フィルサンド防衛戦 3
背後から暗鬼の軍団に追われながらも、疲れ切った避難民たちの足取りは重い。
一方、金切り声を上げながら彼らを追う暗鬼たちは仲間を踏み潰す勢いで疾走している。
恐らく暗鬼が避難民達を発見した直後なのだろう。
……ここはギリギリ間に合った、というべきか。
「ギイイィィ!」
「ギギギッ!」
避難民を追跡するためだろう、暗鬼の軍団を構成するのはほとんど小鬼だった。
身長は1.5メートルほどと小柄だが、黒い粘液を塗りたくったような身体と大きな目玉を憎悪にギラつかせる顔は、やはり今までみたどんな人間の悪党よりもおぞましい。
粗末な木の槍や石斧、さびた剣などを振りかざした小鬼どもは五百から千体といったところだろうか。
【隕 石】で吹き飛ばすには避難民たちとの距離が近すぎるし、火力の低い呪文でちまちま倒していては被害がでる。
「……ディアーヌ。君を仲間達のところに返す。絶対に彼らが分散しないようにまとめて、フィルサンドに向かって進ませるんだ」
「ちっ。……分かったよ!」
ここにくるまでにシュルズの姫にも事情は説明している。舌打ちしながらもディアーヌは頷いた。
「レード! 私達は最後尾までいって暗鬼を叩く!」
「ああ」
「……死ぬ、死ぬ、死にたくないっ」
レードは片手の上に小さな珠を乗せ、それを見下ろしながら頷いた。
例の、暗鬼の血を封じてあり暗鬼の接近に反応するという『見鬼』だ。当たり前のように本来透明なその珠は赤く光っていた。
アグベイル君は……真っ青な顔で幻馬にしがみついているからまあ邪魔はしないだろう。
「なあっ何でなんだ!?」
「ん?」
避難民たちの先頭に向かって降下していると、腰にしがみついていたディアーヌが叫ぶように聞いてきた。
「何でお前は俺達を助ける!? 何の得もねーだろ!? ……いやその、ありがてーんだけどよ」
従姉妹と同じ質問だな。これも血のつながりということだろう。最後にぼそっと礼を付け加えるあたりは従姉妹よりも素直か。
だが、悪いがゆっくり相手をしている時間はない。
シュルズ族も頭上から近づいてくる私達にようやく気付いてこちらを指差したり叫んだりと慌しい。
避難民を先導する老人の側まで降下し、彼女に答える。
「子供が損とか得とか言わないでくれ。助けられるものを助けなかったら気分が悪いからだっ」
「おわっ!? ……ってめぇー!」
いちいち着地して彼らに事情を説明するのは時間の無駄だ。ほとんど放り投げるようにして彼女を地面に下ろすと、猫のように敏捷に着地し老人に並んで走りはじめた。
「ひっ、姫さまーっ!」
「ご無事でしたかっ」
「砦がっ……砦がっ」
「では後は頼むぞっ。……のんびりしてるなよ!」
老人や周囲のシュルズ族に囲まれ質問を浴びせられはじめたディアーヌに一声かけると、私は幻馬の馬首を返した。
「あああんっあああんっ」
「うわぁぁっ、た、助けてぇぇっ!」
ぼろぼろの身体に鞭打ち必死に逃げる避難民達の列を低空飛行で逆にたどり、最後尾まで達する。それまでの貴重な十秒で、一つの呪文を詠唱しておいた。
縦に長く伸びた避難民の最後尾では、明らかにシュルズの民とは人種が違う大柄で色白の青年が、背中に老婆を背負い、片手で子供の手を引きながらよたよたと走っていた。
『助けて』という声は、明らかに私を指定している。
この切羽詰った状況で、空飛ぶ馬に跨った黒ローブの男という不審人物に助けを求める判断ができるとは人を見る目はあるのだろうか?
「ギイィィッ」
その青年に向けて、暗鬼の軍団の先頭の一匹が一気に飛びかかった。槍の穂先が鈍く光り……。
「しっ!」
「ギャアッ!?」
幻馬から飛び降りざまに振るわれたレードの大剣が、暗鬼を横に両断した。
「さっさといけ!」
「ひゃ、ひゃいっ」
無力な獲物の群れを追っていた勢いのまま、小鬼たちは濁流のようにレードに襲い掛かる。
戦術もなにもない。ただただ、自分が一番先にあの憎い人間の肉に武器を食い込ませたい……そんな執念に突き動かされている。
「ギギャアッ!」
「ゴファッ!?」
だが漆黒の濁流は巌のような巨体の戦士に指一本触れることはできなかった。
2メートルを超える大剣はレードを中心に物凄い勢いで回転し、間合いに入った瞬間に暗鬼の身体を斬り飛ばす。
以前、【達人の目】で確認したレードの『D&B』換算レベルは21。
『D&B』のルールでいえば人間の限界をとっくに超え、ドラゴンやサイクロプスとも単独で渡り合える戦力だ。いくら凶暴で残虐でも強さでいえば1か2レベル程度の小鬼が何百体集まっても勝てる道理がない(まあもちろん疲労という問題はある)。
しかしいくら強かろうと、一人の人間には限界がある。
数百体の暗鬼はレードの左右をすり抜け、最後尾の青年、そしてその向こうのシュルズの民目掛けて突進していく。
が、ここで先ほど唱えておいた呪文が効果を発揮した。
「「ガアアアアッ!」」
鼓膜を震わす咆哮は二重だった。
『ゴオッ』という身体を叩く爆音と衝撃に合わせ、天から二本の炎の柱が降ってきた。
「ギャァァッ!」
「グキャアアアッ!?」
【全種怪物創造】で上空に作り出しておいた、二体の赤竜が放射した炎の息だ。
この呪文は自分のレベル合計と同じモンスターを一度に創造できる。30レベル以上の巨大竜1体よりも、18レベルの成体竜を2体の方がこういう場合便利だと思ったら案の定だ。
「ギュオオオォォ!」
自在に飛行し、一息で十数体の小鬼をまとめて焼き尽くす炎の息を浴びせまくるドラゴン2体によって、暗鬼の軍団はみるみる削られていった。
もちろん、避難民に近づくものから優先して攻撃するよう命令しているので、今のところ彼らに被害はでていない。
「この呪文により直径8メートルの火球を生み出し我が敵を焼き尽くす。【火 球】」
「「ギィアアッ」」
レードとドラゴン2体の大暴れがあっても、やはり数が多い。ブレスと大剣をすり抜けた暗鬼たちはドラゴンへの恐怖より人間への憎悪が勝っているのか、なおも避難民に追いすがろうとする。
そんな撃ち漏らしの小鬼たちも、私が狙い定めた呪文で次々に排除する。
何気に、『D&B』の魔法使いにとっては印象深い攻撃呪文である【火 球】だが、いま初めて使ったな。
3レベルの呪文ということで、高レベルのシナリオではあまり役に立たないことが多いのだが実際に見てみると、小さな家くらいの灼熱の火炎球が暗鬼たちを包み込み焼き尽くす光景はかなり凄まじい。
「……かなり散らばってしまったな……。 【魔力の矢】」
ドラゴンや避難民達に気を取られた暗鬼は、幻馬に乗って頭上をうろちょろしている私に注意を向ける余裕はなく、存分に呪文を使うことができた。
【魔力の矢】は文字通り一本の魔法の矢を撃つという1レベルの呪文だが、使い手のレベルに比例して撃ちだせる矢が増えるという特性がある。そのため、36レベル魔法使いが呪文を唱えるたびに18本の矢が避難民を襲うとばらばらに走る暗鬼を個別に追尾して突き刺さっていく。
「……もういないかな?」
【全種怪物創造】の持続時間30分が過ぎるころには、暗鬼の軍団は一体残らず消し炭になるか両断されるかしていた。
ドラゴンが消滅する前に周辺を探索させておいたが、暗鬼の影は見当たらなかった。
「ご苦労さん」
「……本来の仕事をしたまでだ」
暗鬼の鮮血にまみれたレードの側まで行き幻馬から降りる。
「あわわわ……あわわわ……」
レードが乗っていた幻馬も降下してきたが、アグベイル君は白目を剥いていた。……これが公爵の狙いなのか分からないが、まぁ良い経験にはなっただろう。
私達は先に進んだシュルズ族たちを追うと、彼らは少し離れたところで休憩していた。
……いや、その疲れきり地べたにへたり込む姿を見る限り、体力の限界でぶっ倒れたというところか。
驚かせないよう、幻馬からは降り、友好的に手を振りながら近づいていくと……。
「ぎゃあああっ」
「魔神様ぁっ」
「竜を呼ぶ魔神様だぁぁっ」
女子供や老人が主体の避難民たちが、我先にと私に向けて平伏し額を地面に押し付けはじめた。
「あああ、待って待ってっ! 大丈夫ですっ」
「慌てんなみんな! そいつは魔神じゃねーっ」
さきほどの青年とディアーヌが慌てて彼らを宥めるが、話ができるようになるまではしばらくかかった。