シュルズの姫 2 (三人称)
フェルデ王国軍にフィルサンドを追われた部族はまず南方に逃がれ、険しい岩の台地に『砦』を築いて自らを守った。
ディアーヌや同じ年頃の子供達もほとんどが『砦』で生まれ育っている。
一方、徐々に増加した人口を養うために、シュルズはより南の地への開拓も試みた。
荒廃した南方の開拓は難業であったが、その最中に発見されたのが『神の庭』である。
『神の庭』は中都市並の規模を持つ石造りの遺跡で、千人のシュルズの民を悠々収容することができた。シュルズ族は、『砦』をフィルサンド軍との戦いを担う軍事拠点とし、『神の庭』に生活の中心を移した。
少女は、族長である父とともにほとんどの時間を『砦』で過ごした。
『神の庭』で民を指導する母とはほとんど会っていない。
ひたすら剣、槍、弓、馬、短剣。そして兵を指揮する術を先代の『戦の頭』から学び、フィルサンド襲撃に出かける戦士たちを歓声で見送った。
誰も彼もが、信じていたのだ。
シュルズ族は奪われた側であり、奪い返すために力を奮うのは当然なのだと。
少女が岩蝙蝠を倒し、人々の希望を集めだしたころに、フィルサンドの側にも変化があった。
『砦』をはじめとしたシュルズの居留地へ、積極的な攻撃を始めたのだ。
何年も襲撃を続けていたのだから当然といえば当然の対応ではあったが、彼らはどうやら復讐心よりもさらに実利的な理由でシュルズを攻撃しているようだった。
すなわち、『奴隷狩り』である。
彼女やシュルズの民に理由が分かろうはずはない。
ただ確かに、フィルサンドは定期的に兵を南方に派遣し、集落から人々を捕え連れ去っていった。
『神の庭』に全人口の半数以上を移住させていなければ、被害はさらに甚大になっていただろう。
ただし『神の庭』も絶対に安全ということはなく、はぐれの暗鬼や人食いのモンスターによる被害がなくなるということはなかったが。
そんな生活の最中、少女は母に呼ばれた。
今から4年前、12歳の時である。
『神の庭』の神殿で待っていたのは母と、知らない顔の呪術官だった。
「貴方様は『神剣』に選ばれました。貴方様こそ、神王の戦士です」
「ディアーヌ、その剣で必ずや、フィルサンドを滅ぼしシュルズの民の悲願を果たすのよ?」
「……はい」
呪術官はにこやかに微笑みながら、少女に宝玉で飾られた剣を贈った。
母親からの言葉は相変わらずだったが、その青い瞳の奥の憎悪が以前よりもずっとーーずっと、ずっと濃いことに気付いて少女は身震いしていた。
最初、神剣を薄気味悪いとも思ったが使い慣れてみれば、それはただの強力な剣に過ぎなかった。
しかしもちろん、少女にとって重要なのはその一点のみである。
自分の意思は力で通す。欲しいものは力で奪う。奪われたものは力で奪い返す。
父から実戦の許可が出た13歳の時からの3年間、彼女はその原則に忠実に生きてきた。
「ええっ!? いや、女の子と決闘なんてできないよっ!」
だから、つい半年前、フィルサンドの隊商を護衛していた騎士にそういわれて心底驚いたものだ。
「はぁ? 馬鹿か! 俺はシュルズの『武の頭』だぞ!? 俺に勝てば、武器を持ってねー奴は見逃してやるってんだ!」
近隣の鉱山から資材を運ぶ隊商だったのだろう。
動きの悪い数十台の荷馬車と100人以上の騎士。通常ならシュルズの戦士も襲わない厳重な警備であったが、彼女達はある理由で待ち伏せを決行したのだ。
相手も油断していたのか、奇襲は成功し騎士達は次々と部下が討ち取っていった。
少女……いや、今や女戦士として成長したディアーヌは、一際豪華な鎧と恰幅の良い体格の騎士を隊長と見定め一騎打ちを挑んだのだが……一言の元に拒絶され唖然とする。
「もう抵抗しないでみんな撤退するから、見逃してよ? 武器も鉱石も置いていくからさ?」
「てめぇそれでも騎士か!?」
兜を脱いだ騎士は色白でふっくらした顔の青年だった。
心底困ったように懇願されて、力を信条としているが別段邪悪なわけではないディアーヌは面食らう。面食らったが、それはそれだ。
「俺が見逃すつったのは、騎士や兵士じゃねーやつらだけだ。捨てようがどうしようが、騎士だったら殺してやる!」
「ひぃっ。じゃあ僕が捕虜になるから! 僕はフィルサンド公爵の長男、バルザードだからっ! 僕1人捕虜にすればすっごく有利になるよ?」
「はぁっ!?」
こうしてディアーヌはフィルサンド公爵の長子を捕虜にした。どちらにせよ、ディアーヌがバルザードにかかずりあっている間に他の騎士たちはほとんど逃走していたのだが。
公爵家の嫡男という重要な捕虜は『砦』ではなく『神の庭』の母の元へ送られた。
ディアーヌは『砦』に置いて情報を引き出したかったのだが、今回の奇襲を成功させた呪術官の『宣託』を盾に母から要求されては逆らえるはずもなかった。
4年前に初めて会った呪術官は、最近何度もフィルサンド軍や隊商の情報を『宣託』として伝えてきていた。
それに従って何度も襲撃や略奪を成功させたのだから、シュルズ族の戦意はさらに昂ぶっている。ディアーヌ自身はあれから一度も『神の庭』に戻ったことがないが、母もずいぶんと呪術官を信用しているようだった。
ただ1人、父が気にしていたのはフィルサンド側が嫡男であるバルザードの返還要求などを一切してこないことだったが、ディアーヌには何がおかしいのか分からなかった。
息子を取り戻したければ、フィルサンド公爵が自ら奪いにくればいいだけなのだから。
そして、数日前。
『砦』に新たな宣託がもたらされた。
『東方からやってくる男、ジオ・マルギルスはシュルズに破滅をもたらす暗鬼の使徒なり。東方の道で待ち伏せ抹殺すべし』
「な……ん……だ……?」
ディアーヌには、神剣が小枝のように頼りなく感じられた。
黒いローブの男がなにやら呟いたと思ったら、いつのまにか目の前に『巨大な何か』が出現していたのだ。
青黒い鱗に包まれた巨大なドラゴン。
その前脚だけで自分の身体の倍はあろうか。家のような大きさの口は、一度に5人は彼女を食いちぎれるだろう。
16年間の人生、あらゆる障害をディアーヌは自分の力で切り抜けてきた。
その『力』も、目の前の巨大な生物にはどう考えても通用しそうにない。
なぜこのようなことが起きるのか?
マルギルスとはただの暗鬼崇拝者ではないのか?
湧き上がる疑問も恐怖の波に流されていく。
「ドラゴンだぁぁ! ドラゴンだぁぁ!」
「……ひぃぃぃっ……」
奥歯が震え、股間に濡れた感覚が生まれた。
周囲に配置していたシュルズ族の戦士たちも、虚脱してへたり込むか、悲鳴を上げて逃げ出すかのどちらかだ。
初めて相対する圧倒的な『力』の存在にディアーヌは恐怖していた。
《何か、何かないのかよっ》
ディアーヌは泣きたい気持ちで、自分の心の中に縋るものを探した。
母から受け継いだ憎悪も、父から学んだ責任感も、圧倒的な力への怯えの前ではあまりに頼りなかった。
《何だよ……俺、空っぽじゃねーか……》
あまりにも虚ろな自分に気づいたからか、かえってディアーヌは考え、動くことができるようになっていた。あるいは、似た立場であったフィルサンドの嫡男の行動をただ模倣しただけかも知れない。
「おい、おっさん」
「……マルギルスだが。何だね?」
背後に巨竜を従え、男は悠然とディアーヌを見ていた。
黒い髪に黒い瞳。東方ではさして珍しくもない容姿だが、どこにも殺気や憎悪を感じさせない物腰がむしろ異様だった。
「確認しとくぜ。俺が負けてもこいつらは見逃すんだな?」
「ああ、そのつもりだ。もちろん、捕虜にしたからといって君を虐待したりもしないと約束しよう」
「だったら安心だ……なっ!」
特に戦術を練ったわけではない。
ただ、これまでに習得した戦いの技術が彼女に最適な行動を選ばせた。
ドラゴンと自分の間にマルギルスの身体を挟むような位置に移動してから、一気に彼に斬りかかったのである。
いくつかミスを見つけました。
今回の更新に合わせて、以下の部分を修正しています。
本筋に大きな影響を与える修正ではありませんが、既読の方には大変申し訳ありません。
72話(公爵令嬢)の本分の一部
エリザベルの母が捕虜になった時期をフィルサンド陥落時に変更
フィルサンド公爵がその後直ぐにシュルズ族を攻撃させた描写の削除
79話(神剣)の名詞
「占い師」を「呪術官」に変更