槍が語るもの
「「…………」」
私の周囲には十数人の兵士が跪き、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
彼らの表情に浮かんでいるのは不安と怒りだった。
不安は指揮官であるジルクに、怒りはサンダール卿に向けられているようだ。
その目を見れば、ジルクが若い彼らから慕われていることが良く分かる。
そもそも、彼らはたった二ヶ月ほど前にレリス市で募集した新米に過ぎない。
その彼らに対するジルクの指導方針は、軍隊として必要な集団行動と体力を叩き込むというものだった。一応、賊徒や小鬼相手の実戦経験もあるし、別に武器の使い方は訓練していないというわけでもない。
それでも、北方の王国の将軍として一軍を率いてきたであろうサンダール卿からすれば、生温く見えるのかも知れない。
私としては、将来的に彼が仲間になってくれるなら軍全体の指揮を預けるのも吝かではない。
しかし今はまだ早すぎる。
「まず、この話は私が預かる」
「おう、もちろんだとも」
「構いませんぜ」
頭の中で組み立てた対応案……いや妥協案か? は、サンダール卿には、通常の訓練時間外に武術面での特別訓練を兵士に行う、いわば武術顧問になってもらうというものだ。
一応、サンダール卿とジルク双方の顔を立て、なおかつ新しい教官を得られるよう考えた案である。
ただし、この落としどころに持っていくまでの展開次第では、感情的なしこりを残す可能性もある。
あまり自信はないが、まずは落ち着いた場所で両者の言い分を良く聞いてからだな。
……と、思っていると。
「マ、マルギルス様っ」
「ん? どうしたね、レンド」
兵士の一人が上ずった声で私を呼んだ。確か、レリス市から城へ到着した彼らに挨拶したとき、一番最初に名前を聞いた青年だ。
「あっ。……そ、その、ジルク隊長の訓練は正しいと俺は思います! 隊長とそちらの騎士様を交代するのはお止めくださいっ」
レンド青年の声は一瞬詰まった。多分、私が即座に名前を呼んだことに驚いたのだろう。
「お、俺も同意見ですっ」
「ジルクさんのお陰で俺達強くなってますから!」
続けて多くの兵士がこうやって援護してくるとは、ジルクは本当に慕われているんだな。
「おい、やめろ馬鹿どもっ。そういうのはマルギルス様が決めることなんだよっ」
「むう……」
ジルクは流石に顔を顰めて兵士達を宥めている。サンダール卿は髭を扱いてなにやら唸っていた。
そう、これはあまり良い流れとは言えない。
『兵士達の懇願を受け入れました』という決着では、サンダールの面目は丸つぶれだし、ジルクにしても『温情で地位を守ってもらった』ということになってしまう。
騒ぎを聞きつけて中庭には使用人やドワーフ、シュルズ族まで集まってきている。
私の立場を考えれば兵士達を黙らせ、命令という形で先ほどの案を実行することもできるが、まぁそれは悪手だろう。
「マルギルス様! 俺達が強くなっていることを証明すれば良いんですよね!? だったら、騎士様と試合をさせてください!」
「……よろしい」
悩んだ末、ジルクの育成能力と兵士達の根性に賭けてみることにした。
上手くいく自信などない。しかし選ばねばならない。
「城主殿……?」
サンダール卿が不審げな目つきでこちらを見下ろしてきた。
レードほどではないが、彼も私より頭一つ分抜ける巨漢だ。それが完全武装で見詰めてくれば、相当な威圧感はある。
日本にいたころの私なら間違いなく声を失っただろう。
……だが、そう、レードほどではないのだ。
「サンダール卿が優れた武人であることは疑いないが、この城も兵士も特殊な背景を持っている。卿が率いていたような軍とは性質が違うところもあるだろう。また、ジルクも軍隊の指揮が専門だったわけではない。卿の経験から学ぶものも多いはずだ」
レンドとサンダール卿の実力差は明白だ。だが、レンドの『負け方』もしくは『勝ち方』によっては上手く落としどころへ持っていけるかも知れない。
緊張で声が裏返らないように気をつけながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「サンダール卿、彼に稽古をつけてもらえるかな? 言葉でいろいろ言い合うよりも、理解しあえるだろう」
「……なっ」
「ふむ、分かり申した!」
サンダール卿は予想通り乗ってきたが、ジルクはとんでもないという顔だ。
「ジルク、レンド。これはあくまで訓練だ。お互いの言い分を実践で確認するためのな」
「……分かりましたよ」
「はい! ジルク隊長の訓練が無駄じゃないってことを証明します!」
レンドが勢い込んで立ち上がる。
最初に会った時と同じ野心と理想の火が、二ヶ月経っても全く衰えずに彼の目に浮かんでいるのが分った。
はっきりいって、これでレンドがボロボロにされるのは決まったようなものだ。
気は重いが……これより酷い暗鬼との戦いにも彼らを駆り出すのが私の立場だ。『その時』によりベストな形で彼らが戦えるようにするのが、役目だろう。
ジルクとサンダール郷の意見を取り入れて急遽試合のルールを作った。
・武器は訓練用の槍。
・防具は普段両者が使っているもの。
・頭部と急所への攻撃は禁止。
・レンドはサンダールに一度有効打を与えれば勝ち。
・どちらかが敗北を宣言するか、審判(私)が止めるまで試合を続ける。
実質的に、この試合はレンドの根性とサンダール卿の体力の勝負とも言える。
もっとも、私は別のところに注目したい。
……私ばかりが『測られる』だけというのも不公平だからな。
「では、はじめよ」
「はいっ!」
「ランガーも照覧あれ!」
レンドは兵士用の革鎧、サンダール卿は重厚な全身鎧。獲物は同じ、訓練用に尖端を丸めカバーをつけた2メートル以上ある槍だ。
レンドは槍を腰の高さで構え、左足を踏み出し、穂先(に当たる部分)をサンダール卿の腹部に向けている。
ちなみに、試合用の武器に槍を選んだのは、城の兵士達はまだ槍の基礎訓練しか受けていないからだ。剣や盾も支給はしているが、ただ持っているだけだ。
一方の遍歴騎士は槍を頭上まで持ち上げ、穂先(に当たる部分)を兵士の足先に向けて構える。日本の槍術とは違うのだろうが、左上段の構えというところか。
そういえば私はクォータースタッフの技能も持っていたな。
そのせいか、サンダール卿のカウンター狙いでこの型を選んだことが何となく分かる。
「…………ううっ」
ジルク以上の達人と向き合うのはもちろん初めてなのだろう、レンドの顔にはすぐに脂汗が浮かんだ。
隙をうかがうように左右にステップを踏むが、サンダール卿は平然としている。
レンドの動きに合わせて体の向きを変えてはいるのだが、この足捌きがあまりにスムーズなので動いていないようにすら思える。
「っっ!!」
「そりゃっ!」
意を決してレンドが大きく踏み込み、真っ直ぐに槍を突き出した。
私から見ても、『勢いをつけるため一度足を踏ん張り』『狙いを付けて』『踏み出した』レンドの攻撃はあまりに遅い。
サンダール卿は易々と槍を撥ね上げ、彼の肩を突いた。
この時の騎士の動きは、上段から中段へ構えを変えただけとすら見える。これが、彼の言う『型』なのだろう。
「うぐっ」
レンドは槍を取り落として蹲る。
一方、サンダール卿は中段に構えたまま涼しい顔だ。
「今のが、『冠の構え』からの『巻き上げ突き』だ! さあ、降参するか?」
「ま、まだまだっ!」
「う、ううっ……」
「こやつ、まだ立つか?」
レンドの粘りはサンダール卿の予想を遥かに越えていたようだ。
二十回も突き転がされているが、それでもまだ立ち上がろうとしている。
「とても見てられない……」
「もう止めて……」
ジルクは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙っているが、さすがに兵士達や周囲の見物人たちもざわめいている。
正直、私も見ていてかなり辛い。こうなることが分っていてやらせているというのに。
「ぜぇ、ぜえっ……。もう、もう一度……」
「……むう、まだ降参せんか。その根性だけは見上げたものだわい」
青年はよろめきながらもまた槍を構えた。
サンダール卿も汗まみれだが、あと百回同じことを繰り返しても音を上げたりはしないだろう。
「……では、遠慮なくいくぞっ!」
「がっ!?」
サンダール卿の槍の石突きが回転してレンドの足首をなぎ払い、彼を転倒させた。
それでも、彼はもぞもぞと立ち上がろうとする。
「……むむぅ……」
サンダール卿は、さっきからちらちらと私へ視線を送っていた。
もう試合を止めろと言いたいのは、『ESPメダル』を使わなくても分かる。
……そうは行くか。
今、『測られている』のは自分だと気付け。
彼やフランド伯爵が私の人物を見定めようというなら、こちらも同じことをさせてもらう。
サンダール卿はいま、勝ち方は選べないが、負け方を選ぶことができる。
さあ、どうする、遍歴の騎士? ……早く選んでくれ。
「ぎゃふっ」
そして、レンドがひっくり返った。二十五回目だが、彼は二十六回目に向けて必死にもがきはじめる。
「……っ……」
「……がっはっはっはっ!」
兵士や使用人たちはほとんど涙目になっているし、ジルクも拳を震わせていたし、シュルズ族の中には武器に手をかけるものまでいてそろそろ限界だという雰囲気の中。
私がとうとう我慢できなくなって中止の声をかけようとする寸前、豪快な笑い声が上がった。
「はっはっはっ! 参った! 参った! これだけの忍耐力と体力を身につけておるとはな! 爺の手に負える相手ではなかったわい!」
「う……あ……?」
(よっしゃ!)
大口をあけて愉快そうに笑いながら、サンダール郷がレンドを助け起こした。
レンドや、周囲のものたちはポカンとしているが、私は内心ガッツポーズである。
そう、これがベストなサンダール卿の負け方だ。
「見事な試合だった! レンドは訓練の成果をしっかりと見せてくれたな! そしてサンダール卿の武技の凄まじさは、皆もよく分っただろう。私は両者に惜しみない拍手を送りたい」
『パチ、パチ、パチ』
私の声に応じて、一人の拍手の音が響いた。
振り返ると、クローラが何となく冷たい目でこちらを見ながら手を叩いてくれていた。途中から来たのだろうに、私の思惑を見切っているようだな。
「おお、頑張ったなレンド!」
「凄い根性だったぞ!」
「騎士様も立派だわぁ」
「やっぱり風格が違うな」
「人間にしてはやるわい!」
クローラの拍手が呼び水となって、一斉に皆が手を叩き、レンドの健闘とサンダール郷の態度を褒め称える。
これでサンダール卿もジルクも面目を保てたわけだ。もちろんレンドも。
良く見ると、例の従者も拍手をしていた。
「レンド、良く耐えてくれたな。礼を言う」
「お前、頑張り過ぎだっての」
「マルギルス様……隊長……」
サンダール卿に支えられて立っているレンドの手をとり、心から礼を言う。
彼の根性も忠誠心も本物だ。全く、我が身を振り返ってこちらが恥ずかしくなるほどに。
あとでヒーリングポーションと、美味い酒でも届けよう。
「がっはっはっ! しかし城主殿もお人が悪い!」
「……いやいや。私はサンダール殿を信じていただけだ。……信じたかったという方が正しいかな」
サンダール卿は険のない目で私を見ながら笑っていた。彼も当然、私の思惑には気付いて、それに乗ったのだろう。
私にとって重要なのは、『相手も自分も下げない負けを選ぶことができるのか』という試しに彼が満点の回答をしてくれたことだ。
これが、意地になってレンドを叩きのめして馬鹿笑いするような馬鹿だったらと思うと……。
私自身の株は上がっていないという点を除けば、この騒ぎはまぁなんとか乗り切れたと思う。
「ふうっ。まったく、一瞬、マルギルス様を恨みそうになりやしたぜ」
「ジルクも良く我慢してくれたな。そして、良く彼らを育ててくれた」
ジルクの心証は悪くなったかも知れないな……。
だが、少しでも本音を言ってくれたのなら、以前ただ畏れられていただけよりはマシな関係になったと思おう。
それにしても。
たまには、自信を持って一つの選択肢を選ぶという経験をしてみたいものだ。