領内巡視 2
『淵の村』の巡視を終えた私達は、『薬の村』に向かった
『薬の村』の村長は先代の薬師だという老婆で、人望もあり頭も切れる中々の人物だった。
前回の反省から、イルドに先行してもらい直に事情を説明してからの訪問なので、村長との交渉は穏やかに進んだ。
「こんな小さな村だが、以前はずいぶん山賊に苦しめられた。これからは守って下さるというなら、喜んで領民として尽くしましょうぞ」
「ああ、よろしく頼む」
『薬の村』の人口は約130人といっていたから生活もギリギリだっただろう。私は『淵の村』と同様、安全の確保と生活の改善を約束し、税も当面徴収しないことを伝えた。
もちろん、村長も村人も大いに喜んでくれたのだが……。
「申し訳ないが、実はもう一つお願いがありましてな……」
と、小柄な老婆がさらに身を縮めて懇願してきたのが、『アンデッド退治』であった。
最近になって急に、兵士の死体が夜の森をうろつき始めたのだという。出現場所が村からは離れていることと、積極的に人間を襲うようなことはないので今のところ被害は出ていない。ただし、その出現場所が貴重な薬草の群生地の側であり、村の財政上非常に困っているということだった。
「冒険者を雇おうにも金がまったくありませぬし……市の軍隊やカルバネラ騎士団には税を支払っていないので……」
と、言われてしまえば領主である私が対処しないわけにもいかなかった。
夜の森というのは現代日本の都市に慣れた身からすると驚くほど暗い。
それでも周囲の様子が薄っすら分かるのは、頭上を覆う木々の隙間から白い月光が降り注いでいることと、目標である『奴ら』そのものがうっすらと燐光を放っているからだった。
頼りない足取りで森を進む人型は20体ほどか。歪な2列縦隊を組んでいるのがより不気味さを増している。
死霊憑きだ。
神官戦士トーラッドによれば、死者の身体を覆う黄色の燐光が死霊の本体なのだという。
ぼろぼろの鎧に盾、槍や剣を装備している。身体はミイラのように干からび、虚ろな表情や時折漏らすうめき声は確かに歩く死人だ。
「死者の軍よ! ここは生ある者の領域である!」
死者の行軍の前にトーラッドが立ちはだかり、信仰する女神の聖印を掲げた。
聖句を唱えれば、死者の軍団の頭上に眩い光が降り注いでいく。
「冬の女神アシュギネアの名の元に、死霊よ去れ!」
「ガ、ア……」
「……フシュゥ……ウグルゥ……」
「おおっ、悪霊祓い」
セダムやジルクたちといつでも彼を援護できるよう待機していた私は、その光景に思わず声をあげていた。
神々しい光を浴びて、死霊憑きの身体に纏わりついていた黄色の燐光が蒸発するように薄れ消えていく。燐光を失った兵士たちは、一体、また一体と崩れ落ちただの死体へと戻っていった。
「……確認いたしました。この地域のアンデッドは全滅した模様です」
周囲を索敵していたレイハがすかさず報告してくれる。
私は初めて見た神官の力に少し興奮してトーラッドの逞しい肩を叩いた。
「良くやってくれた。これで、『薬の村』の人々も安心だろう」
「ええ。……ただ」
神官戦士は疲労とともに、少しの悲しみを浮かべて言った。
悪霊祓いを使うと、対象のアンデッドの記憶や精神に接触してしまうことがあるのだという。
「彼らは10年前に暗鬼と戦うために集められた兵士でした。先日の暗鬼の巣の発生を感じて目覚めてしまったようです」
……アンデッドでも暗鬼は敵、ということだろうか?
確かに、この目でみた死霊憑きと暗鬼を比較した場合、生者と死者という区別さえ乗り越えて暗鬼の方がより強く人間を憎んでいると感じた。
ますます、暗鬼とは何なのかという根本的な疑問が大きくなってくるな。
翌日。
「ふぅ、ふうっ」
「つ、疲れた……」
「ぜっぜっ……ぜっ……」
「ペース乱れてっぞー。早くても遅くてもダメだかんな! 一息で一歩! 歩幅も変えるなよー」
最後の『奥の村』へ向かう森の間道である。
『淵の村』で急遽徴兵することになった若者三人組がジルクから指導を受け歩いていた。
別に懲罰や嫌がらせではなく、ジルクいわく行軍訓練の一環である。
なんでも彼は以前軍隊にいたことがあるそうで、当面の間、兵士たちの教育係兼指揮官を任せることにしたのだ。
「兵士の仕事の八割は歩くことだからなー。しかも全軍が同じ時間で同じ距離を歩けるよーにしねえと実戦では使い物になんねー! 今のうちにしっかり叩き込んでやるからな!」
兵士の訓練というと剣や槍、それに突撃の訓練を繰り返すというイメージがあったのだがさすがに本物は違うな。
この調子ならこれから50人くらいまでは兵士を増やしてもジルクが面倒を見てくれるだろう。
幸い、新兵三人組がぶっ倒れる前に『奥の村』に到着できた。
人口120人と三つの村の中で一番規模が小さく交通の便も悪いので、かなり貧しいのだろうと想像していた。
実際、家など見ると竪穴式住居みたいなものまであったのだが、人々の顔色や体格などを見ると前の二つの村よりもよほど元気そうだった。
村長に聞くと、村の猟師たちはみな腕が良く肉や毛皮に困ることがないのだという。
「逆に、野菜や果物などが不足しますし……薬なども……」
「なるほど。考えておく。とりあえず、村々や城をつなぐ間道を整備すれば改善するだろう」
「おぉ、ありがとうございます」
村長はいかにも狩りのプロといった黒髭の屈強な男性だった。『薬の村』同様、事前にイルドに説明させているだけに、最初のときのような誤解もなく話はスムーズに進む。
「では、間道が整備されて村の財政に余裕がでてきましたら、税として獲物の一部をお納めいたします」
「ありがたい。ああ、それと……もし希望するものがいれば、城で兵士として雇わせてもらう。そんな若者はいないか?」
『淵の村』の件で味をしめたというわけではないが、腕の良い猟師であれば今後役に立つだろうと思い聞いてみる。
「それは強制的な徴兵ではないのですね? 声はかけてみますが……期待はされない方がよろしいかと」
「そうか、無理強いはしないので気にしないでくれ」
この村は割と満ち足りた暮らしをしているようだ。安心した反面、それを守る責任があるのだと胃が重くなった。
最初のトラブルで懲りたため、村には宿泊しないことにしている。
そのため、村長との交渉を終えると早々に帰路につくことにした。
ところが、村を出る寸前、一人の若者が私の前に転び出てきて、その足をとめられる。
「……」
「りょっ領主さまっ!」
「何だね?」
無言で私の前に立ったレイハを下がらせ、平伏する若者に声をかける。
「はっはいっ! 僕はこの村に住むノクスと言います! 僕を、お城で雇ってください!」
「ノクス……そうか」
良く見ると青白くやせ過ぎの若者は、必死の表情で頭を下げまくってきた。
なんだか話が違うな……と、横にいた村長に視線を向けると。何やら分かったような顔で頷いている。
村長の話によれば、若者は10年以上も前に夜逃げして村に逃げ込んできた商人の息子だった。村とも多少の取引があったので無下にもできず匿っていたが父親はすぐに病死し、以来、居候のような形で村に住んでいるという。
「狩りを覚えようにも体力もなく、村の仕事を細々と手伝ってきましたが……これ以上迷惑をかけたくないんです」
「……では君は何ができるんだね?」
懇願するノクスに、イルドが難しい顔をして聞いた。イルドは基本温厚で善良だが、城のことになるとシビアに徹してくれるから助かる。
「あ、あの、読み書きと……少しなら計算がっ」
「はい採用!」
うぉい。
「も、申し訳ありませんっ。領主たるマルギルス様をさしおいて……」
「いや、うん。確かに、イルドにしか頼めない仕事が多くて悪いなと思ってたしさ。雇おうじゃないか」
「ありがとうございます! 一生懸命働きます!」
そう、確かにドワーフとの交渉や城の仕事の管理、給金の計算までイルドにばかり負担が大きかったのは事実だ。地元出身の助手が付くならそれに越したことはない。
村長も「ノクスは狩りや力仕事はからっきしですが、頭はきれますからお役に立てるかと」と保証してくれたしな。
こうして、三つの村は名実共に私の領地、ということになったわけだ。
税収に期待できるような規模ではないが、そこは私の領地経営手腕次第ということだろう。
とりあえず、兵士候補3人とイルドの助手1人を確保できたのは嬉しい誤算といえる。
そのイルドは、さっそくノクス青年を連れてレリス市へ向かい出発した。城を守る兵士を募集したり、その装備を揃えるためだ。
……本当に彼には世話をかけるなぁ。
行きよりも大分軽くなった足取りでジーテイアス城へ戻る途中、前方から黒い影が迫ってきた。
影は城の守りを頼んでいたダークエルフ四姉妹のうち、末っ子のササラだった。
「主様っ! レイハ姉っ! ……ほ、報告ですっ!」
「何があったの?」
これは、悪い報告に決まっている。予感に言葉を失った私の代わりにレイハが問い質す。
「現在、お城は正体不明の戦士の集団に封鎖、されていますっ。数は約30。せ、『戦族』だと名乗っています!」
『戦族』は『せんぞく』と読みます。発音は『仙台』と同じということで。