血塗れの同盟
フィルサンド公爵令嬢エリザベルを救出することになった。
騎士たちの会話からの情報では、彼女は今、馬で戦斧郷から逃走していることになっている。
問題は、少なくとも1時間の遅れがあること、エリザベルが逃げた方向が分からないことだ。それに、彼女を追跡する方法も考えなければならない。
「今のところ戦斧郷からは、北西のユウレ村へ向かう街道と、東の山脈を越えてフィルサンドへ向かう街道の二つのルートしかありません。そのどちらかなのですが……」
「もし令嬢が本当に騎士団から逃走しているのであれば、普通に考えれば北西のルートですわね」
イルドとクローラの意見を参考に、いくつかの呪文をピックアップしていく。同時に、仲間の役割分担も考えると。
「まず、イルドはテッド達と合流してくれ。そして、騎士団の連中にとにかくこちらは勝手に令嬢を探すと伝えるんだ。『善意で』やってるってことを強調しておいて損はないしな。それから、ドワーフ達にも知らせてくれ」
「了解です」
「クローラはドワーフ達と協力して念のため戦斧郷の内部を探索してくれ。外に出たと見せかけてるってことも考えられる」
「なるほど……承知しましたわ」
「これも念のためだが、レイハは東のルートだ。もし、馬で移動した痕跡がなかったらすぐに戻ってきてくれ」
「御心のままに」
「レード」
「何だ? これは暗鬼に関係ないことだろう。お前の命令を聞く必要はない」
「いや、命令じゃなくて頼みだ。ここに残っていざという時には皆を守ってもらえないか」
大剣を抱えソファに座ったままのレードに軽く頭を下げる。
彼は口元を歪ませて不機嫌そうにため息をついた。
「俺はここに泊まるだけだ。邪魔をする奴がいれば相応の対処はする」
「すまないな、ありがとう」
言葉だけだと本当に協力する気があるのかどうか分からないが、こっちはもうそのつもりで礼を言う。ゴリ押しだが、生活費全般の面倒を見ている側としては、これくらいは我慢してもらいたい。
「貴方は北西のルートを調べるんですわね? この闇夜で少女一人見つけられますかしら?」
「それについては考えてある」
数分後、私は【飛行】の呪文を使い、戦斧郷を背に飛んでいた。
戦斧郷自体は無数の灯りで照らし出されているが、1分も北西に進めば地面に薄らと街道らしき筋が見えるだけになった。ここを馬で走っているとしたら、かなりの無謀運転だな。
さらに数分飛ぶと、夜道を疾走する騎馬の集団を追い越していた。彼らもまだ令嬢を発見していないようだ。
騎士団を追い越し先に進むが、【肉体強化】で強化した視力でも聴覚でも、先行する令嬢の影も見つからない。
エリザベルが本気で騎士団から逃げるつもりなら、夜のうちはどこか岩陰や茂みなどに隠れるという手段も十分考えられる。眠り薬(か何か)まで使っての逃走なのだから、それくらいの作戦は当然使うだろう。
もっと悪い可能性としては、枝道に入り込んで迷っているということもあり得る。
私はしばし宙で停止して闇夜をにらんだ。
『ホ、ホゥ』
待つほどもなく、目の前に一羽のフクロウがやってきた。特長的な声で鳴きながら周囲を旋回する。私が待っていたのは彼だ。
もちろんただのフクロウではない。『月梟』。【怪物創造】の呪文で生み出したれっきとした4レベルモンスターである。
夜目が利く上に高い知能を持つ月梟を9羽を、事前に探索に出していたのだ。
月梟の案内に従って飛ぶと、すぐに街道上に倒れた馬と人影を見つけた。最初は松明かと思ったが、魔術の炎をまとった杖がそばに転がっており良い目印となっていた。
そんなことを言っている場合ではないが、これならただ街道沿いに飛行しても発見できていたな……。
急いで着地して近づくと、人影はやはり金髪の少女であることが分かった。
分かったが、しかし。
「う……」
杖の炎で照らしていたとはいえ、夜道の騎乗はやはり無茶だったのだ。
カーブ上にある岩に激突したのだろう、白馬は血の泡を吐いてぴくりともしていない。少女の手足も歪に歪み、頭部がぱっくり割れて全身血まみれになっていた。
ウィザードリィスタッフの光で照らした地面には、折れた手足で必死にもがき這いずろうとした跡が見えて、その凄惨さにぞっとする。
「……お、おいっ。君、しっかりしろ!」
息さえあれば……と祈りながら半開きの口元に耳を寄せる。
『ひゅー、ひゅー』と。
隙間風みたいなか細い呼吸音が確かに聞こえた。
「よしっ。助かるっ」
久しぶりに呪文を唱える10秒間を長く感じた。幸い、彼女がこと切れる前に【完全治療】が発動した。
「うっ!? あっ……あああぁっ……」
頭部や全身の傷は塞がり手足も元通りになった彼女だが、事故の衝撃とついさっきまで瀕死だった感覚は消えない。
意味をなさない呻き声をあげながら、ローブを掴みしがみ付いてくる。
愛らしい顔は涙と鮮血でぐしゃぐしゃで、今の状況も私が誰かもまだ認識できていないだろう。
「大丈夫、もう大丈夫だ」
「ううっ、うぷっ。げほっ」
他にどうしようもなく、冗談みたいに激しく震える小さな身体を抱きしめ背中を撫でてやる。気管に詰まっていたらしい血の塊を盛大に浴びせられるが、こちらにも気にする余裕がなかった。
「……はぁ……はぁ……私は……。……あっ」
時間にすれば一分ほどだっただろう。少女の呼吸は落ち着き、赤い瞳には意思の光が戻ってきた。
私という男に抱きしめられている状況にも気付いたのだろう、突き飛ばすようにして離れてていく。
「……あ、貴方は……」
「もう身体は大丈夫のようだね」
少女もだが私も大概怪しいなと思いながら、できるだけ友好的な声で話しかけてみる。
「貴方は確か、魔法使い……マルギルス、さま……ですね?」
「その通り。ジーテイアス城主、魔法使いマルギルスだ。貴方はフィルサンド公爵ご令嬢で間違いないかな?」
警戒……というより、『何がなにやら分からない』という顔の少女との短いやりとりで確信したことがある。この娘はやはり切れ者だ。少なくとも初対面で魔術師でなく魔法使いと呼ばれたことはない。彼女は事前に私のことをちゃんと調べ、情報を頭に入れているのだ。
「はい……そうです。エリザベル・ローリィ……フィルサンディア……です」
彼女はまだ少し茫洋としたまま両手で短いドレスの裾を摘んで一礼し……はっとして周囲を見回した。
「あ、わ、私はっ! ……星風! 星風っ……ああっ……!」
彼女は地面に倒れ動かなくなった白馬に気付き、短く悲鳴をあげる。慌てて落ちていた杖を拾い上げ自分の姿を確認した。
「やっぱり、私は星風から投げ出されて……体中の骨が……なんで生きているの……?」
白馬のサドルバッグから布を取り出してしきりに顔や手足を拭いながら思考を巡らせ、ここまでの状況を完全に思い出したようだ。
「頭の傷もない……? ……まさか、貴方が……?」
血の気のない顔で問いかける令嬢に私は頷いた。
「ああ。酷い怪我だったのでね。余計なお世話だが、治療させてもらった」
「そう、でしたか……」
『ふぅー』と。
ツインテールという可愛らしさを強調した髪形の少女は、まるで老婆のような長いため息を漏らした。
「マルギルス様は……何故このようなことを……?」
何故助けてくれた、ではなく、『このようなこと』か。信用されていないようだ。
いやそれよりも気になったのは彼女の目だ。
42年間も生きていれば、どんなに平和な生活をしていてもたまにこういう目を見ることがある。家族を一度に事故で失った叔母が、いまの令嬢とそっくりな目をしていた。
「……」
どういえば彼女は私に助けられてくれるのだろう?
そもそも彼女は本当に逃げるつもりだったのか?
一番いいのはもちろんお互い腹を割ってじっくり話すことであるが、生憎、強化された聴覚が騎馬の近づく音を聞きつけていた。フィルサンドの騎士団は、恐らく5分ほどでここまでやってくるだろう。
「ただ貴方を助けたいと思っているだけだ。その上で、急いで貴方に伝えなければいけないことがある」
「何でしょう?」
私は白く光るウィザードリィスタッフで街道のもと来た先を示す。騎士たちの松明がちらちらと、こちらに近づいている。
彼女もそれに気付いて、こちらに向けて小さく頷いた。私が彼女と騎士団の関係をある程度把握していることは、伝わったようだ。
「私はジーテイアス城主として、貴方を助けることが我々の利益になると思っている、もし、協力してくれるならこちらも可能な限り貴方をお助けしよう」
「まあ」
彼女は馴染み深い歌でも聴いたような顔で頷いた。外交官という経歴からして、実益を理由にした方が説得力があるだろうと思ったが正解だったようだ。まあ実際これも丸っきりの嘘というわけじゃないしな。
ただ問題は……彼女が本当に助かりたがっているのかどうか、という点だ。
案の定、エリザベルはどこか困ったように髪を弄り始めた。
「……私は」
「うむ?」
「ご存知のようですが、私は父や次兄に疎まれて命を狙われています。……先ほどまでは、死ぬのも、殺されるのも仕方ないと思っていましたが……でも」
彼女は俯いたまま、独り言のように続ける。
「……死ぬのがこれほど怖いことだと、初めて知りました」
数個の松明の光が徐々に近づいてきた。残りは数分といったところか。
エリザベルの赤い瞳の奥に、絶望以外の一筋の感情が見えた……ような気がする。
「このまま、母の恨みを抱えて、父の真意も知らずに死ぬのは……嫌だと、思いました」
「……そうか」
「魔法使いマルギルス様。略式ではありますが、私と個人的な同盟を組むことを提案いたします」
私を完全に信用したわけではもちろんないだろう。だが彼女は、私を利用し、自分が利用されながらも生き延びることを選択してくれたのだ。
彼女は改めて姿勢を正し、淑女らしく一礼する。
髪もドレスも血塗れではあったが、その姿には一部の隙もなく美しかった。