城主の戦い その5
【変身】。
古めのファンタジー映画や漫画でありがちな、『ドラゴンや巨人に変身する悪の魔法使い』を地で行く呪文だ。
術者は同レベル以内かつ、実際に観察し能力を知っている生物や物体に変身することができる。
凄まじいのは、変身後の生物の能力を全て再現できるという点だ。
ルール的に言えば能力値、ヒットポイント、防御力。さらに飛行能力、爪・牙・尾、炎の息による攻撃能力。全てレベル34の巨大赤竜と同じになる。
その上で、術者の意識や知識はそのままだ。
(ちなみに他人を変身させる4レベルの【強制変身】だと、対象は意識まで変身後の姿と同じになってしまう)
そういうわけで、私は爆炎の巨大赤竜そのものの姿となって賊徒たちを見下ろすことになった。
頭から尾まで全長30mはある正真正銘の化け物だ。
ただし、単体で使用しても森の中で百人からの賊を一人一人始末していくには向かない。
あくまでもこれは仕掛けだ。
連中を罠に追い込むための。
「…………」
ドラゴンの眼はとても視野が広かった。視点も高い。
おかげで賊徒ども一人一人の表情や、村内の様子もよく分かった。
賊も村人もほとんどが口をぽかんと開けて私を見上げている。
声を上げたらその瞬間、ドラゴンが襲い掛かってくる……そんな怯えを浮かべていた。
指揮官も同じ表情。ただ、その瞳は忙しく左右に動いていた。どうやって逃げ出そうか思案しているのだろう。
最初に動いたのは、人ではなく恐竜もどきだった。
「ヒギャァァァッッ!」
「……うあっ!?」
「ぎゃっ」
突如、狂ったように絶叫し暴れだす。
指揮官と副官は振り落とされ、無様な声を上げる。
二頭の恐竜もどきは横を向き、賊共を跳ね飛ばしながら逃げ出した。
口から泡を吹き、尿をまきちらしながら必死に駆けていく。
その先は、『幻影の』大地の裂け目だ。
他の裂け目よりもはっきり分かるくらい幅が狭い。……とはいえ正気なら人でも獣でも飛び越えようなどとは思えない程度だが。
実をいえばこの部分だけは、【幻影地形】ではなく【幻影】で創り出した幻だ。
……私が仕掛けた『罠』である。
「……アギャァッ……」
二頭は一切の躊躇なく裂け目に飛び込み、底へ落下していった。
少なくとも賊達にはそう見えた。
「……お、お前らっ! あ、集まれっ! 戦えっ!」
「……へっ?」
「に、逃げ場なんかねえんだぞっ! 死にたくなきゃ戦えっ!」
続いて我に返ったらしい指揮官が、起き上がりながら叫んだ。
周りが地割れに囲まれていると思い込んでいるのだから、これもある意味で適切な指示だ。
「うわぁぁっ」
「勝てるわけねぇだろぉっ!」
「どうすんだよっ! どうすんだよっ」
「ど、どうせ見かけ倒しだっそうに決まってるっ」
パニックを起こす賊達は、指揮官の周辺に集まり槍や剣を構える者、恐竜もどきに続いて逃げ出す者、こちらに平伏する者など多様な反応を見せた。
特に私の横や背後に居たものは、大きく迂回して恐竜もどきと同じく、裂け目が狭まっている方へ逃げ出す者がほとんどだった。
「逃げられねぇよぉ。何だよこれはよぉっ」
「はひっ! うわぁぁぁーっ…………」
逃げ出した者たちは当然、幻影の裂け目の前で躊躇しうろうろするだけとなる。その中でも一部はヤケになって裂け目を越えようとジャンプし、恐竜もどきと同じ末路を辿っていった。
もう少し、指揮官が彼らを統率するかと思ったのだが、まあ許容範囲だ。
「……奥の村の人々よ。恐れるな。私は諸君の領主マルギルスだ。落ち着いて消火やけが人の救護をしたまえ」
私は長い首を村の方へ向け、村人たちへ声をかけた。……やけに金属的で耳障りな声だったが。
「おぉぉ……」
「大魔法使い様っ」
「マルギルス様ぁっ」
「そら、お主らマルギルス殿の言葉を聞いたであろうっ! 立って働くのだっ」
その場で平伏し始める村人たちにサンダールが指示を出す。頼もしい限りだな。
「う……うわぁぁぁっ!」
私が人語を喋ったことで恐怖と緊張の糸が切れたのか。
一人の賊が槍を手に突っ込んできた。その目に正気はない。
たとえその槍を全力で突き立てたとしても、今の私の身体に傷一つつけることはできないだろう。
無謀だが、真っ先に向かってくるという勇気は嫌いではない。
だが、すでに私がやることは決まっている。
《グシャッ》
三本の鉤爪を持つ前脚を、賊の頭上から叩きつける。
ボキボキ、という嫌な手応えを残して、彼は赤黒い肉塊へと変わった。
その気色の悪さに吐き気がこみ上げるが、そこは我慢する。
「ひっ」
賊達はもう一度悪夢に押し戻されたかのように硬直した。
私は吐き気をこらえるため止めていた呼吸を再開し……大きく、大きく空気を吸い込む。
大量の空気が腹の中に溜め込まれ、熱を帯びていくのを感じる。体内で精製されるガスか何かと大気が混じり合っているのだろう。
なるほど。これが、あれを吐く時の感覚なのか。
「……まさか……嘘だろ?」
恐怖の涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげ指揮官はつぶやく。
《ゴオオオオオ!》
溜め込んだ熱い空気を、私は一気に吐き出した。人間ドックで受けた肺機能の検査とか、くだらないことを思い出す。
熱い空気は、私の口から噴出した瞬間、目が痛いほど赤く輝く炎の息となった。
「うわあぁぁぁーー!?」
「ぎゃあぁぁ!」
「熱い熱い熱いぃぃ!」
巨大赤竜の炎の息は放射状に数十メートル広がる。
その炎の嵐を、賊共のど真ん中ではなく側面へ向けて放射していく。
「逃げろ逃げろ逃げろおぉっ」
「どけどけっ」
「うあぁっ熱いぃぃぃ」
炎を浴びて火だるまになった者を覗いて、賊達は全員逃げていく。
その先はもちろん、『裂け目が狭くなった部分』だ。
たまに、冷静さを残したものが集団から離れてこっそり別方向へ逃げようとする。そういうやつは、尾をちょっと伸ばして叩き潰したり、先回りして道を塞いでやる。
村の中に逃げ込もうとする者は、もちろん赤瞳狼たちによって追い立てられ、運が悪ければその場で噛み殺された。
「押すな押すなっ!」
「くるくるくるっ!」
「もういやだぁ! 隊長なんとかしてくれっ!」
そうやって、ゴミを一箇所に集めるように賊共を誘導した結果、彼らは私と『裂け目』に挟まれる位置で立ち往生することになった。
すっかり目を血走らせ、こちらへ向けて仲間を押し出したり、少しでも離れようと裂け目に近寄ったりと忙しい。
「こ、こっこっ降伏っ! 降伏するぅっ!」
部下たちに最前列に押しやられた指揮官が泣きながら叫んだ。
……正直に言えば最後まで見苦しく抵抗してほしかった。
そのほうが、少しでも罪悪感が減るかも知れないからな。
悪いが、ここで降伏など受け入れるわけにはいかない。
私の領地で悪さをしても謝れば許してもらえる、などという評判がたっては困るのだ。
私は指揮官に狙いを定めて炎の息を噴き出した。
結論を言えば、全部で百七十三名いた賊のうち、八十五名は『裂け目』に落下していた。
【幻影】で作られた幻によって傷を受けたり死んだと『思い込んだ』対象は、意識を失う。
そうして、累々と重なった気絶した賊共は村人総出で捕縛している。
捕縛できなかった賊は、サンダールか、赤瞳狼か、私によって殺されたということだ。