10秒間の出来事
私たちはいま、最後のドームへ向かう通路の角にいる。
亜空間から出てはいないが、あの不気味な『巣』が見える場所では落ち着かないので後退したのだ。
「【隕 石】を使うには、あのドームに出る必要がある」
ダンジョン内でもメテオは使えるはず。……とはいえ流石にこの通路からでは、目標に命中する前に壁にあたって爆発してしまうだろう。
「ドームに降りてから亜空間を出て、魔法を使うのか」
「そうなるな。呪文を唱えるための10秒間を、皆に護ってもらわねばならない」
「あの空間であの大爆発を? 私たちも吹き飛んでしまうのではなくて?」」
亜空間への出入りは何度でもできるとはいえ、それにも最低10秒はかかる。クローラの指摘はもっともだった。
「特別な呪文を使う。……それは……」
数分後。
「グルァァァッ!」
「ガァアッ!」
通路から広場へ、赤褐色の巨体が次々に突入していった。【鬼族小隊創造】で作りだしたオグルだ。同じ呪文を2回準備していたので、合計12匹の軍団である。
「グルァァ!」
オグル達は石段を駆け下りると散開し『巣』や生み出されたばかりの岩鬼、その他の暗鬼に襲い掛かった。
彼らを呪文で作り出すとき、すでに【鉄の壁】の呪文で通路の後方は塞いでいるので、地下通路内の暗鬼が戻ってくる心配はない。
もちろんオグルが『巣』を破壊するところまでは期待していない。すまないが、彼らはただの目くらましだ。
奇襲に対して、岩鬼の反応は鈍かった。次々に岩色の肌にオグルの武器が突き立っていく。それでも致命傷はなかなか与えられない。振り回された腕で逆に吹き飛ばされるオグルもいる。
『巣』の周囲にいた暗鬼は、小鬼とは種類が違ったようだ。逆関節の脚をバネのように使ってジャンプし、オグルに斬りつけていく。良く見ると、両手が鋭い鎌状の刃になっていた。外見通り『鎌鬼』と呼ばれているらしい。
鎌鬼の攻撃力はかなりのものだった。一撃で即死とまではいかないが、オグルの身体から鮮血が派手に飛び散る。
「アルゥー!」
さらに、『巣』の周囲を固めていた数体の暗鬼から炎の矢が飛び、オグル達に襲い掛かった。
「グアッ!?」
炎の矢はジャーグルの氷の矢よりよほど強力だった。胸板を貫かれたオグルが松明のように燃え上がる。
「妖鬼ですっ。10年前には1体だけ確認されました」
グンナー副長が即座に解説してくれた。小鬼よりは背が高く、杖を持っている。なるほど、魔術師タイプの暗鬼もいるわけか。となると騎士型や神官型もいそうだな。
このまま放置すればオグル12体も時間の問題で全滅するだろう。
ところがどっこいだ。
「ギャルウウゥゥ!」
すぐに援軍が出撃した。私たちがいた通路に翼を畳んで潜んでいた赤い巨体。9レベル呪文、【全種怪物創造】で作りだしたスモールレッドドラゴンだ。体長6メートル、翼を広げれば横幅がその倍ほどと、ドラゴンとしては名の通り小さいが、これでも12レベルモンスターだ。
レッドドラゴンは岩鬼に飛び掛かり、鋭い鉤爪と牙で頑丈な身体を抉っていく。
妖鬼たちの魔術攻撃もドラゴンに集中するが、ほとんどダメージになっていない。
「凄い……。このまま奴らを全滅させられるのでは?」
「いや。彼らの役目はあくまで陽動だ」
『巣』自体はいまのところ何も反応していない。しかし、ゲーマーとしての私の勘が、あれはラスボス的な攻撃をしてくると訴えていた。ドラゴンやオグルに対して動きを見せていない今のうちに最大火力をぶち込んでしまおう。
「作戦どおりだ。頼むぞ」
「誰に言っていますの?」
「おぅっ! 任せろ!」
皆も無言でうなずいた。
「ぬっ抜けたっ!」
「だから言っただろう」
ドラゴン・オグル連合軍対暗鬼軍団の壮絶な戦いの中、私たちはドームの底に出た。馬鹿正直に通路を使ったりしない。【亜空間移動】の特性をフルに使い、岩壁を通り抜け反対側の岩壁から飛び出したのだ。
数十メートルとはいえ、視界の利かない土中を移動できたのはセダムの優れた方向感覚のお蔭である。
「シャアアアッ!」
「ゴルゥゥッ……!」
レッドドラゴンは岩鬼を組み伏せ炎の息を浴びせていた。振り回される尾やブレスの余波で鎌鬼、妖鬼もなぎ倒され燃やされていく。しかし肝心の『巣』には今のところ変化はない。
それにしても、あれが数十メートルの距離に迫ると、最初に感じた物凄い違和感がさらに強くなるな。
既に腹はくくっている。私は亜空間から物質界に存在を移行した。
「グギャァァァ!」
「ギュオオオオ!」
途端に、怪物たちの咆哮と怒号、悲鳴が一段と激しくなって私たちを包む。
「カルバネラの力を見せてやるぜ!」
「頼みます魔法使い殿!」
ギリオン、リオリア、グンナー副長が盾を構えて私の前に立つ。セダムとクローラは左右についた。彼らの武器と肉体には事前に【肉体強化】と【魔力付与】の呪文をかけている。どれも効果時間は短いが、攻撃力も防御力は跳ね上がっているはずだ。
もっともそれはあくまでも保険だ。
「……この呪文によって」
呪文を詠唱するための時間は10秒。
『内界』の私の目の前に漆黒の扉、魔道門が現れる。
「キイッ!」
「アルルルッ!」
数体の妖鬼と鎌鬼がこちらに気付いた。くそ、目敏いな。妖鬼は杖を向け、鎌鬼は両手の刃をぎらつかせ、跳躍してきた。
「こなくそっ!」
「こんなものっ!」
降り注ぐ炎の矢を騎士たちが盾で防ぐ。
残り8秒。
『ビシッ』邪気を祓うような鮮烈な弓鳴りが響く。私に飛び掛かってきた鎌鬼二体の眉間に矢が突き刺さる。バランスを崩した鎌鬼の身体は地面に激突した。
残り7秒。
『内界』の私は魔道門をくぐり、冷たく暗い螺旋階段を下っていく。
「……っ!?」
現実世界の私の目の前で『巣』が眼を開いた。
複数の黒い球体が積み重なったのが『巣』だ。その頂上の球体の表面に『眼』が浮かび上がる。生物学的な、いわゆる眼球ではない。むしろ紋様や図形だ。だが、黒い球体の表面に白い筋で形作られた巨大なそれは、間違いなくやつの『眼』だと、私たちの直感が確信していた。
残り6秒。
レッドドラゴンの赤い体が横一線に割れた。
超高速で旋回した一本の触手の仕業だった。電柱程の太さのそれが、球体の側面からいつの間にか生えていたのだ。ドラゴンを分断した触手はやや勢いを減じながらも、水平に我々に向かってくる。
「ウィンドウォール!」
クローラが気合の声とともに、迫りくる触手と我々の間に暴風の障壁を作り出した。
「なぁめるなぁっっ!!」
「うおぉぉっ!」
触手は暴風の障壁も突き破った。
カルバネラ兄妹が、盾を構えて横殴りの触手を受け止め……られるはずもない。
残り5秒。
「「はあっっ!!」」
見事にシンクロした兄妹騎士は、盾と触手が接触した瞬間、身体ごと盾を斜めにずらし、頭上に押し上げる。【肉体強化】によって倍加した筋力と【魔力付与】で防御の魔力を帯びた盾、それが触手の軌道をほんの僅か上方にずらした。
『ブオッッ』
触手は私たちの頭上すれすれを薙ぎ払い、物凄い風圧を残して通り過ぎていく。
残り4秒。
『内界』の私は書見台にのった呪文の書物に触れ、そこに込められた混沌のパワーを解放した。
「ぐわぁぁっ!?」
「きゃあっ」
「くっ!」
ギリオンとリオリアが地面を転がっていく。私が指定した範囲から飛び出す勢いだった二人の身体をグンナー副長が全身を使って止めた。
残り3秒。
『巣』の巨大な目が瞬きした。
球体のまわりを一周した触手が再び加速を始める。
残り2秒。
「ウィンドウォール!」
クローラが掠れた声で叫んだが、暴風の障壁は出現しなかった。
残り1秒。
「【時間停止】」
そして呪文は完成し、全てが凍りついた。
「ふぅーーーっ」
9レベル呪文、【時間停止】によって私以外の世界の時間は停止した。
一瞬前までの喧騒も怒号も悲鳴も何もかも消え去り、騎士も冒険者も暗鬼も、そして『巣』も微動だにしない。
この呪文で停止させられる時間(というのもおかしな言い方だが)は20~50秒で、自分では指定できずランダムに決まる。いま呪文を使った瞬間に確定した効果時間は、運が悪いことに最低の20秒だった。
しかし、それで十分だ。
私は迷わず2つの呪文を使う。
時間が動き出した。
その間に唱えていた呪文が瞬時に効果を発揮する。
一つ目は【力場の壁】。私たち6人を球形の力場が取り囲んだ。
二つ目は【隕 石】。それも今まで使った8つの小隕石を落とすのではなく、1つの極大隕石を単体の目標へ叩きつけるタイプだ。
音で表現するとすれば、『キュン』が近いだろうか。
ドームの天井付近に出現した隕石は、ほとんど視覚に残らない加速で『巣』に突き刺さった。
『眼』の部分に隕石が直撃した『巣』は、一瞬ぐにゃりと大きく形を歪ませ……飛び散る。
『小人の目の前で泥水の詰まった風船が破裂した』ようだ、としか言えない。『巣』の欠片が視界を覆い、欠片を追うように広がった爆炎と爆風と衝撃が全てを白く染めた。
「……!」
誰かが何かを叫んでいた。もしかしたら私かも知れない。
【力場の壁】は『D&B』の呪文の中でも強度だけなら最高だ(なにしろルールブックに『物理的な手段では破壊できない』と書いてある)。【隕 石】の爆発にもびくともせず私たちの身体を守ってくれていた。衝撃によって岩壁や天井が崩れはじめているが、屁でもない。
それでも、あまりの光景と轟音に私たちは腰を抜かしてへたりこんでいる。
首と身体に何か圧力がかかっているのにやっと気づき、横をみるとクローラがしがみ付いていた。
ため息をつきながら見回せば、へたっている以外はみな無事だった。ただしギリオンの左腕はめちゃくちゃな形にひしゃげていた。
「兄貴!」
リオリアが兄に駆け寄るが、私はまだ動けなかった。
隕石が『巣』を吹き飛ばした瞬間に見たものについて考えていたのだ。
爆発で内から外に向けて破裂した漆黒の球体の内側。
網膜に焼きついたのは、闇みたいに黒い閉ざされた門だった。あれは、同じだ。同じ本質を持つものだ。
――魔導門と。