兄の話
「ありがとうございますっありがとうございますっ」
「魔神様っ。どうか我らシュルズの民に、神王の末裔にご加護をお与えくだされ……」
避難民達の最後尾にいた青年はやはりフィルサンド公爵の長男、バルザードだった。
彼の横で平伏して何度も頭を下げる老人は、シュルズの先先代の族長(つまりディアーヌの祖父)コルヘル氏である。
シュルズの民は暗鬼の軍団からの逃走に疲れ果て、少し離れたところで全員へたり込んでいる。
いま、私の周りにいるのはレード、アグベイルとこの老人だ。ディアーヌには避難民たちの面倒を見てもらっている。
「兄さん……本当に生きてたんだね」
「アグベイル、お前が迎えにきてくれるなんて思わなかったよ!」
(公式には)戦死していたはずの兄と弟の感動の再会だ。
バルザードは目に涙を浮かべてアグベイルを抱きしめていた。ふくよかな体格の兄に比べて華奢な弟は複雑な表情である。
そりゃあ、最近まで兄の後釜を狙って実の妹を暗殺しようとしていたのだ、居心地は最悪だろう。
早く本題に入りたかったが、この兄弟の人柄や関係を少しは知っておいた方が良いだろうと少し様子を見ることにする。
「父上に母上、エリザベルは変わりないかい?」
「ああ、いつも通り元気だよ。エリザベルはずいぶん落ち込んでいたけどね」
「そうか、悪いことをしたなぁ。早く皆に会いたいよ」
「大分痩せたね兄さん。みんなびっくりするよ」
口調や表情を見る限り、バルザードは本気で家族の心配をしてるようだ。おや、と思ったのはアグベイルの方も兄と話すに連れて表情が和らいできた点である。兄の人徳だろうか?
「それより、何で兄さんはシュルズ族に肩入れしているんだい? それとも、味方をする振りで利用してるの?」
「いや、利用なんて……」
アグベイルの聞き方は、『利用してる』のを非難するよりもむしろ褒めているようだったが。バルザードとコルヘルは激しく否定した。
「そんなことはないっ。彼は『神の庭』から『砦』に一人で逃げてきて、暗鬼の軍団の襲撃を警告してくれた。その上、公爵との交渉に自分を使うよう言ってくれて……」
「シュルズ族に肩入れしているというのは本当だね……。だって暗鬼が出たんだよ? 人間同士で争ってる場合じゃない」
『砦』というのはシュルズ族の前進基地で、『神の庭』は現在の本拠地だったな。ディアーヌに聞いていたとおり、バルザードは『神の庭』に捕えられていたのだろう。
……それにしてもバルザードは私とほぼ同じ考えをしているな。素晴らしい。
「ところで、そろそろ暗鬼の軍団について教えてもらえないか?」
「あ、はい。……実は……」
バルザードが語ったのは次のような出来事だった。
『神の庭』に送られた彼は神殿地下の牢獄に囚われの身となった。
そこで、『呪術官』だという男によって何度も儀式に参加させられたのだという。
暗鬼の頭蓋骨のような祭壇の前で何時間も祈りを捧げさせられる、骨を組み合わせて作られた密室に閉じ込められりといった不気味極まりない儀式だった。
……というかこれは、明らかにアレじゃないか。
「そいつらは暗鬼崇拝者だ。間違いないな」
「ああ。レリス市のときと同じだ」
「……そう、ですね。そうだと思います」
レードと私の言葉に、バルザードも頷く。当時を思い出したのか、顔色が悪い。
「呪術官や……それに族長の妻のシェーラも私に盛んに世界を憎めとか、自分を見捨てた父を恨めとか言ってきました」
「そうやって連中は仲間を増やしているんだ」
レードのバルザードを見る目が険しくなってきた。
私も気をつけて彼の顔を見てみるが、父親と同じ青い目はレリス市のコーバル男爵や洗脳されていた時のレイハのように金の光を宿してはいない。
「そんなことがずっと続いて……10日くらい前かな? 急に騒がしくなったと思ったら……『神の庭』中に暗鬼があふれ出して。牢番が私を出してくれたんです。彼や、他の人たちと一緒に逃げ出したんですが……途中でみんな……」
それで一人で『砦』まで辿り着き、シュルズ族に警告して一緒に逃げてきたのか。
言葉にすると簡単だが、相当に英雄的な行動だな。
感嘆と、少々の胡散臭さを感じながら彼の顔を見詰める。コルヘル老人はうんうんと頷いているから、一応つじつまは合っているのかも知れない。
「……動くな」
と、レードが小さな水晶球……『見鬼』を取り出しバルザードの目の前に突きつけた。
「な、何ですか?」
「……いや、悪いが彼のいうとおり少し動かないでくれ」
バルザードが怯えたような声を出すが、それを制止してレードともども水晶球に封じられた赤い塊……暗鬼の血液を見詰める。
レードなどはもう大剣の柄に手をかけていた。
「…………」
暗鬼の血液の塊が薄く広がって発光すればバルザードが暗鬼の影響下にあるもの……戦族いわく『憑かれた者』だということだ。
固唾を飲んで見守っていると、指先ほどの赤い塊がゆっくりと数倍に膨れ上がった。
「……っ」
「ねえ、これは一体……」
私が声を飲み込むと、冷や汗を浮かべてバルザードが後ずさった。
レードは鋭い目で見鬼の内側を見詰めていたが……。
「俺は占師じゃないからな。正式な判断はできないがとりあえずこいつは憑かれてはいない」
確かに、暗鬼の血はそれ以上の変化はない。発光はしないが、しかし無反応でもないということは……?
「……おい」
レードがバルザードにあごを向けた。多分、私に何かしろと言っているんだろう。
む、そうか。あれか。
「すまないバルザード。少し我慢してくれ。……この呪文により、彼の精神を蝕むあらゆる邪悪を浄化する。【祓 い】」
洗脳されていたレイハの精神を解放した解呪をバルザードにかけてみる。
白い光が彼の身体を包み込むと……。
「わっ……うひゃっ!?」
バルザードは背中に氷を突っ込まれたみたいな悲鳴をあげて身体を縮めた。
同時に、頭部のあたりから黒い霧のようなものがあふれ出し、解呪の白い光に駆逐され消えていった。
「……な、何ですかあれは……?」
「まあ後で説明するが……。君の方は何か変わったことは?」
「うーん……特には……少し頭がすっきりしたような気はしますが」
どうやらやはりバルザードの精神は暗鬼によって侵食されていたらしい。
彼の人格や感情には混乱はないようなので、多分だが洗脳の途中だったか、あるいは必要な時だけ彼を操るような術だったのかも知れない。
「やはりこの騒ぎは暗鬼崇拝者が仕組んだことか」
「……しかし暗鬼崇拝者が暗鬼の軍団を操るなどこれまでなかったことだ」
私の推測にレードは同意したが、渋い顔だ。
これまで暗鬼崇拝者や憑かれた者というのはあくまでも一方的に暗鬼を崇め利用する存在で、実際に暗鬼を従えたりできたことはなかったのだという。
私を暗鬼呼ばわりしてディアーヌに殺させようとした『呪術官』とやらといい、暗鬼との戦いはこれまでの戦族の知識にもない新たな局面を迎えているのだろう。
例によって更新できなくてすみません。
章立てやキャラ紹介もそろそろ取り掛かりたいのですが、まだ手がついてません。
連休には何とかしたいと思っております。
できれば書き溜めも……!