『巣』
……確かに門を破壊したのは不味かった。巨鬼や岩鬼がここから逃げ出したら惨事が起きる。
全力を出そうという方針は間違っていないと思うが、若干浮かれてしまったのは否定できない。
しかし、穴があるなら塞げば良いだけのことだ。私は破壊した門の代わりに【石の壁】の呪文で石壁を作りだし、地下通路の出入り口を封鎖した。
石の壁で暗鬼は出入りできないが、私たちは【亜空間移動】の効果で物質を透過できるから問題ない。
「おっ!? 岩鬼がやられてるぜっ!?」
亜空間に身体を移し地下通路に侵入すると、岩鬼ゾンビと暗鬼たちの死闘が繰り広げられていた。左右の壁から数匹の巨鬼が岩鬼ゾンビの身体に飛び乗って剣を突き立て、無数の小鬼が足元に群がっていく。
「ギャアウッ!」
岩鬼ゾンビが、首の後ろにしがみ付いていた巨鬼を掴んで壁に叩きつける。巨鬼は無残に潰れるが、次々と新手の巨鬼が取り付き、足首に大剣や棍棒を振り下ろしていった。
「グゥルォォォォ……」
もともと鈍い岩鬼の動きがゾンビになってさらに鈍っているのだ。小鬼はともかく巨鬼の連携プレイの前にはいかにも分が悪い。できれば岩鬼ゾンビで地下通路内の暗鬼を減らしたかったのだが、世の中そうそう上手くいかないものだ。
「どうする? 放っておいて進むか?」
セダムが冷静に聞いてくる。もちろん、そのつもりだ。しかし、ここまでほぼ出番なしの騎士たちがストレスを感じていなければ良いが。
「……」
「何かご指示ですか、魔法使い殿?」
3人の騎士は剣と盾を構え周囲に鋭い視線を向けていた。私を中心とした陣形も崩していない。ギリオンがやや仏頂面ではあるが、真剣さは失っていないようだ。
「……ああ、その調子で警戒を頼む。進むとしよう」
少し彼らのプロ意識を侮っていたようだ。若干の謝罪の気持ちを込めて、ギリオンのでかい背中をぽんと叩く。
「な、なんだよ?」
「いやなに。頼りにしているよ、ギリオン殿」
自分たちの主力が突如ゾンビになって暴れだしたり、拠点の門が消滅して代わりに石の壁で塞がれていれば暗鬼といえども慌てるのだろう。巨鬼や小鬼が右往左往している中を、私たちは進んでいった。
「……暗鬼にもある程度の文化があるのですわね」
「まぁ、ある意味では文化だな」
道すがら、通路の壁に不気味な絵画のようなもの(私には極彩色の渦巻きにしか見えなかったが)や、遊戯盤のようなものがあるのを見かけたクローラが呟く。それに対して、セダムは遊戯盤の駒らしきものの制作現場を指差した。駒の素材はどうみても人間の骨である。
「くっそっ」
「神々よ慈悲を……」
「うぐ……」
それ以外にも途中、さまざまな暗鬼の『芸術作品』を見かけた。その素材の中に何となく見覚えのある姿があると思ったら、ジャーグルの砦にいた山賊たちだった。
暗鬼たちの人間への憎悪の凄さに、腹の奥が冷たくなるような感覚を覚える。純粋な吐気も襲い、胃の中身が逆流しそうになるのを堪えて歩く。
「暗鬼ども、人間を舐めやがって。ぶっ潰してやる。絶対だ」
リオリアやクローラが息を飲む音に混じってギリオンの低い呟きが聞こえる。その声に込められた純粋な怒りの炎が、私の心が凍えて折れるのを防いでくれていた。
「ここは右だ」
「むっ……。見落とすところだった。すまない」
マッピングスクロールが示した一番広い地下通路は、いくつかの角や坂、階段を挟んで続く。
通路の構造や目的地が分かっているとはいえ、要所にかがり火や松明が設置されただけの暗く不気味な通路を、殺気だった暗鬼たちの中進んでいくのだ。ときおり進路を見失いそうになるが、セダムが的確に指示を出してくれる。
犠牲を出さないために、単独で突入することも考えていた私だが、彼らがーー仲間がいてくれて良かったと思い始めていた。
「この先が目的地だ」
セダムが断言した。
広い通路を直進すると、ドーム球場を思わせる広大な空間に出た。周囲は20メートルはありそうな岩壁にぐるりと囲まれている。通路の終点は壁面の中ほどにあり、長大な石の階段で底まで降りるようになっていた。
「思ったより早く着いたな……。……っ!?」
だがそこで私は、安全な亜空間にいるにも関わらず生唾を飲み込んでいた。
広間の中央に存在する『暗鬼の巣』を見たためだ。
「……なんておぞましい……」
「なんなんだ、ありゃ……」
漆黒の球体の塊、としか言いようがない。
良く見れば、まわりに数匹の小鬼らしき影もいる。
岩鬼ほどの――4、5メートルの高さの、つるりとした球体が4つか5つ、でたらめに積み重なっている。説明を聞いたときはもっと生物的な存在を想像していたのだが、驚くほど無機的な印象だ。
しかも、とても適当なことをいうようだが……あれは『この世』のものではない。
直感なのか、本能なのか分からないが。見た瞬間に私たちはそれを確信していた。あの『巣』に比べれば、暗鬼たちすら同じ世界の仲間に思える。
「何か……出てくる?」
地面に設置した球体の表面が、内側から盛り上がって行く。最初、一本の棒が突き出てきたように見えたが、その先端は五つに分かれ、『手』に変わった。続いてごつい肩が、歪な頭が、分厚い胸部が、球体の表面から生えてくる。薄いゴム膜を全身で突き破ろうとする、安いバラエティの芸人……説明としては一番しっくりくる。
やがて、手の先から球体の表面が裂けて剥がれ、『ぬるん』という感じで岩鬼の全身が露わになった。剥がれた表面は即座に球体に吸収されていく。
「……あれが暗鬼の『巣』か」
セダムの声すら震えていた。
「自分が10年前に見たのは、あの球体一つ分でした」
グンナー副長の精悍な顔も緊張に強張っている。
「あれが、今までまったく発見されなかったということは、意図的に隠れていたということですわね。十分な数の暗鬼を生みだすまで」
「つまり、作戦……戦略を考えているということですか?」
「もともと暗鬼が指揮官の下で戦術的に戦うことは分かっていましたが……」
騎士と冒険者が真剣に議論するのを聞きながら、『巣』を破壊する方法を考える。
ここはやはり【隕 石】一択だろう。
天から隕石を降らす呪文ではあるが、別にダンジョン内でも支障はない、はずだ。
ただし例によって呪文を使うためには亜空間から物質界に戻る必要がある。『巣』が大人しくしていてくれればいいが、何らかの攻撃手段を持っていた場合に危険だ。私一人が亜空間から出て呪文を使うという手もあるが……。
「却下ですわね」
「あんたが死んだら亜空間から戻れなくなるんだろう?」
「冗談じゃねーぞ!」
「万が一の時には魔法使い殿の盾になります!」
「足手まといになった時は自分を見捨てていただいて構いません」
彼らの気持ちはありがたい。実際、私も別にそこまで自信や確信があるわけではない。ただ恐れているだけだ。自分の判断ミスで彼らが傷つくことを。
「少々、図に乗っているのではなくて?」
「……むっ」
「ちょ……クローラっ」
クローラの冷たい目と声。それが心のもやを払ってくれた。リオリアには悪いが、いくら大魔法使いらしく振舞ったところで私はただの元会社員なのだ。
だから、仲間が必要なのだ。
呪文書庫に残っている呪文や手持ちのマジックアイテムを思い出し、今後の展開を想像してみる。例えば、あの球体が突っ込んで来たら? 暗鬼の群れが背後から襲ってきたら?
頭を振り絞って作戦を練り上げ、彼らに告げた。
「私はあれを破壊したい。協力してもらえないか」