霧が晴れた後で
「う、う、うおおぉ!」
「凄ぇ、凄ぇ、凄ぇ!」
「あんなでかい暗鬼を一発だ!」
【破 壊】の呪文がちゃんと効果を発揮して、化け物を粉砕できたので私はほっとした。
衛兵や冒険者たちは興奮して雄たけびを上げている。
確かに巨大暗鬼は、暗鬼の巣で見た岩鬼にもひけをとらない凶悪さだったからな。あの殺意の重圧から解放されればハイにもなるだろう。
「いやあ……とてつもない魔術ですなぁ……。こりゃあ、噂どおりだ」
「……どんな噂か知らないが、少なくともいま見たことは真実だろう。魔術じゃあなくて魔法だがね」
熟練の冒険者リーダーであるガドまで声を上ずらせて言うので、彼らが私の魔法を見て感動しているのだと気付いた。暗鬼の巣を破壊したときのカルバネラ騎士たちと同じだ。こうなると自分が売名大好きの俗物人間のような気がしてくるが……実際名前は売りたいわけだし、仕方がない。
などとぼんやりしている場合ではなかった。
「この呪文により視界内の生物108体の肉体を麻痺させる。【強大なる拘束】」
コーブル男爵同様、呆然としている黒頭巾たちを男爵もろとも呪文で麻痺させる。全員、いきなり身体が動かなくなってぶっ倒れるが、これくらいは我慢してもらおう。
「……全員! 捕えろ! 頭巾を剥げ!」
我に返った衛兵たちが隊長の号令一下、黒頭巾たちにわらわと群がっていった。
「周りをよく調べろ! 抜け道や罠があるかも知れんからな、油断するな!」
「おっす!」
ガドたち冒険者もさすがに手際よく周囲の探索を始めた。
私もしばらく周囲や、粉砕された暗鬼像の跡などを観察していたが特に問題はないようだった。
「うぁぁ……うぁぁぁ……」
衛兵が素顔を確認したところ、巨大暗鬼を操って(?)いたリーダー格の男はやはりコーバル男爵だった。
石化を解除したあとのジャーグルと同じか、それ以上に虚脱して会話ができる状態でもない。瞳の奥にうっすらと金の光が見えたので『ESPメダル』で心を読んでみると、どうも心のかなり深い部分に暗鬼の影響を受けていたらしい。
恐らく、本人は自発的に暗鬼を崇拝しているつもりだったのではなかろうか。
巨大暗鬼の鋏に両断されてしまった男は、衛兵たちも知らない顔だった。ただ冒険者の一人がいうには、コーバル男爵家が治める村の村長に似ているらしい。暗鬼の祭壇に祈りを捧げていたし、こいつも主犯の一人だったのかも知れない。
残りは、やはりダークエルフの女性たちだった。
濃い褐色の肌は共通だが、皆それぞれに特徴のある可憐な少女だ。
彼女たちはレイハと同じく人形のように感情のない状態で、瞳も金色だったので完全に洗脳済みだと判断した。
【祓 い】の呪文は一回分しか準備していなかったのだが、【魔力解除】でも洗脳は解呪できた。【祓 い】は単体対象の呪文だが、【魔力解除】は一定範囲内の魔法をまとめて消滅させられるから便利だった。
「…………っ!?」
「どうした!?」
「がっ……がふっ……ぐほぉっっ!?」
「おいっ……?」
そういう理由で、ダークエルフたちと一緒に男爵にも【魔力解除】をかけてみたのだが。
内部から暗鬼の魔力が消滅したとたん、彼は背骨が折れそうなほどに身体を痙攣させ……息絶えてしまった。
私がTRPGやファンタジーの知識から推測すれば、暗鬼の魔力が彼の命とすでに融合しきっており、魔力が解除されると同時に命も失った……といったところだろう。
それにしても。
自分やモーラたちを狙った相手とはいえ、人を1人死なせてしまったことに私はかなり落ち込んだ。
もし安全に洗脳を解除できていれば、彼もまともな人生を歩めたかも知れないのにな……。
ダークエルフの少女たちの方は、意識を失っただけで命に別状はなかった。目の光だけを考えると、彼女たちの方が暗鬼の影響を強く受けているように思えるのだが。洗脳の深さと暗鬼との関係の強さは別のことなのかも知れない。
男爵には悪いと思うし、倫理的に口にできるようなことではないが……本音を言えば、死んだのが男爵ではなくこの少女たちだったらもっと落ち込んだだろう……。
「ご命令通り、ダークエルフたちは治療院に搬送し手当てした後、収監いたします」
「この周辺にゃ、もう何もないみたいですぜ」
衛兵隊長とガドの報告を聞き私は一息ついた。
何もないといっても、屋敷で見つけた暗鬼崇拝に関する資料や、祭儀場にあった遺体はあとで衛兵たちに調査してもらわねばならない。
コーバル男爵や司祭らしき男が死んだといっても、レリス市の暗鬼崇拝者が残っていないとは限らない。彼らにはしっかり調査してもらう必要があるし、場合によっては私も助力しなければならないだろう。
本当に安全になったかどうかは、調査の結果を待たなければならないが。
それでも、これで何とか一安心といったところだ。
それからのレリス市での日々は、かなり目まぐるしく過ぎた。
コーバル男爵の逮捕に失敗した(皆は『コーバル男爵を倒した』という言い方をしたが)日は、評議長、冒険者ギルド長、魔術師ギルド長、衛兵司令官らと今後についての打ち合わせをした。
私には、今後のためにレリス市との友好関係を強くしたいという思惑があり、評議長は評議長で、市の名士が暗鬼崇拝者だったという醜聞が、評議会への非難に変わることを懸念していた。
そこで2人で考えたのが、ダークエルフの裁判を利用して、事件について私が市民に向けて説明すると共に、現評議会が事件の解決に尽力したことをアピールするという作戦である。
魔術師や冒険者にも花を持たせるといったところ、二人のギルド長も作戦に同意してくれた(ヘリドールの内心は知らないが)。
裁判まで10日あったため、私はイルドの屋敷に滞在しながら事件の調査に協力したり、市内の有力者への挨拶回りをして過ごした。
その中でも最も印象深かったのはやはり、評議会貴族議員であるアンデル伯爵、すなわちクローラの祖父との会談だった。
孫娘とは似ても似つかぬ肥満体の老人は、終始ご機嫌であった。どうも、同じレリス市の貴族でもコーバル男爵とはかなり仲が悪かったらしい。
「ここ10年で一番気分が良いぞ! 魔法使いどの! なんならこのまま家の婿になってレリス市を乗っ取ってみんかね!?」
「……遠慮させてもらう」
これ以上ないほど青筋を立てまくっていたクローラと、その弟君の話だと、彼は一般的な意味での権力亡者であり、評議長とも長年やりあっているらしい。まぁ暗鬼崇拝だとか暗殺だとかじゃないなら、好きにやってくれ。
弟君の方はクローラに良く似た金髪の美青年であったが、彼もやけに私に親しみを持ってくれたようで。
「マルギルス様も、姉に耳を引っ張られてるんですよね? 姉はどうでも良い相手にはそういうことはしませんので……」
などと、耳元に囁いてくれた。
私はクローラからみたら弟並みに頼りないということか? 娘みたいな年の子なんだがなぁ……。
もう一つ重要なことは、写本師ギルドを訪問したことだ。
製紙技術がまだないこの世界では、書物はほぼ全て羊皮紙(羊以外の皮も使うが)製である。
もちろん、活版技術もないので一冊一冊手作り・手作業で原本を書き写すのだ。
羊皮紙の写本など、現代日本ではほとんどお目にかかれない存在だが、何百種類もの染料や革、金属を組み合わせ精緻な細工を施した表紙や頁、一文字一文字の書体やインクの盛り上がりにまで拘った筆記技術に、私はすっかり見蕩れてしまっていた。
といっても別段、伝統工芸に目覚めたというわけではない。予備の呪文書を作製するためである。
『満月の光にさらした宝石を砕いて混ぜたインク』だの、『炎の女神の祝福を受けたナイフで削った羊皮紙』だの、昔の自分とゲームマスターの首を絞めたくなるような厨二マインド溢れる材料を揃えた上で、白紙の書物を作製することを依頼して快く引き受けてもらった。
自分も現役の写本師であるギルドマスター自ら製本してくれるということで、製作期間は3ヶ月だった。
市の恩人から料金はもらえないということだったが、彼らの技術に敬意を表する意味でもそれなりの謝礼は支払っている。
そうして過ごす間に、レリス市の暗鬼崇拝者についての捜査は着実に進んでいた。
当然のように、コーバル男爵以外にも暗鬼崇拝者は存在していて、2人の貴族と5人の商人、そして数十人の市民が逮捕された。
また、コーバル男爵の領地である村はやはり丸ごと暗鬼崇拝者と化しており、衛兵と冒険者が協力して村人のほぼ全員を逮捕している。
逮捕した者たちを尋問したり屋敷の資料を調べることで、暗鬼崇拝者についてさらに詳しいことも分かった。
巨大暗鬼に身体を切断された男がやはり司祭であり、中心人物だったようだ。彼は数十年前にどこからともなく村にやってきてから信者を増やし、領主であるコーバル男爵までも取り込んでしまったのだという。
巨大暗鬼の元になった頭蓋骨を彼は『神体』と呼び昔から生贄を捧げていたそうだ。
ダークエルフやコーバル男爵を洗脳したのも、司祭というより『神体』の力である。
彼ら以外にも洗脳された暗鬼崇拝者は数人いたが、【魔力解除】すると死亡してしまうので、全員牢獄行きとなっている。
洗脳されてしまった者には気の毒だが、自ら暗鬼崇拝に染まった連中は自業自得というものだろう。私も【過去視】などで捜査に協力しているので、冤罪などはなかったと思う。
冒険者たちや、盗賊ギルドまでも協力して行われた暗鬼崇拝者狩りによって、レリス市から彼らの姿はほぼ消えたといっても良いだろう。
コーバル男爵の逮捕に失敗してから10日後。
私は、議事堂前の大広場で開廷された裁判に出席した。
正面に裁判官、その左右に陪審員たち。右手には検事役の衛兵司令官、左手には被告であるダークエルフ5人と弁護人がいる。
私は保証人、という立場だ。
この世界の裁判はもちろん現代日本のそれとは大幅に違う。
判決は陪審員の多数決で決まるが、その判断にもっとも重大な影響を与えるのは保証人だという。
しかも、『保証人が何をいうか』よりも『保証人が誰なのか』が重要なのだ。『皆から信頼される立派な人物が保証するならば、被告の証言も信用できる』という考え方なのだろう。
そして、自分で言うのも本当に何だが、現在レリス市においてもっとも有名かつ立派である(と言われている)大魔法使いジオ・マルギルスが保証人になった時点で、レイハたちの無罪はほぼ決まったようなものだったのだ。
彼女を衛兵に引き渡すときの司令官や評議長の態度はそういう意味だったのだなぁ……。
「私、ジーテイアスの魔法使いジオ・マルギルスは正義の神ギュラスの裁きの剣が正確に振り下ろされるよう、ここに証言する」
やっぱファンタジー舐めちゃだめだな……などと頭の片隅で考えながらも、私は義務と評議長との約束を果たすべく、彼女らの弁護と事件の概要を話した。裁判官や陪審員だけでなく、集まった市民たちにも向けて、だ。
ちなみに裁判の作法については、頼みもしないのにアンデル伯爵自らが細かく教授してくださった。
「……卑怯にも、コーバル男爵は彼女らダークエルフを使い、私の世話をするいたいけな少女を誘拐せんとした……」
サッカーコートが何面もとれそうな大広場を埋め尽くす群集を前にしても、以前ほど照れや恐れを感じない。
大魔法使いの仮面がいよいよ板についてきたようだ。
「……魔術師ギルドの麗しき女性魔術師は彼らの魔の手を自ら払いのけた。……そして……評議会に忠誠を誓う勇敢な衛兵と、市民の盾たらんと義憤に燃える冒険者とともに、私は男爵の屋敷地下へ突入した」
世話になった各所への配慮も忘れずに。
「……そこで調べたところ、ダークエルフたちや一部の暗鬼崇拝者は、司祭によって洗脳され、自らの意思と関係なくおぞましい所業を強要されていたことを確信したのだ。魔法使いジオ・マルギルスの名にかけて、彼女らは無罪であると断言させてもらう」
こんな裁判になるとは当初は思いもしなかったが、これがこの世界の法だというなら従う、いや利用するのも吝かではない。
そもそも評議長も衛兵司令官も最初からダークエルフなどという厄介なものを抱え込むつもりもない上に、私に恩を売れるのだから有罪になるはずがなかったのだ。
「判決を言い渡す。陪審員の全員一致をもって、被告は無罪!」
「「「我らが流れの主よ!」」」
裁判官の宣言と同時に、(手袋を脱ぐみたいに手械を外した)ダークエルフたちが一瞬で私の前に並び、跪いた。
……ほとんど予想はしていたが、レイハの部下の少女達も私を主とか呼ぶんだな……。
「我らのために主様自らの弁護、感謝の言葉もございません」
「これからは、レイハナルカ姉同様、私達も主様の従属する者となってご恩に報います」
紙吹雪やら、喇叭や鐘の音やら、市民からの大歓声やらに包まれていたが私は冷や汗を滴らせていた。
美女と美少女たちに傅かれて、男として嬉しくないといったらもちろん嘘になる。放っておくと、顔が滅茶苦茶にこにこしてしまいそうなのを抑えるのに必死だった。
大魔法使いとしての偉そうな態度に慣れるのはまぁ良いとしよう。
だが、人に跪かれるのに慣れてしまうのはダメだと思う。
彼女達が私にとって甘い毒にならないことを祈るばかりだ。
少々とっちらかった感もありますが、次回から新エピソードとなります。
いよいよ少しは建国要素が出てくる……はずです!