悪意の霧 1
魔術師ギルドとの話し合いは結局、次のような形でまとまった。
・魔術兵養成所は現時点で一時閉鎖する。
・ヘリドールとタシンが第一期、第二期生三名と研究を続け、訓練の安全性や戦力の向上が見込まれるようになった場合、再開を検討する。
・訓練中の第三期生十八名は、一時的に現在の養成所に居住する。
三期生のうち、親元に戻りたいものや独立したいものなどは見舞金を支払った上で解放する。
三期生のうち、希望者にはカルバネラ騎士団や地元の商家など受け入れ先を探す。正規の魔術学校へ転入も可能。
・ジオ・マルギルスは、三期生の希望者もしくは魔術師ギルドが選出した魔術師に対してゴーレム作製技術を指導する。指導は6ヶ月以内に開始することとする。
・魔術師ギルドがゴーレムの製造を開始した場合、かならず市当局とコマンドワードを共有する。
・今後も、ジオ・マルギルスと魔術師ギルドレリス支部は暗鬼対策において協力しあう。
「何とか話がまとまってほっとしたな。ありがとう」
「……私はギルドの幹部として会議で意見を述べたに過ぎませんわ」
夕暮れまで話を続けた私は、ギルドの正門でまたクローラに見送られていた。
副支部長の汚職をネタに彼の意見を抑え込むことまでしてくれたにも関わらず、クローラはいつもと変わらぬ態度である。
「ああ。君は職務に忠実な女性だな。だからこそ、私なんかの面倒を見てくれたんだろうが……」
こんなわけの分からないおっさんの面倒を見るのは本当に大変だっただろう、というつもりで言ったのだが彼女は眉をキリリと吊り上げた。
「私は……っ」
「いや、すまない。ただ感謝していると言いたかっただけなんだ」
女性を怒らせたときに下手な言い分けをしても意味がない。素早い火消しが大事だ。
実際こんなやりとりはこれまでにも何回も繰り返していて、彼女も大抵「まったく、殿方はこれだから……」といって肩を竦めて終わりだったのだが。
「私は」
いきなり、クローラは私の前に片膝をついて、深く頭を垂れた。
「なっ……なに?」
「私、クローラ・アンデルは。魔法使いジオ・マルギルス殿の絶大なる魔力と、それを律する高潔な魂に対し、深く敬意を表しますわ」
「お、おい……」
彼女の姿勢も淀みない言葉も、一点の隙もない完璧な作法だった。一方、中身はただの中年会社員に過ぎない私は、動揺して彼女に対して同じように平伏しないようにするだけで精一杯だ。
本当にこれ、どう対応すれば良いんだ?
20年以上社会人をやっていても、美女に騎士の礼(?)で敬意を表された経験はないし、マナーブックにもそんなときの対応は載っていなかった。一瞬前まで、頼れる仲間として親しみを感じていたクローラとの間に、恐ろしい距離を感じる。
「……」
幸い、口をぱくぱくさせている私を尻目に、クローラはすっくと立ち上がった。
「い、いきなりどうした?」
「別に。魔術師ギルドの幹部でも、貴族でもない一個人としての本音を申し上げただけですわ」
「そ、そうか……。その……ありがとう?」
「何で自信無げなんですの!? この、私が敬意を表すると申し上げているのに!」
「ああ、うむ。そうか」
「まったく……。それで、これからどうされますの?」
「ああ、イルドの屋敷に帰って……」
「ではなくて! 貴方はこれからも暗鬼と戦うのかと、聞いているんですわっ」
「うぉっ」
クローラが私の耳を引っ張ろうと伸ばしてきた腕を、私はスウェーバックでなんとか回避した。敬意はどうした。
「……ああ。暗鬼と戦うというより、暗鬼から人々を守るために働くつもりだ。最近ようやく決心したところだがね」
「……そうですの」
一瞬、クローラの青い瞳が見開かれた。
「最終的には、暗鬼と戦うための同盟を作りたいと思っている。まぁ、まだまだ準備が必要だがね。それでもし……」
そう、是非仲間に加えたいと思っているのはセダムとクローラだ。他に知人がいないとも言えるが……。
「その先は仰らないで。先ほどの話はあくまでも私個人の気持ち。魔術師としての私は……あくまでも、ギルドの一員でしてよ」
クローラは俯いて呟くように言った。このあたりがしっかりしているのが、彼女を信頼できる理由なのだがなぁ。
「そうだな。すまない。……だが、魔術師ギルドのクローラとしてなら、これからも協力してくれるのだろう?」
「……」
クローラは何か言いたげに目を細めたが、黙って手を差し出してくれた。
私と彼女はしっかりと握手をしてから別れた。
「わぁ、ジオさんありがとうございます!」
イルドの屋敷に戻って、途中の屋台で購入した焼き菓子をモーラにあげたら大層喜ばれた。果肉が練り込まれた爽やかな味のクッキーで、彼女が淹れてくれたシル茶と良く合った。
「マルギルス様、評議長との面会なのですが。よろしければ、明日の朝でどうでしょうか? 先方も、できるだけ早く会いたいそうですし」
同じくクッキーをつまみながら、イルドが言った。
「ああ、もちろん。助かるよ」
「承知しました。返事を出しておきます。それから、大魔法使い様が徒歩で移動というのもおかしいですので、馬車の手配をしておきますね。気が利かずに申し訳ありませんでした」
「い、いや、気が利きすぎているくらいだ」
「恐縮です。城で雇用する使用人については、現在数名と交渉しています。もう少々お待ちください」
「ああ、急ぐ話ではないからな」
「……そういえば、お耳に入れておきたいことが」
お耳に入れる、とか私も取引先の社長とかにしか言ったことない言葉だな。先ほどのクローラもそうだが、こういう慣れない対応をされると、自分の今の立場を否応なく実感する。まぁ、慣れないとな。
「どうも、マルギルス様のことを嗅ぎまわっているものがいるようです。直接、屋敷や店に接触はありませんが、人を通じて探りを入れてきたり、周辺で聞き込みをしているようで」
「……お、おう……」
私のことを調査している、のだろうな。
「お父さん、誰がジオさんのことを調べてるの?」
「分からない。実際、レリス市の有力者は全員、マルギルス殿に注目しているでしょうから」
つまり市全体が容疑者ということか。そりゃあ、誰だって気になるのだろう。ただ調査しているだけなら別に問題ないのだが……。 暗鬼と戦うのとはまた別種の緊張を感じる。
「もしかして尾行されたりしていませんか?」
「いや……全く気付かなかったな」
「左様ですか。明日のこともありますし、私の方で護衛を用意いたしましょうか?」
どこまで有能で気が利くんだよイルド。これが、この世界の商人の標準なのだろうか? 一応、彼は商人ギルドでも顔が効くほど成功しているそうだから、標準以上の能力であると思いたい。会社にいたころ、こんな部下がいたら楽だったろうな……いや、私の方が愛想を尽かされていたかも。
「いや……余計な刺激をしない方がいいだろう。私はレリス市の味方なのだから。明日の、評議長との話でそれをしっかりと表明すれば大丈夫さ」
逆に、それでもまだ監視したりちょっかいかけてくるようなら敵ということだ。……敵か、それは人間が相手ということだよな……。
「ジオさん、大丈夫ですか?」
「私のことは心配いらない。それより、イルドとモーラの方こそ、万一に備えておいてもらった方が安心できるな」
「それはもちろんです」
実際、場合によっては彼らにも危険が降りかかることもある……。
私も手を打っておこう。