シュルズの姫 1 (三人称)
セディア大陸で最古の文明国家は北方の王国である。
と、大陸中央部から西部では信じられているが、もちろん異説も数多い。
北方の王国から見て東方、すなわちフェルデの地において文明の祖は『シュズルス神王国』とされている。
創生の蛇神の血を受け継ぐ神王のもと数千年も栄えた新王国はしかし、500年前の最初の『大繁殖』によって滅びた。
神王国の民は数百の小部族、小国家に分裂し細々と生き延びることになる。
シュルズ族は神王の血を色濃く継いでいたためか代々強力なカリスマを持つ指導者に恵まれ、200年かけて現在のフィルサンドの地で復興を果たした。
150年前の二度目の『大繁殖』で大きな被害を受けたものの街を守り通した彼らはしかし、次の侵略を食い止めることはできなかった。
20年ほど前の、フェルデ王国の侵攻である。
フェルデ王国の尖兵として幾多の国々を滅ぼしてきた将軍ダームンドは、当時の族長を殺し、シュルズの民をフィルサンドから追放し新たな支配者となった。彼は後に公爵位を得てフィルサンド公となる。
シュルズの民は南方の不毛の地へ逃れた。
岩山や荒地で占められた南方での暮らしはもちろん厳しかったが、新たな族長のもと人々は山羊を飼い、魚を獲り、小さな畑を耕して暮らし始める。
野心に満ちたフィルサンド公も痩せて利用価値のない南方には興味を示さず、冷たく静かな数年が過ぎた。
変化は、シュルズ族から始まった。
フィルサンドを追われてから5年後。
族長の妻は、前族長の娘の1人であるシェールという女性だったが、彼女が子を産んだことだ。
神王の血を継いでいることを示す赤い瞳の赤子を見たシュルズの人々は、自らの誇りと怒りを思い出したのである。
この土地では、増え始めた人口を養っていくことができないことに気付いたとも言える。
シュルズの男達は狩りや農耕の合間に武器をとり、フィルサンドへ攻撃を始めた。
その当時、残されたシュルズ族の人口は約三千人。海上貿易により発展し始めたフィルサンドの人口三万人とは比較にもならない。
それでも彼らは隊商や開拓村を襲い、少しでもフィルサンドの富と勢いに傷をつけようとした。
族長とシェールの娘、ディアーヌは10歳になったころにはすでに男達に混じって山地を駆け回り獣を狩っていた。
赤い瞳に銀の髪、将来が期待される美貌を持ちながら彼女は歌よりも狩り、裁縫よりも武器を好んだ。
「お前は本当はフィルサンドの姫なのよ。あの、灯明がきらめく大きくて豊かな都の姫なのよ。だから憎いフィルサンド公爵と、公爵に尻尾を振った姉さんを殺して、素晴らしいフィルサンドを取り戻して頂戴?」
毎夜毎晩、子守唄代わりに母からフィルサンド公爵と族長のもう1人の娘への恨みつらみを語り聞かされたにしては、むしろまともに育ったとすら言える。
「母さんや、シュルズの民が都を追われたのは弱いからだ! 俺は強くなってぜんぶとりもどす!」
彼女はそう言っては武術を学び、同じ境遇の男子たちを率いて戦の訓練に明け暮れた。
そんな彼女が実戦を経験したのは10歳の時。
相手はフィルサンドの兵士ではなく、モンスターだった。
『岩蝙蝠』と呼ばれる夜行性の巨大蝙蝠で、夜間単独行動する小さな生き物……例えば人間……を捕食する。
シュルズ族の居住地は十分な備えがなく、岩蝙蝠の出現から1ヶ月で2人の子供と1人の老人が連れ去られ餌になった。
多少の知能を持つモンスターは警戒を厳重にすれば現れず、兵士が疲れ果てたときにまた思いもよらぬ場所を襲撃した。
10歳の少女は毒を塗った短剣を胸に抱きしめ、夜の岩場で1人うずくまった。
前回の襲撃から10日経っている。他に人影もなく、誰もがみな『そろそろだな』とぼんやり考えていた夜だ。
案の定、飢えた魔獣は少女に襲い掛かってきた。
名前のとおり、岩のような灰色の硬い皮膚を持つ蝙蝠である。ただし、通常の蝙蝠よりもよほど巨大で、鉤爪や牙を持ち得物をかみ殺し引き裂くこともできる。
横幅2メートル近いそいつが、両脚の爪で少女を掴もうとしたその瞬間。
「だぁやーー!」
少女はごろりと仰向けになり、片手で蝙蝠の脚を掴むと短剣を突き出す……のではなく、思い切り蝙蝠の身体を引き寄せた。
「ギィィィ! ギィィィ!」
力では圧倒的に魔獣の方が上であるが、もともと降下してきた勢いのまま引っ張られてはたまらない。
灰色の蝙蝠と少女は鼻があたるほど密着することになった。
「だぁっ!」
「ギギギギィィィィィ!」
鋭い牙を少女の喉元に突き立てようとひらいた大口に、少女は狙い済まして短剣を突き込んだ。
「ぎゃあああ! 痛ぇ! 痛ぇんだよこのやろぉ!」
「ギイィィ! ギギギッ!」
もちろん少女もただでは済まない。岩蝙蝠の脚を掴んだ腕には鉤爪が突き刺さり肉が抉れた。この時の傷跡はまだ残っている。
滅茶苦茶に振られる翼に身体を叩かれ棘や爪で身体を掻き毟られた。
それでも少女は岩蝙蝠の口に突き刺した短剣を抜かず、逆に奥へ奥へ押し込み、鋭く捻っていく。
結局、死闘は数分だったろう。
血の海のようになった岩場から起き上がったのは少女の方だった。
この後、彼女は抜け出したときと同じくこっそりと自室に戻り、何食わぬ顔で翌朝を迎える……つもりだったが。
もちろん、両親にはすぐにことがバレてたっぷり説教された。
事なかれ主義であまり言葉を荒げない父も、気位が高く過去の栄光ばかり語りたがる母も、この時ばかりは息をそろえて叱り付け、その後で抱きしめてくれたことを、少女は今でも覚えている。
シュルズ族のものたちにとっては、このエピソードは希望に満ちたものだった。
僻地での厳しい生活と、フィルサンドとの戦いに疲れた人々にとって、英雄の出現は何よりも望ましい知らせなのだった。
しかもその数年後、少女が『神剣』の所有者として選ばれれば人々はますます彼女に心酔し、希望を託した……豊かなフィルサンドに帰還する、という希望を。
更新遅れてすみません。
また前と同じパターンですが今夜が職場の歓迎会であることを忘れておりました……。
時間なくて書ききれないためこのエピソードは二分割しています。ご了承ください。