鏡像
『ギュオォォォォ!』
剛毅城の練兵場に、紫電の巨大青竜の咆哮が響き渡った。
「「……っ!!?」」
フィルサンド公爵以下、整列していた騎士や兵士、重臣たちが絶句する。
公爵は何とか威厳をたもっているが、騎士団長や宮廷魔術師なども含め、他のものたちはがくがくと身体を震わせていた。むしろへたり込んだり、逃げ出すものがいないことが彼らの普段の士気の高さを表している。
宴の途中、フィルサンド公爵に『貴殿の魔法の力については色々聞いているが、やはり人から聞いた情報だけでは実感が沸かなくてな。よければ、実際にドラゴンを使役してみせてくれんか?』と頼まれたのだ。
ESPメダルで意識を読んだところその言葉は嘘ではなかった。ただ、やはり彼も自分の目で見ないうちには疑念が残るようだったので承知した。
私の力が本物だと確信すれば公爵はより熱心に取り込もうとしてくるだろうが、逆に積極的にこちらを裏切る可能性は減らせるだろう。
それになにより、ここまでの会話(心の声つき)で理解できた公爵の性格だ。彼は力の信奉者である。彼とまともに話をしたければ、まずは対等以上の力を見せ付けるしかない。
「あの……ドラゴンは幻ではなく実体なのか? 貴殿の命令を何でも聞くのか?」
「そうだな。……青竜よ、稲妻の息だ!」
『ギュウオッ』
私の命令に青竜は上空に向けて稲妻を放射した。
サーチライトを照射されたみたいに目の前が白く染まり、先ほどの咆哮より遥かに重く大きい、落雷そっくりの轟音が私達の全身をびりびりと震わせた。
「う、うわっ!?」
「ひいいっっ」
騎士や兵士の中にもとうとう耐え切れず腰を抜かすものが現れた。
「あの稲妻を扇状に撃ちだせば、一度に数百人の兵士を倒せるな! しかもあれは空も飛べるのだろう? 何万の軍隊でも怖くない! 無敵だ! 無敵すぎるぞマルギルス殿!」
《凄まじい。凄まじすぎる。これが本当に人間の力なのか? ……こいつは、世界の理すら越える力だ……》
フィルサンド公爵はといえば、目をギラギラと輝かせドラゴンを見詰めていた。怯えるでもなく冷静にドラゴンの戦力を推測するあたり、流石といえる。
それと同時に、心の中では単なる興奮や欲望だけでなく、私の力への畏怖も生まれているようだ。
1日3回という使用制限があるESPメダルを宴の時とあわせて2回使ってしまったが、これで少し大人しくなってくれればいいんだが。
その日の夜、私は公爵に招かれて彼の自室を訪れた。
清潔ではあるが、物騒な形状の武具が飾られ、書棚からは軍学書があふれ出し、熊や狼の剥製が並ぶ部屋はなんとなく彼の人柄を表しているようだ。
「昼間は話の途中ですまなかったな、マルギルス殿。あのドラゴンに度肝を抜かれてしまったようだ」
「なに、別に急ぐ話でもない」
公爵に高級そうな酒を注いでもらいながら私は肩を竦めた。私も昼間より大分リラックスしている。
彼は間違いなく自分の野心のために他人を踏みにじることを屁とも思わない大悪党だが、価値を認めた相手に対しては友好的だ。
……彼は今までこうやって他人を利用してきたのだろうなぁ。
私もESPメダルで心を読めなければあっさり丸め込まれていたかも知れない。ただし、今はまだ首にかけたメダルは起動していない。今日はあと1回しか使えないからな。
「そういえばマルギルス殿。俺の娘のどこが気に入ったんだ?」
「……」
公爵はグラスに酒を注ぎながら、面白そうに聞いてきた。
愉快な話題ではないが、まあこれも片付けておかなければならないことだな。
「とても聡明で優しい娘だな。だが婚約というのは……」
「ああ、分かっている。方便だろう? 我が家の内輪揉めで迷惑をかけたな」
エリザベルは、自分の命を狙っているのは次兄だといっていた。そして、父親がそれを知らないはずがないとも。確かにその通りだったようだ。
「実の息子と娘が争っているのを知っていて放置していたと?」
「案外、真面目なことを言うものだな!?」
凄く意外そうな顔をされた。まぁ彼の評価からすれば驚くか。
「倫理的にはともかく、後継者争いを放置することで貴殿に利益があるとも思えないのだが?」
「そういう意味か。そうだな……」
彼は軽く肩を竦め、なんでもないことのように言った。
「俺の長男がシュルズの捕虜になっているのも知っているんだろ? あんたが連れていたシュルズ族の女、見た顔だ」
やはりディアーヌのことも気付いていたか。というか、長男が生きていることも知ってたのかよ。
「俺はな、マルギルス殿。最近まで引退しようと思ってた。何しろ今のフィルサンドの状況を考えればこれ以上勢力を広げるにはさらに何十年もかかるからな。流石にこの年になるとしんどい」
グラスの酒を一気に飲み干し、彼は長いため息をついた。
話していることのスケールはまったく違うが、会社の飲み会や同窓会で『もう年だもんな』と言いながら皆が漏らすため息とそっくりだ。
「そこで、誰に後を継がせるかってことを考えたときに気付いたんだが。3人いるガキの中で、どうもピンとくるやつがいない。それどころか、誰がどういうやつなのかも良く分からんときたもんだ」
「なるほど」
無責任極まりない発言だが、この世界のこの立場ならこうもなるか。今は彼から話を引き出すために、『うんうん、分かる分かる』というニュアンスを込めて相槌を打つ。
「そのころ丁度、長男のバルザードがシュルズの捕虜になったって話が出た。まぁもともとは戦死って話だったんだが。そうなると当然、次男のアグベイルは後釜狙いでエリザベルを狙うよな? ……だからまぁ、三人それぞれ勝手にやらせることにした」
「……もしや、三人に争わせて生き残ったものを跡継ぎにしようと?」
「然り、然りだ! さすがマルギルス殿だな」
公爵はごつい両掌を打ち合わせて喝采してくれたが、別に嬉しくない。
「一応、バルザードが一番有望だと思っているんだがな。あいつなら死にさえしなければ、シュルズを丸め込んで帰還するかも知れん。見込みがないのはアグベイルだが、それだけに必死だろ。現にエリザベルは逃げ出したしな。……まぁそれで、あんたという巨大すぎるカードを引き当てたんだから、あいつが一番なのかも知れん。もっともあいつを後釜にすることはもうないが」
「なるほど」
子供が居ない私がいうのも何だが、とんでもない男だな。
本来、家庭の事情に立ち入る資格などないのだが、しかしこれだけは私のためにも聞いておきたい。
「……エリザベルの母親はシュルズ族なのだろう? 貴方は、彼女とその母親……自分の妻のことを大事に思っていないのか?」
「ほう」
鼻から笑い飛ばされるかと思ったが、彼は意外と真面目な顔で黙り込んだ。しばらく空のグラスを手の中で弄んでからこちらを見て答える。
「それは、シェーラは恐ろしく良い女だったからな。良い女だったから、俺のものにしたし最高の贅沢をさせてやった。それは大事にしているということだろ?」
これ以上突っ込むのは、彼と友好的な関係を続けるにはマイナスだろう。だが聞かずにはいられない。
「だがそれは、無理やりだったんじゃないのか?」
「それが? 俺にはシェーラを奪うだけの力があった、だから力を使った。何もおかしいところはないと思うが」
ESPメダルで彼の心の声を聞いても、それが本気の発言だということを裏付けるだけだった。
そうか、やはりか。
彼は私だ。
あの日、モーラに【魅 了】を使ってしまった私。もしかしたらこうなっていたかも知れない、力に溺れた私の姿だ。