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深淵で出会ったモノ

 かんなぎの背を追って、私は『扉』を潜った。


 さきほどまでのような、魔力の光はなかったが不自由は感じない。

 闇に包まれているのは同じなのだが、何故か周囲の状態を感じ取れる。



 『扉』の先は人が数人並んで歩ける程度の洞窟だった。

 床や壁は岩石というより固めた粘土に近い。


 洞窟は緩やかな下り坂になっていて、生暖かい風がゆるゆると流れてきていた。


 今まで経験した冒険の中でもトップクラスで不気味かつ危険な状況のはずだが不思議と恐怖はなかった。

 どちらかといえばかなりはっきりとした夢を見ている感覚に近い。


 まあここはかんなぎを経由して侵入した暗鬼の意識の世界。魔法を使うときの『内界』と同じ精神世界だ。

 極端に言えば夢を見ているのと似たようなものである。



 「……すまない、少し待ってもらえるかな?」

 「如何なされましたか?」


 いま一つはっきりしない頭で、私はここでまずやるべきことを思い出していた。

 巫に声をかけて立ち止まると、私はその場で目を閉じた。




 「…………」

 「あのう、もし? 魔法使い殿?」


 ぴったり十秒。黙想していた私に、巫が声をかけてきた。

 丁度良かったので私は目をあける。


 「ああ、すまない。ちょっと実験をしていたんだ。もう大丈夫」

 「? 左様でござりますか……」


 巫は小首をかしげてから、歩きはじめた。

 彼女には悪いがここはすでに暗鬼の意識の中、つまり敵陣だ。

 実験結果を口に出して伝えることはできなかった。




 ほとんど同じに見える粘土の洞窟をひたすら下っていく。

 エルフの少女と私の息遣いと足音が単調に繰り返されるだけの道中に、時間の感覚がなくなってきた。

 左手に掴んだ糸車、そこから延々と伸びる赤い糸の先にレイハが居るという事実が、どれだけ救いになったか分からない。


 意識をしっかり保つため、さきほど聞いた神話について考える。

 『オルロールとカリス』。

 どう考えても地球のギリシア神話と同じ構造を持っている。だから、この洞窟の先にも怪物が待っていて……と、単純には思えなかった。


 いま私達がいる場所が暗鬼の意識という『他界』であることからして、この状況は『冥界訪問譚』に近いと思われる。


 死んだイザナミを連れ戻しに黄泉へ下ったイザナギ。

 同じく死んだ妻、エウリュデケのために冥界へ下ったオルフェウス。


 二つの神話の落ちはいわずもがなで同じなわけだが、重要なのは彼らは死者の国で『見てはいけない』というタブーを犯していることだ。


 私も、この冒険の果てに同じことをするのだろうか?




 「さあ、もうすぐそこでござりまする」

 「お、おお……。そうか、良かった」


 思考の海に沈み込みそうになった私の意識を、巫の声が繋ぎとめた。

 私は少し離れていた彼女との距離をあわてて詰める。


 「確かに雰囲気が変わってきたな」


 洞窟の先からの風が冷気を帯び始めるのに気付く。

 いつまでも続くかと思われた闇の先に、小さな光の点が生まれた。


 光といっても、日の光ではなく曇天の空のように濁った白だ。

 それでも、闇よりはましな光が徐々に広がり洞窟の出口となれば、私も巫も無意識に少し早足になる。




 「……ここが……?」


 私の顔に生暖かい風が当たった。


 視界一杯に広がるのは、無理やり表現するならば『荒れ狂う泥の海原』とでも言うしかない。


 たどり着いた長い下り洞窟の出口は、泥の海の海岸だった。

 砂浜にあたる部分には形も大きさも不揃いな岩が積み重なっている。


 もちろん見渡す限り広がるのは、本物の泥でも海でもない。


 赤茶色の『海』から足元に打ち寄せる『波』。

 黒い岩に当たって飛び散った飛沫の一滴一滴を目を凝らしてみれば、それは極小の暗鬼だった。


 デフォルメされた人形のような姿だが、間違いなく小鬼や巨鬼だ。

 実際に生きた暗鬼の個体、ということではないのだろう。

 岩に飛び散った飛沫……無数の極小暗鬼たち……は、水に溶ける粘土のように形を失い岩と同化するか、海に戻っていく。


 そして何よりも。

 鉛色の空(天井かも知れない)を覆うようにそびえ立つ巨大な人型よ。


 フィルサンドで見た超巨大暗鬼にシルエットは似ている。

 脚は短く、腕と胴が異常に長い。ツルリとした身体を折り曲げ、両手を海面につけていた。

 頭部はほとんど円筒形で、目と口にあたる裂け目が三箇所ひらいている。


 雰囲気としては、暗鬼の『巣』。異世界から暗鬼を呼びよせる漆黒の球体に近い。


 距離感などはすでに混乱しきっていた。

 人型との距離は数百メートルとも数十キロとも思えたし、大きさそのものも超高層ビル程度から山脈まで、意識を向けるたびに変化しているようだ。

 はっきりいって、半ば夢心地の今の状況でなければ発狂している自信がある。


 ……いや、いま何とか正気でいられるのも、【精神防壁マインドウォール】の呪文のお陰というだけかも知れない。



 何にせよ、あれから見れば私達の存在などアリか塵のようなものだろう。


 幸い、人型は何をするでもなく立ち尽くし、こちらに興味をもつ様子はない。


 「…………地獄かな?」


 そんな言葉が漏れたのも、人型が特に動きを見せないことを確認できたからだった。


 「この泥の海……否、空間そのものが暗鬼全体の精神といえまする。あの人型はその中でもある程度は秩序だった部分、つまり『意思』や『人格』を象徴していると思われまする」


 巫が説明してくれる。さすがに声が硬い。


 「ではあの人型が『暗鬼の王』というわけか……」


 思ったとおりというか、到底意思の疎通ができるような存在ではない。

 暗鬼が全体として一つの意識や人格を持っていたとしても、それが人間に理解できるかどうかは別問題ということだ。


 しかし巫はどうやってアレから情報を引き出したのだろう?




 「そろそろ動きがありそうでござりまする」

 「……おっ?」


 多少でも『暗鬼の王』から身を隠すように、岩陰に潜んで様子を窺っていた巫が呟く。

 その声が聞えたわけでもないだろうが、雲をつくような巨体が鈍重な動きで首を持ち上げはじめる。


 『オオオ……オォォォ……』


 それが『暗鬼の王』の唸り声なのか、波や風の音なのかは判別がつかない。

 不気味な音とともに、人型は首をねじり、二つの黒い穴……目を空の一点へ向けた。


 灰色だったり土色だったりと安定しない空(?)。

 『暗鬼の王』の視線が向いた部分が揺らめき、意味のある形を作り始めた。



 「あれは……私か!?」


 空(?)の一角、『暗鬼の王』の視線の先に表れたのは白黒の映像だった。


 どこかの洞窟の中。

 ローブの男が杖を突きだしている。四十年見慣れた姿、私だ。

 映像内の視点が動くと、何やら叫んで取り乱している貴族の男や、暗鬼の死骸で組み上げた祭壇なども映し出される。


 「あれらは、暗鬼たちの記憶でござりまする。過去の光景を暗鬼たちが『思い出して』いるときには、あのように色のない絵が現れまする」

 「これは暗鬼たちの記憶……暗鬼が全体で意思を共有しているなら記憶も同様か」


 よくよく私自身の記憶を漁ってみると、どうもこれはレリス市の地下湖でコーバル男爵と対決したときの映像だ。

 コーバル男爵も映っているということは……。


 「あの時の、暗鬼崇拝者デモニストの司祭の記憶か」 


 あの視点からこの映像を記憶できるのは、司祭以外にはありえないだろう。

 暗鬼崇拝者(デモニスト)の中でも憑かれた者ホーンテッドと呼ばれる連中の脳には暗鬼蟲が巣くっている。あれを媒介にして、人間の記憶や意識も暗鬼たちに共有されるのだ。


 空の一角に怒りと絶望に満ちた男爵の口元が広がった。

 その口が何度も同じ形に開いて閉じる。


 『マ ル ギ ル ス! マ ル ギ ル ス!』


 彼が叫んでいるのは私の名だった。


 映像だけで音声はないと思っていたが、広大な泥の海原を吹く風に混じって人間とも機械ともつかない『声』が私の名を連呼し始める。


 『マ ル ギ ル ス! マ ル ギ ル ス!』



 「身共みどもが見聞きしたのもこの記憶と、名前でござりました。この後に、先見山で焦点が開く映像が表れたので、あのような誤解を……」


 どういうわけか、空に映しだされる記憶には私とコーバル男爵たちが戦う場面などはなかった。

 ただ、私の姿と私の名を呼ぶ男爵の姿が延々と流されるだけだ。


 まさか、これを巫が見ていることを前提に記憶を編集して映し出していたのか……?




 「あ、ご覧くださりませ」


 考え込んでいると、現実感を失うほど巨大な人型が長く突き出した円筒形の頭部を僅かに傾けた。

 視線の向きの変化に合わせるように、別の画像が表れはじめる。


 「今度は何だ……?」


 水墨画のように淡いコントラストで描かれたのは、暗鬼の軍勢が巨大な爆発で薙ぎ払われる光景だった。


 「これは……フィルサンドの戦いか?」


 陰鬱な濃淡で表された映像は続く。


 小鬼が隕石の爆風で粉々になる場面。

 地べたをはいずる巨鬼が、巨人の箒で吹き飛ばされる場面。


 転がる岩鬼の頭が睨み上げた空に浮かぶ馬。馬にまたがるローブの人間。


 私だ。


 「暗鬼の視点で見ると私の方が悪役だな……」


 『オオォォオ……』

 『マルギルス! マ ル ギ ル ス!』


 空のモニターはいつのまにか、様々な角度から見た『私』の姿で埋め尽くされていた。

 暗鬼の王の怨嗟の咆哮と憎しみに満ちた呼び声が空間を絶え間なく流れていく。


 「暗鬼の軍団や巣を壊滅させられる個人でござりますゆえ……」


 事前に調べておいた限りでは、暗鬼が一個人を認識するというのはあり得ない。


 例えば戦場で指揮官や強力な戦士を狙うという作戦行動をとることはある。

 だがそれは人間の役割に対しての反応だ。人間がいくら蟻を観察しても、兵隊蟻と働き蟻の区別はついても、同じ兵隊蟻の固体を見分けることができないのと同じであろう。


 だがその前提が覆っているというのだ。


 「蟻は蟻でも突然変異の凶暴個体みたいなものだからか……?」


 岩陰でエルフの巫女と身を寄せ合いながら、この異常で奇妙な場所と暗鬼の意図について考察する。

 私はここにきて俄然沸いてきた疑問を彼女に向けた。


 「しかし、こうして実際に見てみるとやはり……暗鬼は私達とはあまりにも異質過ぎる。私という個人を認識したのは良いとしても、情報操作して私を倒そうという計略を暗鬼が考えるというのは不自然ではないか?」

 「身共もそう思いまする。でござりますが……」



 「そのとおり」



 全く唐突に、第三者の声が響いた。


 愕然と上げた視線の先には気配も感じさせずに出現したモノが居た。

 これもまた人型……ではある。


 真っ白いのっぺらぼう。

 目も口もないが、その頭部あたりから確かに声が……人間の声が流れた。


 「ようこそ。そして初めまして。大魔法使いジオ・マルギルス殿」

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