霧が晴れるとき 1
コーバル男爵の屋敷は高級住宅街の一角にある。
その高級住宅街の広い街路には、身分も職業も様々なレリス市民たちが押し寄せていた。
目当ては、私こと大魔法使いが暗鬼崇拝者であるコーバル男爵に復讐する場面を見物することだ。
私が派手に動きすぎたせいだが、ここ数日ですっかり市民たちの噂の的になっていたようだ。
市民たちだけでなく、集まった衛兵や冒険者たちも興味津々といった顔でこちらに注目している。彼らは、暗鬼の巣を破壊したという『大魔法使い』が実際はどんな存在なのか知りたいのだろう。
だったら、教えてやらねばならない。
「信愛なるレリス市の諸君。私は魔法使いジオ・マルギルスだ」
腹に力を込めてなるべく重厚そうな声を出すと、あたりは静まり返った。
「騒がせてすまないな。諸君もご存じのようだが、私はこれから衛兵に同行してコーバル男爵と面会させていただく。理由は、彼が暗鬼崇拝者であるという疑いがあるからだ」
あくまでも噂だった暗鬼崇拝者、という言葉をはっきりと口にすると群衆はまたざわついた。表情には怯えの色が強い。
「あくまでも、疑いだ。男爵から話を聞いた結果、誤解だったという可能性もある。しかし、もしも――彼が本当に暗鬼崇拝者だった場合」
人々はまた静かになった。固唾を飲んで私の次の言葉を待っている。
「私が必ず彼を捕らえ、諸君を守る! 魔法使いジオ・マルギルスは暗鬼と暗鬼に関わる者すべての敵だからだ!」
でかい声を出しているうちに喉の調子が良くなってきた。
最後の一言はなかなか良く響いたと思う。入社したてのころ、新人教育として都会の交差点で歌わされたことを思い出して気分は最悪だったが。
「わあああっ」
「大魔法使い様!」
「我らの英雄!」
「暗鬼からこの子たちを守ってください!」
あの時の通行人の生暖かい視線と違って、レリス市民たちからの反応は熱狂的であった。衛兵や冒険者たちも拳を振り上げて叫んでいる。
自分でそうしようと思ったわけだが、やはりどうにも居心地が悪い。
「なかなか板についてきたな、大魔法使い殿」
「その調子ですわよ」
「ありがたいお言葉だなっ」
あほな子供の成績が少し上がったのを褒めるみたいな、セダムとクローラの態度にほっとする。
「魔法使い殿、こっちもいつでもいけますぜ?」
私より頭一つ以上でかい男、戦士のガドが獰猛な笑みを浮かべて言った。全身を武骨な金属鎧で包み、両手持ちの斧を担いでいる。
【達人の目】で能力を見た時、冒険者ギルドの中で一番高い8レベルだったし、この場の雰囲気や私に対しても怯んでいない。
「お前ら、魔法使い殿の足を引っ張るなよ!?」
「おおっ」
「任せてくれよっ」
部下(この世界の冒険者ギルドの仕組みからすると、仲間というより部下や弟子といった方が近い)たちも、セダムのパーティに比べて重武装の戦士が主体だった。もちろん、屋敷に踏み込むために選ばれたパーティなので密偵もいるし、神官も1人所属していたが。
「では、いこうか諸君」
群集の歓声を受けて私と冒険者、衛兵たちはコーバル男爵の屋敷に踏み込んだ。
事前調査のとおり、屋敷の内部は無人だった。
コーバル男爵の私室や書斎には怪しげな書物や神像のようなものが転がっていたが、細かく調べる余裕はないので放置している。
地上部分の探索を早々に切り上げ、私達は本命の地下室へ向かうことにした。
調査担当の冒険者たちが調べてくれた地下室への扉は、広間の巨大な絵画の背後に隠されていた。
絵画には、氷と雪の鎧をまとった女神が、暗鬼やその他の怪物を打ち倒す様が描かれている。どうもこの女神が、何度か聞いたことのある冬の女神アシュギネアみたいだ
「開きましたぜ、魔法使い殿」
密偵が得意げな顔をして、隠し扉を解錠した。
「そんじゃ、俺が先頭に立ちますんで。魔法使い殿や衛兵の旦那がたは後からゆっくりついてきてくれ」
「先頭は任せる。が、その前に一度私の周囲に集まってくれないか」
「?」
微妙な顔をする冒険者や衛兵を自分の周囲、具体的には半径3メートル以内に集める。
完全武装の大人12人だからかなりきついが……。
「この呪文により我より半径3メートル以内の勇者全ての筋力、持久力、瞬発力、耐久力、そして五感を1時間の間強化する。【肉体強化】」
呪文を唱え終わると、私を中心にきっちり半径3メートルの円内に青白い火花が飛び散り、それに触れた者たちの身体能力を大幅に強化した。
「おっ……おおっ!?」
「なんだこれっ」
「ち、力がみなぎってくる……」
「私の呪文で諸君の力を向上させた。1時間しか効果は続かないが、それまでに任務は終了できるだろう?」
「すげぇっ。これが魔法の力かっ!」
「大魔法使い様万歳っ!」
「いや、大したもんですな」
いきなり全身に力がみなぎり五感が冴え渡った冒険者たちは、私の言葉を聞いてまた拳を突き上げ雄たけびを上げた。
邪教(この場合は暗鬼崇拝だが)を奉じる貴族の潜む地下通路を進む。
ダンジョン探索の一つの様式美とすら言える状況だったが、幸か不幸かモンスターにもトラップにも出くわさなかった。
いくらか分かれ道があったが、『マッピングスクロール』を使うまでもなく冒険者たちが正しい道を探り当ててくれる。
パワーアップした彼らも肩透かしをくらったとぼやくほどスムーズに通路を進むと空気がしっとり湿気を含みはじめたのに気付いた。
「もしかしてこの先に地下水路があるかもですぜ。それか、レリス湖まで通じているのか……」
先頭をいく密偵がぼそりと呟いた。
そして、数分歩くと彼の言葉が正しいことが分かった。
体育館ほどの広間に出たのだが、その広間の奥側半分はどろりと濃い水面になっている。
水辺の岸にはなにやら禍々しい祭壇があり、像の前には数人の人影が待ち構えていた。
「……ま、まさか貴様自身が乗り込んでくるとは、な……。魔法使い、ジオ・マルギルス……!」
黒いローブに、目の部分にだけ穴をあけた黒い頭巾、手に松明といういかにも過ぎる格好の男が私に語りかけてきた。
「どうやらやっと男爵様にお会いできたようですな、魔法使い殿」
「……」
ガドが両手持ちの斧を構えながら楽しそうに言うが、私は声を出せなかった。
コーバル男爵らしき男の左右には、5、6人同じ格好をした人物が立っていたが、私の意識を釘付けにしたのはその背後だ。タールを塗りこんだように真っ黒な祭壇とその上の『もの』だ。
高さ3メートル程の歪な形の祭壇に、巨大な生物の頭蓋骨のような物体が鎮座している。
明らかに命ある存在ではない……にも関わらず。その虚ろな眼窩の奥には金色の燐光が明滅し、肌を突き刺すような憎悪を浴びせてきていた。
私は確信していた。
あれは作り物でも、紛い物ではない。
本物の暗鬼か、それに匹敵する『人間にとって良くないもの』だ。