『正しい』こと
エリザベル、ディアーヌという新たな仲間を加えた翌日
私はフィルサンド公爵ダームンドと二人で酒を飲んでいた。
これまでのように、公爵の私室である。
酒もつまみも極上であったが、私と彼の間には適度な緊張感があった。
私としては、そろそろフィルサンドとの同盟について結論を出したい。もちろん、公爵のフェルデ王国侵攻といった野望に巻き込まれない形で。
公爵は逆に私を取り込んで共にフェルデ王国の国土をブン獲りたいというところだろう。
前回の会談では、同盟を組む前提として私から彼に条件を出すところまで話をした。
条件の一つは、公爵が地盤を固めるために三人の子供の争いを止めさせ協力させること。
条件はもう一つあるのだが、こちらは一旦私が保留にしている。
「……エリザベルは貴殿のところにいったようだな? まあよろしくしてやってくれ」
「まあ、こちらとしては有難い話ではある。しかし、彼女を手放しても良かったのか?」
「構わないさ」
これは厳密に言えば、私が出した『三人の子供の仲をまとめ公爵に協力させる』に反する結果だ。
しかし私はそこは流すつもりだった。
もともとエリザベルを守るという意味が強い条件だったし、彼もそれは承知しているだろう。
「貴殿の役に立つということは、俺の役に立つということだしな。それに、手元に置いてもあれと仲良くなれる日は永遠にこなそうだ」
「……そうか」
公爵の表情はさばさばしたものだった。
彼は喜んで人を傷つけるような真性の邪悪ではないが、かといって父親として娘を愛せるほど『まとも』でもない。
エリザベルもそれがはっきり分ったからこそ、自分の道としてジーテイアスにくることを選んだのだろう。
公爵とは同年代ではあるが、子供を持ったことのない私に偉そうなことを言う資格も言葉もない。
もやもやは残るが、この件はこれで良しとするしかないだろう。
「バルザード殿とアグベイル殿とはどうだ?」
公爵が空けた杯にワインを注いでやる。このあたりのタイミングはもうお互い慣れた。
「バルザードを正式な後継者にする布告は出した。あいつはもともと面白みのない男だが、まあ無難にやれるだろう。あいつはフェルデ本国やシュルズともどういうわけか上手くやっているしな」
「それは良かった。私も彼が適任だと思うよ」
息子二人とあまり深い話ができていないのは残念だ。
それでも、シュルズ族の信頼を勝ち取ったバルザードが人格者であることは分かる。公爵の息子とは思えないほどだ。
ただ統治者としては少々人が良すぎるほどだが。
「アグベイルもバルザードには気を許しているらしいしな。継承順位を確定させた以上、余計な真似はしないだろ」
「そうだな。彼もあれで見込みはあると思うよ」
アグベイルは逆に公爵の息子だと良く分かる。打算的で、狡猾。そして弱者の立場で物を考えることができる。
兄に一目置いているのは確かなようだった。彼とバルザードがお互いの短所をカバーし合えればフィルサンドの統治は上手くいきそうだ。
ついでに言うと……。
「そういえば。アグベイルのやつはあんたに何か言ったんじゃないか?」
公爵は私の杯にワインを注ぎながらにやりと笑った。この似た者親子め。
確かに、アグベイルはこっそり私にあることを伝えていた。
「ああ。『後日、父上が貴方を裏切るようなことがあれば事前にお知らせします』だったかな」
「くくっ。あいつらしいな。そういう訳だからあいつが何も言わないうちは俺は裏切ってないと思っておいてくれ」
「そうしよう。……一応言っておくが、貴方の方から彼らに手を出すのはなしにしてくれよ?」
「小僧が足元でうろついてるくらい、いちいち気にせんよ」
まあ、彼と子供達にことについてはこれくらいでいいだろう。
公爵が終わらせたがっている以上、母親である公爵夫人も何もできないだろうしな。
そろそろ頃合だ。
「……で。何とか家庭をまとめた父親の苦労にはどんなご褒美があるのかね、魔法使い殿?」
公爵が砕けた口調で本題に入った。ただし目の奥には以前見た、野心の火が灯っている。
「ああ。こないだ言いかけた提案だな。
フィルサンドに必要なのは新たな開拓地なのだろう。だったら、そこに良さそうな土地があるだろう、という話さ」
そこ、と良いながら私は壁にかけられた地図の一点を指差した。
フィルサンドの北方にひろがる広大な空白地……『黄昏の平野』を。
「……そこには数え切れん死人どもがうろついている……なんてことは承知だな?
魔法でどうにかしてくれるのか?」
公爵は地図をじっと見詰めている。
頭ごなしに否定しないのは彼の冷静さというよりは、私の魔法の力の限界がわからないからだろう。
もちろん、私も広大な土地に存在する無数のアンデッドを消去するような呪文は知らない。
ただし、フィルサンド滞在中に図書館や賢者を訪ねて情報をあつめ実際に黄昏の平野を偵察したりしてある程度の目処は立てている。
「あそこにアンデッドが大量発生したのは120年前。今でいう『死者の嵐』以降だ。
恐らくアンデッドを発生させている原因がある。それを私が排除しよう」
「ずいぶんと……蜂を追うような話だな。いや、魔法使いにとってはそうでもないのか?」
「まあそんなところだ」
実際、『死者の嵐』については断片的な情報しかない。何かの原因があって、それを排除すれば良いというのも半ば当てずっぽうではある。
しかし、ゴーレムの量産やドワーフの協力があれば、力尽くでアンデッドを全て排除して開拓することは不可能ではない。
何よりこれくらいの餌がなければ公爵の征服欲を満たすことはできないだろう。
「どうかね? 私にも準備は必要だが……1年か2年後には『黄昏の平野』をもとの『曙の平野』にもどすことは約束しよう。
それまでに貴殿にはジーテイアスとの交易や領内の復興に尽力していてもらいたい」
「ふうむ……」
公爵は考え込んだ。
こうなると、暗鬼の軍団を倒すのに魔法の力をたっぷり見せ付けておけたのは良かった。
それがなければ私の提案など鼻で笑われて終わりだったろう。
「良いだろう。どの道、暗鬼の軍団の進路上にあった耕地や村は酷い被害を受けているからな。
その復興や軍団の強化にも時間がかかる。2年、待とう」
「うむ」
「黄昏の平野を開拓すれば二十年で立派な街の一つや二つはできるだろう。そうすれば残り十年でフェルデを倒せるな」
「……だといいな」
公爵には悪いが、二十年後の侵略に手を貸すつもりはもちろんない。
ある意味、騙しているわけで申し訳ない気はするが……。
「実はな、マルギルス殿」
「ん?」
「暗鬼の軍団との戦の時だ。最初は、これで剛毅城のフィルサンドも終わりだと思った。
その後、あんたが魔法で暗鬼をなぎ払った時に……ほっとしたよ」
ワインの満ちた杯を見下ろしながら、公爵は皮肉気に笑った。
「どうも俺の中にも、少しは城や街、部下や領民を大事に思う気持ちとやらがあったらしい。……年かな」
「……年かもな」
強大な力の使い方を間違ってしまった『悪い自分』であるフィルサンド公爵。
彼と出会ったことは私にとってとても大きな意味があった。
彼という鏡像によって自分が少なくとも間違えてはいないと思うことができた。
しかし、だからといって。
私のしてきたこと、これからすることが『正しい』だという保証はどこにもない。
現代日本においても、『正しい』ことを見つけるのは至難だった。
この世界には、『正しい』ことが存在するのだろうか?
長かった四章はこれで終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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