魔術兵
魔術師ギルド支部長ヘリドールが自信満々に説明したところによれば、『魔術兵』とは以下のような存在だ。
通常、魔術師の訓練と成長には四つの段階がある。第一は、自らの魔力を感じ制御すること。第二に、視界に魔術盤と呼ばれる存在が現れること。第三に、魔術盤に表示される魔術文字の意味を理解し、操作すること。最後に、魔術文字を組み合わせ、そこから導き出されるイメージのとおりに魔力を放出すること。
第一段階にあるものは見習い。第二が入門者。第三が修行者。第四段階に達してようやく魔術師と呼ばれるようになる。
呼び方で分かるように、最低でも第二段階にならねば魔術師ギルドの一員とは見なされない。各段階を上がるには大抵2から5年はかかるというから、全くの初心者が魔術師になるには最低でも8年かかるということだ。しかも、魔術盤を認識して第二段階へ移行できるのは、素質のあるものの中でも10人に1人という狭き門だ。
「そこで、私は考え方を完全に変えてみたのだよ。暗鬼と戦える戦力であれば、何も正式な魔術師でなくても良いのではないか? と。魔術盤が認識できなくても、極単純な魔術を一つか二つだけ使用できるようにならないか、とね」
魔術盤というのは魔術師の視界に現れる魔術を使うための基礎となる存在だが、それを使わずにすむ方法をずいぶん考えたらしい。結果として、
「魔力があり、外部から魔術文字の情報と魔術のイメージさえ強制的に植え付けてやれば、それは可能だった! 自ら魔術文字を組み合わせたり発見して新しい魔術を覚えることは不可能だが、『兵士』としては十分だ! 何よりも短い訓練期間で数を揃えられる! 魔術兵こそ、暗鬼征服のための最強の手段なのだよ!」
ゲーム的にいえば、『魔術制御』みたいな必須技能をすっとばして無理やり『アイスアロー』など特定の魔術だけを覚えこませるということか。有りといえば有りな気もするが、クローラと第3席の女性魔術師のきまり悪げな顔を見ていると、何か不都合があることは予測できた。
「10年前の暗鬼の発生で、レリス市は大変な損害を受けた。頼みにしていたカルバネラ騎士団も役に立たず……。そこでレリス市は独自の戦力を、それも暗鬼に勝てる戦力を持つ必要があると悟ったのさ」
「魔術兵達は、最低8歳から訓練を始めています。そうした若者たちであれば、貴殿の魔法修行を受け入れることもできるのではないか、と……支部長はそう考えておられるわけですな」
第2席、副支部長ヤーマンが愛想笑いを浮かべながら言った。
8歳から!? いくらなんでも8歳から兵士として教育するのはおかしいだろう。……いや、この世界の常識では普通なのか?
「そんな子供の頃から訓練を? 一体、どうやって人を集めているのかな?」
「それはもちろん、志願者を募集しているのさ。レリス市を憂う貴族や裕福な市民たちの子弟が、自ら都市を守りたいと志願してくるのだよ」
「……最近は、募集の窓口もずいぶんと広くなっているようですわね」
「それはまぁ……何しろ人数が重要ですからね」
クローラの棘のある声に、ヤーマンが汗を拭いながら答えた。なんだかどんどん胡散臭くなってくるぞ。
いや、そもそもの話……。
「暗鬼の巣ならば、私が先日破壊した。そこまでして戦力を強化しなければならない状況なのかな?」
「……これはこれは」
「暗鬼の巣はこれまでに何度も出現していますからな。この十年が例外的に平穏だっただけで、明日また新たな巣が出現しても不思議ではありませんぞ」
私の質問に、ヘリドールどころか他の三人も呆れたような顔をした。どうもこれは一般常識だったらしい。
あんなのがいつ出現するのか分からないのでは、そりゃあ軍備も整えたくなる、か……。
「……その二人が魔術兵なのだな? 少し話を聞いてもいいだろうか」
「ああ、もちろん。マルギルス殿になんでもお答えしなさい」
「「はっ」」
少年少女は踵を打ち鳴らして返事をした。
「ふむ……君たちは、どうして魔術兵になろうと思ったのかね? 訓練は大変ではなかったかな?」
私の質問に、まず少年が答えた。整った顔立ちの利発そうな子だ。
「はっ。レリス貴族の義務として、市の防衛の役に立つためですっ。訓練は厳しかったですが、教官たちのご指導で魔術兵としての全ての技能を習得できましたっ」
「あたしも、家族や市の人を守りたかったから……です。それに魔術兵になれればお給料も貰えますし」
少年と、続けて答えた少女の目は真剣で純粋なものだった。もちろんだが、【敵意看破】に反応しない。
「ああ、彼ら二人は第一期生ですでに魔術兵として完成してしまっている。貴殿に教えてほしいのは、第三期生以降、現在魔術師学校魔術兵科で学んでいるものたちになるな」
「ううむ……」
私は腕組みして唸った。
何だか最初に思っていた話と大分違う。相変わらずヘリドールからは敵意の光が見えるが、どうやら彼の敵意は今すぐ私を殺したいという種類のものではないようだ。しかし、【敵意看破】に引っかかっている以上、何となくムカつく、という程度の悪意ではないはずだ。
つまり……私が魔術兵見習いたちに魔法を教える過程でそのノウハウを奪い、始末するという『敵意』なのではないだろうか。
ここで話を蹴るのは簡単だ。今、目の前にいる魔術師と魔術兵が束になって攻撃してきたとしても逃げられる準備はしてきている。
その上で考えよう。
本当に断っていいのか?
こういうとき、大人は落ち着いてメリットとデメリットを検討するものだ。
まず、この話を受けた場合のメリットは、魔術師ギルドに貸しを作れる、実験が上手くいけば対暗鬼の戦力が増強する、ということか。デメリットは、実験のため長期間拘束されるかも知れないこと、実験が成功しても結局魔術師ギルドが敵対してくる可能性が高いこと、だな。結局実験に失敗する可能性もあるからこれもデメリットだ。
そして、断った場合のメリットは……余計な問題を背負い込む必要がなくなること、くらいだろうか。逆にデメリットは、魔術師ギルドから敵対される可能性が高いこと、そしてレリス市独自の戦力が増強されないこと、となる。……まぁ、クローラと縁が切れてしまうかも知れないことも、一応デメリットにしておいてもいいか。
それに……あんな子供たちが暗鬼との戦いに駆り出されるのを黙ってみていることにもなる。私の常識でいえば、これは大きなデメリットだ。
「……そろそろ決めて頂けませんこと?」
私が黙っていると、クローラがじれったそうに聞いてきた。不機嫌そうだが、その原因は分からない。彼女は、私がどちらを選ぶことを期待しているのだろうか。
仕方がないな。ここは大人として適切な対処をしよう。
「暗鬼を倒すための協力だ、断らないでいただきたい」
「如何ですかな、マルギルス殿?」
私が顔上げると、ヘリドールやヤーマンが身を乗り出してきた。
「前向きに検討したいと思うが、難しい案件でもあるため数日考えさせてもらいたい」
帰り際、ヘリドールの提案で魔術兵の能力を見せてもらうことになった。私の判断の参考になれば、といっていたがどうも自慢したいだけな気がする。
魔術師ギルドの広い中庭に立てた人型の標的を前に、少年と少女が槍を構えた。
「では攻撃開始」
「「はっ」」
ヘリドールの合図と同時に、二人は槍を垂直に立てる。見ると、槍の一部には複雑な文字のようなもの(恐らく魔術文字というやつだろう)が彫刻されていた。
「ファイヤランス!」
「ウインドランス!」
少年の槍からは炎、少女の槍からは風の槍が射出され、見事に標的を貫いた。炎の槍が命中した標的は燃え上がり、風の槍が命中した標的はばらばらに砕ける。
「ほう」
魔術を見た回数自体そう多くはないが、少なくともジャーグルの魔術よりは威力がある。
だが。
「はぁ、はあっっ!」
「うぐっ」
二人の魔術兵は苦し気な息をしながら、槍に縋り付いて必死に立っているという状況だった。まるで全力ダッシュを何本も繰り返したような有様だ。
「魔術盤なしで魔術を使っているからね。ある程度体力や精神力を消耗するのはやむを得ない。三期生以降は改善できるよう、いろいろと訓練カリキュラムにも工夫している」
二人の様子を見ても、ヘリドールの態度は変わらなかった。
「それにしても消耗が激しいな……。大丈夫かね?」
「へ、平気ですっ」
少年は必至で直立した。少女も無理やり体を起こしている。
「本当にそうか? 無理をしていないか?」
私は少年の両肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「っ!? だ、大丈夫ですっ!」
少年は驚いて私の手を振り払ったが、一瞬だけ見えた彼の目が赤くなっていたのは間違いなかった。
「残念なことに、このレベルまで到達できたのはまだ極少数でね。貴殿の協力があれば、さらに低コストで大量の魔術兵が……いや、それ以上の兵士が生み出せると信じている。良い答えを期待しているよ」
ヘリドールが最初に会った時と同じ、気さくな笑顔でいった。言葉の端々がいちいち引っかかるし、相変わらず【敵意看破】で光って見える。ここまで自分の内心を押し隠せるというのはいっそ凄いぞ。
ヘリドールと2人の幹部、魔術兵たちがギルドへ戻っていくと私とクローラが残された。
「結局、魔術師ギルドには宿泊できなかったな」
「貴方が断ったんでしょうに……」
「クローラ、もう一度助言をしてくれないか? ……私はどうすれば良いんだろう?」
「私の望みは魔術師ギルドと同じですわ」
「あの支部長と?」
「私の家族も、10年前の暗鬼との戦いで何人も亡くなりましたわ。私が魔術師になったのも、暗鬼から大切なものを守る力を得るため。その点において、私と彼の考えは一致していますわ」
「しかし、あんな年端もいかない子供を兵士にするというのは……」
「他に手段があるならば、そうしましてよ」
クローラの言葉は頑なだった。この世界にきて一か月もたたない私が立ち入って良い領域ではないようだ。
「まぁ、よくお考えなさい。……ただし、最初の忠告は努々お忘れなきように」
もし支部長が本気で私を始末しようとしたら、彼女も敵にまわるのだろうか?
今の私なら、支部長たちになら喜んで【読 心】の呪文を使うかも知れないが、彼女に対してそんな気には到底なれそうもない。
「モーラが待ちくたびれていますわよ? さっさとお行きなさい」
「うむ。そうしたいのは山々なのだが。……道が分からん」
「はぁ!?」
モーラの家は交易通りとかいっていたが……そもそもここまでの道のりを既に忘れている。社会人としてあるまじき話だが、中世ヨーロッパ風の大都市を歩いたことなんてないのだから仕方がない。
「まぁ、通行人に聞きながら歩けば大丈夫だろう……」
「まったく! 貴方ときたら!」
恥ずかしくて口の中でぶつぶついっていた私を尻目に、クローラはさっさと歩きだしていた。すぐに立ち止まって振り返り。
「何してますの!? 日が落ちたら内門が閉まって通行できなくなりますわよ!?」