夢のマイホーム 理想と現実
「むむっ……あれぇ?」
必死で火打石を打ち合わせるが、火花らしきものは飛び散るものの、一向に薪に着火する様子はない。
「いや、そうか。いきなり薪に火をつけるんじゃなくて、もっと燃えやすいもの……新聞紙ないか新聞紙……」
うん、あるわけがない。
「……ううん。やっぱり日本と比べりゃそれは不自由だよな……」
何十年も1人暮らしをしてきたから、一通りの家事や調理はできる……と思っていたのだが。それはあくまでも、現代日本という環境の中の話だった。それに以前宿泊したときは、モーラや騎士団の使用人たちが食事や風呂や洗濯などの家事をしていてくれたのだ。
この世界には、新鮮な野菜や肉が並ぶスーパーも、コンビニもないのだ。……特に、この城の周りはそもそも人間がいないしな……。
それを忘れて、一人で生活できると思い上がっていた自分が恥ずかしい。
ちょっと冷静に、この城の状況を頭の中で整理してみよう。いま確認できている範囲で設備はこうなっている。
主塔
地下1階 倉庫、武器庫、酒蔵
1階 広間(謁見室、食堂兼)
2階 司令室 資料室、客間
3階 寝室、書斎、宝物庫
屋上 見張り台
居住棟(二階建て)
騎士用個室5部屋
従者用小部屋2部屋
兵士用大部屋2部屋
使用人用部屋3部屋
厨房
小食堂
食料庫、倉庫(地下)
寝具、衣服庫
牢獄(居住棟に隣接)
中庭内
厩舎、家畜小屋、鶏舎
井戸(洗濯場)
軽作業場
城門、防御塔
騎士団が駐屯していたときは例外的にキャパオーバーしていたわけだが、大体50人程度の騎士や兵士、使用人を収納できる規模なわけだ。
掃除とか修繕とか、この規模の建築物を1人で管理できますか? 答え、できない。……何ヶ月かかけて、魔造生物の従者とか作製すればいけるけども。
おかしいな、孤塔に1人で引きこもってる大魔法使いや大賢者は掃除や洗濯を全部1人でやってたのか?
……今更だが城を貰ったのは軽率だったな。
「……しかしとりあえず、今夜の食事をどうにかしないとな……」
反省はしたが事態はなにも変わっていない。入った時よりも数段殺風景に見える(もちろん気のせいだが)厨房を眺めながら呟く。
背負い袋の中には、ジオのキャラクターシートのとおり保存食として干し肉や果物の乾物、豆やパンなども入っていた。とりあえず調理用のテーブルにそれらの食材を並べてみたが。
「これでどうしろと……?」
肉を切って焼く、以上の調理法が思いつかない。しかし火は着かない。暖炉どころか厨房ごとふっとばすような呪文ならあるが、薪に着火するのに都合の良い呪文はさすがに呪文書にもなかった。
あとはもうただ切り分けてそのまま食べるしか……。
なんだろう、これは。この世界にきてから、ここまでぐだぐだだったことがあるだろうか? 本気で情けなくなってきた。
「……こんなことだろうと思いましたわ」
途方に暮れていると、厨房の入り口からクローラが呆れたように声をかけてきた。まぁ呆れて当然だろう。
「ははは……。どうも少しばかり……男の隠れ家はハードルが高かったようだ」
「隠れ家? ……貴方が調理なんてできるわけないと思ってましたけど案の定でしたわね」
「お恥ずかしい……。しかしこうなると君がついてきてくれて良かった」
「? どういう意味ですの?」
「いや、やはりこういうときは女性の方が頼りになるな、と。その、すまないが何か作ってもらえたらなと」
「え?」
「え?」
結論を言えばその日の夕食は私のマジックアイテムで何とかすることにした。
主塔の広間に戻り、テーブルに一枚のテーブルクロスを広げる。「夕食、2人分。暖かいもの」と、コマンドワードを唱えると、マジックアイテム「ディナークロス」の効果が表れた。
まず、皿とボウル、グラス、ナイフとフォーク、スプーンが2人分クロスの上に現れ、その食器の上に湯気をあげる料理が出現した。皿には分厚いステーキと付け合せのサラダ、ボウルにはコーンスープ、グラスにはワインだ。
暖炉には、クローラが小さな火の矢を飛ばす魔術で着火してくれた。
「……これは魔法で作ったアイテムですの?」
「うむ……」
一日三回、最大四人分の食事を出すことのできるマジックアイテムだ。今回だけはこれを使いたく無かったのだが、そんな拘りも空腹の前には何の意味もない。テーブルを挟んでありがたく頂くこととなった。
「……マジックアイテムで作ったとは思えない味ですわね」
「それはどうも」
ナイフとフォークで上品にステーキを食しながらクローラが評価を述べた。私が生返事したのが気に入らなかったのか、形のよい眉を上げる。
「魔術でも似たようなアイテムは作れましてよ? それにしても……何故最初からこのアイテムを使いませんでしたの?」
それは自分でも分かっているんだがなぁ。
「……男は時に、無駄なことをしたがるものなんだ……」
「確かにこれ以上ない無駄な時間を過ごしていますわね」
「……そうだな。暗鬼のことも早く調べなければならないし」
クローラにしてみれば私のわけのわからない我儘に付き合わされた格好なのだから、嫌味の一つや二つくらいは甘んじて受けるべきだろう。ところが、続いて出たのは意外な言葉だった。
「とはいえ、この有様を見て安心したのも確かですわ」
「安心?」
ワイングラスを傾け白い喉を鳴らしたクローラが少し優しげな笑みを浮かべた。
「貴方に、英雄たれといったのは私たちですが……。出会ってからこれまで、貴方はあまりにも英雄過ぎましたわ」
「……どういう意味だ?」
「英雄らしい、正しい行動だけをとってきたという意味ですわね。正し過ぎる行動というのは時に人を傷つけることもありますわ……自分も、他人も」
暗鬼という人類レベルの脅威があって、私はそれに対抗できる力を持っていた。だから私は正しい行動をとろうとしていたわけだが……。
「とにかく、今回の貴方の行動は確かに無駄で無意味でしたが。そういうのを、この世界では『人間らしさ』と呼ぶのですわ」
「……」
おいおい、20歳も年下の女の子から人生の教訓を学ぶとはなぁ……。
一瞬、うるっとしてしまった。
「魔術師にして伯爵家令嬢たる私が助言してさしあげますが、この城を人が住める状態に保つためには最低でも使用人3人と家令が必要ですわね。レリス市にいった時に探してみたら如何?」
人生の教訓だけでなく人生設計まで学ばせて頂けるのか……。
「もちろんその前に、魔術師ギルドに出頭していただきますわよ?」
「あ、はい」