。もう一人はこの船の船長である。
ドワーフから高値で購入した望遠鏡を覗き込んで呟いたのは商人の方だ。
「細かいことまでは分からないが、あの空飛ぶ馬に乗ってるのがジオ・マルギルスで間違いないだろうな。……そして、やつが隕石を降らせ、巨人や竜を操ることも……現実の話だ」
「私はまだ信じられませんなぁ……。一人の魔術師があんな途方もないことを……」
「今までにも情報を集めていて、実際にこの眼でみた私でもそうなんだ。無理もない」
脂汗を拭って深いため息をつくたすきの男。実は商人というのは表の顔で、本業は北方の王国のさる要人に仕える密偵であった。
「私は王都の闘技場で『極炎』の戦いを見たこともあるが……まぁなんというか桁が違うな」
「最高の冒険者でも、暗鬼の軍団を全滅させるなんてできるわけがないですからな……」
この世界で最強の魔術師と呼ばれる『極炎のカルブラン』ですら、『魔法使い』ジオ・マルギルスの足元にも及ばないだろう。それが、密偵が当然行き着いた結論である。
「船長、最速だ。途中の取引は止める。最悪、積み荷を捨ててでも王都まで最速で帰還し、報告せにゃならん」
「……それじゃ大赤字ですぜ?」
見せ掛けの仕事とはいえ、フィルサンドから南の軍神国、西方の王国、北方の王国を結ぶ海上貿易は莫大な利益を生む。
今回の航海でも、情報だけでなくそれなりの収益を上げることは計画のうちなのだ。
「いま、我々が掴んでいる情報こそがもっとも重要な積荷なんだよ船長。個人であれほどの力を持つ者が、王国の敵になるか味方になるか……冗談抜きで北方の王国の存亡がかかっているといってもいい」
「……確かに、そうですな」
いくつもの修羅場を潜ってきた熟練の密偵の言葉に、船長は生唾を飲んで頷いた。
「我々以外にも、同業者がこの情報を北方の王国に持ち帰るだろうが……。まともに取り合うのは多分、うちの大将くらいじゃないか? 他のバカ貴族がへたなちょっかいを出して彼を怒らせたりしたら……」
「うへ、確かにありそうな話ですな」
密偵の男は、船長に指示して数名の部下を小船で下ろし、引き続きマルギルスについての情報を集めさせることにした。
数日前、フィルサンドに暗鬼の軍団が迫ってくると知った時にさっさと逃げ出さずにいて本当に良かったと胸を撫で下ろす。
これまで長い年月密偵として活動してきたが、これほど重要な情報を扱うのは初めてだった。
「本当にこりゃ、歴史ってやつが動くのかも知れないぞ……」
このとき男は、自分が密偵としての人生の最大の山場を迎えたと思っていた。
それが勘違いで、実際は山場を迎え始めただけだと気付いたのは、ずいぶん後の話である。