審問の行方
言われてみれば、思い当たる節はある。
そもそも、『見守る者』が私の肉体をこの世界に『用意』して転移させたわけだが、何故、私が転移した直後、すぐ側に暗鬼の巣が出現したのか?
昔の私が友人とでっちあげた設定に過ぎない魔導門に似た存在が、暗鬼の巣の中に見えたのは何故か?
偶然だと思い込んだり後回しにしてきた疑問に筋が通ってしまう。
ぐらり、と眩暈を感じて慌ててウィザードリィスタッフを強く掴み身体を支える。先ほどまで腹に溜まっていた怒りは消えうせ、代わりに冷たい絶望が全身に満ちてくる。
戦将カンベリスの言葉はそれほどに衝撃的だった。
魔導門は私の心の中にあるとはいえ、この世と混沌を結ぶ門だ。その門の向こうに暗鬼の世界が繋がってしまえば……。
最初の最初にちらっと思ったとおり、異世界転移はブラックSFだったのか?
もし、もしも本当に私が焦点とやらで、『大繁殖』の引き金になる存在だとしたら。
私は彼らに狩られなければならない。
これほどあっさりと自分の死を認められるとは意外だった。
妻子も家族もなかった日本と比べれば、この世界にはモーラが、クローラが、イルドが、セダムが、レイハが、ジーテイアス城の仲間がいる。
そうか……私は彼らを、この世界を愛しているのか。
彼らが暗鬼に蹂躙されるくらいなら……。
「そろそろ答えてもらいたい」
「……っ」
悲惨な妄想に踏み込もうとしていた私の意識を、野太い男の声が現実に引き戻した。
はっとして目を上げれば、戦将カンベリスがじっと見詰めている。怒っているのかと思ったが、妙なことに彼はぎょっとしたように目を見開いていた。
「……っと、失礼」
私は慌ててローブの袖で目元を拭った。情けないことに目に涙が滲んでいたようだ。
さすがにこれは恥だな。
しかし、絶望だけだった心に別の感情が沸いたためか、少しだけ頭が働くようになってきた。
万一のときは、狩られてやっても良いかも知れない。だが、何もしないままというわけにはいかない。
「あー、そもそも……その巫女の預言とやらに信憑性がどれほどあるのだね? 君たちがそういってるだけでは?」
「過去の巫女は150年前の二度目の『大繁殖』も預言したし、強力な暗鬼崇拝者や小規模の暗鬼の巣の出現なら、今代の巫女は何度も預言している。私も実際に北方の王国で、預言されたとおり1人の暗鬼崇拝者を狩ったことがある」
「……むぅ……」
これだって、彼がそういってるだけといえばそうなのだが。戦族については伝承になるほどの実績があるわけだしな……。
「では、その『審問』の信頼性は? 暗鬼はともかく暗鬼崇拝者を発見することなど本当にできるのか?」
「審問には、『見鬼』という道具を使う。暗鬼の血を特殊な水晶に封じたもので、暗鬼や暗鬼の影響を受けたものには必ず反応する」
レイハたちやコーバル男爵のように、暗鬼に洗脳されたり取り憑かれたような者には反応するということか。
完壁じゃないか。これが味方ならな……。
「先ほど、小規模の暗鬼の巣の出現を預言したといっていたが、2ヶ月前にこの地に出現した暗鬼の巣のことは預言できなかったのか? それにレリス市には10年も前から暗鬼崇拝者がいたようだが?」
「……全ての暗鬼崇拝者や暗鬼の巣のことが預言されるわけではない。そんなことができるなら、とっくに我々が全ての暗鬼を滅ぼしている」
「…………」
……ダメだな、今のところ彼の話に矛盾もほころびも見つからない。
後は、審問とやらの結果にかけるしかない、か……。
もしも私が暗鬼だと判定されたら……くそ、死にたくないな。
「……分かった。審問を受けよう」
「そうか、重畳だ」
「一つ、頼みがある。もし、私が暗鬼や暗鬼の影響を受けたものだったとしたら、大人しく君らに狩られることも考える。だがその前に、仲間に別れを告げる猶予だけはもらえないか?」
「良いだろう……それと、私からも一つ聞きたい」
正直、本当に黙って狩られるべきか、戦族を騙してでも生き延びるべきか答えは出ていなかった。
カンベリスはそんな私の顔をしばらく見詰めてから言った。
「レリス市で聞いたのだが――ああ、一応言っておくがこのなりであそこにいたわけではない――貴殿は暗鬼と戦うためにこの城に部下を集め、ゆくゆくは各国の同盟を結びたい、とか?」
どういうつもりか分からないが、彼がこの質問をしてくれたお陰で完全に冷静になれたと思う。
「少し違うな。私が仲間を集めているのは、暗鬼と戦うためではない」
「では、どういうわけで?」
「私は仲間と、暗鬼から人々を守るために戦う」
そう、私には目的がある。
……こんなところで死んでたまるかよ。
「これより、戦族による『審問』を行う。判定人は占師キュイル。執行者は戦士長レード。見届け人は私、戦将カンベリス」
正門の前の空き地。
待機していた戦族の集団の中から、赤いローブの男と一際巨体を誇る戦士がやってきて私を取り囲んだ。
異様な雰囲気に、城内から仲間達が飛び出してきそうな気配があったので、大きく腕を振って制止する。
「では、マルギルス殿。右掌を差し出したまえ」
「……」
のっぺりした顔の占師の言葉に従い、私は片手を突き出す。彼は、その上に水晶球を乗せた。
生暖かい透明なその珠の中心には、赤黒い塊が浮いている。これが暗鬼の血だろう。
「…………」
そういえば、暗鬼の血がどう反応すれば黒なのか聞くのを忘れていた。
左に立つカンベリスが唾を飲み込み、右に立つレードが背に担ぐ巨大な刀剣の柄を握りなおす。
「…………どうなんだ……?」
「これは……」
数十秒続いた沈黙に耐え切れず、じっと見鬼を覗き込んでいた占師に声をかけた。
その瞬間。
ぴくり、と。親指の先ほどの血塊が動いた。
最初は小さく。だがすぐに大きく。上に下に、右に左とでたらめに、ネズミ花火のような勢いで水晶珠の中を暴れまわった。
私の掌には、生暖かさに代わってひんやりした感触が伝わり、水晶球の表面がうっすら結露していく。
「……どういうことだ?」
「分かりません。このような反応は見たことがない」
焦ったように聞くカンベリスに、キュイルも上ずった声で答えた。
「マルギルス殿、貴方は何か感じるか?」
「……むう?」
キュイルが何かを計るように目を細め聞いてくる。私がわけがわからないなりに、掌の感触や暴れる暗鬼の血の様子を観察すると……。
「……不安……そして、恐怖、か? ……この『血』から私への嫌悪や恐怖……を感じる」
直感としか言いようがないが、素直に感じたままを口にするとキュイルはかすかに頷いた。彼はそのまま私の掌から見鬼を摘み上げ、懐に仕舞った。
「どういうことだ? 彼は暗鬼だったのか?」
レードが苛立った口調でキュイルに詰め寄る。キュイルは呆然としたようにカンベリスに向いた。
「彼が少しでも暗鬼の影響を受けた存在であれば、暗鬼の血塊は同類だと思って同化しようと薄く広がる……つまり見鬼が真っ赤に染まります。しかし、このような動きは今まで例にない。……分からないとしか言えません」
キュイルの言葉の意味を私はしばらく考えていたが……つまり?
私は暗鬼でない、と言いきることはできないのか?
「それでは、彼を狩るわけにはいかんな」
「戦将。巫女の命令に逆らうのか?」
「我々に命令するのは巫女ではない、長老会だ。それに巫女には少し妙なところがあった」
何故か、レードとカンベリスが口論を始めた。
レードは、巫女の預言があるのだから私の正体が何であろうと今のうちに狩ることを主張し、カンベリスは私が暗鬼であるという確証がない限りできない、と言い返している。
正直、複雑だが……。暗鬼と断定されなかったということは、喜んで良いのだろう。
「待たせたな。審問の結果を告げよう」
私を放置してしばらくあれこれ議論してから、ようやくカンベリスが言い出した。
「ジオ・マルギルスが暗鬼もしくは暗鬼崇拝者か否かについては、証拠不十分のため審問を継続することとする」
「……継続?」
「我々はこれから戦族の『宿』……一般で言うところの本拠地に帰還して今の状況を報告する。その上で、長老会や巫女から改めて指示を受けて戻ってこよう」
「……ずいぶん、悠長な話に聞こえるが……本当に良いのかね?」
彼らは見鬼の不可解な反応だけで継続とかいっているわけだが、私は自分自身の疑わしい証拠……魔導門のことを知っている。
死ぬしかないと思い込んでしまった私なら、素直に彼らにそれを話したかも知れないが……ここは黙っておこう。
「もちろん、貴殿が何かのはずみに暗鬼に化けるという可能性もあることは分かっている。よって、この戦士長レードと戦士10人をこの城に駐留させてもらう」
「監視ということか?」
「そのとおりだ。万一のことがあれば、即座にレードが貴殿の首を刎ねると知っておけ」
「……望むところだ」
これは正直心強い、というのも変だが。彼のレベルなら多分、防御呪文を使っていない私を一撃で殺すことができるだろう。もちろん、本当に万一に備えての話だが。
それに、クローラが言っていた落とし前のこともあったな。
「…………」
ダメだ。自分に後ろめたいところがあるのに、謝罪だの賠償だのいえるほどの度胸は私にはない。
「それともし、別口の暗鬼や暗鬼崇拝者が見つかった場合は……貴殿の判断で人々を守るために戦士達を使って結構だ」
「おい!」
「い、良いのかね?」
レードも驚いたようだが私も驚いた。
カンベリスは悪趣味極まりない装飾の兜を被りなおしながら、口の端を持ち上げて笑ったようだった。
「個人的にだが、お前のような泣き虫が暗鬼に連なる者とはとても思えないからな。迷惑料代わりだ」