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女の戦い 1(三人称)

 ジーテイアス城の主塔。

 本来は城主マルギルスの私的な領域である。

 一階部分の広間や二階の司令室で客や仲間たちと食事をしたり会議をすることもあるが、これは主にスペース的な問題でそうせざるを得ないだけだ。


 遍歴騎士、エルメル・ルク・サンダールが模様替えした司令室を客間として使い逗留しているのも、そういう理由である。

 強い日差しの下、遍歴騎士は中庭で兵士たちを訓練していた。


「足が逆じゃ、逆ぅっ! 突く方の足に体重と勢いと気合を込めて踏み込むんじゃ!」

「はいっ!」

「腰がたかぁぁい!」


 などと威勢の良い声が客間まで届いている。





「……うん、ダメだなこれは。諦めよう」


 客間まで響く主の声と裏腹に、暗い声で呟いたのは遍歴騎士の従者の一人である。

 まだ20歳前の若者だ。名はカレルという。

 従者達には居住棟の一角に部屋を用意されている。

 カレルは『部屋の掃除のため』ここにいる、ことになっていた。


 サンダールは知らぬことだが、カレルは北方の王国シュレンダルの大貴族フランド伯爵子飼いの密偵である。

 遍歴騎士の従者という立場を利用して各地の情報を伯爵に送るのが任務だ。

 マルギルス達が推察したように、サンダールがジーテイアス城へやってきたのも、カレルが仮の主を口車で誘導したためだった。

 もちろん、本当の雇い主であるフランド伯爵の命令で、だ。


「話し声どころか気配も分からない。扉には魔術で鍵をかけてるみたいだし、こりゃあ手も足もでないや」


 カレルはソファにぐったり腰掛け、恨めしそうに天井を見上げた。

 天井、つまりその上にある城主マルギルスの私室を睨んでいるのである。

 城主が階段を上って私室に入るには、客間の扉の前を通らねばならない。その気配や足音は先ほど感じたのだが、その先の様子がまるで分からない。


 しかし、彼はまだ聞き耳や覗き見用の道具も試していないし、そのそぶりも見せていなかった。

 カレルは無能な密偵ではない。むしろ、大貴族の子飼いに相応しい技量と経験を持ち合わせている。

 そのカレルがこのような『敗北宣言』を呟くのはなぜか?


「うん。余計なことを考えちゃだめだよな。これからは……これまでと同じく、『父さん』への手紙は正直に本当のことだけを書くとしよー」


 まるで、誰かに言い訳でもするかのように早口で呟くカレルの額には、冷や汗が浮かんでいた。

 主塔から客間に入るまでは何事もなかった。

 しかし、さて上の様子でも窺うか……と意識した瞬間、ドラゴンの口中にいるかのような怖気がカレルを襲ったのだ。


 いくら周囲を見回そうと、気配を探ろうと何も分からない。間違いなく、ここに居るのは自分一人だった。

 それなのに自分の密偵としての…………いや生き物としての本能が全力で逃走を訴えている。


 ここでただ本能に従うだけではなく、状況を推理できるだけの能力があったことがカレルの幸運だ。


「いやしかしほんと、マルギルスさん……様は凄いよな。きっとサンダール様とも仲良くできるよなー。あの従者のダークエルフの美人さんとも超お似合いだしなー」


 カレルはぎくしゃくと立ち上がると扉へ向かう。

 冷や汗はもはや顔中、どころか全身をびっしょり濡らしていた。

 必死に呟く『独り言』はもはや悪霊避けの呪文に等しい命綱だ。


「とにかくなんていうか、もう絶対この城でこそこそ調査とかできないな。だからまあその……ごめんなさいっ!」


 悲鳴のように呟きながらドアノブに手が届くや、カレルは客間を飛び出していた。




「……」


 カレルが飛び出したあとの客間。

 先ほどまで密偵の青年が腰掛けていたソファの後ろに、長身の女性がその姿を『滲み出させた』。


 濃い褐色の肌に薄紫の髪、機能的というより扇情的な革鎧。

 レイハナルカ・ハイクルウス・シ。

 城主マルギルスの信任厚いダークエルフの密偵スカウトである。


 カレルが怯え逃げ出したのは、ダークエルフ独自の魔術と超級の隠密術によって姿を消していた彼女の殺気を感じたからだ。


 もちろん、レイハがその気になれば殺気も気配も感じさせずカレルを監視することもできた。

 しかしさすがに、四六時中彼らだけに集中することは不可能ではないが、無駄である。

 また、マルギルスがある程度の信頼をサンダール卿から得たことから、密偵が伯爵に送る情報を歪めたり、余計なことまで嗅ぎまわったりしないよう手を打つことにしたのだ。


 今回、わざとカレルに殺気を気付かせたのはそのための警告だが、レイハはそれ以上の意味があると思っていた。


「……あの男、腕は未熟だが頭はまあまあね。こちらの意図を汲むだけでなく、聞きたい言葉を言ってくれた」


 マルギルスとしても伯爵やサンダール卿を敵に廻すつもりはない、という意図をカレルは気付いたのだ。

 仮にも密偵として活動してきたものなら、気付くところまでは誰でもできる。その上で、彼がこちらの意図に『了解』の意思を示したことにレイハは満足していた。


「……お似合い、か。馬鹿なことを」


 ダークエルフの冷たい美貌が、一瞬困ったように崩れた。


「馬鹿なことだな? ……うん、そうね」


 もしかするとその一言を付け加えられたことが、カレルの密偵としての技量の証明だったのかも知れない。




 この世界セディアの大半の人間はダークエルフという種族に対して強い畏怖と嫌悪を持っている。

 ダークエルフと対になるエルフが畏敬と憧れの目を向けられるのとはまさに対照的だ。


 北方の王国シュレンダルに伝わる創生神話において、『知恵で人間を助けるために』神によって創造された種族がエルフであり、ダークエルフはそのエルフが『悪の知恵』によって堕落した存在だとされているためである。

 ……と、いうのが学者や神官の見解であるのだが。


 実のところ、人間がダークエルフを怖れながらもどこか惹きつけられるのは、彼らが常に人間の影であるからだ。

 ダークエルフはエルフと違い、独自の生活圏や国家を持たない。

 『謀略』『侵略』『呪詛』といった職能を司る氏族に別れ、人間社会に同居しているのだ。

 高い知力と身体能力、そして美貌を持つダークエルフが自分達の利益のために職能を活かしていたら、人間の国々は今のような秩序を保つことはできなかっただろう。

 しかし彼らは、創生神話の『人間を助けるために』という部分のみを愚直に遂行するかのように、常に人間を『雇い主』として仰ぎその下僕となって働いてきた。


 要するに、彼らが人間社会の影に潜み悪事を働いているように見えるのは、人間がそれを望んでいるからなのだ。

 しかしそれを自覚している人間は少ない。





 カレルが主塔を転び出て、汗だくの様子をサンダールに心配されている頃。

 居住棟のクローラの私室にも訪問者がいた。

 今度は、部屋の主に面会を求めての正式な訪問だ。


 サンダールの従者のうち一人、従騎士メリダである。


「それにしても、マルギルス様はご立派ですね。あのダークエルフも部下として公正に扱っておられるとは」

「……あの方にとっては、この世のどんな身分も民族も……種族の違いすら些事に過ぎないということですわね」


 親しげな言葉の裏に悪意を隠して語りかけるメリダを、クローラは優雅な笑みで迎え撃った。



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