生活改善プロジェクト
城内の生活改善を目指そう。
そう決意した私はさっそくイルドを自室に呼んだ。
今すぐに呪文でできそうなアイディアも、あるにはある。
だがこの世界での生活や家事経験が浅い私が勝手に動くと、かえって皆の迷惑になるかも知れない。
クローラとモーラに心配されたばかりであるし、ここは彼の知恵を借りるべきだろう。
「……というわけなんだが。どうだろう?」
「そ、そうですか」
最初、イルドは私の相談に不思議そうな顔をした。
いろいろ話をして分かったのだが、要するに常識が違うのだ。
私はモーラやログたちの手が水仕事で傷ついているのを見て、何とかしたいと思った。
しかしそれは、この世界の人々にとっては当たり前過ぎて『何がおかしいのか?』という感想しかなかったのである。
「むしろこの城はドワーフ製のボイラーやポンプなどもありますし、レリス市の豪邸にも負けないくらい良い環境だと思いますが……」
「むう」
確かに大浴場と(私の)風呂用に石炭ボイラーを二台設置している。
ただ使用方法や手入れが複雑なことと、燃料代がかかるため、日々の家事のために使用するのは難しい。
「マルギルス様は、具体的にどのような改善案を考えておられるのですか?」
「今考えつくのは、【炎の壁】を熱源にするのと、【永続する明かり】を照明に使うことくらいだなぁ」
「……? マ、マルギルス様」
【炎の壁】は先日、奥の村で使用した。
文字どおり一定時間炎の壁を出現させるのだが、これに【永続化】をかければ『永続する炎』になる。
燃料も必要ないし、滅多なことでは消えない。ボイラーや厨房の熱源として使えるのではないだろうか。
水仕事の負担を軽減するためにはこの呪文が一番役に立つだろう。
そして、【永続する明かり】は、周囲を明るく照らす光の球を生み出すという初歩的な呪文だ。
光の球を空間に出現させればそこに留まり照明となる。あるいは物品に対してこの呪文を唱えれば、その物品は永遠に光を発する光源となる。
この呪文は、極単純に城内の照明として使えるはずだ。
「という感じだ。どうだろう?」
「……」
私が二つの呪文について詳しく説明するとイルドは絶句した。
目を見開いき、まじまじとこちらを見つめている。
「どうした? ダメかな?」
「い、いえ……。あの、確認なのですが。マルギルス様の呪文というのは、一日に使える回数の制限があるだけで、同じ呪文を何日も繰り返して使うことは可能なのですよね?」
「そうだが?」
イルドはしばらく腕組みして唸っていたが、やがて口を開く。
「失礼ですがマルギルス様。生活改善の話は一旦置いて頂いてよろしいでしょうか?」
「む、う、む」
いや、よろしくはない。だがイルドの顔が真剣極まりなかったので、つい頷いてしまった。
「申し訳ありません……ではまず……こちらにその光の呪文をかけていただけますか?」
「わ、わかった」
イルドはそう言って、テーブルの上のランタンを持ち上げた。
なんだかちょっと目が怖いぞ。
「……対象をランタンの芯とし、永遠の輝きを灯す。【永続する明かり】」
「おお……」
案外使い勝手の良い【永続する明かり】の呪文は、一回分はいつも準備している。
私が呪文をかけると、ランタンが光を発した。
魔法による発光なので熱は一切感じないが、昼間でもはっきり分かる強い輝きだ。
「なるほど……。こうすれば、自由に明かりを持ち運べるということですね。そして、この光は消えることはないと」
イルドはランタンのシャッターを開閉しながら呟いた。
この呪文の明かりは一度生まれれば【魔力解除】でも使わねば消えないが、こうすればON/OFF自在だ。
私も『D&B』のプレイ時には、こうやってハンドライト代わりにランタンに呪文をかけたものだ。
しかしイルドはどうした?
何かブツブツ言いながら、ランタンのシャッターを開けたり閉めたりし続けている。
「おおい、イルド?」
「マルギルス様っ! これを商品にしましょうっ!」
イルド曰く。
燃料を必要とする『照明』は、生活に必要な最低限を除けば元来贅沢品である。
それゆえ、質の良い照明を持つことは富者の証明となっている。
「例えば主塔の広間に用意したシャンデリア。あれでも金貨五百枚しました。この明かりを自由に持ち歩けるとしたら、金貨五百枚どころではありません! それにそう、例えば宝飾品などと組み合わせれば、何十倍もの価値がでます!」
「お、おう。とりあえず落ち着いてくれないか?」
「……はっ。も、申し訳ありません。つい興奮してしまいました……」
立ち上がり力説するイルドを、何とか宥める。
なるほど、消えない照明として販売する、か。しかも、生活用品というより上流階級向けの高級家具的? な扱いで。
確かに、あまり元手をかけずに貴重品を生産して外貨を稼げるというのは魅力的だ。
【永続する明かり】は所詮二レベル呪文だから一日に九回準備しても問題なさそうだし。
うーむ、だがしかし。
「では、その話はイルドの方でもう少し具体的に商品や販売ルートのことなどを考えておいてもらえるか? 私としては気になるのは生活改善の方なんだが」
「は、はい。承知しました。例の、ポーション作製段階でできるお茶の件と合わせて検討しておきます」
彼は冷静さを取り戻し、座り直す。
しかしこれで良くわかったのは、やはり私の常識だけで考えてはいけないということだな。
イルドと相談すること十数分。
「では城の要所や、共用のランタンなんかに順次【永続する明かり】を使うことにしようか」
「ええ、そうですね」
照明については、特に議論の余地もなく無難な活用方法にまとまった。
「しかし炎の方は……」
「ううむ。そうだな、光ならともかく消えない炎ってのはある意味やっかいだったな……」
【炎の壁】を熱源として利用することについては、安全管理の観点から少々手間取っている。
何せ、消せない炎なのだ。ちょっとした不注意で火災の原因になってしまう。
ボイラーの熱源として使った場合、加熱しすぎて不具合が起きる可能性もある。
かといって二十四時間、人を張り付けて炎の監視をさせるのでは本末転倒だ。
「どちらかといえば、こっちが本命だったんだがな。お湯がいつでも使えるようになればモーラたちも楽になるだろうと……」
「モーラや使用人たちへのお心遣いは素晴らしいと思いますが……」
「やはり呪文じゃなく錬金術の方で何とかするか。『お湯が減らない桶』とか多分作れるだろうし」
「!?」
つぶやきを聞いたイルドがまた血相を変えて立ち上がろうとしたので、素早く手で制する。
「作製できたとしても、一ヶ月はかかるぞ。そんなものを商品にする気はない」
「さ、左様ですか……」
「それとも、多少燃料代がかかっても普通にボイラーを使うかな。手入にはドワーフの技術者を一人か二人雇えば大丈夫だろ」
「それが無難かも知れませんね」
「そうだなぁ……」
議論が煮詰まって、二人して黙り込んでいると。ドアが遠慮がちにノックされた。
「あのう、すみません。マルギルス様。こちらにイルド様がいらっしゃいませんか?」
聞こえてきたのは、最近書記官に正式に任命されたノクスの声だった。
奥の村を巡視した時に自分から城で働くことを希望してきた青年で、読み書きと計算ができることからイルドの補佐役として働いてもらっていた。
「で、では失礼いたしますっ」
ノクスの用件はすぐに終わった。
初めて私の私室を訪れた彼はがちがちに緊張していて、即座に退出しようとする。
私はふと思いついて、彼を引き止めた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「は、はいっ!?」
「まあそう硬くならずに」
顔を青くする彼に茶をすすめる。
若い彼なら、おっさん二人では解決できない問題に活路を見出だせるのではないか?
「……と、いうわけなんだが」
「は、はぁ」
「どうだろう。『永遠に消えない炎』を有効活用する方法、何か思いつかないか?」
「……」
むむ。固まってしまった。
少し無茶ぶりだっただろうか?
「何か分からないことがあれば、何でも質問してくれ」
「あ、え、ええと。あの、その」
いかん。
そもそも私と話すこと自体、ノクスにとってはプレッシャーらしい。
彼から見れば、私は巨人を創り出しドラゴンに変化する恐ろしい魔法使いなのだ。
……彼の瞳にあるのが怯えではなく、畏敬と緊張だったのがせめてもだが。
「ノクス」
「は、はひっ」
見かねたようにイルドが声をかける。
「お前もこの数ヶ月、私のもとでずいぶん頑張ってくれた。マルギルス様もそれを認めておられるんだ。少し時間を与えるから、ゆっくり考えてみてくれ。自分だけで思いつかなければ、誰かに相談しても良い。これはお前が一人前になるための課題だと思ってくれ」
「は、はいぃっ! わ、分かりましたぁっ!」
穏やかなイルドの言葉に裏返った返事を返すと、ノクスは逃げるように立ち去った。
しかし流れでそうなったとはいえ、イルドも上手くノクスに話を押し付けてないか?
まあ、私も引き続き呪文を生活改善に活用する方法を考えていくとしよう。
「しかし、何だかノクス君には悪いことをしてしまったな」
「……」
あれ、フォローは?