船上舞
ぷりぷり怒りながら歩くクローラの背を追いながら、私はレリス市の人々を見た。
屋台のような商店が並ぶ市場や、口から唾を飛ばして商談に励む商人。職人が店先で徒弟を厳しく指導する姿。お菓子や果物、焼肉などを美味そうに頬張る若者や子供。もちろん、地べたを這いずる物乞いの哀れっぽい声や喧嘩の怒鳴り声も聞こえた。
来た時には気にしていなかったが、街中に運河が張り巡らされ、アーチ形の石橋がかかっている。運河には色とりどりの小舟が行きかい、荷物や人を運んでいた。
魔術師ギルドで長話していたこともあり、あたりには夕闇が迫っていた。
「もしかして、あれが船上舞かな?」
「え? ああ、そうですわね」
都市の動脈とでもいうべき広い運河にそって歩いていると、装飾の多い船がパレードのように並んでゆっくり進んでいるのが見えた。左右の岸や橋には大勢の市民が溢れ、船上に設置された舞台に見入っている。
日本でいう行灯に似た照明で幻想的に飾られた舞台の上で、赤や白の薄絹をまとった舞子たちがゆったりと舞っていた。楽師を乗せた船もあり、軽やかだがどこか物悲しい音色を流している。
運河の岸から船を見下ろしているので、舞子が一斉にターンすると煌びやかな衣装が花火のように広がるのが強く印象に残った。
「……綺麗だが、祭りの出し物にしては静かじゃないか?」
私の呑気な感想にクローラは憂鬱そうに答えた。
「今日の演目は鎮魂の舞ですわ。……暗鬼の犠牲者への」
「……そうか」
法の街道で旅をして、雄大なこの世界の自然を満喫した時にも思ったが、やはりここはゲーム等ではなく、生身の人間が生きている世界なのだ。
「……」
「何をしてますの?」
私は自然と両手を合わせていた。所詮、この世界にとっては異物かも知れないが、ここに住んでいた人々の霊に敬意を払うくらいはしてもいいはずだ。
大きな石橋をいくつか渡り、大門に近い通りまで戻ってきた。
凝った装飾の看板を掲げた商家が立ち並ぶ通りだ。ここが、交易通りらしい。
「イルドの……モーラの家はあそこですわ。ここまでくれば、もう迷いませんでしょ?」 ふむ。ということは、クローラはここで引き返すつもりか。ここは彼女のホームなのだから、別段引き留める理由なんかないな。
「ありがとう、クローラ」
「何ですの? たかが道案内ですわよ」
「いや、ここまでのいろいろなことについて、お礼を言うのを忘れていた。本当にありがとう」
「……私は、私の義務を果たしただけですわ」
「それでも、私には有り難かった。君は恩人だ」
「『大魔法使い』の恩人ですの? それなら、後々私にもずいぶん利益がありそうですわね」
クローラは皮肉っぽく片眉を上げていった。
「う、それは、その……」
大魔法使いの仮面、には多少慣れたつもりだが、まだまだ私には重すぎる。
「冗談ですわ。……私は、貴方がただの優しい殿方だと存じていますもの」
これが現代日本の歓楽街あたりで若い女性から聞いた台詞なら、『お前には何の興味もないよ』と脳内で自動翻訳されるんだがな。褒められていると思って良いんだろうか。
「ただ……。いつ、暗鬼が現れて家族や自分が殺されるか分からないこの世界。それを変えてくれる本物の英雄が、もしもいるのなら、私は……」
「あー……」
「貴方がどんな選択をされるか分かりませんけれど。それはきっと、良い選択なのだと思いますわ。……私がそれを支持できるかどうかは別として。……では、ごきげんよう」
私が間抜け面をさらしている間に、彼女は颯爽と立ち去って行った。
「いやあ、本当によくお越しくださいました!」
「ジオさん、もっと一杯食べてくださいね!」
無事、イルドの家……というより屋敷に辿り着いた私は盛大な歓迎を受けることになった。
イルドとモーラ、それに多数の使用人に、次々と感謝の言葉を向けられる。
立派なテーブルに並んだご馳走は、モーラも料理人に混じって調理したというから食べねば罰があたりそうだった。
まず、現ジーテイアス城の倉庫にあったイルドの積み荷が、カルバネラ騎士団の手でしっかり返却されているか聞いたところ、問題なかったとのことだった。モーラは『それは私が取りに行くはずだったのに!』とおかんむりだったが。
イルドは預かっていた証紙の代わりに金貨三千枚を渡すといって聞かなかった。山賊に拉致されたモーラを救出するため、セダムたち冒険者に支払うはずだった金である。素直に受け取って良いのかと思ったのだが、いい考えが閃いた。
「では、その三千枚を受け取る代わりに一つ仕事をお願いしたいのだが」
「金貨三千枚分の仕事ですか? どんなことでやらせて頂きますが、どういった仕事でしょう?」
「例の砦の所有権を騎士団から譲り受けたのは良いが、一人ではなかなか不便でね。信頼のできる使用人と、それを監督できる人材を探したいんだ」
イルドは膝を打って即答した。
「なるほど、承知いたしました。金貨三千枚の中には、彼らに支払う手付金や支度金も含まれていると考えてよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ」
「その人物について何かご注文は?」
「いや……そうだな、貴方が信頼できる人物なら文句は言わないが。万が一、私の事情に巻き込まれるということもある。できれば、自分の身を自分で守るだけの分別があり、なおかつ身軽な人物だとありがたいな」
「分かりました、最高の人物をお探しします」
「まほぉつかいさまぁ! だからわたしはいったんですよぉ!」
一時間後。誠実で理知的な商人にして父親だった男は消え去っていた。
いま、私にもたれかかって酒臭い息を吐いているのはイルドという名の別人だろう。
「船上舞にかねぇをおしむのは、ばかやろーだって! そうしたら地区長のやろうが……」
どうも、船上舞は町の地区ごとに金や人を出し合って船と舞子、楽師を用意するという制度になっているらしい。イルドはもっと寄付金を集めたかったのだが、この地区の責任者に制止されてしまったのだ。と、もう十回は聞いた。
モーラの母親が10年前に暗鬼に殺されて、それ以来手塩にかけて育ててきたという話の重さに、つい注ぎすぎてしまった私の責任もちょっとはあるかな。
「す、すいません。ジオさん。お父さんってお酒に弱くって……。普段はこんなことないんですけど……」
宴会の間はハイテンションだったモーラは逆に素に戻って恐縮していた。
「構わないさ。男なら誰だって酔っぱらってくだを巻きたくなるときがあるんだ」
「そうなんです?」
「はいそこぉ! 父親の前れいちゃつかないでくださいよぉ? モーラはまだ14さいなんですからねぇー?」
「ちょっと、お父さんっ」
「はっはっはっ。イルド、まだ飲みが足りないんじゃないか?」
「おう、分かってらっしゃる! さすがまほうつかいさまぁ!」
イルドはまたワインをラッパ飲みし始めた。こういう場合、さっさと酔い潰すのが一番手っ取り早い。もちろん、急性アルコール中毒なんかにはならないようペースはちゃんと見ているが。
「ふぅ……」
「ぐごぉぉぉ……」
案の定、それから数分でイルドは轟沈した。今にも私が隕石を落とすんじゃないかと心配しているような顔の使用人たちが、恐る恐る主人を寝室へ運搬していく。
私も、色々思い悩んでいたせいもありつい飲みすぎたようだ。
「ほんとにすいません。ジオさん。お父さん、早くジオさんに会って恩返ししたいって、ずっと言ってたから舞い上がっちゃって……」
水を注いでくれながらモーラが言った。
「ああ、ありがとう。……何度もいうが、そこまで感謝しなくても良いんだがな……」
「感謝しますよ!」
モーラが怒ったような口調でいった。
「私を山賊から助けてくれたり、あんなたくさんの暗鬼をやっつけたり、巣を壊したり……凄いことを、してくれたじゃあないですか」
「まぁ、そう……だが」
日本で呑気に独身生活を送ってきた私には、事業主としてばりばり稼ぎつつ、男手一つで娘を育てるイルドの方が相当に凄く見える。
「あそこにジオさんがいてくれたから、私も、みんなも助かったんですよ?」
「……私がいたから、か」
客観的にはそのとおりだな。
魔法使いとしての力は所詮借り物に過ぎない。それで自分が偉い、強いと思い込むなど愚の骨頂だ。だが、だからといって、力を使えばできるはずのことをしないのが正しいとは言えない。
「ジオさんは、本当は普通の人だから、そんなに窮屈そうなんですか?」
「うっ」
……考えてみれば、モーラと初めてあった時の私は限りなく素だったからな。この聡明な少女に分かってないはずがない。
「あの、その、私、難しいことは分かりませんけどっ。ジオさんは普通の人でも、凄いし、凄い、優しいですからっ。これからも一杯困ってる人を助けられると思うんですっ!」
モーラは顔を真っ赤にして言い切ると、凄い勢いで頭を下げて去っていった。
「……この年でなぁ。人生変えるとかさぁ……」
モーラが注いでくれた水を飲む。果汁が絞ってあるのか、爽やかな酸味があった。
世界を護る、とか、自分と直接関係ない子供を救う、とか。
こりゃー確かに、うだつの上がらない会社員には荷が重い。
「暗鬼を退治できるちゃんとした組織を作らなきゃな。できれば、暗鬼が発生する原因を突き止めて、元から断たないとだが」
この世界の人々が何百年もかけてできなかったことだ。
だったら、大魔法使いの力を持つ会社員が、皆と力を合わせたらどうだ?
「やったろうじゃねぇか」
楽隠居は少しお預けになるが。
大魔法使い、本気でやってみよう。