予兆 (三人称、一人称)
「思い違いも甚だしい! 城主マルギルスはこの地の暗鬼の巣を破壊し、レリス市の暗鬼崇拝者を倒した英雄ぞ!」
見張り台から戦族の戦士たちを睥睨するクローラの口から、烈火のような声が迸った。
傍に控えるダークエルフの少女2人がびくりと肩を震わすほどの鋭さだったが、声の対象である巨体ーー戦士長レードは微動もしない。
「思い違いかも知れん。しかし、直に合えば暗鬼なのか、あるいは暗鬼崇拝者なのかの判別は可能だ。潔白だというなら応じてもらいたい」
「痴れ者! それが人に物を乞う態度か!? どうしてもと言うなら、まずは後ろの無作法な者共を引き下がらせよ!」
火の矢のようなクローラの舌鋒と、それを巌のように撥ね退けるレード。
しばしの沈黙の合間、固唾を呑んでいたダークエルフ4姉妹の末っ子、ササラに向けてクローラが小さく手を振った。
「……承知しました、奥方様っ。急いで主様を迎えにいってきますっ」
褐色の肌の少女が影に溶け込むような隠形術で城を抜け出した後、レードの後方に待機していた戦族の中でも動きがあった。
最も派手に装飾された鎧の戦士の背後に、これまた異形の装備で固めた戦士が現れたのだ。
「動きがあったか?」
「ダークエルフが1人、西へ向かいました。相棒が後を追ってます」
「よし。恐らくその先にマルギルスがいるな。こちらに戻ってくるなら良し、逃げるようならすぐ報告しろ。絶対に見失うなよ」
「はっ」
派手な鎧の戦士に平伏した軽装の戦士は、両眼にあたる部分だけが異様に肥大化した面覆いを着けていた。戦族における密偵『耳目兵』と呼ばれる者たちである。
彼らは並の人間では視認することすら難しい、隠れて行動するダークエルフを発見し、尾行することすら可能なのだった。
「戦士長を呼んでこい。次の報告があるまで我々は休憩だ」
「はっ」
派手な鎧……両肩の装甲に六つの瞳の紋様が入り、背中に鳥の尾羽の飾りを着けた……の戦士が、他の戦士に指示を出す。
彼はこの場における戦族の最上位者、『戦将』カンベリスなのだ。
この世界には悪戯っ子を『悪い子は暗鬼に食べられてしまうよ』といって脅すことが良くある。それと同じくらい御馴染みのフレーズが『夜更かしする子は戦族に狩られてしまうよ』だ。
この十年間は大規模な暗鬼の襲撃もなく、暗鬼崇拝者も滅多に見られないリュウス湖周辺地域ですら、である。
本拠地も、人数も正確に知る者はいない。
ただ、1人1人が一騎当千の戦士であるだけでなく、独自の技術で暗鬼や暗鬼崇拝者を見つけ出し狩り立てることは皆が知っている。これだけならば、人間の守護者として尊敬を一身に集めただろう。しかし、社会に溶け込んでいる暗鬼崇拝者を密かに、あるいは公然と暴き出し容赦なく狩る彼らの姿は、暗鬼のない世界を願う人々にとっては凶兆であり恐怖なのだった。
それが、『暗鬼と暗鬼に連なる全てを滅ぼす』使命を至上とするあまり、守るべき世界を軽んじるようになったことの代償だと気付いている戦族はまだ少ない。
「『見鬼』に何か反応はあったのか?」
「今のところは何も」
城代の女性に一時中断を申し出て戻ってきたレードが、カンベリスを無視して別の戦族に声をかけた。
相手は、戦族の中で唯一鎧ではなく赤いローブをまとった男だ。その手には、子供の拳ほどの大きさの水晶球が載っている。名前をキュイルといい、戦族の『占師』を務めていた。
良く見れば、水晶球の中心には赤黒い塊が封じ込められている。これが、暗鬼やその影響を受けた者を見分ける効果を持つ、『見鬼』という戦族秘伝のマジックアイテムだ。水晶に封じられている塊は、実は暗鬼の血液である。
「戦士長。『見鬼』といえど、暗鬼や巣はともかく暗鬼崇拝者を判別するためには、直に触れさせる必要があります」
「……少なくともこのあたりに暗鬼や巣は存在しないということだな」
「レード! その判断は私がする」
「了解している」
淡々と説明するキュイルの言葉に頷いたレードに対して、カンベリスが鋭く釘を刺す。自分の胸ほどの身長の戦将に向けて、レードは小さく会釈した。
「巫女の預言がある以上、慎重にも慎重を期さねばならん。マルギルスがただの法螺吹きだったり、……あり得ないだろうが……本物の大魔法使い? ならば何も問題はない。だが、万一『見鬼』が反応するようならば……」
厳重な装甲や分厚い鎧下で隠されたカンベリスの喉が大きく動いた。
「やつは次の『大繁殖』の焦点ということだ。我々全員が命を落とそうとも、ここで倒さねばならない」
■ ■ ■
ササラから事の次第を聞いた私は、焦りと怒りに急き立てられるようにジーテイアス城へ帰還した。
もちろん、馬鹿正直にそのまま正門を潜ったわけではない。ササラから尾行者がいることを聞いたこともあり、【亜空間移動】の呪文を使い、亜空間を移動してのことだ。
戦族とやらとの交渉は一時凍結していたということだが、何よりも、誰も傷ついていなかったことに安堵した。
「そんなことよりも、彼らにどのように対応するべきか考えるべきですわ」
「……そうだな」
青ざめた顔で、それでも平然というクローラに感謝と敬意を覚えつつ司令室に入る。
集めたのはセダム、クローラ、トーラッド、ジルク、そしてレイハの5人だ。
「戦族に目を着けられたのは面倒だな。仮にいま追い返しても、この話が広がったら俺達の評判は最悪になる」
「つーか、戦族があんな集団で現れるなんて10年ぶりだよな。……嫌な予感がするんだが」
「それにしても、彼らは何をもってマルギルス殿を暗鬼だのと言うのでしょう?」
「俺も詳しくは知らないが、何か特別な術だか道具だかで見分けるらしいぞ」
冒険者達の会話を聞きながら、私は熱くなった頭を何とか冷やそうとしていた。
モーラが泣きそうな顔で淹れていってくれたシル茶を一気に飲み干す。……まだ腹の奥がムカムカする。
「……。それなら最低限、その術とやらで私が暗鬼でもなんでもないということは立証する必要があるな。……そんな術が本当にあればだが」
「それで話が済めばいいですがねぇ。何だかんだと難癖をつけて、城主様を討ち取ろうとするんじゃないの?」
「そこまでするなら、いっそ話は簡単だな。全員、石でも豚でも好きなものに変えてやろう」
「……」
私が珍しく怒りに任せた意見を言ったことに驚いたらしく、みなの視線が集中した。
「あんたが冷静じゃなくなったら収拾が付かなくなる。気持ちは分かるが、落ち着いてくれよ?」
「……しかし実際、落とし前をつけていただく必要はありますわね」
心配そうなセダムの言葉に、クローラが意見を被せた。
見れば、青筋がくっきり浮かんでいて彼女自身、激情を抑えながら話しているのが良く分かる。
「その上で進言いたしますが。彼らとは友好関係を結ぶべきです……わ」
「……」
彼女の冷静極まりない進言に、皆は黙りこくった。
確かに。暗鬼と永年戦い続けてきた熟練の戦士集団だ。私の目的から言って喉から手が出るほど欲しい。
もし彼らが最初から友好的にやってきて手を差し出してくれたのなら、喜んで握手していただろう。
暗鬼や暗鬼崇拝者を発見する術や、戦うためのノウハウ、何よりも同じ目的を持つ同志としてこれほど頼もしい存在はないだろう。
「まあ誤解が解ければ……だがな」
「ここまでされて、タダで帰すわけにゃいかないんじゃないですか?」
落とし前、か。
彼らがいくら強くても、それこそ石や豚にしてやるのは簡単だし、殲滅するのはもっと簡単だ。ただし、いくら怒り心頭とはいえ流石に殲滅したいとまでは思わない。
まあ、城の皆を怖がらせたことについては『落とし前』をつけてもらう必要はある。本来、城主としては世間体的なことも考えねばならないのだろうが……。
「とにかく、直接会うしかないようだな」
私の結論に、皆は不安そうに顔を見合わせた。大丈夫、いきなり隕石を降らせたりはしない。
本来、一つの区切りの中で人称が混在するのは良くないのですが、構成上このような書き方になりました。
ご了承ください。