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呪的逃走

 私とかんなぎの少女は寄り添いながら、赤い糸に身を任せるしかなかった。


 上下左右を埋め尽くす粘液――暗鬼の王――はますます荒れ狂い、圧力を高めていく。全身を締め上げられるような感覚は、精神防壁マインドウォールのバリアによってかなり軽減されているはずだ。

 だがそれでも、白銀の輝きは徐々に薄れつつある。


 「ご安心下さりませ。いざとなれば身共みどもが命をかけても御身を現世にお帰えしいたしまする」


 巫が優しく言った。

 気休めを言う人ではないだろうから、彼女には彼女の奥の手があるのだろう。

 しかしこの美しい生き物に『命をかけ』させるような事態は避けたい。


 『D&B』の本来のルールなら、持続時間中に呪文のエネルギーが尽きることなどあり得ないが、それだけ暗鬼の王の力が強大だということだろうか。

 いずれにしてもこのままではバリアは失われ、私と巫女はこの泥の海に同化させられてしまうだろう。


 「ここはやはりあの手・・・を試すか……?」

 「魔法使い様っ」


 恐ろしい未来予想を何とか覆せないかと思案していると、かんなぎが声を上げた。

 先ほどよりも慌てているようだ。


 「あれは洞窟ではござりませぬか?」

 「む……おお」


 少女が指さす先を見る。

 無限に広がるような粘液の海の一部に黒い穴が開いていた。赤い糸も、その穴から伸びていた。


 洞窟というのは、この世界と現実世界の接点、『扉』から私たちが降りてきたあの洞窟のことだろう。

 私には判別できなかったがエキスパートである巫がいうなら信じるしかない。




 幸い、赤い糸に引かれて飛び込んだ黒い穴は、あの洞窟に繋がっていた。


 「ぷはっ」

 「さ、お急ぎをっ」


 しかも洞窟内部には粘液が満ちていなかった。

 私と巫は、自分の脚で洞窟を駆け出す。

 粘液が上ってこれるのはここが限界なのか、洞窟の終点(私たちが浮上してきた地点)で留まっていた。


 「振り切れたようでござりますな?」

 「いや、それは……」


 走りながらも安堵したような巫の呟きを、私はあわてて制止しようとした。

 が。


 「ギイギイ!」

 「グギャギャッ!」


 ある意味聞きなれた声が背中を叩く。

 振り替えれば、赤茶と黒の粘液の淵から無数の暗鬼が這い上がってきていた。


 「これはっ」

 「やっぱりなっ」


 頭のどこかでこの展開を予想していた私は巫の手をとり、脚を速めた。




 何度もいうがここは暗鬼の精神の世界だ。

 足元の悪い上り坂の洞窟を全力疾走しても、肉体が疲労するわけではない。


 いま私や巫が疲労を感じているのは、精神の力を消耗しているからだ。

 要するに気力が尽きたら動けなくなり、背後から怒涛のように追いかけてくる暗鬼の群れに捕獲されるということだ。


 言うまでもないが呪文を使うための10秒の猶予はないし、精神系以外の呪文が効果を発揮する保証もない。




 「ギギィ!」

 「ギギッ! ギアッ!」


 粘液を滴らせた、漆黒の肌の暗鬼たちが押し合いへしあいながら迫ってきている。

 数など数える気にもならない。

 一体が転べば、それを踏みつけて二体、三体の暗鬼が前に出る。

 どいつもこいつも、一瞬でも早く私達を捕まえようと両腕を伸ばし、涎を撒き散らしながら疾走だ。




 「……やってみるかっ」

 「は?」


 並走する少女の黒髪が乱れ踊るのを数秒見つめて、そこに期待どおりのモノを見つけた私は決心した。

 さっきの思い付きを試してみよう。


 「すまんっ」


 一言謝罪して、彼女の頭から小さな髪飾りを摘み上げる。


 「ま、魔法使い様、何を?」


 巫の困惑は当然だが答える暇はない。

 私は背後に迫ってきた暗鬼の群れに向かい、髪飾りを放り投げた。


 「ギギャッ」

 「ギィアアアア!」


 暗鬼たちの反応は劇的だった。

 先頭の一体の顔にあたって地面に落ちた髪飾りに、暗鬼たちは一斉に群がり奪い合いを始める。


 「グギャア! ギャウゥゥ!」


 髪飾りがよほど魅力的なのか、それとも私達そのものと誤認しているのか。

 とにかく彼らは髪飾りの奪い合いに熱狂してお互いを攻撃しあい、追跡を忘れ去ったように見える。


 「よっしっ」

 「魔法使い様、これは一体……」

 「後で説明するっ」


 予想が的中して私は拳を握るが、同時にこれで逃げ切れるわけでもないことを確信した。

 驚きに目を丸くする巫を急かし、果てしなく感じる坂を駆け上がっていく。




 ……古事記に曰く。

 黄泉の国へ死んだイザナミを迎えにいったイザナギは、結局逃げ出し、黄泉醜女よもつしこめに追われることになる。この時イザナギは三つの呪物、すなわち髪飾り、櫛、桃を投げることで黄泉醜女の追跡をかわして逃走に成功した。


 世界の神話・昔話の普遍的モチーフの一つ、『呪的逃走譚』である。




 「これと同じシチュエーション、前に『Cthulhuの呼び声』でやったんだよなぁっ」

 「はぁ?」


 学生ながら無駄に神話伝承を調べて凝ったシナリオやオリジナルワールドを作っていた私やTRPG仲間にとっては、最早馴染みといっても良い知識だ。


 ただし地球の神話類型がこの世界セディアでも通用するのか?

 そこは不確定要素ではあったが、『オルロールとカリス』という地球の『テセウスのミノタウルス退治』と同じ構造を持つ神話が存在することから、イザナギと同じが使えるのではないかと推理したのである。




 「櫛と桃はないが……こいつでどうだっ」


 髪飾りで稼げた時間はそう長くはなかった。

 再び怒涛の追跡を開始した暗鬼たちに向けて、次の呪物……私が指にはめていた守護の指輪プロテクションリング+5を投げつける。


 厳密に神話を再現するのなら、せめて頭部に関係する装身具が良かったのだろうが、とにかく『三つのモノを投げる』のが重要なのだ。……少なくても地球の物語類型上はそうなる。


 「ギアアルルッ!」

 「ギギギッ! ギギィィッ!」


 またしても読みが当たったようだ。……まあ、謙虚になるならば『楽観的希望』とも言える。

 とにかく暗鬼たちは髪飾りの時と同じように指輪に飛びつき、奪い合いを始めた。




 「……魔法使い様、一体何故このようなことをご存知で……?」

 「いや、ちょっと待ってくれ。説明が難しい……」


 ここまでくれば、もう一つの呪物を投げるだけだ。

 驚愕を隠さない巫の質問を流しながらしかし、私は焦っていた。

 投げる呪物はなんらか身につけるモノが望ましい。


 しかし先ほど投げた指輪以外、そうしたアイテムは何も持ち合わせていなかった。

 巫の姿を見回しても、すぐに外して投げられるようなモノは身に着けていない。

 仮面と糸車がモノといえばモノだが、この二者を外すと別の問題が発生しそうな気がする。



 これが現実の世界なら、見栄えが悪いとクローラに文句を言われながらも肌身離さない背負い袋インフィニティバッグがあり、中には山ほどアイテムが詰まっているのだが。

 生憎、暗鬼の意識の中に自分を投影するという高難度の精神的作業をするのに、そんな余計な物品のイメージまではしていない。


 よって、ローブの懐や袖の内側のかくしを探っても何も……いや?




 「ギィィアアァァ!」


 走りながら自分の身体をまさぐるというなかなか無様な行為にかまけた結果、私達と暗鬼の間は数メートルまで縮まっている。


 「魔法使い様っ最早これまで……!」

 「……くっ」


 巫が何かを覚悟したように叫ぶが、彼女が行動を起こすより私が指先に触れた『モノ』を引っ張り出し後方に投げるのが先だった。


 『モノ』は逃げる私達と追う暗鬼どもの間に、『ひらひら』と舞う。

 触ったときには正体が分からなかったが、白くて四角い布切れ。……ハンカチだった。




 先ほどの二つの呪物と違い、ハンカチには目もくれず距離を詰めてきた暗鬼の一匹が、邪魔そうになぎ払おうと触れた瞬間。


 目もくらむ輝きが生まれた。


 「ギヤアアアアアア!?」

 「クギィヤァァァ!?」


 ハンカチが形を失い爆発的な光の奔流となって洞窟に広がっていく。

 私にとっては暖かく優しいその光は、暗鬼に対しては致命的な効果を発揮していた。

 先頭の暗鬼から光に飲み込まれる順に解け崩れ、消滅していく。


 「ま、魔法使い様っ!」

 「うおぉっ!?」


 不快感も恐怖もなかったが、私と巫も光に飲まれいく。

 眠りから醒める寸前のような、脳に光が差し込んでくるような感覚。

 そうだ、思い出した。


 あれは、この世界セディアに転移した初日。牢獄で出会ったモーラから借りて以来、返すタイミングを逸してずっと持ち歩いていたハンカチだ。




 光量が許容限度を超え、意識を失う寸前に網膜に焼きついたのは、両手を広げて私と暗鬼の間に立ちふさがる白い少女の影だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] さすがモーラさんやで…
[一言] こんなん泣きますよ…………号泣
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