錬金術:初級
ジーテイアス城に帰還してから七日経った。
この間に、いくつかの問題を片付けている。
まず、不在の間に城に集まっていた労働者やドワーフの職人達のチェック。
『暗鬼の王』や暗鬼崇拝者が名指しで私の命を狙ってきている以上、これは最優先でやった。
さすがに全員の意識を『ESPメダル』で調べるのは不可能だ。まずは巡回の時に【敵意看破】の呪文を使って敵意の有無を確認したところ、これに引っかかる者はいなかった。
さらに、レイハたちダークエルフに観察させ不審な言動のあるものを探したが、こちらも怪しい者は見つかっていない。
戦族の偵察兵である『耳目兵』も協力してくれたのは有難かった。彼らからも問題なしという報告を受けたところで、やっと少し安心できた。
今後も、ダークエルフや戦族と協力して暗鬼崇拝者の潜入には警戒しなければならない。
当面の対策として、三日ほどかけて城の要所数十箇所に見えざる悪魔を配置した。与えた命令は「他者に攻撃をしようとした者を拘束せよ」だ。もっと細かい条件を設定して、侵入者を捕まえられるようにしたかったのだが悪魔たちはそこまで細かく対象を見分けることができないので断念した。
次に問題だったのは食料の確保だ。
これまで、居候状態の戦族の戦士を含めても70名程度だったところに、シュルズ族の避難民150人と戦士50人が加わったのだ。さらに、エリザベルの個人的な部下もフィルサンドからついてきたため、私達は400人近い大所帯になっていた。
700人以上もいるドワーフと労働者たちの食料を、レリス市からのピストン輸送でなんとか賄っていたところにこれだけの胃袋が増えたわけだ。
数日で備蓄が尽きるとイルドから報告を受けた時はさすがに青くなった。
城代だったセダムが、十分な備蓄を用意しておかなかった自分のミスだと謝罪してきたが、それを言うなら私も、せめてシュルズ族が城へやってくると決まった時点で彼に連絡するべきだったのだ。
やはり、実務面ではイルドがいないとこの城は駄目だな……。
ともあれこの問題については、仲間になったばかりのエリザベルとその部下たちが働いてくれた。
ユウレ村とカルバネラ騎士団に交渉し、当座必要な穀物や家畜を買い付けてくれたのだ。
この世界において、食料は現代日本の感覚よりも遥かに重要な物資である。十分な代価を支払ったとはいえ、この短期間にこれだけの食料を集められたというのは彼女の外交交渉能力の高さの良い証明となった。
もっともその凄さを実感したのは、私より商売のことを良く知るイルドやモーラたちであったが。
しかしこの時、エリザベルは「思ったよりも費用がかかってしまいました。この地域で、食料の値段が徐々に上がっているようです」とも言っていた。
今は仕方がないが、なるべく早く食料生産にも着手しないとな。その点では、シュルズの民に期待しよう。
そのエリザベルはいま、部下ともどもレリス市へ向っている。
現在、私とレリス市が結んでいる対暗鬼同盟を、リュウス湖周辺の都市国家の連盟である『リュウス同盟』全体に拡大する交渉のためだ。
これはエリザベル自身が言い出したことで、一ヶ月ほどかけてリュウス同盟の主要な参加都市をまわってくるつもりだという。
すでにレリス市の評議長ブラウズ氏が根回しはしてくれているが、こちらからも外交に長けた人物を派遣した方がいいだろうと思い、彼女を派遣することにした。
護衛としてテッドと兵士5名、エリザベルの部下達、それにレリス市で食料を買い付けるためにノクス青年も同行する。念には念を入れ、ダークエルフ姉妹からも2名を護衛につけた。
こういった問題の解決と平行して、城と交易路を建築するために毎日森の巨人や石の壁、鉄の壁を生み出す仕事も休みなく続けていた。
まあ呪文を唱えること自体は全部で1時間もかからないのだが、精神的には相当疲れる作業だった。
もっともその苦労と、建築の家の長が相変わらずのハイテンションでドワーフと労働者を駆り立てたお陰で、城の拡張工事と戦斧郷までの交易路工事の基礎部分は完成してしまった。
建築の家の長、ヴァルボ氏からは「よっしゃ! 明日からは戦斧郷からフィルサンドへの交易路の基礎工事だな! さっそくあんたの長虫でトンネル堀りをしてもらうぞ!」と、ありがたいお言葉を頂いている。
そんなこんなで、帰還後の仕事も一段落ついたところで。
私はずっと前からの課題に取り組むことにした。
「さて、諸君。いよいよ今日からゴーレム作製技術の習得に向けた授業を始める」
「「「はいっ!」」
「よろしくてよ」
主塔の広間である。
私の前にベンチを置いて座り、元気良く返事したのは元魔術兵候補生の三人。
黒髪でがっちりした体格の少年ログ、金髪で目つきに険がある少女ダヤ、そして茶色の髪の気弱そうな少年テル。
もともと魔術師ギルドによる人体実験にも近い魔術兵養成所にいた彼らだが、紆余曲折あって私が預かることになっている。その時の魔術師ギルドとの取引により、私は彼らにゴーレム作製技術を伝授しなければならない。
ある意味では、魔術師ギルド支部長ヘリドールに魔術兵育成を諦めさせるための方便ともいえる取引ではあるが、三人ともやる気に満ちた目をしている。
それもそのはずで、彼らは、暗鬼と戦う兵器としてのゴーレムを自らの手で作り出すことで、家族を殺され孤児になった復讐とするつもりなのだ。
もちろん私としても、ゴーレムを各都市に配備することで暗鬼から人々を守れるなら万々歳である。
後ろの列にはクローラもいる。忘れがちではあるが、彼女が魔術師ギルドから城に派遣された理由の一つはゴーレム作製技術もしくは魔法の訓練を受けることだ。
ログたちやクローラとこの城にやってきてから2ヶ月近くが経とうというのに、その訓練はまったくできていなかった。
全く放置していたわけではない。
ゴーレム作製、すなわち錬金術の基礎となる『錬金術入門書』を読めるようにするため神官戦士トーラッドに依頼して文字の勉強を見てもらっていたのだ。
もちろん、錬金術といっても、元の世界に実在する(化学の前身としての)錬金術そのもののことではない。
当時、図書館などで集めた資料を参考に、無駄に凝り性だった私やゲームマスターが勝手に捏造した『マジックアイテムを作製する設定としてのナンチャッテ錬金術』である。そしてその『設定』は、私を転移させた『見守る者』によって現実に効果を発揮する『本物の技術』に成っている。
ではあるが。
「すみません、マルギルス様……」
「簡単な字は読めるようになったけど、まだあの本は……」
「僕もまだあまり読めてないです……」
ログとダヤが決まり悪そうに切り出してきた。元々字の読めるテルもちょっと涙目になっている。
まあ、(例え中身が学生時代の私とゲームマスターの妄想の産物だとしても)この世界では未知の技術でポーションやゴーレムを作ろうという解説書だ。
そうそう簡単に読む込むことはできなかっただろう。
「では、その本の……ええと3頁を開きたまえ」
「はいっ」
「ちょっと、頭をどけてくださる?」
『錬金術入門書』を長机に広げ覗き込む少年少女。その背後から覗き込むクローラ。
私は昨夜予習しておいた説明を始める。
「ゴーレム作製、そしてポーション作製は実は錬金術という技術の一部に過ぎない。
そして錬金術とは、私達魔法使いが精神を鍛えて行う『魔法』を物理的な手段で再現する術だと思ってほしい」
「「「……」」」
このあたりの総論的な話は少年達にはつまらないだろうな。逆にクローラは食いつくような目を私と入門書に交互に向けている。
「では魔法とは? 君たちの魔術は、この自然界や君たちの体内に存在する『魔力』に働きかける技術だ。
それに対して魔法は、『世界の外』にある『混沌』を利用して現実そのものを変える技術、ということになる。『世界』と『混沌』を繋ぐ回廊であり境界でもある『魔導門』が、魔術師のいう魔術盤に近いかも知れないな」
世界、か。もしかすると私のいた世界とこの世界も、混沌から生まれた別々の世界ということかも知れないな。
ん?
……今の、自分の考え。どこかに何かが引っかかるな……。
何となく大事なことを閃きかけたような、気がしたのだが。
「「…………」」
「む。すまない、続けよう」
少年たちやクローラの真剣な顔に私の意識はすぐ講義に戻ってしまった。
錬金術、ひいては魔法の基本設定では、この現実世界全体や物質の全ては『混沌』が一時的に姿を固定化したものと規定している。
つまり、混沌を操ることができれば現実世界のあらゆる物質、もしくは実在しない物質ですら作り出せるということだ。
しかし通常、物質的存在は混沌を認識することも触れることもできない。それが可能なのは、自己の精神を混沌の領域へ潜らせることのできる魔法使いだけだ。
錬金術において、あらゆるモノに成りうる可能性の塊である混沌は、以下のような段階を踏んで物質化する(という設定)。
混沌→霊素→元素→物質
霊素は『特定の性質を持たない純粋なエネルギー』、元素は『地・水・火・風いずれかの性質を帯びたエネルギー』だ。
そして元素が複雑に混ざり合い結合することで、現実世界を構成する電子や原子が生まれる。
(今考えると科学用語の元素とごっちゃになってるな……)
「……マルギルス?」
「何でもない。
つまり……物質を還元していくことで元素や霊素を抽出し、それをアイテムやポーションの原材料に加えることで現実ではあり得ない魔法の効果を発揮させることができる、というわけだ」
簡単にいえば火の元素を剣に加えれば『炎の魔剣』になるし、水の元素は普通の薬を『ヒーリングポーション』に変える。
「うーん、そういう風に言われると、すげえ単純な話っすね……」
「ロ、ログ。そんなこと言っちゃダメだよ……」
「それで? 具体的にはどうやって物質から元素や霊素を取り出しますの?」
「簡単だ。砕いて焼いて溶かして沸かして……とにかく細かくしてから抽出するんだ」
クローラの少々焦れたような質問。
私は床に置いてあった背負い袋を拾い上げ、そこからいくつかの道具を取り出していく。ログがダヤに「やっぱり単純だなぁ」と囁いていたが、まぁもっともだ。
小さい物ではビーカー、フラスコ、乳鉢、水差し、アルコールランプ、やすり、ハンマー。
やや大き目の道具では蒸留器、ろ過器、火鉢など。
長テーブルの上は怪しげな道具で一杯になった。
「なんだか、薬師の道具のようですわね」
「ああ、近いかも知れない。もっと重要な『錬金炉』はここに取り出すわけにもいかないので、また後日見せるが」
錬金炉とは要するに加熱器だ。ただし、この道具だけは事前に呪文をかけてマジックアイテムにしている。
子供くらいの背丈のある道具なので、この後、ヴァルボか大工のゼク君にでも頼んで錬金術用の実験部屋を作ってもらうつもりだ。
「とりあえず、実験部屋が完成するまでは入門書を読みながら、それらの道具の使い方を覚えるようにしてくれ」
「「「はいっ!」」」
「……ふぅ」
「お疲れ様でした、主様」
少年たちには宿題を出し、とりあえず初回の講義を終えた私は自室で茶を飲んでいた。
モーラは忙しいようで、レイハが給仕してくれている。
「理屈としては分かりましたけど……『混沌』というのは少々恐ろしいですわね。危険はないんですの?」
対面に座って優雅に茶を味わうクローラが聞いた。
秀麗な眉がやや寄っているのは、レイハの茶が苦いせいではないだろう。
「まあ、ゴーレム作製となると十分気をつけないとだな。しかし私としては、彼らにはとりあえずポーションの作り方を覚えてもらおうと思っている」
「それはまた、何故ですの?」
「一つは、ゴーレム作製の前の練習だな。もう一つは……まぁ、経済的な事情だ」
「……ああ、そういう……」
「…………」
何となく気まずい沈黙が降りた。
さきの食料不足のこともあり、交易路開通よりも先に何らかの収入源が欲しい、というのが現実的な課題だったからだ。
そこへ。
「マルギルス様。そろそろお時間ですが」
「あー……。うむ……」
イルドからお呼びがかかった。
帰還した日から伸ばし伸ばしにしていた最後の課題。
『私への面会を希望する客人たち』をもてなすための宴が、これから始まるのだ。
大変ながらくお待たせいたしました。更新再開いたします。
とはいえ、仕事の状況はあまり変わらないので日刊ペースは難しいですが……。
引き続き拙作をお楽しみいただければ幸いです。