婚約者との一夜
「あ、あ、貴方はっ! 一体全体、何をしてきてやがりますの!?」
「……まぁ、聞いてくれ」
婚約宣言で騎士達の士気を木っ端みじんにしたあと、エリザベルは弁説滑らかに彼らを言いくるめた。
フィルサンドに戻るまで私と同行する……すなわち私の客室に転がりこむことまで認めさせ、そのまま私とともに帰還したところである。
部屋に戻った令嬢の最初の一言は『この度、マルギルス様と結婚の約束を交わしたエリザベルと申します』だった。
そんなわけで今私は、般若みたいになったクローラに耳を引っ張られているところだ。
レイハは心配そうにクローラとエリザベルに交互に視線を向けている。
ちなみに、右腕にはエリザベルが張り付いているので、クローラは左側から……それはどうでもいい。
「察するに……エリザベル様の事情にマルギルス様が介入するための口実として、結婚を持ち出したというところですか?」
「その通りだよイルド君」
思案顔をしていたイルドがずばり真相を言い当ててくれた。流石だよ。
「婚約者としてエリザベルさんと同伴することで、暗殺から守るということですわね……?」
「そういうことだ。公爵にも堂々と会いにいけるしな。……そこで事情を説明して婚約はなかったことにするさ」
「……」
私達のやり取りを聞きながらエリザベルは眉をよせていた。
「ここにいるものは全員、私が信頼する仲間だ。心配はいらない」
「……っ」
私が言いたいことが分かったのだろう、彼女は驚いたように赤い瞳を瞬かせた。
「仲間……?」
「ああ。単に私が彼女の尻に敷かれているということではなく、ここまでずっと力になってくれている大事な仲間だ」
まだ少し剣呑な目つきで睨んできていたクローラの指も耳から引き剥がす。エリザベルは迷ったように視線を彷徨わせたが、軽くため息をついてから私の腕を解放した。
「わかりました。皆さん、今までのはただのお芝居ですので……ご心配なく」
「べ、別に心配なんて! マルギルスが鼻の下を伸ばしているので助言をしたまでですわっ」
「とてもさっぱりしましたわ」
「……ドワーフは毎日こんな気持ちの良いことを……」
「そうですね、私も気に入っています」
血塗れのままだったエリザベルを連れて風呂に行っていた女性陣が戻ってきた。
もちろん、御馴染みの【見えざる悪魔】など防御呪文を使っているしドワーフたちにも警備の強化を依頼しているから、戦斧郷内部でこれ彼女に危害が加えられる心配はあまりないだろう。
それよりも、裸の付き合いのお陰か、エリザベルに対するクローラとレイハの態度がかなり柔らかくなっていたので安心した。
落ち着いたところで、まずはお互いの情報を交換することにする。
「それで、私は暗鬼の被害を少しでも減らすため……できれば暗鬼そのものを根絶するためにこんなことをしているというわけだ」
「……」
私の場合、とにかくこの大目標を理解してもらわないとその後の行動を説明できないのでかなり長話になった。エリザベルは交渉のプロらしく的確な質問をはさみながら素直に話を聞いてくれたが、その内容については疑っているようだ。
「信じられないかな?」
「そう、ですね……あまりにも夢想的で……そんなことをして貴方に何の得があるんです?」
馬鹿にしている、というよりも本気で疑問に思っているようだ。
そういえばさっきは、『ジーテイアス城主としての利益のために』彼女を助けるといったばかりだったしな。
令嬢の質問に私がどう答えるのか、他の者たちも興味があるようで一気に視線が集中する。
「ふうむ……」
目を細めて少しばかり内省してみた。
ぼんやりと浮かんでくる思いを、なるべくまとめて言葉にしていく。
「私はどうやら、世界を変えられるかも知れないほどの力を持っている。その力を、正しいことに使っていないと、自分自身がその力に押し潰されてしまうと思うのだ」
ジーテイアス城の牢獄で初めてモーラと出会ったとき、彼女に【魅 了】をかけそうになった瞬間の凄まじい誘惑を思い出し身震いする。
次に思い出したのは、レリス市で聞いたクローラの言葉だった。
『いつ、暗鬼が現れて家族や自分が殺されるか分からないこの世界。それを変えてくれる本物の英雄が、もしもいるのなら、私は……』
「……そして、自分が正しく力を使い続けられたその先に、もしかすると、この世のどうしようもないことすら、どうにかできるかも知れない……そんなことを考えている。かな」
力とか世界とか、そんなことを考えるのも語るのも抵抗感は少なくなってきていた。
周りのみなもそれぞれの表情ではあったが馬鹿にした顔はない。私もようやく少しずつ、この世界の住人になってきているようだ。
「やっぱり、夢想的ですね……。でも貴方やお仲間が本気だということは分かりました」
エリザベルが多少表情を和らげて頷いた。
「そういう貴方達であれば、私も安心して同盟が組めますね。……今度は、こちらの事情をお話しますが……」
「では、お父上……フィルサンド公が貴方を暗殺しようとしているかどうかは不明ということですね?」
「ええ。私が騎士団の話を盗み聞きしたところでは、直接命令したのは次兄のアグベイル・フィルサンドです。ただ、それを父上が知らなかったと思えないので……」
イルドとエリザベルの話でだいたいの状況は把握できた。
フィルサンド公爵とシュルズ族の争いに、エリザベルの母と長兄の死亡に、次兄からの謀略。
ここに彼女の『婚約者』として乗り込んで、交易や同盟の交渉をするのか……。
やはり、フィルサンド公爵が娘をどうするつもりなのかがポイントだろう。
交易自体はあちらにも断る理由はそうないだろうが、最悪の場合、エリザベルの身柄は私が預かることになるかも知れない。
ともかくまずは行って見なければ始まらない。
ただし、私達にはジーテイアス城でやっている工事や戦斧郷でのドワーフとの交渉のこともあるし、エリザベルにしてももともとの任務である攻城兵器の買い付けがある。
イルドを中心に日程を計算してみると、以下のようになった。
まず、明日か明後日までにお互いのドワーフとの交渉を一段落させておく。それからフィルサンドへ向かうが、これは片道10日間はかかる。
あちらでの交渉やらなにやらに10日間かかると仮定して、戦斧郷まで戻ってくるのが20日間後。ジーテイアス城へ帰還できるのは一ヶ月後というところだ。
「では、クローラとテッド、それに新兵3人はエリザベル嬢の護衛を頼む」
「……承知しましたわ」
「了解っす」
「イルドは私と、ドワーフとの交渉にあたる。レードは引き続きこの部屋を守ってくれ」
「分かりました」
「……ふん」
「主様。私は何をすればよろしいでしょう?」
「レイハは、フィルサンド騎士団を調べてくれ。可能なら、いまのうちに彼らを味方に引き入れたい」
「マルギルス様?」
レイハに指示を出した私を、エリザベルが不審そうに見た。
「彼らも、もう自分達がアグベイルの命令を果たせないことは分かっているだろう? それなら、説得できるんじゃあないかね?」
「まるで次兄に人望がないのをご存知のような言い方ですね。……実際そうですけれど」
エリザベルは笑って頷いた。
厄介ごとの種ではあるが、同盟者として頼もしい限りだ。