気のすすまないやり方
『のっぺらぼう』が口にしたのは、私への勧誘だった。
「私に暗鬼崇拝者になれと?」
「暗鬼崇拝者でなくても結構ですよ。あの隕石とか、バンバン町や村に落としてくれれば」
「……」
半ば予想していた質問だ。
もちろん答えは『NO』しかあり得ないわけだが、もう少し会話を長引かせて情報を引き出したい。
「貴方達の仲間になって、私にいったいどんな利益があるというんだ?」
「あるとすれば……いますぐには滅びないということですかねぇ?」
「!?」
のっぺらぼうの口元に、三日月型の裂け目が生まれた。
笑顔だ。
「魔法使い殿!」
巫の鋭い声を合図にしたかのように、『彼ら』は表れた。
のっぺらぼうの背後、泥の波が打ち寄せる岸に、醜悪な人影が浮かび上がってくる。
最初は1、2体だった人影はすぐに岸を埋め尽くすほどの大群になった。
赤茶? 漆黒? 灰色?
体色はゆらゆらと一定しない。
だがその形は間違いなく暗鬼だ。
「ガ、ガ、ガガ……」
「ギギ……」
「マ、マル……マルギル……ス……」
のっぺらぼうの背後に壁のように並んだ暗鬼の群れ。
その中の一体が、明らかに私の名前を呼んだ。
「……コーバル男爵……か……?」
やせ細り捻れた体躯、小さな二本の角を持つ小鬼……その顔は、かつてレリス市で戦ったあのコーバル男爵だった。
あの時死んだ彼の魂はこんなところに囚われていたのだ。
「ここでの『死』は心の死です。そうでなくてもここで拘束してしまえば、現実世界の肉体は廃人となる」
絶対不利な状況だとこちらに理解させようというのか、のっぺらぼうが親切に説明してくれる。
「一方、この暗鬼の精神の中では魔力は作用しない。……マルギルス殿は『現世の理の書』から特別な魔術を習得されているのでしょうが……それでも、ここでは無力だ」
?
何か誤解をしているな。
恐らく彼は、私と戦ったコーバル男爵などの暗鬼崇拝者や暗鬼が見聞きした『魔法』についての知識で語っているのだろう。
……まぁ好都合だ。
「すまない、重大な決断だ。少し、少しだけ時間をくれ」
私の顔は苦し気に歪んでいるだろう。
それを隠すように片手を上げ、後ずさる。
「ギグァ……ガ、ガァアッ!」
「ギギ……ギギギ……」
吸い寄せられるように、視界を遮るほどの暗鬼の群れがジリジリと近づいてくる。
「もう十分話したでしょう? 私としてはここで貴方を廃人にできるだけで満足しても良いんですよ?」
「ま、魔法使い殿? まさか……」
のっぺらぼうは若干苛立っているようだ。
巫は私を守るように立ちながらも、不安げにこちらを見る。
時間がほしいのは事実だし、重大な決断であるのも嘘ではない。
ただし、のっぺらぼうと巫が考えているのとは全く違う決断についての話だ。
「……」
私は弱弱しく上げた片手で口元を隠しながら、力ある言葉、呪文の詠唱を始めていた。
問題は二つだ。
一つは倫理的な問題。いくら相手が外道な暗鬼崇拝者で、こちらの命を盾にとった脅迫をしている相手だとしても、話し合いの最中の不意打ちということになる。
しかしこれはもう、仕方ない。
私は騎士ではないのだ。この機会を逃して将来に大きな禍根を残すわけにはいかない。
もう一つはもっと深刻で、要するにこの暗鬼の精神世界の中で呪文を使えるのかという問題だ。
一応、『扉』を潜った直後、試しに『内界』に潜ってみたので大丈夫だとは思うが。
「……やはりいつもより『重い』な」
『内界』の私は呟いた。
今の私は、『現実の私がイメージしている暗鬼の意識の中の私がイメージしている内界の中の私』だ。
夢の中でさらに夢を見る(それも意識的に)ようなものである。
その違和感を表現すると、『重い』ということになる。
例えば普段の『内界』では、ランタンの光は周囲5メートルほどを照らし出している。 ところが今手にしている明かりは、ほんの目の前までしか届かず、その先は暗闇だ。身の回り数十センチ程度の光景をイメージするだけで脳細胞が破壊されそうな集中が必要になっている。
普段の二倍以上の労働を脳に強いているのだから当然といえば当然か。
「……八階層が遠い……」
頭も体も重く、見通しも悪い。
まるで錘をつけて水中にいるような足取りで魔道門を潜り、階段を下る。
螺旋階段を必死で下り、第八階層『達人の呪文書庫』にたどり着く。
錆付いたように重い扉を開き、九つ並んだ書見台に『準備』された書物に近づいた。
「こいつがここで使えるかどうか……頼むぞ……」
「んー、いい加減にしてくださいね? もう待ちませんよ?」
現実――この場合は暗鬼の精神世界か――では、のっぺらぼうが最後通牒のように片手を上げた。
同時に、『内界の内界』の私が、書物に凝縮された混沌のエネルギーを解放する。
「……この呪文により対象一体の精神を掌中に収め、彼の者を忠実なる下僕と化す。【精神支配】」
《ビキッビキッ》
分厚い氷が砕けるような硬質な音が響く。
私の足元から、白銀に輝くガラス状の触手が数十本射出された音らしい。
ガラスの触手は一瞬でのっぺらぼうまで伸び、その濁った白の身体に巻き付いていく。
「!? こ、これはっ!? 魔術!? 馬鹿な!」
「魔法使い殿!?」
のっぺらぼうは驚愕し手足を暴れさせる。
だがガラスの触手(恐らく呪文のエネルギーが具現化しているのだろう)のパワーは圧倒的で、彼は雁字搦めにされていく。
「相手の精神を支配し、強制的に従属させる呪文だ」
「そ、そのような御力が……」
「……この呪文だけは使いたくはなかったんだが……」
8レベル呪文【精神支配】。
相手の精神に影響を与える呪文としては最上位にあたる。
下位の【強制の呪い】などとは違い、この呪文で精神を支配された相手は呪文をかけられたということすら意識できず、術者に絶対の忠誠を誓うことになる。
さすがに自殺させることだけはできないが、それ以外なら例え対象の信仰や信条に背く行動もさせること可能だ。
まさに洗脳である。
ゲーム内ならともかく、現実でこんな呪文を使って人間の精神を操るというのは間違いなく邪悪な行為だろう。
預言の儀式で暗鬼の精神世界に潜入すると知った時、万一の可能性を考えて準備しておいて……。
「良かった、んだろうな……」
……今回だけは相手と状況からして仕方がなかった。そう自分に言い聞かせるしかない。
「がっあっ! う、うう……マ、マルギルスッ……さま……」
もがくのっぺらぼうの頭部に、ガラスの触手が何本も潜り込んで蠢いている。
グロ過ぎる光景だが、私は呪文のパワーが彼の精神を支配しつつあるのを感じていた。
「まずこの暗鬼たちを下がらせろ! それから……まずは貴方の名前と立場を……とにかく全て話してもらうぞ」
【精神支配】の持続時間は『破られるまで永久』だ。
暗鬼崇拝者の幹部を従属させたことには途方もない価値がある。
「しょ、しょうち……」
だらしなく左右が下がった裂け目のような口から、呆然とした声が漏れた。
もしかするとこのまま、暗鬼崇拝者壊滅までもっていけるかも知れない。
暗鬼の出現そのものを抑えることはできなくても、それだけで大きな成果だ。
小さいが強い希望の光に意識を向けた瞬間。
「で、き、る、かぁぁぁぁ!!」
「!?」
のっぺらぼうの口元の裂け目が、奈落のように広がった。
ガラスの触手によって白い身体(つまり精神)が引き裂かれるのも構わず両腕を高く上げる。
何が起きているのか、理解が追いつく前に。
『オオオオオオオオオオオオオ』
少し下がっていた暗鬼の群れ、その遥か彼方。
いつの間にかこちらに顔を向けていた、そびえ立つ巨体。『暗鬼の王』。
その、城や町に比するべきサイズの『手』が、私達に振り下ろされた。