移動手段
私、セダム、レイハはジーテイアス城の城門にいた。
兵士達が花道を作るように左右に整列し、使用人たちやシュルズの民もみな見送りに集まっている。
その中で、私にすがり付いてきたのはやはりディアーヌだった。
「なあ、我が君。本当に俺がいかなくて良いのかい? 俺だったら何があっても我が君を守ってやるぜ?」
「……ああ、うむ。それは分っているが」
必死に頼み込む姿についほだされそうになるが、何とか踏みとどまる。
ディアーヌが有能な戦士・指揮官であることは認めるが、今回は別に戦いにいくわけではない。
私に対して少々狂信的とすら言える忠実さは良いとして、短絡的な部分のある彼女は会談の随員には向いていないだろう。
それにだ。
「……覚えてるだろ? 彼女達、シュルズ族の出自を」
「ああ。分ってる」
セダムが耳打ちしてくる。
以前ちらりと聞いただけだったが、伝承では彼女たちシュルズ族は『神王』の末裔だったはずだ。
遥か昔の伝説だし、憎悪に飲まれて最初の『焦点』に成り果てたという『神王』と同じ存在であるという確証もないが。まあ、今回連れて行くには危険が大きすぎるだろう。
まずは、暗鬼関連の情報をしっかりと把握した上で彼女をどうするか検討すべきだ。
「俺も連れていってくれよ、良いだろう? 邪魔になったら途中で捨てていっていいからさ」
「……ディアーヌ」
『捨てられそうな犬の目』という表現は良く聞いていたが、この場合の彼女の赤い瞳はそういう可愛いレベルではなかった。
目がアットマークみたいになってる。
「君を残していくのは、城のみんなを守って欲しいからだ。これは、私の信頼の証だと思って欲しい」
「……信頼?」
「そうだ。この城のみなは私の大事な仲間であり、家族だ。それを守るという一番大事な役目を君に任せたい」
「でも……もしも、我が君が帰ってこなかったら俺……」
別に嘘をついたつもりはないが、やはり感情で動く彼女を理屈で説得することは難しいようだ。
普通なら、絶対に無事に帰ってくるとかいうところなんだろうが。
彼女の場合は、無自覚に依存先が無くなるのを心配しているのだろうしなぁ。
「もしもそんなことがあったら、私の代わりはクローラだ。彼女が私の仕事をしっかり受け継いでくれる。だから君も、彼女の言葉を私の言葉と思って助けてやってくれ」
「……」
横目で見ると、クローラは白目を剥いていた。いや、青い瞳を上に向けていただけか。
「クローラ姐さんの言葉が、我が君の言葉? クローラ姐さんの言うとおりにしてたら、我が君も嬉しいのかい?」
「ああ、嬉しいとも」
「そっか……。分った……」
不承不承ではあったが、ディアーヌは引き下がってくれた。
周囲のシュルズ族たちもほっとした表情だ。
「マルギルス……」
「後のことはよろしく頼む」
気を取り直したクローラに、内心拝むようにしながらも横柄に言う。
まあ、彼女も今更これしきのことで怒ったりはしない。
「その、『大魔法使いの杖』は全権委任の証だ。いざという時には君の判断で自由に使ってくれ」
今朝、彼女に預けた杖には、【火 球】や【稲 妻】といった攻撃呪文がいくつも『準備』されている。
五百や千の軍勢くらいなら人間だろうが暗鬼だろうが撃退できるはずだ。
「委細、お任せくださいませ」
「そういえば、例の印章の件も君に任せる。私達に相応しいデザインを期待しているよ」
概ね出発の手順を踏んだ私は、先ほどから待たせていた戦族一行……巫こと『知識を保管する女』、戦将カンベリス、戦士長レード、護衛の戦士二名……に頷いた。
以前から城に逗留していた戦士十名はそのまま残ってくれることになっている。
「行ってらっしゃいませ」
「戻られたら是非じっくり話を聞かせてくだされ!」
イルドとサンダール卿の声を合図に私たちは出発した。
最後に城門の方を振り向いた時、人々の間から小さなモーラが滅茶苦茶に手を振っているのがちらりと見えた。
「……ところでそろそろ教えてくれてもいいのではないか?」
「何のことだ?」
徒歩である。
かなり盛り上がった出発の場面から一転して、山道を延々と歩くのは何というか、緊張感が抜けてくるな。
黙々と先を行くレードの巨大な背中に私は声をかけた。
「戦族の『宿』とやらに、どこからどうやって行くのか、という話だ」
「そうだな。秘密主義は理解しているが、せめて何日かかるかくらいは教えてもらっても良いんじゃないか?」
困ったことに彼らは私達に、戦族の本拠地『宿』の場所も、どうやってそこまで行くのかも教えてくれていなかった。
一族の掟だとか、多くの者から恨みを買っていることなどが理由ということだが流石にもう良いのではないか?
かつてカンベリスが『審問の結果を宿に戻って検討してくる』と言い残して城を去り、先日戻ってくるまでに二ヶ月以上かかっているのだ。
当然、こちらも片道一ヶ月はかかるものと覚悟はしている。しかしそれだけの長期間何の説明もなくただ歩くのは流石に苦痛だ。
私もセダムも口々に情報開示を求めた。
レイハは例によって無言である。
「ご無礼の段、平にご容赦を」
フードとローブで全身を隠した少女は立ち止まると、深々と頭を下げた。
「今回の移動には、ある特殊な手段を利用いたしまする。あと一日、ご堪忍頂ければご懸念は晴れると存じまする」
別に相手がエルフの美少女だったからというわけではないが、私もセダムも一日我慢することにした。
翌日。
しかも、夜である。
私たちは『法の街道』ではなく、間道も外れて森の中の谷間に降りてきていた。
護衛の戦士たちが松明をかざし、私も【明り】の呪文を使ったので足元に不安はないが……。
「まさか地下道を通るとか、この谷間が戦族の本拠地ということはないだろうな?」
「……?」
好奇心と苛立ちが拮抗しているのか、セダムは少し顔を顰めている。
一方、レイハは不思議そうな顔で空を……星が輝く夜空を……見上げていた。
「どうした、レイハ?」
「主様。空がおかしいのです」
「空が?」
私もセダムもつられて顔を上げるが、良く分からない。
日本の夜空と違って満点の星が大変美しいが……ん?
「何だ? 星か? あんなところに星はないはずだが……」
「ええ。星というより何か……」
セダムとレイハは焦ったように早口で言う。
「ついたぞ」
と、そこにカンベリスの声が響いた。視界を塞ぐ大岩の向こうからだ。
いつの間にか戦族一行は谷間のさらに奥に進んでいた。
念のため、とレイハが先行し追いかけると……。
「何だ? これは?」
「……船、でしょうか」
そう、谷底に鎮座していたのは外洋を航行できそうな立派な船だった。
全長は20メートルほどだろうか。
いわゆるロングシップという種類かと思われるが……帆は張られていない。また、横転しないようになのだろう、船体の左右から数本の『脚』が伸びて支えている。
「特殊な手段というのは、この船のことか? 船で一体どうやって陸を移動すると?」
「こんなものを見るのは私も初めてです……」
さすがのセダムも常識外の光景に口をぱくぱくさせている。
「な、なるほど……」
一方、私といえば、驚きではあるもののこういう存在についての心当たりはある。
「これはあれだな。飛行船というやつか?」
「知ってやがるのか」
「流石は、魔法使い様……。御見それいたしました」
知らなかったし、見たこともないが知識としてはある。
それにしても、この世界はかなりリアルよりの世界だと思っていたが、こんなファンタジーな道具もあるのだなぁ。
「仰るとおり、こちらが戦族の『月光船』でござりまする」
「いま、起動する……」
『月光船』か。なかなか雅なネーミングだな。
セダムとレイハは信じがたいという顔だが……。
「ん?」
カンベリスが先に『月光船』に搭乗していた戦士になにやら合図をする。
と。
帆の張られていない太いマストの周辺に、なにやら紫色の光る筋が現れた。
「んん?」
うっすら紫に発光する筋……まるで触手、だ。四・五本か。
そいつがマストに絡みつき、徐々に光を強めていく。
紫の光は『月光船』の上……どころか私達の頭上全てを覆う天蓋のように広がっていった。
いや。
私はなおも目を凝らし、確信した。
紫の光が急にあらわれたわけではない。
最初から、透明な何かが私達の頭上に存在したのだ。
ふわふわと揺れる天蓋。
視界全てを覆うかと思うほど、大きい。
丸い帽子のような全体は紫に発光しているが、中央部分には花弁のような何かが赤や緑に点滅している。
これに似たものを、私は見たことがある。
「まさか……クラゲか?」
センス・オブ・ワンダー。
本物のファンタジーは私の知識や想像の遥か上をいっていた。
「そうだ。『月光船』はあの『夜怪虫』によって空を飛ぶのさ」
呆然と呟く私に答えたレードの顔は、今まで見た中で最高に得意気だった。