長老たち
以前、神官戦士トーラッドが『神の力』で兵士の傷を治療した場面を見たことがある。
あれも中々凄いもので、深刻な打撲傷が見る間に薄れ、消えていった。
しかしたった今、『知識を保管する女』が起こしたのは、治療や回復といった生易しい現象ではない。
子供の膝の深い裂傷が、最初から存在しなかったかのように瞬時に消滅したのだ。
彼女も巫女というからには何らかの神を信仰して、その手の能力を授かっているのかと思ったが。
私が言うのもなんだが、彼女に常識は通用しないようだ。
「巫さま、またね!」
「またお歌うたってくださいね!」
「ああ、ほれ。足元に気をつけなされ」
ひとしきり、『知識を保管する女』、巫にじゃれついていた子供達が大きく手を振りながら走っていった。
彼女は突っ立っていた私に頭を下げる。
「大変お待たせいたしました。ご無礼をお許しくださりませ」
「……いや、気にしないでくれ。元気な子供達を見ているとこちらも気分がいいからな」
社交辞令でもなく本心だ。
しかし一方で、あのような無邪気な子供達にも、戦族として故郷も持たず永遠に暗鬼と戦い続ける運命が待っているのかと思うと気が重くなる。
私はこれまで、暗鬼の脅威に対しては誰よりも真剣に考え行動していると思っていた。
だが、彼らを前には思い上がりも良いところというものだ。まったく、自分が恥ずかしい。
「妙な顔をするな。お前に同情される義理なんかない」
「ぐっ」
陰鬱になりかけた私の背中を、レードがあほみたいにでかい掌でどやしつけてきた。
「主様っ?」
「ふん」
目を吊り上げてレードに飛びかかろうとしたレイハを、反射的に片手で制する。……この流れが徐々に身体に染み付いてきている気がしてきた。
「良い。彼なりに気を使ってくれたんだよ。……さあ、行こうか」
「御意に」
鼻息を荒げるレイハとそっぽを向くレードを放置して、巫に言う。
彼女も、穏やかに微笑んで頷いた。
巫に案内され、私たちは『宿』の中央部に建てられた大型の簡易住居に入った。
どうやら戦族には椅子に座るという文化がないようだ。
広々とした室内には板を敷き詰められており、美しい刺繍の施されたクッションに座るよう促される。
ここまでくると入り口で靴を脱ぎたくなるが、どうやらそれは不要らしい。
正面には、極彩色の羽を広げ威嚇する巨鳥が描かれたタペストリーが飾られていた。
戦族の紋章だ。
「戦族長老、イーズと申す」
「カラオン」
「ディルギルオ」
タペストリーを背にして巫。その前に三人の老人が座している。
想像していたような、しわくちゃの妖怪のような爺さんたちではなかった。
禿げ上がった頭に老人班が浮き上がったりと老いの証はあるが、三人とも屈強な肉体を維持している。
着ているのは流石に鎧ではなく、濃い赤の僧衣のようなゆったりした服だ。
こちらに敬意を示し頭を下げてくれたものの、その眼光と威厳は紛れもなく歴戦の戦士のものである。
「ジーテイアス城主、魔法使いマルギルスだ。お招きにより参上した」
久しぶりに自分の小物ぶりを思い出し、内心びびりながらも何とか堂々と挨拶を交わせた。多分だが。
後ろに控えるレイハとセダムも、居心地は良くなさそうだ。
「さて、マルギルス殿。さっそくだが貴殿にはいくつか確かめたいことが……」
「お待ちなされ」
イーズ老人が重々しく開いた口を、巫の柔らかい声が止めた。
「巫様?」
「いかがされた?」
「いかがも何も。魔法使い様は、我等の軽挙によって多大な迷惑を受けておられるのですよ? それを寛大なお心で許して下されただけでなく、ご助力までしてくださると遠路遥々お越しくださったといいますのに……」
「う……」
巫は三人の老人に(あくまでも優しく柔らかい声で)お小言を言い始めた。
「まずは茶菓の一つもお出しし、非礼を深く謝罪し、お許しを得てからようやくこちらのお願い事を口にするのが筋と申すものではありませぬか? そなたたちは何時からそのような礼儀知らずになったですか? 若い頃はもそっと道理を心得ていたのに……身共の情愛と教えが足りず、かように捻じ曲がってしまったのですか?」
「は、ははっ。ご尤もです」
「巫さま、ひ、ひらに……」
……。
念のためだが、あくまでも巫の外見は十代前半くらいの黒髪の美少女だ。
それが、百戦錬磨の老戦士たちにクドクドとお小言を垂れ、老人たちといえば怯えた少年のようにへこへこと頭を下げている。
物凄く気まずい。
長老たちより下座にいるカンベリスとレードも冷や汗を浮かべていた。
結局、お小言自体は五分ほどで終わった。
長老たちは巫の言葉のとおり、非常に低姿勢になって私達にお茶やお菓子を振る舞い、謝罪をしてくれた。
もっとも、そうしながらも私を見る目には油断も隙もまったくない。
たとえ齢五百歳の巫から見て我が子同然だろうが、彼らが血と謀略で暗鬼と戦い抜いてきたのは事実だ。
「んんっ。……では、そろそろよろしいかな……魔法使い殿?」
「ああ。十分歓迎してもらったしな。こちらとしても、どんな話になるか興味がある」
「そういってもらえると有難い。……さっそく本題に入る……前に。まことに申し訳ないが、もう一度だけ、貴殿に暗鬼の反応がないか『審問』を受けていただきたい、のだ」
「なんと?」
実は少し予想していたのだが、長老はまず審問を受けるようにいってきた。
以前、カンベリスと彼が連れていた『占師』が行ったのが『審問』だ。
暗鬼の血が封じられた水晶球を使い、対象が暗鬼の影響を受けた存在かどうか判定する術である。
要するにまだ私を疑っているということで、それを聞いた巫は緑の目を吊り上げて長老達を叱り付けようとしていた。
それを必死に制しながら、長老達は私に懇願してくる。
「いや、非礼は承知! これこのとおり、お願いいたす!」
「そうだな、万が一ということもある。しっかり調べてもらった方が私も気が楽になる」
もともと断るつもりもないので、私も彼らを庇うように素早く同意した。
以前見た物より遥かに巨大な水晶球……『見鬼』を使った『審問』は幸い以前と同じ結果になる。
水晶の中に封じられていた赤茶けた血液の塊が、私に近づくとそれを嫌がるように蠢き無軌道に暴れまわったのだ。
「……報告のとおりだな」
「このような反応は見たことがない」
「……確かに、憑かれた者や暗鬼崇拝者ではあり得ない、な」
「やれ、見たことか。さあ、疾く、魔法使い様に謝罪なされ」
「いやいやまあまあ。これは必要なことだったと私は理解しているよ」
子供の悪戯を叱る母親のような巫をなんとか宥める。
それで、私たちはようやくこの会談の本題に入ることができるようになった。
「……我々長老会としては、絶対に巫様の『預言』を正常な状態に戻したい」
「そのためには魔法使い殿の知識が必要だろう」
「魔法使い殿、貴殿さえ良ければ是非、『預言』に使う『本尊』……すなわち五百年前に我等の祖先が確保した暗鬼の死骸を見てもらいたい」
「なるほど」
彼らはまだ、私の魔法の原理や魔道門のことは知らない。
それでも、私が(暗鬼ではないにしても)『焦点』と何かの関係があると推測したのだろう。
「最終的には、身共と預言の儀式に参加していただくことになるやも、知れませぬ」
「もちろん、望むところだ」
預言について調べることは、『暗鬼全体の意思』を知るための重要な要素だろう。
こちらからお願いしたいくらいだ。
そして。
私自身が抱える究極の謎。
『見守る者』とは何者で、私は何のためにこの世界へ転移させられたのか?
その答えに一歩でも近づけるのだろうか?