成果と課題
「机っ机っもっと持ってきてくださいっ」
「もう無いみたいっ。ドワーフさんに作ってもらってくださいっ」
「お嬢様っシーツも全然足りませんっ」
「兵隊さんの宿舎からひっぺがしてきてっ」
数日ぶりの自室。
主塔の窓から見下ろす我が城は、メイドや使用人、兵士たちまで右往左往している。
中でもモーラは、ダークエルフ姉妹とともにまるで分身しているかのように動き回っていた。
まだ夏は終わっていない。みんな汗だくになっている。
なぜこのような有様になっているのか?
はるばるフィルサンドから戦斧郷を経てこちらを目指す集団があるからだ。
彼らがここまでやってくるまでに後一日もないらしい。
……といっても、以前の戦族たちのように危険な集団というわけではない。
フィルサンド公爵が組織した大規模な隊商である。
確かに、これまで苦労して交易路を建設したりドワーフやフィルサンド公爵と交渉してきたのはこのためだ。しかし、交易路が未完成の状況でもう大規模な隊商がやってくるとは完全に想定外だった。
彼らを宿泊させる施設の建設すらまだ途中だ。
そんなわけで、モーラをはじめとするジーテイアス城労働部隊は全力を挙げて、彼らを迎え入れる準備に邁進しているのであった。
「確かにこれは、『こんなことをしている場合じゃない』な……」
「は?」
私が先程のモーラの台詞を思い出すと、イルドが怪訝な顔をする。
不在時の状況の報告にきてもらっていたのだ。
ちなみに部屋にはクローラも居る。ただし不自然な角度で私から顔を背け、香草茶を啜っていた。
「いや、何でもない。それにしても、モーラは良い子だよな」
「そうでしょうとも。……しかし、手を付けるのは後数年待っていただかないと……」
「ぶぼっ」
「そういう話じゃないから」
クローラがお茶にむせて口元を抑えているのが視界の隅に映った。
現代なら訴訟を起こされかねないセクハラ発言を、私は慌てて遮った。
「とりあえず! 準備は間に合いそうか?」
「荷馬車三十台以上の隊商ですからね……。完全には無理でしょう」
「だよな……」
イルドの計画では、隊商の主要人物は主塔の広間と居住棟に(もとの住人を追い出して)宿泊させ、残りは中庭で野営してもらうことになっていた。
「それと、マルギルス様のご指示で建設していた公衆浴場。あれも開放します」
「おお、完成してたのか。それは良いサービスだ」
我が城の建設部門を担ってくれている建築の家のヴァルボ棟梁がやってくれたらしい。
これでみんなに入浴の習慣をつけてもらえるな。
ドワーフ特製のボイラーとポンプを使っているから使用人の負担も少なく、城の衛生環境を改善できる。
「ただ今回はあくまでも緊急の処置です。今回の隊商が成果を挙げたら――挙げてもらわねば困りますが――レリス市やフィルサンドの商人達が大挙して押し寄せてくるでしょう」
「それ自体は大歓迎だが……」
「はい。宿屋などの施設の建設を急ぐのはもちろん、早急に各種のスタッフを増員する必要がありますね」
ジーテイアス城をレリス市(ひいてはリュウス同盟、北方の王国等)と戦斧郷、フィルサンドを結ぶ交易路の中継点として利益を挙げるというのが元々の計画だ。
交易路の安全を保証するのは当然として、快適に宿泊できるよう準備をするのも私の責任である。
「また一気に城の住人が増えるな」
「この際、宿に関係する人員だけでなく兵士たちの生活にも必要な各種の職人や商人も募集しましょう」
「そうだな」
もう城にはちょっとした町といってもよい人間が生活している。
着るもの、食べるもの、日常の楽しみ。住人の生活に必要な物資やサービスを、いちいちレリス市やユウレ村まで求めにいくわけにもいかない。
「……それだけではありませんわよ?」
イルドのセクハラ発言から立ち直ったらしいクローラがため息混じりに補足する。
「城の周辺については、現在の兵士だけで何とか巡回できておりますが。戦斧郷までの交易路は、シュルズ族の戦士たちに任せっきりでしたが……これからは数が足りませんわね」
「今後、交易路を利用する者が増大し、規模も大きくなりますからね」
フィルサンドからの隊商から先触れがあったのが二日前だそうだが、それ以降、ディアーヌを筆頭にシュルズ族の戦士たちは不眠不休で巡回をしてくれていらしい。
……ディアーヌやシュルズの人々のフォローもしとかないとな。
「つまり兵士も増員する必要があるということだな」
「そうなりますわね」
まあ、ジーテイアス城の拡張工事を始めたときからこうなるのは予定していた。
それにしてももう少し後だと思っていた。
フィルサンド公爵にしても、そのあたりのことは承知しているはずなのだが……。
「悪いが二人とも、もう少し頑張ってくれ。これは悪いことじゃなく、良い流れなんだからな」
実際、公爵その人が率先して隊商を派遣し利益を挙げたとなれば、多数の商人がこの城を利用するようになるだろう。そうなれば、経済的にはかなり助かることになる。
私の激励に、二人は力強く頷いてくれた。
結局、隊商が到着したのは翌日の早朝だった。
モーラやイルドの奮闘もあり、最低限のもてなしの準備は間に合っている。
まだまだ空き地だらけの『下の中庭』に積荷満載の荷馬車がずらりと並び、商人や使用人たちがテントの設置に励んでいた。
その中をモーラや使用人たちが走り回り、薪や食料、水、布など必要な物資を配布している。
城主として塔にふんぞり返っているわけにもいかない状況だ。
下の中庭まで降りて隊商の代表に挨拶することにする。
「こんな有様で申し訳ないな。出来る限りの歓待はさせていただく」
「……マ、マルギルス様。わざわざお越しいただくとは」
そういって頭を下げたのは、性格の悪そうな青年。フィルサンド公爵の次男、アグベイルだった。
「君が隊商を率いてきたのか?」
「ええ、父の命令です。この隊商はフィルサンド公爵家お抱えですよ」
「ふうむ……」
彼とはいろいろあったが、個人的に恨みがあるというほどではない。
それでも、タイミングの問題で少し首を傾げたのが分かったのか、青年は慌てたように付け加える。
「や、少し急ぎすぎというのは分かってるんですよ。ただちょっとこちらにも事情がありまして……」
弁解しながらアグベイルが片手を振る。それを合図に、数個の宝箱が積み上げられた。中身はお察しだろう。
「こちらは父からのご挨拶です。迷惑料と思ってください」
「迷惑などとは思ってないがね。まあお歳暮と思って頂くよ」
「?」
迷惑ではないが、裏がある可能性を捨てるほど公爵を信用していない。念のため、隊商の人々や積荷はレイハに調べてもらっている。
「そういえば、そのぅ。エリザベルは……」
「今は不在だが。気になるのかね?」
遠慮がちにアグベイルが妹のことを聞いてきた。
もとはと言えば、彼がエリザベルを暗殺しようとしたのが私のフィルサンドでの冒険の発端である。一応、和解らしきことは……していなかったかな?
「気になりますよ! マルギルス殿のことは信用してますが、妹が僕を暗殺しようとしても不思議でも何でもない!」
どうやら、していなかったようだ。和解。
「それにエリザベルの血縁のシュルズの女戦士もいるんでしょう? ……すいませんが、警備を厳重にしてもらえませんか?」
本気で怯えているようで、周囲を油断なく見回しながら懇願するアグベイル青年。
自分の買ってる恨みを軽く見ないというのは、父親にはない長所……と、言えないこともないが。
「君たちをここまで守ったのは、そのディアーヌが率いるシュルズの戦士たちだぞ?
「そ、それは分かってますが……」
「今はお互い敵じゃないんだ。仲良くしろとは言わないが、せめて信用してやってくれ」
「はぁ……」
実際、シュルズの戦士はともかくディアーヌはもうアグベイルのことなど眼中にないだろうな……。
彼の細い肩に手を置いて諭す。
なんだろう、彼やギリオンのように歪んでしまった青年を見ると放置できない気分になってしまう。
「はーい! みなさん、今から種火を配りますよー! 風で飛ばされないように注意してくださーい!」
モーラの元気な声が響く。隊商の野営の準備は整いつつあるようだった。
「暑い中歩き続けて疲れただろう? 宿の準備は間に合わなかったが、その代わり良いモノがあるんだ。後で案内しよう」
「? ……あ」
首を傾げたアグベイルが、自分の額に手をあてた。
水滴があたったのだ。
「む……」
水滴は私の頭にもあたり、やがて小粒の雨となった。見上げれば空はすっかり黒い雲に覆われている。
「ぎゃー雨!?」
モーラの絶叫が響いた。
あちこちに即席のかまどを作り、大鍋でシチューを温めようとしていた矢先だ。流石の彼女も卒倒寸前だった。
非情にも雨は大振りになりそうな気配である。
「これはついてないな……」
アグベイルも顔をしかめた。
しかし私は、不謹慎ながら内心ガッツポーズを決めていた。
これで、少しはみんなに貢献できるな。
「この呪文により……」
「マルギルス殿?」
私が突っ立っている以上、雨宿りに駆け出すこともできずアグベイルが怪訝な顔をする。
が。
「……の範囲の天候を指定する。雨雲よ去れ、晴天よ有れ。【気象操作】」
呪文は効果を発揮した。
あっという間に黒雲が流れ去り陽光が差すと、青年の表情は驚愕に変わっていた。