父親
脱出はあっさりしたものだった。
『巣』を破壊したからといって、暗鬼たちが大人しくなるとか灰となって崩れるとか、そういう都合の良いことは起きなかったが。【亜空間移動】で亜空間に存在する私たちは彼らに見つかることもなく、地上へ戻ることができた。
まだ、地下通路には多数の暗鬼が存在することは分かっていたので、一回分残っていた【隕 石】で通路全体を潰すことも忘れなかった。忘れなかったといえば、負傷したギリオンももちろん【完全治療】で回復している。
あの、『巣』が崩壊する瞬間姿を見せた魔導門に似た何か。
暗鬼とは誰かの魔法が生み出している存在なのだろうか? だがそもそも魔導門や魔法の設定は私たちの妄想の産物である。……『彼』や『見守る者』といったこの世界やもとの世界を超越した存在と関係しているのだろうか? それはつまり、私にも関係しているということだ。やはり、暗鬼についてだけは自分の将来設計を度外視しててでも注意しなければなるまい。
私たちが砦でことの顛末を報告するとカルバネラの騎士たちは大いに沸き立った(魔導門のことは当然伏せている)。
アルノギアは騎士たちに的確に指示を出して包囲網を縮め、生き残った暗鬼を討ち取っていった。
砦のある山や周辺の森を虱潰しにする作戦は5日ほどかかったものの、なんとか暗鬼の掃討に成功した。もちろん、討ちもらしがないと100%断言はできないが、しばらくの間は砦に騎士を駐屯させ警戒するということだ。アルノギアは、「この任務はカルバネラ騎士団の義務として、サーディッシュ家の私財を投げうってでも完遂します」と断言していた。
なお、ことの顛末を聞いた騎士たちの私に対する扱いはこちらが恐縮するレベルに丁重になっていた。この5日間、アルノギアを差し置いて砦の一番快適な部屋(前のジャーグルの私室だが……)を使わせてもらえたほどである。
『巣』を破壊してから6日後、私たちはユウレ村に居た。
砦で監視を続けるグンナー副長以下の騎士たちを残し、白剣城に帰還する途中である。
ユウレ村では、暗鬼の出現からカルバネラ騎士団の出撃、『巣』の撃破に至るまでの詳細が既に知れ渡っており、盛大な宴が催された。
村の中央広場で盛大に篝火を灯し、村長が倉を解放して酒や料理を提供する。
男は騎士も村人もドワーフもジョッキを掲げで痛飲し、女たちは着飾って踊った。村人たちの素朴な農耕歌の合唱や、ドワーフの勲の歌、若者達の恋の歌が陽気に響く。
……そんな楽しげな雰囲気から、私はきっぱりと遮断された空間にいた。
ユウレ村領主カルバネラ男爵の屋敷、その食堂である。
そもそも、砦から山賊を追い出したこと、騎士団で隕石を披露したことなども含めて村人に伝わっていたのが良くなかった。
モーラを助けてきたときとは比較にならぬほどの感謝と賞賛の言葉はもらった。だが、あの時よりも明らかに村人達の態度は硬かった。鉄鍋騎士亭の女将など、私のローブに酒を零したとき顔面を蒼白にして涙目で謝罪を繰り返していた。もちろん、私は怒ったりせず何とか宥めたが、あの時の皆の恐怖に強張った表情が忘れられない。
確かに大魔法使いという立場は得られたが、それは人々からの畏怖の対象となることと同義だったのだ。
自分が決断した結果なのだから致し方ないとはいえ、少々愕然としたのは止むを得ない。そこに、ギリオンとリオリアの兄妹から声をかけられたのだ。
「魔術師よ。貴様もギリオンとリオリアの役にたったそうだな。礼をいうぞ」
神経質な高い声を私にかけてくるのが、カルバネラ家前当主ギルランド・カルバネラ。15年前に無謀な作戦で騎士団に大きな被害を出し、団長の座を下ろされた男だ。細見で端正な顔立ちは、どちらかといえばリオリアの方に良く似ている。
豪華なテーブルに豪華な料理。格式ばった調度に装飾。見かけだけは華やかなディナーだったが、私のテンションはどん底だった。
テーブルを囲んでいるのは、ギルランド、ギリオン、リオリアに私だけである。セダムとクローラがギリオンの誘いを冷たく断ったのも良く分かる。
「いやその、私は魔法使いで……」
「しかし、討伐作戦で最大の武勲を挙げたのは間違いなくギリオンだな! さすが我が息子だ」
「は、はい……。魔法つ……いえマルギルス殿のご助力のお陰です」
もうこの話が通じない感じ。日本で会社員をやっていたころ(まだ10日も経っていないが……)も、たまにこういう人が居たな……。初めてギリオンと会った時にも似たようなことを思ったぞ。
「リオリアも良く兄を助けたな! 褒めてやる」
「あっ……ありがとうございます、父上!」
「これで、サーディッシュの裏切り者や騎士団の連中にも少しは分かっただろう、カルバネラ騎士団の正当な団長に相応しい血筋がな!」
この父親に育てられたのならば、ギリオンがああなるのも良く分かる……。いやむしろ、まだ真っ直ぐ育っている方だ。
2人ともさすがに父親が正気を失っているのは分かっているようだったが。ただ、それでも父親に褒められると嬉しそうな笑みを浮かべる姿が私の心に強く残った。
翌日。私達は白剣城に帰還していた。
論功行賞や戦勝の宴など一通りのセレモニーが終わると、ようやく一息つく時間がとれる。
以前と同じ客間で私は呟いた。
「はぁ……。次はどうすればいいか……」
「どうするとは、どういう意味だ?」
セダムとクローラは相変わらず私に同行してくれていた。セダムはこのあとパーティと共にレリス市に帰るつもりだと言っていたが。
「私と一緒に魔術師ギルドに出頭……いえ、訪問していただきたいものですわね」
クローラは、私をレリス市の魔術師ギルドに連れて行くことにしたそうだ。というより、ほとんど最初から、それと私の監視が目的だと言っていた。私も、魔術についてももっと知る必要はある。
「それも一つの選択肢だね」
「他の選択肢は?」
まず何と言っても、暗鬼についてもっと詳しく知らねばならない。ただその前に、呪文書の写しを作りたい。今は大事に背負い袋に入れているが、もうこれを無くして冷や汗を流したくはない。……それからできれば、楽隠居するための住居がほしい。
私が指を折ってこれからの行動案について説明すると、案の定セダムが助言してくれた。
「暗鬼について調べるならいくつか方法はあるな。まずは、北方の王国にある大図書館で調べる。もしくは、魔術師ギルド本部という手もあるな。冒険者ギルドや商人ギルドあたりにコネをつくれば、各地の情報がある程度入るだろう。それに……少々突飛だが、ラストランド大要塞を調べるのも良さそうだ」
「ラストランド大要塞? あそこは今、死霊の城ではありませんの」
昨夜、私を招待してくれたカルバネラ男爵ことギルランドが奪還しようとして失敗した要塞か。確か、暗鬼との決戦のために建造されたということだから、昔の暗鬼の資料などもあるのだろう。死霊の巣窟と化したかつての大要塞を探索、か。まさに『ダンジョンズ&ブレイブズ』だなぁ……。
「しばらくダンジョンは遠慮したいところだな」
なんだか名前のとおりラストダンジョンぽいことだし。他の選択肢を潰してからで良いだろう。最低でも、今回と同レベル以上の従者か護衛か仲間を見つけてから……とにかく1人でそんなところに行きたくないし。
「それにしても、楽隠居とはどういうことですの? いまさら世間から身を隠すなど、できると思っていますの?」
やっぱり無理だろうか……。
などという話をしていると、騎士団長に呼び出された。
既視感を覚えながらも、重厚な彼の私室で向かい合う。
「改めて、貴殿の尽力に感謝する」
「いや、同盟者として、魔法使いとして当然のこと」
例によって団長手ずから淹れてくれたシル茶を味わいながら当たり障りのない会話がしばらく続く。
「ギリオンとリオリアも活躍してくれたようだ。ところで、ギリオンは貴殿とともに任務に就くことで少々変わったのではないかな?」
「……多少は」
息子を後継者にしたい騎士団長として、それは面白くないと思うのだが。
「あれは、父親の影響で力が全てという性格だ。だが、貴殿という理不尽なまでの力を目にして、少しは考えが変わったようだ。この調子で、騎士としての冷静さを身に着けてほしいものだ」
「それが騎士団にとっても望ましいことだと?」
「無論。アルノギアには、正々堂々騎士として競い合い、団長の座を勝ち取ってもらいたいのでね」
つまり、今のままのギリオンがアルノギアと争ったら内戦になりかねないということか。しげしげと、年輪を重ねた騎士の顔を見詰めながら私は感嘆した。騎士ではなくケダモノレベルのギリオンを追放ではなく、成長させて内乱を防ぎ、その上で競わせたい、か。なるほど、確かにこの老人はただの策略家や親馬鹿ではなく、『騎士』なのだな。
「……最初から貴殿がアルノギアの後見になってくれたならば、こんな回り道はしなくても良いのだがね?」
私の読みなどまだまだ、と言いたげに老騎士は言い放った。この爺さん、長生きするよ。
「ところで」
団長がカップを置いて言った。ここからが本題か?
「実は貴殿にもう一つ頼みがあってね。例の砦の件だ」
「……」
なるほど? という顔で頷いてみせるものの、何が言いたいのかさっぱり分からない。
「貴殿も良く知っているようにあそこは山賊のアジトだったわけだが。実は、十数年前には我ら騎士団が所有する警備用の砦だったのだよ」
暗鬼発生の減少や騎士団の規模縮小などによって放棄されていたそうだ。現在、警戒のためにグンナー副長をはじめ騎士が駐屯しているが、その兵力を維持する資金が苦しいのだという。
むむ。つまりもしかして。
「無論、暗鬼の生き残りがいないことが完全に確認されてからの話だが。貴殿に、あの砦を住居として提供したいと思っているのだ」