女の戦い 2(三人称)
従騎士とは簡単に言えば見習い騎士のことだ。
多くは現役騎士の子弟で、武術や礼儀作法、騎士としての心得を覚えるために別の騎士に仕え、教えを受けるのだ。
数年の修行期間を経て資格ありと認められれば、晴れて独立して正騎士を名乗ることができる。
メリダはフランド伯爵領のとある貴族の三女であったが、奇縁があってサンダールに仕えることとなった。
女性としても小柄なメリダに武術の才能はなかったが、遍歴騎士は嫌な顔もせずに丁寧に指導してくれたし理不尽な扱いをされたこともない。
ただし、メリダもただの従騎士ではない。
サンダールという北方でも勇名を馳せた騎士の行動を制御しつつ、それをフランド伯爵の諜報活動に利用する。
もっとも、カレルのように密偵としての訓練を受けたわけではない。貴族としての立場と教養を利用しての情報収集が主な役割だ。
人は汚い任務と言うだろうが、正義感に溢れた遍歴騎士との旅の中で虐げられた民を救ったことも、一度や二度ではない。
メリダは自分に与えられた場所と役割をそれなりに気に入っていた。
「マルギルス様にとっては、人間もダークエルフも同じということでしょうか……?」
メリダは完璧な作法でカップを口に運ぶ美女を、失礼にならない範囲で注意深く観察しながら言った。
メリダ自身も、貴族の令嬢として水準以上の容姿と気品を備えているつもりだ。だが、1年以上遍歴騎士の元で修行生活を送ったお陰で、いささか消耗しているのは否定できない。
「そうですわね……。あれほどの力を持つと、両者に大した違いはないように見えるのでしょう」
「まぁ……」
クローラの言葉よりも、形のよい眉をしかめる表情にメリダは注目した。
クローラが城主であるマルギルスに正面から意見する唯一の存在であることは知っている。その彼女が、マルギルスをどう思っているのか知ることが今回の任務に必要なのだ。
もしも、クローラがマルギルスに僅かでも叛意を持っているのなら……利用できるはずである。
「そういう偉大な方にお仕えするクローラ様には、色々とご苦労がおありなのでしょうね」
「……お気遣い感謝しますわ」
「いえ……」
メリダは返事までの微妙な『間』に、彼女の『苦労』を感じていた。
……その点については、少し親近感を感じる。
「それでも、マルギルス様のことですからそのご苦労にはしっかりと報いて下さっているのでしょう?」
「……」
メリダの問いに、クローラは数秒沈黙してから呟く。
「金貨二十枚」
「は?」
「私の魔術顧問としての一月のお給金ですわ」
「……はぁ……」
クローラはとても平坦な声で説明した。何となく目に光がないようにも見える。
金貨二十枚といえば、一家族が一月程度生活できる金額であり、個人への給金としては悪くないように思える。が、それはあくまでも庶民レベルの話だ。
希少技術職であり、貴族や騎士に準ずる『身分』でもある魔術師を城主や騎士団が雇おうと思えば、倍の金額を出してもおかしくはない。無論、生活費や必要経費は別だ。
「まぁ私の場合、研修生としてあの方から学んでいるということもあるので、それと相殺している金額ではありますが」
「な、なるほど……」
メリダは微妙な表情で相槌を打った。今聞いた事情を加味しても、それくらい微妙な金額だ。
クローラの声や表情から不満は窺えなかったが、それならそもそもこんな話題を口にするだろうか?
普通の貴族なら、給金の話など下賎な話題と切って捨てるだろう。やはり、扱いが悪いと不満に思っているのではないか?
「ええと……でも、マルギルス様のような方のもとで暗鬼と戦うのは大変な名誉ではないでしょうか」
なんで私がフォローしているのか? 内心首を傾げながらメリダは言った。
「名誉? ……ああ、そうですわね」
今度は、クローラの方が少し驚いたようだった。
「名誉についても、あの方は全く頓着されておりませんわね。……これから私がしっかりと領主の名誉についてお教えしませんとねっ」
どういうわけか、クローラは指の関節をバキリと鳴らし(この世界においても『やったるぜ』という意欲の表れである)ながら言う。
「……そ、そうですか。クローラ様はマルギルス様に信頼されておられるのですね」
「そう見えるのでしたら……嬉しく思いますわ」
クローラは嫣然と微笑んだ。
微妙に首を傾げながらメリダが退出すると、入れ替わりにモーラとレイハがやってきた。
モーラは茶や菓子をトレーに乗せてきていたので、三人で改めて茶会をすることにした。
「……主塔にいたカレルという密偵については、以降問題ないと思います」
「ご苦労でしたわね」
レイハの報告に当然のように頷くクローラ。
一方、モーラは久しぶりに口を『へ』の字にした。
「ジオさんの部屋をこそこそ探ろうとしていたんでしょう? そんな人、追い出しちゃえばいいんじゃないですか?」
「それはよろしくありませんわね。こちらとしては、サンダール卿……ひいてはフランド伯爵とは友好的な関係を築きたいのですから」
「それはそうですけど……」
「お嬢様。奴には十分警告を与えましたので。お嬢様が気にかけるほどのことはございません」
「うーん、二人がそう言うんなら……。あ。というより、大事なお話を私が聞いていても良かったんですか?」
両手を腰にあてて不機嫌そうだったモーラが、急に小さくなって呟いた。
その様子にクローラは一瞬目を瞬いたが。
「よろしくてよ、モーラ。これは身内としての話ですもの」
そう、優しく言った。
「……メリダという従騎士も今のところ放っておいてよろしいでしょう」
「承知しました」
「意味がわかりません」
続いて、クローラから先ほどのメリダとの会談の様子の報告があった。
クローラのまとめに対してのレイハとモーラの返事は真逆である。
「……そもそも、彼女は私とマルギルスの関係を探りにきたようですわね」
「か、関係って。いやらしい……」
「そういう関係の話ではなくってよ?」
クローラはため息をつきながらも、モーラにあの会談の裏の意味を説明してやる。
つまり、得体の知れない大魔法使いの城に、いざというとき裏切り工作に応じるような存在がいるかどうか確認しにきた、ということだ。
「そんな、クローラさんがジオさんを裏切るなんて! 失礼ですっ!」
「お嬢様。相手はそれだけ主様を警戒しているということです」
いくら年齢の割に聡明で、交易商人の娘としての経験もあるとはいえ、あくまで普通の少女であるモーラには理解できない世界だった。
「もちろん、ジオさんを裏切るなんて絶対しない! って言ってやったんですよね?」
「いいえ? むしろ、そういう可能性もあると匂わせてあげましたわ」
「何で!?」
「お、お嬢様っ」
顔を赤くしてクローラに詰め寄るモーラをレイハが宥める。
「そう言っておけば、この後に外部のものが城内に裏切り工作を仕掛けようとしたとき、真っ先に私のところにきますでしょう?」
「……え……。えっと、つまり囮ってことですか……?」
「そうとも言いますわね。それに、その方が彼らが安心するからですわ」
「え?」
レイハに肩を抑えられたモーラが目を丸くする。
「主様の力は桁違いで、しかも考え方が普通の人間とは大きく違います。それは、世の支配者にとっては恐怖なのです」
「ですから、あの人の側には普通の考え方をして、しかもあの人に直接文句を言える存在もいるということを教えてやったのですわ」
「……あ……。何となく……分かります」
クローラ達は、マルギルスが異世界からやってきたとは知らない。『ジーテイアス』というセディア大陸から遠く離れた異国の人間だという本人の説明を信用、もしくは『尊重』している。
さらに、彼の倫理観や価値観がセディアの一般的な人間とは大きくかけ離れていることも承知している。そして、その事実が『王法』を日常の基盤としている人々……特に支配層……にとってどれだけ恐怖をかきたてるのか、を。
モーラは息を吐いてぺこりと頭を下げた。
「すいません。考えなしで……」
「貴方はそれで良いんですのよ」
クローラは涼しい顔で頷く。
しかし、実のところ彼女のメリダへの対応にはもう一つの意味があった。
それはジーテイアス城内部への対策である。もし今後、マルギルスに叛意を持つものが城内に生まれた場合、反対派の代表としてまずクローラに接触するだろう。
裏切り者を見つけ監視するには、先に裏切り者の旗頭を用意してやれば良い。
レイハは言わずともそこまで理解しているし、さすがにモーラにここまで話すのは刺激が強いと判断して黙っていたのだ。
「でも、私ももっとジオさんの役に立ちたいですし……。あ! 私も密偵さんを見つけるの手伝いましょうか?」
モーラは確かに普通の少女である。
だが、大魔法使いなどという異常な存在についていくと、誰より先に決めたのは彼女なのだ。
「貴方にそんなことをさせたら、私たちがあの人に怒られますわ」
「主様の折檻……ぁ……。さ、左様でございます。それは私どもの役目です」
肩をすくめるクローラと何故か頬を赤らめたレイハに言われても、まだモーラは申し訳なさそうだった。
「よろしくて、モーラ?」
クローラはモーラの両肩に手を置き、視線を合わせて囁く。
「私が先ほど貴方を身内と言ったのは、損得に関係なくあの人を支えたいと思う者という意味ですわ。そのために、私が己の立場と知識を、レイハが技術を使うのは、それが最も効果が高いからですの。……モーラ、貴方の得意なことは何でして?」
「……私の……」
床に視線を落として考え込んだモーラは、すぐに真っ直ぐにクローラを見詰めた。
「私の得意なことは掃除と洗濯、料理、お裁縫、知らない人とお話すること、お父さんの手伝いですっ。それから、ジオさんが元気になること全部ですっ!」
「そうですわね。なら……それを頑張りなさい」
「はいっ」
「良いお返事ですわね」
気合の入った返事をするモーラを見詰めながら、クローラは思った。
モーラのこの素直さが、マルギルスをこの地に留める楔になれば良い、と。
たとえ自分が、最後までただの口うるさい協力者であったとしても。